その弾丸の行先

須方三城

第7話 生きるために

 それは、二度目に引き金を引いた時の記憶。


「生きるため」という言葉の麻酔が、ガツィア=セントカインを麻痺させた時の記憶。






 院を出る時に渡された僅かな金では、当然2,3日と持たない。


 ガツィアは、雨をしのぐため、路地裏でダンボールを被ってうずくまっていた。


 でも、大した効果は無い。ダンボールはすでに水に侵食され切っていた。


 寒い。


 世界とは、こんなにも寒かったのか。


 暖かい笑顔は、もうどこにも無い。


 空を見上げても、太陽すら無い。


 寒い。震えが、止まらない。手足はすでにかじかんでいる。


 真冬に雨ざらし同然なのだ。当然の事だ。


「おやぁ、寒そうにしてるわね……」


 傘をさした一人の人間の女が、ガツィアに目を止めた。


「……うん……寒い」
「家出、しちゃったの?」
「違う。……追い出されちゃった……」
「そうなの、……じゃあ、家に来る?」
「……!…いいの!?」
「当然よ。私は、あなたみたいな非力な魔人が、大好きなの」
「…………!?」


 ガツィアは、一瞬寒気を感じた。物理的な寒さを感じた訳では無い。鼻の奥にこびりつく様な、濁った匂い。それを感じた。


 この女は、何かがおかしい。


「やっぱり……いい。僕、ここにいる……」
「あら、どうして?寒いでしょ?」
「だって、おねえちゃん、何かあるもん……」


 女は一瞬目を剥いて驚きの表情を浮かべた。しかし、一瞬だ。すぐさま貼り付けた様な笑顔を取り繕う。


「大丈夫。悪い事じゃないわ。あなたに新しいお家を紹介してあげる。きっと、大事にしてくれるわよ。その手の物好きの所に送ってあげる」


「……?」


 よくわからない。でも、恐い。この人が言葉を吐くたび、濁った匂いがキツくなる。


「いいから、おいで」
「っ…いい。大丈夫だから……!」
「いいから来なさい!」
「!」


 ガツィアを襲う平手打ち。


「黙ってついて来なさい。悪いようにはしないわ。だって、大事な商品ですもの」


 女は転んだガツィアの手をもう一度掴む。容赦の無い掴み方だ。指の後が残ってしまう程。


「っ…や…だ!」
「この…!…………もうイイわ」


 諦めてくれたのか、そう思ったガツィアの首筋に押し当てられた機器。


 それは、小型のスタンガンだった。








 気がつけば、ガツィアは薄暗い場所にいた。


 冷たい、コンクリートの床。首に違和感がある。何か、機械の首輪の様な物が付けられている。


 鼻を突く異臭。とても臭い。感覚的な物では無い。物理的な匂い。まるで、糞尿を垂れ流して放置している様な…


 あと音がする。カリ…、カリ…、と静かに何かを引っ掻くような。


 目が、暗闇になれる。真っ先に目に入ったのは、少し離れた所にいる一人の少年。


「……誰……?」


 返事は、無い。


 さらに目が慣れ、ガツィアはギョッとした。


 薄紫色の尾を持ったその少年は、とてもガリガリに痩せこけていた。


 虚ろな目で、床をカリカリと、静かに引っ掻いている。


 異臭の元は…


「うっ…」


 ちょっと吐き気が込み上げたが、それが引く程の光景が目に付いた。


 その少年の床を掻く爪は砕け、血が出ている。床に、血の爪痕がどんどん刻まれて行く。


「な、何してるの!?」


 止めようとしたが、少年に駆け寄る前に足を引っ張られた。いや、引っかかったという方が正しい。


 床に打たれた鉄の楔。それに、ガツィアの足は鎖で繋がれていた。よくみれば、少年の足もだ。


 一体、何がどうなっている?


