吸血男と献血少女のギブアンドテイク

須方三城

吸血男と献血少女のギブアンドテイク

「…………」


 棺桶の中、我輩は目を覚ました。


「……むぅ、もう夜か……?」


 少し体に疲れが残っている気がする。
 最近、棺桶を新調したばかりで、熟睡し切れていないのかも知れない。


 正直、寝足りない気もするが、『渇き』も感じる。
 もう起きてしまって、『渇き』を潤しに行くとしよう。


 という訳で、棺桶の蓋を開けてみる、と……


「おや、坊ちゃん。本日は珍しくお早いお目覚めで」
「……貴様は何をしておるのだ」


 室内は壁紙も家具も我輩好みの黒で統一され、分厚いカーテンが外の光を完全シャットアウト。
 しかし、現在唯一のドアが開け放たれ、廊下の電球の明かりが室内を照らしている。


「トレジャーハント、と言った所ですか」


 答えたのは、我輩の部屋に侵入していた1人の女性。
 西洋風のお手伝いさん、要するに実にメイドらしい格好をした、若い女性だ。
 ただし、服の下は薄水色のジェルの塊。


 まぁ、いわゆるスライムだ。
 父上の雇ったメイドの1人、スライム娘のパーシーだ。


「……我輩には、それは宝箱には見えんが」


 彼女がゴソゴソと漁っているのはどう見てもゴミ箱である。


「いえいえそうでもないですよ……あったあった」


 彼女が取り出したのは、昨日我輩が鼻をかんだティッシュだ。


「…………」


 クシャクシャに丸められたそれを広げ、パーシーは口をへの字に曲げる。


「……鼻水じゃないですか。どういう事ですか」
「こちらのセリフだが」
「『処理紙』はどこに隠したんですか」
「貴様がそうやって持ち出すから丁重に処理しとるわ」
「メイドの数少ない楽しみを奪うとは何事ですか。雇用主の息子としてやや問題があるとは思いませんか」
「雇用主の息子の処理紙漁るのは、メイドとしてかなり問題があるとは思わんか」


 スライムの主な食料は水分を多く含むモノだ。
 その体質上、固形の物は消化吸収するのに時間が掛かるので、滅多な事が無ければ固形物は口にしない生態になったらしい。


 そして男性のその、まぁ『アレ』は、液状で尚且とても良質な栄養源、なんだそうだ。


「大体、食うものには困ってないのに何故そう…」
「先程も言いましたが、娯楽ですよ娯楽。あなただって、『血を吸う』必要は無いのに無性に吸いたくなる事あるでしょう」
「…………」
「ぶっちゃけ、減るもんじゃないんだし、くれたって良いじゃないですか」
「何か嫌だからダメだ」
「はぁ……『規約』さえ無ければ、すぐにでも坊ちゃんを押し倒して枯れ果てるまで……」
「我輩は早くこの屋敷の主になって貴様を解雇したい」


 いつ襲われるかわかったものではない。
 まぁ我輩も男である以上、エロイベントは歓迎なのだが、腹上死は御免である。


「酷い事言いますね。解雇=刑務所行きなんですよ私」
「行けと言っておるのだ」


 この屋敷は、基本的に「軽い罪を犯した」妖怪や妖精が執事やメイドとして働いている。
 まぁ、いわゆる更生施設の一種なのだ。
 最近は犯罪者が激増しているらしく、軽犯罪者を全員刑務所で養うのは厳しいそうだ。


 ちなみにこのジェル状メイドは言うまでも無く性犯罪者である。


「ああ、私は何て不幸なメイドなんでしょう」
「これに懲りたのなら、ここを出てから同じ様な真似はしない事だな」
「当然です。今度はバレない様にやります」
「もうマジで刑務所行け貴様は」


 こいつは永遠に檻の中にいた方が世間のためだと思う。


「ところで、今は何時だ?」
「16時11分。冬とはいえ、ようやく夕日が差し始めた、という頃合です」


 確かに、早起きしてしまった様だ。


 我輩達『吸血鬼』は、太陽が苦手だ。
 別に、日光に当たったら蒸発して死ぬとかでは無いのだが、本能的に好ましい物では無い。
 生理的に無理という奴だ。
 見るだけなら別に不愉快でも何でも無いのだが、日光を浴びてるとマジで悪寒が止まらないのである。


