俺の背後の変な奴~男子トイレでの攻防~

須方三城

俺の背後の変な奴~男子トイレでの攻防~



居柳いやなぎくん。あなたに相談があるの」


 非常に平坦な、冷たい氷みたいな声。


 高校生のフリーダム、つまり放課後。
 夕日が差し込む男子トイレで、俺はそんな事を言われた。


 こんな状況は初めてだ。
 今まさに放尿しているという状況で、同級生の女子に背後を取られるなんて、完全に想定外である。


 しかも相手は、あの『煌木きらめき姫華ひめか』だ。
 そう、同級生どころか全生徒、果ては校長先生までもが『煌木様』と呼ぶ、クールビューティ。
 破天荒な行動や言動を繰り返す事で有名な、あの煌木様だ。
 そのあまりに堂々たる変人ぶり故に、周囲の人間がなんとなく付き従ってしまう謎の力を持つ、あの煌木様だ。


 本当に、何だろう、この状況。
 まず、放尿中に女子に背後を取られるってだけでも相当レアケースだよなぁ。
 まぁ、相手が気心の知れた幼馴染とかだったら、100歩以上譲れば何とか想定できなくは無いんだが……


 俺は煌木とは全く関わりが無い。
 クラスメイトですらない。
 共通点と言えば同じ人間であり、同級生であるという事くらいか。あとは住んでる星とか国とか?


 とにかく、俺と煌木は面と向かい合った事など1度も無い。


 なのに俺は煌木に放尿中の背中を凝視されている。


「……煌木」
「様を付けて」
「……煌木様、相談とやらに乗る前に、1つ質問がある」
「良いわよ。私はこれから相談に乗ってもらう身、1つくらいなら質問に応じてあげる」


 おうおう、噂通り上から来なさる。


「その相談と言うのは、今、この場所で、そして俺じゃないとダメなのか」


 俺を選んでくれた事は光栄だ。
 何故なら煌木…いや、煌木様は学内どころかこの地域1の美女。
 そんな高嶺の花すぎて多分閉経するまで純潔守り抜いちゃうんだろうなぁレベルのお方が、有象無象の人間の中から俺を選んだ訳だ。
 これは大変、喜ばしい事である。


 でも、TPOの大切さを学んで欲しい。


「私は思い立ったらすぐに行動する主義なの。時は金なりと言うでしょう」


 要するに、時と場所など知ったことか、と言う訳か。


「そして、この相談はあなたにすべき事柄よ。むしろ、あなた以外では役者不足」


 ほう、それは嬉しい。


「……で、その相談って?」
「質問は1つまでよ」
「…………」
「で、本題の相談に移っていいかしら」
「……どうぞ」


 うぅん、自由とかワガママとか、そんな可愛い表現では激しく釣り合わない身勝手さだな。
 唯我独尊、と評しておこう。


「私があなたを好きになるには、どうすれば良いと思う?」


 …………………。


 どうしよう、こんな状況初めてだ。
 今まさに放尿しているという状況で、同級生の女子に背後を取られた挙句、何やらその女子に恋愛相談を持ちかけられ、しかもその意中の相手が自分だったと来たモノだ。完全に想定外である。


 ちょっと俺は今、柄にも無くパニクっている。
 何と言っていいかわからない。


 トワイライトに染まる男子トイレ内、俺の放尿音だけが静かに響き続ける。


「何で黙るのよ、うんとかスンとか、リアクション取りなさい。話を進めていいか判断に困るでしょう」
「スン」
「そう、ちゃんと聞こえているなら良し。話を続けるわ」


 続けると言われても、俺は既に置いてけぼりを食らっているのですが……


 あれ、もしかしてこれ、あれか? 遠回しな告白だったりするんじゃないか?
 おお、そうだよ。じゃなきゃこんな相談内容、常識的にありえない。
 そうか、そうだったのか。
 煌木様は俺の事が好きで好きでしょうがないと…