 この部屋は、かなり広い。廃墟の一フロア、という感じだ。その窓は鉄板で完全に塞がれており、光が差し込まない。


「何……ここ……」


 大きな音をたて、錆び付いた扉が開け放たれる。


「あら、起きたの?」


 入ってきたのは、あの女だ。


「っ…これは、何…?」
「あらあら。察しが良いんだか悪いんだか」


 女はクスクスと笑う。


「ま、とにかく気を確かに持ってね。こいつみたいになられたら、その手の超希なニーズにしか売れないから困るのよ」
「こいつ…?」


 女は一笑し、床を引っ掻く少年の元へ。そして、その腹を蹴っとばした。


 少年はちょっとだけ呻いて腹を押さえる。


「こいつよ。中々売れなくて、おかしくなっちゃったみたい。まぁこういうガラクタ状態でもたまに買手が付くのよね。…本当、魔人擁護派テイルガードって気持ち悪ぅい」
「なっ……」
「ま、元々共生国家に住んでる奴なんて大概変態だし、ねぇ」


 同意を求める様に、女は笑う。


「た、助けて……」
「はぁ?それはあなた次第よ。さっさと売れてくれれば私としても助かるわ。在庫管理って超めんどくさいのよ?」


 ダメだ、糞尿の異臭より、この女の放つ謎の不快臭の方が鼻を麻痺させる。


 よくわからない、でも、このままではあの少年の様になってしまう、という事だけはわかった。


(……嫌だ……!)


 ガツィアはその手に青い光を出現させた。それは、黒い拳銃に変わる。それを、女に向ける。


「この鎖を外して…!」
「はい、それNG」


 女はポケットに手を突っ込み、あるものを取り出した。リモコンだ。


 その赤いボタンを押した瞬間、ガツィアの首に付けられた機械が電流を吐いた。


「っいぎぃっぁあ!?」


 激痛。驚き銃を落としてしまう。


魔能サイ対策してない訳無いじゃない。どうもあなたは調教が必要みたいね。とりあえず、次からは1回抵抗ごとに10回電撃ね」


 にっこり笑う女。ガツィアの目から、涙がこぼれる。


 痛い、何で?何でこんな事をされなきゃならない?


「一応忠告よ、坊や。もし私がいない間にその魔能サイで首輪や鎖壊してたら、こんな物じゃ済まさないわ」


 ただのはったりだ。首輪を壊されれば女は具体的にガツィアを封じる術は無い。しかし、幼い子供にははったりだけでも行動を制限する効果がある。


 地に伏せながら、ガツィアは女の足音を聞いた。どうやら、ここから出るつもりらしい。女の背が、目に入る。


(……今、なら……)


 背中、撃てる。銃を拾えば……


「…………っ…」 


 ……本当に良いのか、そんな事をして。


 人を、殺す。


 ガツィアはもう、一人殺している。でも、それは突発的な出来事。
 思考する間も無く襲い来る脅威に対して、本能的に引き金を引いてしまっただけ。


 人を傷つける事は悪い事だと、サーニャは毎日の様に言っていた。それくらい悪い事。してはいけない事。


(でも、このままじゃ……)


 選ぶしか無い。


 あの女を殺して逃げるか、サーニャの言いつけを守りってこのままあの少年の様になるか。


(僕は……)


 嫌だ。嫌だ。こんなの、嫌だ。


 生きたい。あの少年の様な状態を、生きているとは言わない。死んでいるのと同じだ。死にたくない。


 気付けば、銃を拾っていた。しかし、遅かった。


 女の背中はもう遠い。ガツィアは射撃の心得など無い。拳銃では、この距離からあの女を一発で仕留める射撃は難しい。


 しかし、一撃で仕留めなければまた電撃をくらう事になる。今度は、何度も。


(あの人の頭を…撃てる銃を……!)


 ガツィアの意志に応じ、拳銃が青い光となり、今度はライフル銃に変形した。


 その光に、女は振り返る。


 スコープを覗き込み、ガツィアは引き金に指をかけた。スコープの中心にはあの女の頭。後は、引くだけ。


 しかし、指が止まる。


 サーニャとの思い出が、指を絡め取る。


「っのクソガキ!」


 女がポケットに手を突っ込んだ。
「っ」


 痛いのが、来る。それにこの機を逃せば、もうチャンスは無いだろう。


(死にたくない……!生きたい……!)


