異世界イクメン~川に落ちた俺が、異世界で子育てします~

須方三城

お灸を据える第44話

 イノセスティリア。
 そこは、絶望と希望がきっちりと枠組分けされた国。


 あらゆる亜人族への差別を大々的に国是として掲げ、国内での亜人の扱いは、家畜や愛玩動物と同等かそれ以下。
 亜人が最下と言うだけであり、人間内でもあらゆる不平等が存在し、奴隷制度は今もなお健在。
 そして、それが受け入れられていた。


 人間は平等では無く、そして純粋な人間以外は人間では無い。
 そんな理屈が、当然の様にまかり通る国。




 97年前の春。


 そんな国の下層階級貴族の家に、私は生を受けた。


 下層階級と言えど貴族は貴族。
 それなりの暮らしが、私には与えられた。
 でも、所詮はそれなり。


 だから私は夢を見た。


 もっと、上流階級に上り詰めて、幸せになりたいと。


 ならどうすべきか。
 簡単。


 皇帝に気に入られれば良い。
 働き、功績を捧げ、爵位を頂戴し、それをどんどん上げて頂けば良い。


 私ならやれる。
 そんな軽い気持ちで、25歳になった私は戦場に立った。


 当時、イノセスティリアは諸外国との小競り合いをしていたのに加え、あらゆる亜人族の『反聖国聖十字軍勢力』とも事を構えていた。
 戦場は、いくらでもあった。


 数ある戦場の中で、私の初陣になったのは、『魔王軍』の侵攻軍を撃退するための防衛戦だった。


 魔王軍。それは、亜人族の中でも最も数が多く、そして戦闘行為に長けた『魔人』という亜人で構成された軍隊。
 その軍力は、大国のそれと比べても遜色無いと言われる。


 そんな連中相手に大功を挙げれば、軍内での地位向上はもちろん、早々に皇帝の耳に私の存在が届くかも知れない。


 魔王軍の力を恐れつつも、私はその戦場に大きな希望の光を見ていた。


 でも、その防衛戦の最中で、希望は潰えた。


 魔王軍の撃退には、成功した。
 私も、それなりの活躍は見せる事ができた。


 故に、この後、私は失墜する事になる。


 その戦場で、私は『呪い』を受けた。
 どういう呪いかは、最初は全くわからなかった。
 私の魔法で吹っ飛ばしてやった魔人の敵将が、死に際、私の腹に呪術の『刻印』を打ち込んだのだ。
 十字架に無数の蛇が絡みついている、不愉快なデザインの刻印。


 特に体調に変化は無い。気にする事でも無い。
 私はそう考えて過ごしていた。


 3年で、私は軍内でかなりの地位を築き上げた。
 5年もすると、私の名は皇帝の耳にも届く様になった。
 そして10年もすると、不穏なウワサが立ち始めたの。


 あの女は、不老の『魔女』なのではないか、と。


 10年前と、私は何1つ変わっていない。
 私の容姿は、初陣の頃から、全く変わらない。
 肌の劣化も、頭髪や爪の長さすらも、何1つ、10年前から変わらない。
 まるで、私だけ時間が止まってしまったかの様に。


 そして、11年目、私は軍法会議にかけられる。
 容疑は、『魔女堕ち』。


 老いを先延ばしにする禁断魔法を極め、人間を逸脱した『魔女』になったのではないか。
 そんな容疑が、私にかけられた。


 ここは、イノセスティリア。
 人間が至上とされ、亜人は虐げられる国。
 当然、人間の域を踏み越えた化物など、許容されるはずがない。


 私は魔女になどなっていない。
 そう叫んでも、誰も聞き入れはしなかった。
 その裁判に参加した者は皆、私と共に11年の時を過ごした者達だったから。
 裁判官も、弁護人も、検察官も、皆、11年前の私の姿を知る、証人。


