独裁者の恋愛事情

須方三城

決戦

「……そろそろね」


 生徒会室。
 校内各所に設置された監視カメラの映像を眺めながら、真白は微笑を浮かべた。


「やっぱり、逃げ足は流石ね」


 順調に逃げ回る走助。
 一応他の2人もまだ生存している様だが、正直真白的にはどーでもいい。


「キャサリン、首尾は?」
「私のモデル部は茶道部と例の作戦を決行……サッカー部も配置に付かせてあるよ」


 キャサリンの返答にうなづき、真白は鞄からある物を取り出す。
 それは、黒い帯でまとめられた、純白の柔道着。


「彼のトドメは、私が刺す」


 引導は、この手で。
 そう誓い、真白は更衣室へと向かった。








「我ら『組体操部』の『肉の檻』、とくと味わうが良い!」
「汗臭そうだからヤダよ!」


 走助は、桐沢と清川に合わせていた走行スピードを、一気に自分のペースへと切り替える。
 陸上部顧問が喉から手が出る程欲した瞬足だ。
 組体操部員達が包囲フォーメーションを組み切る前に、その間をどうにかすり抜け、走助は走り続ける。


 もうすぐ、校門が見えるという所まで来ている。
 あと一息だ。


 そんな時だった。


 ピンポンパンポン、と校内放送が鳴り響く。


『経過報告、中庭にて、サッカー部総勢33人がかりで包囲、帰宅部(仮)清川豪盛、確保』
「なっ……!」
『続いて、科学実験室裏手にて、モデル部と茶道部の共同作戦ハニートラップにより、帰宅部(仮)桐沢充太朗、確保』
「うそ……!?」


 走助以外の2人が捕まった。
 それを報せる校内放送だった。


 って、清川くんは仕方無いとして、何してんだよ桐沢くん。


 何としてでも、自分がゴールいなければ、と走助は強く思う。
 桐沢の自由のため、清川の家族愛のため、そして何より自分の生命のために。


「行くぞ……!」


 幸い、前方に人の気配は無い。
 ゴール前なのに、何故こんなに無防備なんだろうか。
 確かにルールで配置人数制限は設けられてはいたが……
 まぁ、ラッキーな事だ。


 一気に、走り抜ける。
 小さな下り階段を全段跳び越えて、着地の余韻も無く走り続けた。


 校門ゴールが、見えてきた。
 校門の向こうの夕日が、今までの人生中で一番輝いて見える。


 希望の光だ。


 だが、即座にそれは絶望の闇に塗り潰された。


 校門前の銅像の陰から、現れたのだ。
 最悪最強の敵、生徒会長兼柔道部主将、『独裁者』片武津真白が。


 この日のために新調した様な、まっさらな柔道着に袖を通し、腰には漆黒の帯を巻いている。
 その姿を視認した瞬間、走助の意思に関わらず、その足が止まってしまう。
 本能的な恐怖だ。