 その言葉が、頭の中で反響する。


 生きるために、ガツィアはその指を動かした。




















 生きるためだ。


 生きるために、ガツィアは人を殺した。


「……生きるため……」


 虚ろな目で、ガツィアはつぶやく。


 電撃の痛みは、無い。


 ボタンが押されるその刹那に、女の顔の上半分が吹き飛んだのだ。


 ガツィアの放った、青白い光の弾丸によって。


 ライフルが静かに虚空へと溶ける。


「僕は……」


 取り返しのつかない事をした。


 今回は、誰かを守るためじゃない。
 自分が嫌な思いをしたくないから、生きたいから、あの女を殺した。


「…………」


 サーニャの教えを、自分のために破った。大義名分の無い、ただのワガママで。


 そんなことは無い、正当防衛だ。
 そう言ってくれる人がいれば、ガツィアはまだ引き返せたかも知れない。
 優しく抱き寄せてくれる人がいれば、行き着く結果は変わっていたかも知れない。


 しかし、ここには、ガツィアと、屍同然の少年しかいない。


「……生きるため、だったんだ……」


 心が壊れるのを回避するため、ガツィアの本能が自動的に防衛策を取る。


 それは、諦める事。
 割り切る事。


「そういう、世界なんだ」


 院であの麻薬漬けの子供を撃った時だって、あのままじゃガツィアは殺されていた。


 今だって、撃たなきゃ、心を殺されていたかも知れない。


 ガツィアの心は、そんなに強くない。むしろ、脆弱。


「生きるためには、どんな事でもしなきゃ、ダメなんだ」


 自分にそう言い聞かせないと、すぐにでも心が瓦解してしまう。


 生きるため、その言葉で、罪悪感を感じるまともな神経を麻痺させる。ガツィア=セントカインを眠らせる。


 それもまた、生きるための処置。


「……ここ、出よう」


 拳銃を出し、まずは足の鎖を撃つ。


 何発も撃ちながら、思う。




 あぁ、引き金ってこんなに軽かったっけ。












 ✽






「……ぐぅわっふぅ!?」


 子犬に尻尾を噛まれ、ガツィアが派手に飛び起きる。


 自身が飛び起きた衝撃で全身に激痛が走るという二段構えの地獄だ。


「て、めぇ…」


 ガツィアのベッドは、ハイネ宅のリビングのソファー。


 部屋は余っているが、ベッドはハイネのしか無いので仕方無い。


(…っ~……に、しても……)


 昔の夢を見るなんて久しぶりだ。


 しかも、まだ「ガツィア=セントカイン」だった頃の夢は特に希だ。


(何で今更……)


 何か、理由でもあるのだろうか。あんな夢を見てしまう様な理由が。


(…思い当たらねぇな)


 ま、夢は夢だ。さっさと忘れてしまおう。


「……っ……?」


 一瞬、胸の奥に違和感を覚えた。まるで、心臓を圧迫される様な。


「……あぁ?」
「どうしたの?」


 既に起床し、朝食の料理を始めていたハイネがキッチンスペースから問う。


「…んでもねぇよ」
「でも、いきなり胸押さえて苦しそうな顔したじゃん」
「……ちょっと胸に妙な感じがしただけだ」
「えっ、それ大丈夫なの?」
「さぁな……テメェが執拗にしばくから、臓器にガタが来たんじゃねぇか?」
「……びょ、病院!!っいや、ここはトトリさん!?」
「……冗談だっつぅの」
「あ、そうなの…?身に覚えが有りすぎてひやっとしちゃった……」


 これを機に少しは控えていただきたい物だ。


(しっかし…何だったんだ、今のぁ……)


 本当に、一瞬の痛み。いや、痛みというより、あれは……


(軋み……?)


 よくわからないが、そういう表現が似合う感覚だった。
 心臓の中で、何かと何かが衝突し合い圧迫し合っている様な、そんな感覚だった。


 ……わからない。一体、なんだったんだろうか。


(マジで病気……か?)