「ふむ……だが、無性に『渇いて』いるしな……日傘を用意してくれ。少し街に出る」
「ずるいです。自分ばっかり良い思いして……」


 何とでも言え。
 我輩はきっちり法を守るのだから、文句など言われる筋合いは無いのだ。










 我輩達、いわゆる人外が人間と共生を始めてから、色々と法律という物ができた。
 不便だとは思うが、まぁ上手く共生していくためだ。仕方無い。


 ただ、やはり納得できない人外は多く、パーシーの様に軽犯罪を犯してしまう者も多い現実がある。


 最近、軽犯罪者が増加している一番の原因、それは「人外達が今まで当然の様に行ってきた生活習慣が軽犯罪扱いになった」事だろう。
 人狼が公共の場でマーキングしただけでも捕まるし、ドリアードが街頭に勝手に植物植えまくっただけでも捕まる。ゴブリンが国に無断で焼畑農業しても捕まる。
 ゾンビが腐敗臭漂わせて電車に乗ると駅員にファブリーズ掛けられるし、ケンタウロスは極力自転車レーンを歩く事を呼びかけられる。
 ハーピーは飛行時に高度制限を設けられた。アルケニーは巣を作る場所を制限されている。


 人外へのデメリットばかりが際立っている現状、まぁ皆が不満なのもわかる。
 我輩だって正直不満だ。人間の身勝手さを感じる。
 何故人間の都合の良い様にこちらの生活習慣を制限されるのだ、と疑問も覚える。
 ……ま、先も言った様に、共生していくためには、仕方無い事だ。


 我輩達、吸血鬼が吸血する事にも制限が掛かっている。
 まず、吸血対象への同意確認。そして役所で販売している1冊100枚綴りの特殊行為承諾宣誓書(税込108円)にサインを頂き、吸血終了後から30時間以内にそれを役所に提出する事。
 なお、吸血対象に金銭などの報酬も支払う事。それと1ヶ月間に吸血していい回数制限は50回。


 一昔前までは、気ままに街へ出て気ままに好みの相手を見つけてガブーとやって終わりだったらしい。
 父上が「面倒くさくなったよねぇ」とボヤいていた。
 この法律ができてから生まれた我輩ですら面倒だと感じるのだ。
 法律ができる前を知っている父は、我輩以上に窮屈感を感じている事だろう。


「……ふむ、誰に頼もうか」


 夕日を大きなコウモリ傘で遮りつつ、我輩はすれ違う人々を観察しながら街を歩く。


 まず、基本的に吸血を依頼するのは『人間』の『女性』が良い。
 人間は血の味に癖が無く、「当たり」が多い。それに男性より女性の方が風味豊かなのだ。


「お、あの娘など、中々『口当たり』が良さそうではないか」


 我輩が目を付けたのは、何やらプレートを持って道行く人に声をかける少女。
 あまり人と接するのは得意では無いのか、とてもおどおどしながら通行人に声掛けをしている。
 年齢は10代後半から20代初頭辺りか。
 その長い黒髪はとても触り心地が良さそうである。風に煽られるたび、流れる様にさらりと膨らみ、綺麗に沈んでいる。


 あの娘に頼むとしよう。


「すまないが、そこのお嬢さん…」


 我輩が声をかけた途端、少女はガバっとこちらに振り向き、


「あ、あのう、け、献血にご協力、お願いします!」
「何?」
「あ、えーと……た、ただいまA型とO型の血液が不足気味です……」
「……我輩はO型だが」
「あ、あの、献血、お願いできませんか? いえ、あの、強制とかじゃないですよ? 任意です」


 ……何故血をもらおうと交渉しようとして、逆に血を差し出さにゃならんのだ。


「すまんが、献血には興味が無い。我輩は、君にお願いしたい事があるのだ」
「お願い、ですか?」
「ああ、我輩は吸血鬼でな。吸血鬼が吸血するにあたって、『人外による特殊行為特例法』という物が……」
「あ、し、知ってますよ、その法律……宣誓書にサインしたりするんですよね」
「話が早い。どうだろうか。報酬は払うが」
「…………」


