スズナリくんと一緒

須方三城

01,褐色の透明人間

 マリア・クララ笹木原ささきばらは、ブラジル人の祖母を持つクォーターだ。


 祖母の家系から遺伝した褐色の肌とほんのり赤味を帯びた頭髪は、とても目立つ……べき特徴である。
 少々ぎこちない感じの日本語だって、とても印象深い……はずである。
 外人らしい発育の良さだって、充分に目を惹きつける……はずなのだ。


 しかし、彼女は目立たない。
 不思議と目立たない。
 不自然な程に目立たない。
 目立たないというか、むしろ存在を見失われる。忘れられる事すらある。
 まるで何かの魔法の如く、誰も彼女に気付けない。


 更に、彼女はその行動すら認識され辛い。
 彼女がドアを開ける音は、不思議と聞き流してしまう人が多い。
 故に「いつの間に室内に!?」とお化けでも出たかの様なリアクションをされてしまう事が多々ある。
 彼女はいたって普通に入室し、普通に佇んでいただけなのに、だ。
 皆マリアの存在に気付くと同時、まず驚愕する。そして人によっては叫ぶ。


 そして、付いたアダ名が『褐色の透明ミステリック・ブラウン』。
 アダ名、と言っても、結局すぐに忘れられて風化した訳だが。




 ……そんな大分可哀想な感じのマリアは、8歳の頃、兄に相談した事がある。


「お兄ちゃん、何で私、影が薄いのカナ?」
「うおっほぉい!? ま、マリア!? いつの間に……ビックリしたぁ……」
「…………私の方が先に居たヨ……」


 結局、兄からは納得の行く答えは得られず、次は母の元へ。


「ママ」
「ふぇええいっ!? ま、マリアちゃん!?
「……もういいヨ。いちいち傷つかないモン」


 気を取り直して、母に疑問をぶつけてみる。


「……ごめんね、それは、多分ママの血筋のせい」
「チスジ?」
「ママの実家の『紅野隠くれのいん』はね、『忍者』の家系なの」


 紅野隠という忍者の名家。その売りは「隠密ステルス性」。
 その遺伝子には、特別な『忍術』が刻まれている。それが影響し、マリアの存在感を消しているのだと母は語る。


「ごめんね、マリアちゃんだけ何かすごく遺伝しちゃったみたいで……」
「……ママ……」
「ママもどうにかしてあげたいけど……」
「……私、もう8歳ダヨ」
「あれぇ!? 幼いながらに疑いの眼差し!?」


 ホントよ、これ割と重要な設定なのよ! 素直なマリアちゃんに戻って! あれ? もういない! とか何とか母が色々喚いている。
 いくらマリアが子供と言えど、信じるわけがないだろう。
 今時忍者の名家ってあんた……って感じだ。


 結局、それから父の仕事の都合でブラジルと日本を行ったり来たりする生活を送り、7年が過ぎた。
 しかし、今でもマリアの『体質』は、何1つとして改善されてはいない。










「うぅ……」


 11月初旬。冬の夕暮れ。
 肌寒い風が、トワイライトに染まる校内に吹き込む。


 無事高校生となっていたマリアは、がっくりと肩を落としながら廊下を歩いていた。
 同伴者は茜色の壁に映る真っ黒なマリアだけ。いわゆる影である。
 つまり、マリアは今現在「ぼっち」である。


 日本に帰ってきたのは3週間前。
 この友風ともかぜ高校に編入したのは2週間前。


 逆算すると、マリアがこの高校に入学してもう2週間が過ぎている訳だ。


「……これが、女子高生の青春として、正しい姿ナノ……?」


 マリアのお友達の数、現在0。
 どれだけ希望的観測をしても、0。
 0は0でしか無い。それ以上でも以下でも無い。


 何故そこまで友達がいないのか。
 それは、マリアのステルス体質のせいだ。


 皆、神出鬼没すぎるマリアの事を少々気味悪がっている。
 ……まぁ、マリアからしてみれば、元々そこに居たり、堂々とやって来ているだけ。神出鬼没なんて完全な濡れ衣である。


 だが、それはあくまでマリア視点。周囲の人間からすればマリアは最早UMA並に未知数な存在な訳だ。
 そのせいか、希にマリアの存在に気付いても、中々近付いてくれようとはしない。


 ……完全に幽霊か物の怪の類として扱われている。


 先日、クラスメイトと目があったのに逸らされた時、マリアはそいつに付き纏ってやろうかと思った。「私の事見えてたジャン!」って言い寄ってやろうかと思った。
 完全に悪霊の発想だと気づいて辞めたが。