 ……私は、薄々気付いていた。
 ああ、これが、呪いの正体か、と。


 不老の呪い。
 あの魔人は、ここまで予測していたのだろう。
 この国で、歳を取らぬ奇妙な女が現れた時、その女はどうなるか。


 裁判の結果、私は全てを失った。


 階級・及び人権の完全剥奪後、魔力放出を抑制する枷をはめられ、そして、奴隷の身となった。


 希望の光を追っていた私は、絶望の枠組の中に取り込まれた。








「あの国の奴隷の扱いってのは、家畜以上娼婦未満、ってとこかしら。多分、今でもそんなモンよ」


 自嘲気味に笑いながら、アリアトは誇る様に胸を張り、両手を広げて見せた。
 この汚れた体を見るがいい、笑うがいい、そう言う様に。


「どうにか枷を外して、私の『飼い主』から逃げ出して、流れ着いた廃城の地下倉庫…そこにあった手記でリベリオンを知って……そこから私は、『仲間』を集めるって決めたの」


 幸せを望んだだけなのに、そのために努力したはずなのに、彼女は全てを失った。
 望んでもいない不幸を叩きつけられた。


 どれだけ助けてと泣き叫んでも、許しを乞うても、救いを求めても、彼女が誰かに救われる事は無かった。
 声も涙も枯れ果てる程に救いを渇望しても、決して、決して救いの手が差し伸べられる日は来なかった。


 でも彼女は昔、確かに見た事があった。
 弱者に訪れる、『救い』を。


 まだ自分が貴族の端くれだった頃。下流貴族の集まりの際に、見かけた人物。
 奴隷の少女を家族として扱い、優しく愛でていた変わり者がいたのだ。


 あの奴隷の少女は、あの変わり者にさぞかし救われた事だろう。
 何故、私にはあの変わり者の様な者がいないのだろう。


 ああ、そうか。
 きっと私がいるのは、そういう『救い』が無い世界なんだ。
 救いがあるのは、あの少女のいる世界。
 私には、救いなんて無いんだ。


 この世界は狂ってる。間違ってる。
 この世界をどうにかしなきゃ、私はこのまま一生救われない。


 世界を変えなきゃ、幸せにはなれない。


 でも、私1人で何ができる?


 そうだ、仲間を集めよう。
 きっと、私みたいなのはたくさんいる。
 差別され、拒絶され、虐げられ、そして救われない。
 そんな可哀想な存在。


 探そう、集めよう、そしてこの狂った世界をブッ壊してやろう。創り変えてやろう。




「……そんで、グリーヴィマジョリティができた訳か」


 アリアトの話は、俺の想定を越える、結構な重い話だった。


 ……まさか、奴隷だの何だのなんて単語を、この世界で聞く事になるとはな……
 俺が今までいたこの国が、特別平和ってだけだった、のか。


『……我輩が引き起こした負の連鎖が、こんな形で続いていようとはな』


 魔王の声は、とてもとても、痛々しい感じがした。
 きっと、自分を責めているんだろう。
 今では『愚かだった』と思える様な行動を取った、過去の自分を、殺したい程に責め立てているのだろう。


「どうしたの? 笑いなさいよ。あ、そうだ。じゃあもっと笑える様に、私の不幸をもう1つ聞かせてあげるわ」


 楽しそうに笑い、彼女は自分の掌の上に、造花の花を咲かせた。


「禁断魔法ってものには、全て『代償』がある。だから禁忌とされている」
「代償……?」
「この禁断魔法リベリオンの『代償』は、『老いの加速』よ」
「!」
「リベリオンの使用者は、常人の10倍近い速度で、歳を取る…らしいわ」