 カエルがヘビを目の前にして硬直するのと、全く同じ現象。


「待っていたよ」
「ひっ……」


 誰も頼んでない、と本気で走助は思う。


 校門付近のガードが薄かった理由は、これか。
 最強のガードマンがいるという事だったのか。


「さっきの校内放送は聞いたかな……残るは……」


 頬の肉が裂けそうな程に口角を上げ、とてもとても楽しそうに、真白が笑う。


「君だけだ」
「っ……」


 最悪の展開だ。
 最重要局面で、よりにもよって、一番会いたくない相手と出会った。
 これがラスボスって奴の風格か、と走助は息を飲む。


 今すぐ回れ右して逃げ出したい。でも、そうはいかない。
 何故なら、後ろにゴールは無いから。


「くっ……」


 全開スピードで、どうにか抜き去る事はできないか。
 そう考えるも、真白の構えには隙がない。


 走助がどれほどの速度で駆けようと、擦れ違い様にヤられる。
 そんな未来が、容易に想像できる。


「さぁ、私の手で引導を渡そう……そして、我が軍門に下るが良い……!」
「っ……!」


 直後、走助は自身の震える太腿を、全力で殴りつけた。


「!? ……何を?」
「っ……僕は、生きるんだ……! 2人の願いだって、叶えなきゃいけない……!」


 震えてる場合じゃないんだ。
 バッドエンドを想像してる場合じゃないんだ。


 戦うんだ。
 神様が与えてくれた唯一の才能。
 この、逃げ足で。
 活路を……逃げ道を、切り開くんだ。


「う、ぁぁあああああああぁぁああぁあああああ!」


 走助が真白に正面から挑み掛かる。
 丸腰の毛虫が、俊敏な熊に挑む様な物だ。


 だが、押し倒す必要は無いんだ。
 ただ、通り抜ければ良い。


 どうにかして、真白を躱し、あの校門さえくぐれば……


 しかし、現実は無情だった。


 真白の横を走り抜けようとした走助の襟が、潰れる。


「っ」


 真白の手が、走助の襟を捕らえ、握り潰したのだ。
 フェイントまで組み込んだ走助全力の走りを、真白は難なく見切っていた。


 掴まれた襟が、強引に引っ張られる。
 唇が重なりそうな程の至近距離で、2人の視線が交差する。


「あの時は、逃げられてしまったからな。私は同じミスはしない主義だ」


 猛虎の様な猛りをも内包する、綺麗な瞳。艶かしい唇。暖かな息。シャンプーの香り。
 真白の全てを、間近で感じられる。


 しかし、今の走助に興奮する余裕は無い。


「もう、逃がしはしない」


 直後、走助の全身が浮遊感に包まれる。
 投げられた、そう気付くのにも遅れてしまう程、ふんわりと、優しく、放られた。


「あぅっ!?」


 軽い投げだったが、受身の取り方なんぞ知らない走助は思いっきり地面に転がり、背中や肘を打ち付けてしまう。
 痛い。今すぐ泣き喚きたいくらい。
 でも、走助は泣かない。正直真白の威圧感がすごすぎて涙すら出ないだけだが。


「くぅ……!」


 結局、また元の位置に投げ戻されてしまった。


「うぅ……」


 走助の視線の先。校門の前に、堂々と立ちはだかる真白。
 一級品の動体視力に、それに付き従う運動能力を誇る者。その気になればマグナムでブッ放した弾丸すら見切ってしまいそうだ。


 逃げ足以外に術の無い走助に取って、最高に厄介な相手である。


 果たして、自分は彼女を抜き去る事ができるのか。
 重苦しい絶望が、走助の胸中に充満し始める。


「……ふふ……うふふふふ……」


 何がおかしいのか、真白が静かに笑い始める。


「……最近、ちょっと思っていた事がある……そして今、確信に変わった」
「な、何の話……?」
「私はね」


 真白の顔は、紅潮していた。


「君のその、弱気に満ちた泣きそうな面を見ると、すごく興奮する……!」


 ドS。
 そう表現するに相応しい恍惚の笑顔。
 媚声とも取れる艶のある声の合間に、熱い吐息が混ざる。


 完全に興奮状態。


 もう走助としては悪寒が止まらない。
 これ、ゲームで負けた後本当にどんな目に合わされるかわかった物では無い。


「もう私はドSで良い! そうだ、むしろ何が悪い! ふふふ、ふはははははははは! そうだ、私はボロクソになった無様な君を抱きしめよう!」
「ひぃぃぃぃっ!?」


 何か知らんが、真白は吹っ切れたらしい。すごく良い笑顔で笑っている。
 自らの手で直接走助を追い詰めるこの状況下で、完全にドSとして覚醒してしまった様だ。


「さぁ、私なりの愛を受けるが良い!」
「え、遠慮します!」
「拒否権は与えていない!」


 ダメだ。
 何としても、勝つしかない。
 このままでは確実に殺される。
 SMプレイの果てに殺される。


 でも超恐い。正直もう一歩も近寄りたくない。
 あんな人の横をすり抜けるなんて、考えられない。
 今度捕まったら、投げられるだけでは済まない気がする。
 取り返しの付かない寝技に持って行かれそうだ。