「私、初めてなの。一目見て、ここまで人に不快感を覚えたのは」
「……不快?」
「そう。もうね。初めてあなたを見たあの日から、もうあなたへの不快感が胸の奥底から込み上げ続けて仕方無いのよ」


 ……俺の淡い妄想とは、真逆の現実が待ち受けていた。
 ちょっと喜んだのに。


「初めて見た時、もう心臓がバクバクして、胸が張り裂けそうなくらい不愉快だった。あれからろくに御飯は喉を通らないし、時折あなたが夢にまで出てくる始末」


 心臓の激しい動悸、食欲減退に加えて、夢にまで、か……軽いトラウマレベルで嫌われている様だ。
 ……俺が一体、何をしたって言うんだ。


「私の生活リズムを乱すなんて、不愉快極まりないわよ。もう本当に死んで欲しくて仕方無い」


 流石に死を望むのは酷過ぎませんか煌木様。


「でも、あなただって一応人間。少しでも長く生きていたいでしょ?」
「そら、まぁそうだわな」


 少なくとも、俺はこれまでの人生で「死にたい」と思った回数は10回あるかないかくらいだ。
 基本的に明日も着の身着のままだらしなく人間の三大欲求に従順に生きていたいと思っている。


「でも、私はあなたに一刻も早く死んで欲しいと切に思ってるわ」


 もう何だろう。
 どんだけ俺の事が嫌いなんだろう。
 しかもこれ、一目見ただけでここまで嫌われたんだよね?
 納得いかないにも程があるぞ。


「だから、この状況を打開すべく、私はあなたを好きになろうと決めたの」
「……それはご立派な志で」
「立派なのは生まれつきよ。今更取り立てて騒ぐ事じゃないわ」


 さいですか。


「と言う訳で、妙案を言いなさい」


 すげぇ、俺が妙案を持っている事を大前提に話を進めて来たぞ。
 とりあえず、落ち着いて欲しい。
 まずは俺に落ち着いて放尿させて欲しい。
 混乱やら焦りやらで色々精神的に荒れているせいか、中々尿が止まらない。


「あの、悪いがきらm…」
「あと、私が不愉快に感じる案を出した場合」


 そう言って、煌木様は何かを取り出した。
 肩越しに振り返って確認して見ると……それはコンパクトサイズのデジカメだった。


「あなたのその丸出しの股間を撮影し、性器部分を縮小編集して校内新聞の一面に載せます」


 なんて悪質なゴシップ記事だ……!
 ただでさえ標準ギリギリの俺の浪曼砲台にそんな加工を施してみろ。悲惨な事になるぞ。
 更にはそれを晒すだと……!?
 俺の男としての尊厳を、完全に潰しにかかってやがる。


「更に、万が一あなたが『剥けている側』だった場合、皮合成のオマケ付きよ」


 追い打ち…だと……!?


 ダメだ、この女、早くなんとかしないと……!
 俺の男子高校生としての生命が、絶たれる。
 男友達からは心のどこかで見下され、女子達には陰で『包装済みミニウインナー』と称される最悪の高校生活が幕を開けてしまう……!


 デジカメにここまで恐怖を感じたのは初めてだ。


 俺は今、あのレンズが付いたコンパクトなアンチキショウがこの世の何よりも恐い。
 ナイフよりも、銃よりも、痴漢冤罪よりも恐い。


 ダメだ……脂汗と尿が止まらない……っ!