 らしい、とは……


「この代償と、私にかけられた呪い。この2つの反発作用のせいで、私の体の中身は、定期的にグチャグチャになるの」


 死なない程度に痛いのよ、と笑いながら、彼女は自分の腹を撫でる。


「リベリオンでも改変できない、私が抱えた『欠陥』。死なない程度だからこそ、余計に苦しいわ」
「っ……」
『おい、クソガキ。気圧されてる場合かよ』


 ……ああ、そうだ、質問だ。
 かなり重めの話だったせいで唖然と聞き入ってしまっていた。
 質疑応答に持ち込んで、そんで…


「……なぁ」


 今の話の中で、俺が1番聞きたい事は……


「何で、世界を変えようなんて思ったんだ?」
「……はぁ?」
「いや、だって……」


 おかしくないか、彼女の、今の話。
 だって、救いのある世界を知っているから、自分は救いの無い世界にいるんだと知った訳だろう。


「何で、救いのある世界に逃げようって考えなかったんだ?」
「……無理に決まってるじゃない」
「無理な訳無いだろ?」


 だって、


「奴隷を愛でる変わり者ってのは、確かにいたんだろ?」


 そいつは、今の話の通りなら雲の上の人物って訳じゃないはずだ。
 何故、逃げ出した時に、そいつを頼ろうとは思わなかったのか。
 それに、


「そいつだけじゃない。そいつみたいな変わり者を、探そうとは思わなかったのかよ」
「…………」


 そうだ、俺が聞きたいのは……


「何で、救いの手が差し伸べられるのを、ただ待ってたんだよ?」
「それは……」


 ただ泣き叫んで、望んでいただけでは救われない。
 そんな世界がある。
 そういう場所にいるって自覚があったなら、何故そこから移動しようと思わなかったんだ。
 何で、泣き叫んで望むだけで救われる場所を探さなかったんだ。
 何で、自分は救われないと諦めたんだ。


 この世界には、確かにいるんだ。
 彼女が今言った様な変わり者が。


 見ず知らずの異世界人や魔人を、何の抵抗も無く家族として迎え入れる農夫一家。
 逆境にいた少女のために、自分達を頼れと申し出た見た目は子供の魔剣豪。
 そして、彼女のいた国の常識的にはありえない事らしい、奴隷を愛でる下流貴族。


 つい2ヶ月前にこの世界に来た俺ですら、この世界の人々には何度も救われている。
 つまり、俺が今いる『ここ』は、彼女の言う『救いのある世界』なんだろう。


 今、彼女は『ここ』にいるでは無いか。
 今、彼女は頼ろうと思えば頼れるはずだ。
 あのチビっ子魔剣豪を。
 あいつはきっと、こいつの事情を聞いたら、シェリーの時の様にどうにかしようとするだろう。
 ……まぁ、グリーヴィマジョリティを率いて襲撃する前だったら、の話ではあるが。


 キリカはもう無理だとしても、ここから1週間も旅すれば、ゴウト達の元にだって行ける。
 ゴウト達に救いを求めれば、間違い無くまずは飯をたらふく食わされ、衣類と部屋を提供されるだろう。
 あの幸せそうな一家の家族団欒の一部に、抗う術無く取り込まれてしまうだろう。


 ゴウト達の様な人間は、今、この時代まで1人もいなかったのか?
 いや、んな事はありえないはずだ。
 …確かにありえないなんて事はありえない…なんて可能性もあるだろうが……
 何故、この女は、その「救いの手を差し伸べてくれる奴なんていない」と言う可能性を信じたんだ?
 救ってくれる人間が存在する可能性を全部捨てて、絶望の中で足掻くのをやめてしまったんだ?


 普通、逆だろ。
 人ってのは、絶望では無く希望にすがる生き物のはずだ。


「あ……お前、拗ねたんだろ」
「拗ねっ…!?」


 奴隷だった頃、いくら渇望しても救われなかったから、全部諦めた。開き直った。
 だから、自分の足でどこかへ行ける様になっても、「どうせ」と諦め、絶望に浸り続けていた。
 そんな所だろう。


 ……俺は、奴隷になんてなった事無い。
 こいつの辛さを、苦しみを、不幸を、理解する事なんてできはしないだろう。


 どんな辛い目にあったかは知らない。
 どれくらい深い絶望の中にいたかは知らない。


 でも、この女は、その絶望の中でも生きていたはずだ。
 じゃなきゃ、今ここにいるはずが無い。
 五体も満足じゃないか。
 そして、魔力の放出を封じる枷とやらは、逃げ出した時に外せたんだろう?