 少女は少し考える。


「まぁ、別に嫌ならあっさり断ってくれて構わんぞ」


 断られるのは慣れている。
 吸血交渉は決裂する事の方が多い。こちらも余り期待はしていない。
 断られるのがデフォ、承諾してくれたらラッキー、という所だ。


「あ、あの、……報酬って、金銭じゃないとダメなんでしょうか」
「ん? いや、そんな事は無いと思うが」


 条文には、確か金銭『等』と表記されているはずだ。
 金銭以外でも問題は無いだろう。


「その……献血への協力、を報酬という形にしてもらうのは、ダメでしょうか?」
「何?」
「あ、いえ、こちらこそ嫌なら嫌で良いんです。献血は強制されてやる様な物では無く『善意』でやる物ですし…」
「……いや、まぁ君がそれを報酬として望むなら、我輩としてはやぶさかでも無いが」
「本当ですか!?」


 別に、いくら若いと言えど我輩はもう体に針を入れる事なんぞを恐れる歳では無い。
 特に理由が無ければやろうとは思わないが、こちらにメリットがあるのなら献血もやぶさかではない。


「しかし、良いのかそれで。それでは『君への報酬』として不適切だと思うのだが」


 例え我輩が献血に協力したとしても、この少女に利益があるとは思えない。


「……献血1回分の血が足りなくて、失われる生命が、あるんですよ」


 急に、少女の瞳に暗い色が混ざる。
 何か、辛い事を思い出してしまっている様だ。


 ……どうやら、その言葉が指す現象を、実際に目の当たりにした事がある様だ。
 それがわかるくらい、今の彼女の言葉には重みが感じられた。


「逆に言えば、献血1回分の量で、救えるはずの生命があるんです。私があなたに献血をお願いして、その血で救われる人がいたなら、素敵だと思いませんか?」
「……ふむ」


 その瞳と言葉に、『飾り気』は無い。
 この少女は、今、腹の底から本音を言っている。


 本気で、見知らぬ誰かに訪れるであろう『救いの手』になりたいと思っている。


 成程、人と接するのが苦手そうな癖に、何故こんなバイトをしているのかと少し疑問に思っていたが、『そういう事』か。


「……良いだろう。では、これにサインをもらおうか」
「あ、はい。ありがとうございます」


 ペコリ、と少女が頭を下げる。
 そして、サラサラっとボールペンを走らせた。


「ふむ。で、献血はあの施設でやれば良いのか?」
「はい。受付で説明してもらえると思います」
「そうか、では、献血が終わったら、吸血させてもらうとしよう」
「は、はい」


 にっこり、と少女が笑う。
 本当に、嬉しそうに、我輩への感謝を示している。


 ……やれやれ、我輩はどうにも、この手のタイプには弱い様だ。


「これを」
「茶封筒……? 何ですかこれ?」
「金銭的な報酬だ」
「え、でも……」
「献血は『善意』でやる物なのだろう? なら、報酬として行うには不適切だと判断した」


 それだけ伝えて、我輩は献血ルームが設けられているという施設へと向かった。


「あの……ご協力ありがとうございます!」


 少し、カッコつけ過ぎたかも知れない。
 何か気恥ずかしくなってきた。


 でもまぁ、我輩だって若い男なのである。
 素敵な女性の前では、カッコつけたくなるモンなのだ。










「お帰りなさいませ。……やたらご機嫌そうですね」
「まぁな」


 屋敷に戻った我輩を最初に出迎えたのは、玄関先の掃除をしていたスライムメイド、パーシー。


「……? 何ですか、そのチョコレート」
「礼の粗品、だそうだ」


 我輩が持っているのは、せいぜい80円やそこらの価格帯で売られているであろう安っぽい板チョコ。


「礼、ですか」
「ああ。献血のな」
「……吸血に行ったのでは無いんですか。何で逆に血を吸われて帰ってきてるんですか?」
「うるさい。ちゃんと血も吸ってきたわ。とびきり上モノのな」
「ああ、だからそんなにご機嫌なんですね」
「その通りだ」


 人間は身勝手な法律で、我輩達人外の自由を規制する。
 だが、人間の全てが身勝手な訳では無い。


 あの少女の様な人間だって、きっと世の中にはたくさんいるのだろう。


 まだ慣れていない棺桶ベッドの中でも、今夜は良い夢が見れそうだ。












「あ、チャンスかも。坊ちゃん、ご機嫌ついでに1発ヤりませんか」
「良い雰囲気を見事にブチ壊してくれるな、このビッチスライムが」


 ……少しは空気を読んで欲しい物である。

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