「……うぅ……風も人の心も寒いヨ……」


 換気のために全開にされている窓。
 そこから吹き込む冬の匂いを帯びた風が、マリアを容赦無く痛め付ける。


「忘れ物もしちゃうし…最悪ダヨ……」


 ただ忘れ物をしただけなら、まだ良かった。
 その忘れ物に気付いたのは、家の玄関前。
 筆箱とかノートなら諦めも付いたが、忘れてしまったブツはよりにもよって使用済みの体操着。
 流石に使用済みの衣類をロッカーに放置は不味いだろう。


 まぁ、どうせマリアのロッカーが臭った所で、気付く者はいないんだろうが。


 という訳で、マリアは学校へとわざわざリターンしてきた訳だ。


 ようやく教室まで辿り着き、マリアはそのドアを開ける。
 すると、教室内にはまだ生徒がいた。1人だけだが。


 男子だ。
 その男子生徒は、席に座って、何かの書類と向き合っていた。
 しかし何か悩んでいるらしく、その手に持つペンの先は書類から離れ、虚空を彷徨っている。


 他には、誰もいない。


 うわぁ……不良さんダ、とマリアはその男子生徒を評価した。
 男子生徒の頭髪は、明白に染髪による物であろう金髪。
 そしてその制服は大胆に着崩されている。
 最早着崩しているというかはだけているというレベルだ。
 冬真っ只中に、寒くは無いのだろうか。


 こういう時、マリアは自分のステルス性能の高さに少しだけ感謝する。
 放課後の教室で不良さんと2人きりになるなんて怖すぎる。


 さっさと体操着を取って帰ってしまおう。


 そう思い、一歩、教室内へと足を踏み入れた瞬間。


「む?」


 マリアが入室した瞬間、金髪の男子がガバっと顔を上げ、マリアの方を見た。
 うそん、とマリアは硬直する。


 マリアと金髪の視線が、しっかりと交差する。
 互いに互いを認識した証拠だ。


 入室した瞬間に気配を気取られるなんて、マリアの16年の人生において、初めての事だ。
 青天の霹靂、と表現すべき事態である。


「お前は確か、クラスメイトの……ま、マリ……マリモクラゲ榊原さかきばら、だったか」
「全然違うヨ!?」


 思わずキレの良いツッコミを入れてしまい、マリアは「しまった」と自らの口を覆い隠す。


「ほほぉう……」


 何やら、マリアに感心している金髪。
 やめて、興味持たないで、とマリアは全力で目を逸らす。
 いくら人に構って欲しいと心底思っているとは言え、不良さんは恐い。関わりたくない。


 しかし、もう遅い。
 どうやら金髪は、完全にマリアに何かしらの興味を抱いてしまった様だ。


「では、教えてもらおうか。何だ、お前の名前は」
「ひっ」


 静かに立ち上がり、金髪がゆっくりと、しかし堂々とした足取りで、マリアへと迫る。


「さぁ、名乗るんだ……さぁ!」
「あ、ひ、……そ、その……」


 まっすぐにマリアを見据える2つの瞳。
 深い黒色の瞳だ。底の見えない海溝を覗き込む様な不安が、マリアを襲う。


 不良恐い、という感覚ではない。
 生命が危ない。マリアはとっさにそう判断した。


 マリアは本能に従い、回れ右してダッシュ。


「ほぉう、益々面白い!」


 何が面白いのか詳しく聞かせていただきたい所だが、そんな余裕は無い。
 必死に逃げるマリアを、金髪が全力で追走する。


「な、なななななな、何で追って来るノッ!?」
「本能だ! 天啓てんけいとも言う! そう言うお前は何故に走る?」
「た、多分私も本能デス!」
「そうか! それは奇遇だな! やはり天啓だ! 神のお告げだ! フハハ、フハハハハハハハ!!」
「この人、恐いヨぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!?」
「俺はお前を必ず捕まえる! そして今がその時だ! とぉぉうっ!」
「ふぎゅっ!?」


 背後から強襲するタックル。
 マリアはうつ伏せに押し倒され、覆い被さられる形で拘束される。


「む? 何だ、中々心地良い感触……」
「ほあああああああああああああっ!? 胸! そこ胸ッ!」
「む、それは流石にシャレにならんな」


 そう言って金髪は手の位置を変えてくれたが、マリアが拘束状態にある事には変わりは無い。
 にしても、人気の無い廊下で、男が抱きしめる形で女を押し倒してる現状その物がシャレになってないとは思わないのだろうか。