 この女は、絶望の中、もう縛る者はおらず、五体満足で、いくつもの戦場を乗り越えられるくらいの魔法が使えたって事だろ?


 何故、自分を受け入れてくれる、救ってくれる者を探しに行かなかった?
 何故、世界を変えるなんて大仰な手段に思い至ったんだ?


 おかしいだろう。
 世界を変えるよりも、自分で動き出す方が手っ取り早くて簡単なはずなのに。


「お前、拗ねて、不貞腐れて……自分はどう足掻いても無駄だって、勝手に決めつけたんじゃねぇのか」
「何を……」
「救いがあるのは知ってたっつってた癖に、そんなもん手が届くはずねぇ夢物語か何かだって、勝手に思い込んでたんじゃねぇのか?」
「……勝手な事を言わないでもらえる?」
「そうかよ。決めつけてた訳じゃないってんなら……」
「なら、何よ」


 なら、考えられる事は、1つだ。


「お前、馬鹿だろ」
「……は?」
「そうとしか考えらんねぇじゃん」


 アリアトの話通りの状況なら、世界を変えようなんて発想に至るには、結構思考の飛躍が必要なはずだ。
 だって、もっと簡単に、幸せを掴める可能性が、目の前にあったんだから。


 その可能性に目もくれず、世界を変えましょうなんて七面倒臭い考えにすぐ至るなんて……ただの馬鹿じゃないか。


 プロの芸術家になりたい、でも私の技能じゃ素晴らしい作品は作れない。なら、私の作品を素晴らしいと思う様に、世界中の人間の価値感を操作しちゃおう。
 こいつが言ってるのは、そういう、実に馬鹿らしい考え方だ。


「……勝手な事、言ってくれるじゃない。何も知らないくせに」
「何も知らない訳じゃねぇ」


 確かに、俺は、知ってる事より知らない事の方が多いだろう。
 でも、知ってるんだ。


 それは、俺がこの世界に来て、最初にゴウトから学んだ事。


「挑戦すりゃ、理想形じゃなくても、どうにかなる。どうにかなるまで、挑戦すりゃあ良い」


 まずはとにかくやってみろ。出来るまでやってみろ。そうすりゃ、出来る。
 ゴウトは、そう言っていた。


 挑戦せぬ者に、得られるモノなど何も無い。
 魔王だって、そう言った。


 ガムシャラに、ただ、ひたむきに。理性を捨てでも、挑み続ける。本能に身を任せてでも、挑み続ける。
 得たいモノがあるなら、挑むしか無い。目の前の事に、ただ全力で取り組む。
 ただの男子高校生だった俺が今、世界を改変する様な魔法使いを圧倒できるまでに至ったのは、挑戦し続けた結果だ。


 足掻き続けたから、俺は今ここにいるんだ。
 都合の良い救いってのは、確かにあったかも知れない。
 運命の神様が味方してくれた事も、あったかも知れない。


 そう、俺が今いる場所は、そういう事があるんだ。


「お前の目の前にあんだよ、救いってのがある世界は。なのにお前は、指くわえてそっち側で見てるだけなんだろ。馬鹿丸出しじゃねぇか」
「っ……」


 ……って、アレ。
 俺、勢いで色々言っちゃったけど……ヤバくね?
 俺、アリアトの話を肯定しつつ聞く所か、全否定してしまった気がする。


 いや、した。
 してしまった。
 今、確実に。


「えーと……ちょっとタイム。アルさん、その……」
『…………馬鹿は、君だ』


 ですよねー。


『ただ、君のその愚直さは、良い意味で尊敬に値する。自分の考えをしっかり主張するのは大事な事だ』
「え、どうも…ってそんな場合じゃねぇ!? アリアト、ちょっと待って! 今のカットで! テイク2! テイク2行きませんか!?」
「…本当に……本当にどこまでも好き勝手言ってくれたわね……!」