 ……でも、ここで諦めても、結果は変わらない。


 恐怖から逃げるために、走助はなけなしの勇気を振り絞る。
 立ち上がり、そして、走る。


 ヤケクソだ。
 だって、走助にはもう、それしかできない。
 走助にはその逃げ足以外、特別な能力も、才能も無いのだ。


 右へ走り抜ける振りを見せて、一気に左へと切り返すフェイント。


「甘い!」


 わかってる。
 だから走助は、跳んだ。


「!?」


 左へ向かうために踏み出した足。
 その足に全力を流し込み、己の体を、後方へと跳ねさせたのだ。 


 真白の手が、虚空を掴む。
 それどころか、半ば走助に飛びつく様な形だったため、完全に体勢が崩れていた。


 今だ。今しかない。


 前進するんだ。


 足の筋肉が、今にもブッ千切てしまいそうな軋み方をする。
 そりゃそうだ。
 全速力で走っている途中で、勢いそのまま地面を蹴り着けてバックジャンプ、からの着地後即全力疾走。
 こんな無茶苦茶な動き、足への負担は計り知れない。
 校内中走り回り、疲労が溜まりきった今の足では、完全に自殺行為だった。


 それでも、そうする。
 例え足の筋を断裂させる事になろうとも、勝たなければならない。
 このゲームに勝利するという事には、それくらいの無理をする価値があるのだ。


 だが、走助は認識が甘かった。


 真白は、その程度の無理、想定していた。
 走助は決死の覚悟であの手この手を尽くすだろうと、予測していたのだ。


 だからこそ、対応が早かった。


 真白は崩れた体勢を無理に立て直そうとはせず、そのまま地面へと倒れ込む。
 そして、地面に着いた手を軸に、己の体を振り回す。
 ブレイクダンスの要領で、自らの足を振るい、走助の足を蹴り払ったのだ。