「さて……」


 マリアをホールドした金髪は、ふと何かを考え込む。


「……捕まえた訳だが、ここから俺は何をすればいい」
「どいてヨ! 苦しいヨ!」
「そうか。それはすまない」
「へ?」


 金髪はあっさりとマリアを解放する。
 一体何のために追ってきたのだろうか、この金髪は。


「……ふむ、とっさの天啓に身を任せてはみたが……どうやらこれも『俺が成すべき事』では無かった様だな」


 何かブツブツとつぶやきながら、金髪は教室へと戻っていく。


 本当になんだったんだろう。
 あ、っていうか私も体操着取りに戻らなかきゃ、とマリアも立ち上がろうとするが、
 不意に、金髪の足が止まる。
 マリアは押し倒された事が早くもトラウマと化し、金髪の一挙手一投足にビックゥと過剰反応してしまう。


「そうだ、結局お前の本名を聞いていないぞマリモデラックス」
「ま、マリア、……マリア・クララ笹木原、デス……」
「ほう、変わった名前だな」
「君の方が変わってるヨ……」
「何を言う。俺の名前はそこそこ普通だ」
「名前の事じゃないヨ……」
「あ、そうだ、俺の方はまだ名乗っていなかったな」
「……別にいいヨ、名乗らなくても」


 クラスメイトの様だが、いきなり人を押し倒して胸を揉みしだく様な男子とは、もう関わり合いになりたくない。


「いや、困るだろう。部長の名前を知らないと」
「……ん?」


 何だろうか。
 マリアは唐突に違和感を覚えた。
 何か、今、話が若干ズレていたというか、何と言うか。
 よくわからない。


「別に困らないヨ。っていうか、ブチョって何の話?」
「実はな、俺は『俺のすべき事』を日々模索している」
「は、はぁ…」
「毎日いろいろと試行してはいるが、しっくり来るものは未だに1つもない。このままでは俺は『目的の無い人間』になってしまう。そうだろう?」


 いや、知らない。
 この辺でマリアは察する。
 ああ、この人1を聞いたら聞いていないことも束ねて10答えるタイプだ、と。


「だから俺は今、部活を立ち上げるための書類を書いていた」
「部活を……」
「そうだ、作る。まだ何部かは決めていないが…確保した部室は音楽室の隣だし……『軽音部』辺りにしておくか」
「そ、そんなんで良いノ?」
「良い」


 もう何だろうこの人。
 色々おかしい気がする。
 それともマリアが知らないだけで日本の高校生ってこんなモンなんだろうか。


「部活名や内容の正式決定は後にして、だ。とりあえず俺は部長だ」
「まぁ……そうだネ」


 部活を立ち上げるのはこの金髪なのだから、妥当な話だろう。


「君は部員だ。つまり部長の…」
「ちょっと待って」
「?」


 ?って、正気なのだろうか、この人。


「な、何で私が入部するのカナ……?」
「俺に捕まっただろう」
「お、鬼ごっこじゃないんだカラ……」
「俺はお前を追う時、天啓を聞いた。神は言っていた。『とりあえず捕まえとけ』と」


 随分余計な事を言ってくれる神様がいた物だ、とマリアは思う。


「あれが無意味な御言葉だったとは思えん。きっとあれは『お前を仲間にしろ』という事だ。そう解釈した」
「誤解ダヨ……」
「それは無いな」


 ダメだ。私の知ってる日本語が通じない。
 そうマリアは判断し、バッと立ち上がる。そして、走り出した。


「む、何故また走る!」
「自分の胸に聞くと良いヨ!」
「ふむ…………わからんそうだ!!」
「でしょうネッ!」


 この後、金髪にマドハンドの如く執拗に回り込まれ、捕獲と脱走を繰り返し、結果的にマリアは逃げ切った。


 ……今日の所は。












「見つけたぞ!」
「ひぃっ!?」


 マリアの音沙汰無さ過ぎるJKライフは、あの日を堺に一変した。


「いい加減、部に顔を出せ。そして入部届けを書け、マリア!」
「順番が逆じゃないカナ!? っていうか何で私の居場所がわかるノ!?」
「そんなもの、見ればわかるに決まっているだろうが!」


 金髪は、とてつもなくしつこかった。
 毎日毎日、休み時間と放課後、空白の入部届けを持ってマリアを追い回しているのだ。


「もう……しつこ過ぎるヨ……!」
「粘る事納豆の如し!」
「うるさいヨ!」


 校内を走り回り、足はパンパンだ。
 何故かあの金髪にだけは、マリアのステルス体質が全く効かない。
 それどころか、隠れていてもすぐ見つかる。
 あの金髪、犬の血でも混ざっているのではないだろうか。