 あ、ダメだ。
 無理っぽい。


 そりゃそうだよ。誰だってキレるよ。
 人の不幸話に対し、「お前、そこでそれはないわー、この馬鹿め」って言ったんだぞ、俺。
 ただのクソ野郎じゃねぇか。


「………………」


 う、アリアトが何も言わない。


 もうダメか。
 やるしかないのか。
 ああチクショウ。自分の馬鹿さ加減とオブラートの扱いの下手さを今日ほど恨んだ日は無い。


 いや、別にね、アリアトをリンチにするってのは、まぁそれはそれで迷いは無い…はずだったんだけど……
 この流れでボコるのは、ちょっと無理です。


 だってこの流れだと、俺は身の上話をした薄幸の女性を馬鹿にして、こっちの提案を拒絶する風に仕向けといて「お前が俺の提案を拒むのが悪いんだぜヒャッハー!」とボコるって事になっちゃうんだぜ?
 流石に俺、外道過ぎやしませんか。後味、悪過ぎやしませんか。
 いや、もうさっきの「お前馬鹿だろ」発言の時点で取り返しが付かないくらい外道堕ちしたかも知れないけども。
 しょうがないじゃん、つい口から出たんだから。
 俺は良い子ちゃんの部類じゃないんだよ? そりゃたまにはDQN発言だってしちゃうよ。高校生だもの。


 ああでもどうしよう、マジで取り返しつかねぇぞこれ。
 ……いや、待て、諦めんな。
 今アリアトに諦めんなカス宣言したばっかだろ俺。
 言った傍から俺が諦めてどうする。


 ここからどうにかアリアトの機嫌を、せめて元の状態に戻すんだ。レッツトライ。


「あ、あの……アリアト?」
「……さい……」
「……え?」
「……たら……さいよ……!」


 小声なのと、アリアトがうつむいてるのとで、全然聞こえない。
 何か非常に怒ってるっぽいし、涙が流れているのも若干見える。


 ……ああ、絶対超怒ってるよ……泣き怒りだよ……
 多分、アリアトが今つぶやいてんのは、俺への怨嗟の罵倒か、何かか。


「あ、あの、罵倒してるなら、せめて聞こえる様に……」


 じゃないと謝り辛い。


「…………っ…………」


 泣き顔を勢い良く持ち上げ、アリアトは、叫んだ。


「だったら、あんたが私を救いなさいよ!」
「……は?」
「あんたのいる場所は、救いがあるんでしょ!? なら、私をそこに連れてってよ! そこには希望があるってんなら、私にも見せてよ!」


 涙をこぼしながら、彼女は、訴える。
 喉が傷んでしまいそうな程の大声で、なりふり構わず。


「救いの手ってのを…差し出してみなさいよ!」


 ハァ、ハァ、とアリアトは肩で息をしながら、こちらを真っ直ぐに見ている。
 懇願する様な、心の底から、誰かに助けを求める様な、そんなか弱い瞳だった。


 でも、その瞳はすぐになりを潜める。
 彼女が涙を拭い去り、口角を元の位置に上げ直した頃には。


「……なーんてね」
「なっ……」
「あら、もしかして、本気にした?」


 ぎゃは、と、アリアトが他人の不快感を煽る様な笑い声を上げる。


「あんたのさっきの稚拙な弁舌で、この私が篭絡されたと、欠片でも思っちゃった?」
「お前……」
「アホくさ。あら、何よその顔は? 信じられない? それくらいさっきのお説教には自信があったのかしら? 残念ね、私はそんな…」
「……本当に、馬鹿だな、お前」
「……はぁ?」
『……気付いている様だな、ロマン君』
「ああ……」