 彼は、気付いていない。
 その軋みの意味を。


 それは、パンドラの箱が開く予兆。
 彼の中の、開けてはいけない部分の蓋が開き始めている。その警鐘。


 喜ぶべき変化が訪れ、その先にある悲しい結果へと繋がる。そんな未来を報せる物。


 超常的な未来予知では無く、確実に訪れる一つの結果を予感した。


 しかし、彼自身は気付かない。いや、気付きたく無い。






 ✽






「あ、ガツィア君、おはようっす」
「………誰だテメェ」
「ひどい!」


 コンビニ店員生活4日目。4回目の出勤。


「エルジっすよ!エルジ=サブアクト!初日に会ったっしょ!?ってか一緒にレジ入ってたっしょ!?」
「んぁ?あぁ…そぉいやそんなん居たな」
「そんなんって……」


 ガツィアが初出勤したあの日、イガルドと一緒に居た奴だ。


「なぁんつぅか……地味だなお前」
「ひ、人が気にしている事を…!」


 もう本当に、地味だ。地味というか、普遍性の塊。


 どこの街中にでも居そうな外見。


 どうでもいい話しかしないから特別頭にも残らない。


 テンプレート大学生、とでも言おうか。


「いや、でもっすよ、こんな変人だらけの店で働いてるって時点で俺も結構アレって事で、ここはひとつ」


 ……今の所、うっかり暴力女と謎多きニコチン中毒者と外見と中身が反比例のグラフ状態の大男しか知らないが、ここはそんなに変人だらけなのか。


「はい、お喋り一旦おしまい。ガツィア、今日はホットスナック関係を細かく教えていくからね」
「ホットスナックって何だよ」
「これ系」


 そう言ってハイネが差したのは、チキンとかコロッケとかを陳列するホットケース。


「食っていぃのか?」
「ダメに決まって…」


 ピタっ、とハイネの手刀がガツィアに直撃する直前で止まる。


「…危ない…またやっちゃうとこだった…」
「……危なかったのぁこっちだこのクソッタレ……」


 今朝のやり取りのおかげで思いとどまってくれた様だが、つっこみ感覚でボコられかけていては溜まった物では無い。


 この犬帽子の深層意識はマジでガツィアをサンドバックか何かと認識しているのだろうか。


「と、とりあえず、これ系の作成方法から説明してくね」
「あぁ?俺ぁ飯作りなんざ出来ねぇぞ」


 ガツィアは元々長年外食だけで生きてきたのリッチなホームレスだ。料理する機会など皆無だった。


 当然、料理の心得など無い。


「大丈夫。基本カゴに乗っけてボタン押すだけだから」


 レジの端、客から見えないスペースに3台、妙な機械がある。


 油が満ちた底の深い鍋の上に、鉄製の小さなカゴが取り付けられている。


「これがホットスナックの創造主、フライヤー様です」


 しゃーん、とハイネは3台のフライヤー様を自慢気に紹介。


「このカゴに冷凍状態のチキンを並べて、このテンキーで時間設定して、このスタートボタンを押すでしょ?」


 慣れた手つきでパパッと言葉通りの作業をこなしてゆくハイネ。
 スタートと書かれた赤いボタンを押すと同時、冷凍され白んだチキンが乗ったカゴが、ゆっくりと油の中へと沈む。


 5分後、上がってきたカゴの上には、こんがりと揚がったチキンが整列していた。


「うおぉぉ……まぁ、これなら出来なくぁねぇな」
「さり気なくチキンを食べようとしない!」
「っぎゃふぅぁ!?」
「あ」
「ハイネさん……」


 あぁ、本当に臓器がイカれちまう。






「お疲れだねぇ」
「わっふう」


 休憩時間を迎えたガツィア。


 そんなガツィアを事務所で出迎えたのはトトリと子犬だった。


「あぁ…ここ数日ぁ散々だ」
「ま、大抵あんたが悪いんだけどね」


 一応、ハイネの鉄拳制裁(キックもあるよ!)はガツィアへの体罰的な側面が強い。


「いや、口で言えよ……」
「口で言ってたら、あんたは今ほどハイネに従順になってたとは思えないけどねぇ。躾って奴じゃない?」
「ありゃあ躾じゃなくて調教だろぉが…人の体がズタズタなのを良い事に好き勝手しやがって」
「でも、結構回復して来たんじゃない?最近はハイネアタックから復活までのスパンがほぼ無くなって来てるわよ。その分、ハイネアタックからハイネアタックへのスパンも短くなってるみたいだけど」
「……笑えねぇ」


 しかし、順調に回復している、というのは良い事だ。


 案外、早く『裏道』に戻れるかも知れない。


「あのー、トトリさん」


 ハイネが顔だけを事務所へやり、トトリを呼ぶ。


「ハートフルサービスを利用したいらしいんですけど…」
「どうしたのさ?」


 トトリはスっと立ち上がってハイネの方へ。


 話を聞くと、トトリは「あー、丁度いいかも」とつぶやいて、ガツィアの方へ振り返った。


「?」
「灰かぶり、ちょっとあんたに頼みたい仕事があるんだけど」
「はぁ?」
「大丈夫、きっと『今の』あんたには向いてる仕事だよ」





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