 まぁ隠れても無駄とは言え、マリアの足はもう限界だ。どこかに潜んで休むしかない。
 ふと、音楽室の隣の小教室のドアが半開きなのに気がついた。
 あそこは確か、元々は楽器倉庫だった部屋。楽器の数が増え、別の倉庫を増築したため、今は空き部屋となっているはずだ。


「ふははははは、あはははははははっ!!」
「ひぃぃっ!!」


 あそこしかない。
 入って即座に鍵を閉めれば、ひとまずは安全なはずだ。


 マリアは空き部屋に飛び込み、そしてドアを閉め、鍵をカチャリ。


「……ふぅー……」


 室内は少し埃っぽかった。
 まぁ空き部屋な訳だし、当然と言えば当然だ。
 元々倉庫として活用していたためか、室内に唯一存在する窓も小さめだ。


「……これでどうにか、しばらくはこれでやり過ごせ…」
「ほぅ、感心だ」


 ドアの外、声と共に、チャリッという小さな金属音。
 そしてドアの内、鍵のつまみが、カチャリ。


「ふぁいッ!?」


 ドアが、ゆっくりと開く。
 そして、マリアの視界に入る、金髪の笑顔。


 世間一般で言えば、「好青年の爽やかな笑顔」に分類されるそれが、マリアには不思議と「悪魔の微笑」の様に感じられた。


「自ら部室に来るとは、感心したぞマリア」
「ひっ……ひぃぃぃぃぃぃッッッ!?」


 恐怖と驚きのあまり、まともな声が出ない。


「ウェルカム・トゥ・部室。歓迎するぞマリア。もとい部員1号」


 気のせいだろうか、ウェルカムトゥヘルと聞こえた気がした。


「さぁ、入部届けに署名捺印するんだ」
「っ……な、何で私に気付けるノ……!?」
「む?」


 彼の奇行に突っ込んだところで、こちらの理解が及ぶ答えは期待できない。
 しかし、これだけは聞きたかった。何故、この人にはマリアステルスが効かないのか。


「さっきもそんな事を聞いていたな。質問の意味がわからんぞ」
「えと……私は不思議と影が薄くて、皆、普通は気づかないノ。なのに…」
「何を言っている」


 金髪が、マリアの言葉を遮る。


「俺は俺だ。他の人間もそうだ。誰も気付かない? それは、今までお前の周りにはそういう人間しかいなかった、というだけの話しだろう。俺は気付く人間だった。それだけの事だ」
「…………」
「それは重要な事か?」
「……だって……」
「…………成程」


 金髪は何かを察し、気付いた様だ。


「この数日、かすかに妙だとは思っていた。お前は、誰ともつるんでいない」
「……うん」


 この金髪も、少しは人間らしいまともに思考が働くらしい。


「ならば、余計わからん。何故今まで俺から逃げていた?」
「え?」
「丁度良いじゃないか、俺たちは」


 金髪はマリアの手をガシッと掴み上げた。
 マリアは「ひっ」と後退するが、金髪はすかさず距離を詰める。


 鼻先がかする。互いの吐息を感じる程の距離で、金髪は真っ直ぐにマリアの瞳を見据える。


「お前は友達がいない、だが、それはお前の望んだ事ではない」
「う、うん……そうだけど……」
「俺はお前に気付く、友達に足る人材だ」
「へ?」
「俺はお前を部員にしたい。お前はそれに足る人材だ《神様談》」
「そ、そう?」
「そうだ。だから、友達から始めよう」


 そう言って、マリアの手に入部届けを握らせる。


「お前は部員から始めてくれ」
「…………」


 よくわからない。
 本当によくわからない。


 変人だ。この金髪は。


 でも、それでも、この世界で初めて出会った、マリアを見失わない存在。
 その目は、今もしっかりとマリアを見ている。


 ふと、考えてしまう。
 こんなんでも一緒にいれば、1人で過ごす時間より、少しはマシな時間を過ごせたりするのではないか、と。


 1人よりはマシ。
 友達なんて、そんなもんでも良いのではないか、と。


「……あのサ、1つ、聞いてイイ?」
「ああ、いくらでも聞け。何でも聞け」
「まだ、名前聞いてないヨ」
「む、そうだったのか?」


 では改めて、と金髪は笑う。


「俺は流次りゅうじ鈴鳴すずなり流次りゅうじだ」


 これが『透明な褐色ミステリック・ブラウン』ことマリアと、『可動式危険地帯ウォーキング・デンジャー』こと変人・鈴鳴の関係の、始まりだった



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