 ……演技で、あんな目ができるモノか。


「この、馬鹿が……!」


 そうか、そこまで、お前は弄れちまってるって事か。


 こいつはもう、「不幸である事」が一種のアイデンティティみたいなモンに、なっちまってるんだ。
 だから、差し出された救いの手を、掴みたくても、掴めない。


 恐いんだ。
 その手を取れば最後、絶望の中、今まで自分なりに積み上げて来た理屈やプライドの様なモノが、崩れてしまいそうで。
 長い間、自分は救われるはずが無いとタカをくくり、その前提で生きてきたから。
 劣悪な環境に、慣れきってしまったから。
 その前提や環境が一変してしまうのを、恐れてしまっているんだ。
 未知数な未来を恐れ、救いを求めようと伸ばした自身の手を、阻もうとしている。


 本当に、馬鹿だ。
 そんな劣悪な世界、惰性で留まる様な場所じゃねぇだろうに。


「……わかった」


 だったら、流石の俺にも考えがある。
 無理矢理、こっち側に引きずり込んでやる。
 無理にでもその体に教えてやる。恐がる様な事は、無いって事を。


「アリアト、俺は今から、とんでもなく馬鹿な事をする」
「はぁ?」


 多分、皆、そう簡単には俺に賛同しちゃくれないだろう。
 でも、賛同してくれるまで、挑戦するだけだ。


 だって、俺は、どんな大義があろうと…あんな目をする奴を、嬲る事なんてできない。


「俺は、お前を助ける」


 今、俺の中では、こいつへの憎悪より、こいつへの同情の方が勝る。
 だから俺は、こいつを助ける。


 同情で救われるなんて屈辱的だろうが、そんくらいは我慢しやがれ。


「助ける……? 何を馬鹿な事を言ってるのかしら? 私を許そうっての? あなた、誰にどんな酷い目に合わされたか…」
「許す訳無ぇだろ、馬鹿が」
「!」
「助けてやるだけだ。お前がした事は、絶対に許してやるつもりなんて無ぇ。だから、『最低限のお仕置き』は受けてもらう」


 その後だ。


「俺は、お前をシバいた後、お前を助ける。感謝しろ、この馬鹿」


 約束してやる。
 そんで、俺はこの先、約束を破るつもりは無い。


「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿って……馬鹿って言う方が馬鹿なのよ、こんの馬鹿がぁっ!」


 降り注ぐ、大量の溶岩の塊。溶岩でできた馬と鹿のオブジェだ。
 当然、それらが俺に到達する前に、霧散する。


「無駄だっつったろ、馬鹿」
「っ……また言ったわね……!」


 アリアトの手が、変形する。
 禍々しい、無骨な赤黒い獣の拳に。
 おそらく、アレは変形では無く、そういう手甲を纏わせたのだろう。


 その拳で、俺に殴りかかる。


 まぁ、その拳も、この黒鉄の鎧に届く頃には、ただの素拳だ。


「ぎゃはっ!」
「!」


 あらかじめ、拾っておいたのだろう。
 その手に握った石ころで、アリアトは俺の頭をブン殴った。


 …無駄だ。
 その程度の物理攻撃で、この黒鉄の兜を突破できる物か。


「っ……なら……」
「もうやめとけって、さっきも言ったろうが」


 アリアトの顔面を、ワシ掴みにして、持ち上げる。


「むぎゃ!? っぎ、は、離し…」
「余計な事言ってないで、歯ぁ食いしばった方が良いぜ」


 俺の中には、今、大量の魔力がある。


 元々の俺の魔力。
 魔王に注がれた、魔王と呼ばれるに相応しい超膨大量の魔力。
 ここに来る途中でぶっ飛ばした、あのシャンドラとか言う奴の魔力。
 そんで、さっきからアリアトの魔法を分解吸収して蓄積した魔力。


 全て合計すれば、アリアトの魔力総量の、倍はある。
 コクトウの左目のおかげで、魔力残量とその器ってのがよぉくわかる。


 倍もあれば、充分やれる。


「覚悟しろ」


 味わうと良い。
 これが、お前のした事に相応しい、罰だ。


「お仕置き、開始だ」


 しばらく、良い夢でも見ながら待っていろ。


 絶対に、助けてやるから。



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