 考えろ、考えるんだ、この状況を打開する術を。


 妙案を出す?
 妙案ってどんなんだ。
 こんなにも俺を嫌っている女を、俺を好きになる様に仕向ける方法って何?
 むしろ俺が知りたい。
 知ってたら知り合いの女子という女子に試している。
 夢の様なハーレムを作って、今ではすっかり失ってしまった純粋だったあの頃の俺の笑顔を取り戻しているはずだ。


 現に、俺がこんな笑えない気分になっているって事は、そんなモノは無いと言う事だ。


 何故それに気付かない、煌木様。
 俺のこの苦悶の表情を見てくれ。そして察しろ。


 ……おいこら煌木様、何ちょっと嬉しそうな顔してんだ。
 何? 俺が苦しんでる様がそんなに愉快痛快爽快ヒャッホウってか?
 本当に俺の事が嫌いなんだな。
 もうそれはわかったから、とりあえずそっちも察して。


「……ちょっと、いつまで黙ってるの? 私、待たせるのは好きだけど、待たされるのは不愉快よ」


 不愉快と言う割に、その顔は笑顔だ。ずっとニヤニヤしてやがる。
 どんだけ俺の苦悶の表情が愉快なんでしょうかねぇあんたは。


「あー、もうこの不愉快指数はアレね。執行ね」


 執行って何だ、まさかお前っ、ちょ、馬鹿やめろ! 便器と俺の腰の僅かな隙間にカメラをねじ込もうとしてやがる!
 させるかぁぁぁぁぁぁっ……!


「ちょっと、その気持ち悪い腰振りダンスやめなさい」


 やめてたまるか。
 尿が便器外に散らない様に絶妙な加減で腰を左右に振り、俺は煌木の魔手の侵入を阻み続ける。


「必死の抵抗、見苦しいわよ」


 ああ、殴りたい、その笑顔。
 俺が足掻く様がそんなに見ていて愉悦に浸れるモノなのか。
 もう嫌いとか言う次元を越えてる気がする。
 好き嫌いうんぬんを越えた何か別の感情な気がするよそれ。


「……良いわ、そんなにも足掻くなら、こちらにも考えがある」


 何だ……? 一体何を企んで……


「そこっ!」


 っ!?


 な、お、俺の股の間から、カメラをっ!?
 腰を素早く振り続けるため、俺の両足はしっかりと大地を踏みしめていた。
 つまり、その股座トンネルは、ノーガード状態。


 ぐっ、完全に隙を突かれた……早く股を閉じないと…!


 しかし、遅かった。


 シャッターの音が、鳴り響いた。


 世界が、終わる音。


 そのショックのあまりか、ようやく尿が止まった。
 でも、俺にはもう、チャックを閉める気力は残っていなかった。


「私の勝ちね」


 そうか、これが敗北……これが、絶望か。


 膝から、力が抜けた。
 チャック全開のまま、床に膝を付いてしまう。


 ……俺は、守れなかった。
 何1つ、守れやしなかった。


「さぁて、あなたの加工前のナニがどの程度のモノか、拝見させていただきましょうか」


 愉快そうな煌木様の声。


 …さらば、俺の退屈でもそれなりに楽しいと思えた日々よ。


「ちょ、何よこれ」


 不意に響いたのは、煌木の困惑の声。


「真っ暗で、何も見えない!」


 !


 そうか、お前、フラッシュをオフにしていたんだな……!


 便器の造り出した影が、俺の尊厳を、未来を守ってくれた。


「くっ、もう1枚!」


 させるか!
 瞬時に、チャックを上げる。


「なっ、速い……!」


 それだけでは無い。


 放尿が済んだ以上、俺をこのトイレと言う名の戦場に縛り付けるモノなど、何もありはしない。
 ならば、俺が取るべき行動は1つ。


 戦線離脱。


「あ、コラ! 待ちなさい!」


 誰が待つか。
 そしてもう2度と関わってやるものか。


 後方から飛んでくる女子のモノとは思えない罵詈雑言を無視して、俺は走る。全力で走る。
 走って走って、走り続けた。
 あの女の声が聞こえなくなるまで。


 このまま、あの女の手の届かない所まで逃げるんだ。




 ……でも、冷静に考えてみたら、あいつは同級生な訳で。


 明日も、教室は違えど同じ校舎に登校する訳で。


 それに気付いた俺は、ただただ絶望するしかなかった。



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