「うわぁあああっ!?」


 突然の足払いに転倒しかける走助。
 しかしどうにか持ち堪え、体勢を立て直す。
 だが、致命的だった。


 足が、止まってしまったのだ。


 その隙に、真白が跳ね起きる。
 間髪入れず、その手が走助へと伸びる。
 走助は急いで躱そうとしたが、ダメだった。
 襟と袖が、がっちりと拘束されてしまう。


「うわ、わわわわわ!」
「必死の抵抗! そそる!」


 走助は何とか逃れようともがくが、真白の加虐心をそそるだけ。
 到底、抜けられそうにもない。


 でも、諦めてたまるものか。


 もう、最終手段だ。相手はあの生徒会長とは言えど女子、気は退けるが、生命が掛かっているんだ、止むをえない。
 真白を突き飛ばそうと、走助も必死にその手を伸ばす。


 あ、でも突き飛ばして怪我させたらどうしよう。
 女子に怪我させるのってアレだし、っていうか後が恐い。
 とか何とか色々考え、ギリギリで踏みとどまる。


 しかし突き出してしまった手は急には引っ込まない。


 どうにか勢いだけは殺す事はできた。
 突き飛ばすのでは無く、ただ真白に優しく接触した形になった訳だが……




 ふにん、と、柔らかな感触が走助の手に伝わる。




「え゛」
「は?」


 走助の手は、真白の年齢相応な胸周りの脂肪を、しっかりとわし掴みにしていた。


 絞め技をかけようとしていた真白の動きが、ピタリと止まる。
 走助自身も硬直してしまい、その手を引っ込めるどころか、眉1つ動かせずにいた。


「…………」
「…………」


 重い沈黙。
 真白は走助の袖と襟を、走助は真白の胸を掴んだまま動けない。


 沈黙が破られたのは、ようやく両者の脳が現状処理を終え、お互いの顔面が茹で上がってからだった。


「どこ触っとんじゃああああああああああああああっ!」
「ごめんなさぁぁい!?」


 混乱に任せて、真白は一番体に染み付いていた行動を取った。
 それは、彼女の十八番。


 走助を全力で引き倒しつつ、自身の身を後方へ捨てる。
 そして、その足で走助の太腿の付け根を蹴り上げ、後方へと放り投げる。
 要するに、全力の巴投げだ。


 山なりの彷彿線を描き、走助が宙を舞い、そして、




 校門の外へと、飛び出した。




「あ゛」


 現在時刻、17時54分。
 帰宅部(仮)によるCLOに、決着が着いた。


 決まり手、生徒会長による巴投げ。
 帰宅部(仮)羽矢芦走助、時間内に校門の外へ。


 つまり、


「ああああああああああああぁぁぁぁあぁぁぁぁああああああっっ!?」


 帰宅部(仮)の、勝利だ。










「……え、ええと……何でまた僕だけ……」


 CLOの翌日。
 走助は、生徒会室に呼び出しを食らった。


「……やぁ、1日ぶりだな」
「は、はい……」


 むすっとした表情で椅子に座る真白。
 すごく不機嫌そうだ。


「本日の呼び出しは、帰宅部(仮)……いや、帰宅部承認の件だ」
「そ、そうですよね」


 昨日の今日だ。それしかないだろう。


 走助は真白の胸を揉みしだいた後の記憶が無いが、真白に巴投げでブン投げられ、そのまま校門の外に出たのだと聞いている。
 ……その際に気絶してしまった様だ。


 まぁ何にせよ、昨日のCLO、帰宅部(仮)の勝利だ。
 これで……


「残念ながら、帰宅部を承認する事はできない」
「え、何でですか……!?」
「君が勝利条件を満たす直前、君達は『負け』ていたからだ」
「……は?」


 走助には、真白が何を言っているのかがわからなかった。


「帰宅部(仮)、CLOにおけるゲームルール。第5条『帰宅部(仮)側が生徒会側に対し危害を加える行為に出た場合、行為者は失権の上、即拘束対象となる』」
「そ、それが一体……」
「君は、私にその……き、危害を加えただろう……な、なぁキャサリン」
「えぇ私、ここで監視カメラ映像を見ていたので」
「危害って……そんなの僕知らないよ!」


 一体、走助が何をしたと言うのか。
 そんな走助に叩きつける様に、キャサリンは監視カメラ映像をディスプレイする小型機器を走助に見せる。
 そこに映っていたのは……


「セクハラって知ってるかな? 女性の胸を許可無く揉みしだくなんて、場合によっては裁判物の『危害』だよ」
「なっ……」
「そ、そうだぞ。わ、私はひどく傷ついた訳だ」


 まぁ、正直嘘である。
 真白はもうこの件を特に気にしてはいない。
 あの時は羞恥心に任せて全力スローイングしてしまったが。


 ただ、キャサリンが「これを利用しよう」と提案したのだ。


「つまり、この時点でメンバーは全滅……君達の負けだった訳だ」
「そ、そんな……」


 理不尽だ、と言いたかったが、セクハラという言葉を持ち出されては走助には反論の余地がない。
 セクハラか否かは、加害者の意思は関係無く、被害者の主張によって決まってしまう物だ。


 性的な要素で相手を不愉快にさせてしまった。
 その時点で、故意か不意かに関わらず、ギルティなのだ。


「まぁ、だが……私は少し、寛大な処置を見当している」
「寛大な処置?」


 そして、ここから。
 ここからが、キャサリンが提案した、真白の逆転の一手。


「帰宅部は、承認しよう。条件付きでな」
「条件?」
「そうだ」


 にっこりと、真白はとてもとても楽しそうな笑顔を浮かべた。


「君が個人的に『贖罪』をするのなら、このセクハラについては完全に不問。君達の勝利を認める」
「贖罪って……」


 罰を受けて罪を償う事、だったはずだ。


「これから半年間、君には生徒会雑務係を担ってもらう」
「え……ちょ、待っ」
「拒否権は与えない。ちなみに、帰宅部部長と副部長…桐沢・清川両名から『君の処遇を好きにしていい』と承諾は得ている」
「あれぇ!? 僕もしかして売られた!?」
「ご愁傷様だね」


 キャサリンもこれまた良い笑顔である。


「さぁ、早速雑務をお願いしようか。頑張ってくれたまえ。そして、へとへとになった良い顔を見せてくれ」
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「あ、逃げた」
「ふふふふ……昨日、もう逃がさないと言ったはず!」
「ひぃっ!? 追っかけて来たぁっ!?」


 帰宅部は無事承認され、生徒会長真白の当初の思惑も達成された。


 走助以外は、めでたしめでたしと言う訳だ。


「ふふふふふ……ふはははははははははははは!」
「この人恐いよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 ……まぁ、おそらくきっと多分、走助もその内報われる日が来るだろう。







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