BLACK・LIKE

須方三城

12,黒志摩ちゃんは躊躇う。

 私は、どこまでダメな奴なんだろう。
 そんな自己嫌悪の中、黒志摩は拳銃を強く握り締め、薄暗い路地を駆ける。


 今朝の動揺のせいで、黒斑の言葉にろくな返事も出来ず、心配させてしまった。気を遣わせてしまった。
 挙句、聖務学校アカデミアであれだけ訓練を積んだはずの弾倉交換にも手こずる始末。


 どうにか、挽回したい。


 そんな一心から、黒斑の指示を待たず先走った。そして、あろう事か逆に自分が黒斑に命令してしまった。
 普通、有り得ない。有り得ちゃいけない。コンビの後輩、それも新人が、ベテランの先輩に独断で配役を振るなど。
 しかも、その配役でもミスをした。
 妥当に考えれば、あそこで少年の保護に回るのは黒志摩の役目だった。何せ、捜査官としての実力も実績も黒斑の方が上なのだから。
 黒斑か黒志摩か、どちらが単独で魔物の追跡・撃破に臨むべきかなんて、議論の余地は無い。


 少し心が乱れていたと言うだけで、ミスにミスを幾重にも重ねた。
 まるでドミノ倒しの様に、失敗を連鎖させた。


 最悪だ。本当に最悪だ。
 こんなの、取り返し様があるのだろうか。


 ……でも、いくら猛省したって引き返す訳には行かない。
 ここで引き返したら、もう本当に最悪中の最悪だ。


 こうなってしまった以上、黒志摩が今尽くすべき最善は、一つ。


 今、追跡している魔物を速やかに討伐する事、だ。


(…………ッ、でも……)


 ……今は、考えるな。
 今、この状況下……『それ』だけは考えてはいけない。


「ォ、オー・マイ・ゾゥ! 行き止まりだゾウ!?」


 前方、追跡中の象型魔物の慌てふためく声が聞こえた。
 少し開けた場所で、今来た道以外の三方を建物の壁で塞がれた場所。いわゆる袋小路だ。


「……追い詰めましたよ……!」
「ゾ、ゾゥッ!? な、何なんだゾウお前らは!?」
「……………………」


 討魔の鉄則、第二条。魔物と言葉を交わすべからず。魔物は基本的に狡猾であり、僅かでも隙を与えれば付け入られる。問答無用一撃必殺を心掛けるべし。


 ……だが……


「くっ…………」


 今、黒志摩の銃には穿通式聖弾スティンガーが装填されている。
 さっさと魔物の懐に入るか、周囲の建物を利用して魔物の頭上を取らなくてはならない。


 だが、黒志摩は、動けなかった。
 いや、動く事を躊躇った。


 自分が戦闘行動に移れば、あの魔物も当然抵抗するだろう。
 そうなれば、もう思考を回す余裕は無い。一気に決着まで持っていく事になる。


 躊躇いが、太い楔になって足を大地に縫い止める。


 本当に、良いのか。
 本当に、撃って良いのか。


 だって、魔物は、もしかしたら……


「ッ……そこの象。今から、私の聞く事に、NOと答えなさい」
「ゾウ?」
ZOゾーじゃない! NO!」
「ゾ、ゾウ!? 今のゾウはそう言うゾウじゃないゾウ!?」
「黙れ!」


 こっちには、そんな悠長なやり取りに興じる心の余裕が無いのだ。


「お前はNOと言えば、それで良い……!」
「り、理不尽だゾゥ……!」


 NOとだけ、それだけ答えてくれればそれで良い。
 それで、黒志摩は動ける。楔を引き抜ける。


「答えなさい……あなたは……あなた達、魔物は……」


 一昨日、白区と言う人物のファイルと、様々な要素から黒志摩が辿り着いてしまった仮説。


 それは、『魔物の正体』。


 人がよく死ぬ場所で、魔物は多く発生する。
 つまり、『人の死』が『魔物の誕生』に深く関わっている事になる。
 そして、黒志摩が過去に遭遇した魔物は、黒志摩に取り憑こうとした時に『戻る』と口にしていた。


 他にも、この仮説を裏付ける要素はいくつかある。


 だが、どこまで思考を重ねて行っても、仮説は仮説だ。


 だから、確かめなくてはならない。確かめなければ、踏み出せない。


「あなた達は、人間だったの……!?」


 魔物は、死んだ人間の何らかが変貌し、誕生する存在…いわば、幽霊の一種なのではないか。
 だから、人がよく死ぬ場所では多く発生する。
 だから、人の体の中に入る事を「戻る」と表現した。


 不慮の事故や理不尽な事件で生命を落とし、納得できず、死後も世や人を憎み続ける者達が、異形と化して人々に悪意をバラまく。
 それが、魔物と言う存在。


 ……これが、黒志摩の辿り着いた『魔物の正体』に関する仮説である。


 完全にオカルトチックな話だ。
 だが、そもそも魔物自体、相当ブッ飛んだ存在である。
 有り得てもおかしい話じゃない。


 ただ、有り得て欲しくない。


 だって、もしこの仮説通りだとしたら、黒志摩達は、聖務捜査官は……『人間だったモノ』を容赦無く撃ち殺して来た事になる。
 特に思う事もなく、台所に出た害虫を洗剤で溺死させる様な軽い感覚で、不幸な最期を遂げた者達に二度目の死を与えていた事になってしまう。


 そんな残酷な話があるか。
 そんな大罪に、耐えられるか。


「……………………」
「……どうした……!? 早くNOと言いなさい! さもないと、私はあなたを撃ち殺す! この銃ならそれが出来る!」


 魔物自体が否定してくれれば、自分を騙せる。だから早く否定しろ。否定してくれ。
 黒志摩は泣きそうになるのを堪えながら、魔物を恫喝して望み通りの言葉だけを引き出そうとしていた。


「早く…言えッ……!」
「……………………」


 そんな黒志摩を嘲笑う様に、象型の魔物はゆっくりと口角を吊り上げた。


「馬鹿な女だゾウ」
「……何……?」


 黒志摩が『その気配』に気付いた時には、既に手遅れだった。


「ッ、ァ、がっ……!?」


 後方から、右肩を深く抉った衝撃。物理的に肉が抉り散らされるのを感じた。
 右肩を起点に、全身へ雷撃が迸る様な錯覚。激痛が一瞬で全身を駆け抜けた。


「ご、ぉ、こ、れ、ぁ…!?」


 両手と両膝を着き、四つん這いになった黒志摩の眼下に、『それ』はボトリと落下した。


「……!」


 蠍の尻尾の様な、先端が鋭利な刺になっている触手だ。刺の先にはベットリと黒志摩の血と小さな肉片が付着している。
 その触手に、黒志摩は見覚えがあった。


「ゾハハハハハ! バーカバーカ! 俺がただ逃げてるとでも思ったゾウ!?」


 象型の魔物は愉快痛快と言わんばかりに声を張り上げる。
 そして、見せつける様に、その特徴的な平べったい耳の裏から生えている無数の刺触手を躍らせた。


(ッ……まさか……罠を、張っていた……!?)


 象型の魔物は黒志摩が追ってきている事を察し、逃げ切るのではなく上手く返り討ちにしようと考えたらしい。


 袋小路に入る直前に、刺触手を分離させ、その辺の建物の壁を這うパイプの陰にでも潜ませていたのだろう。
 そして、黒志摩がその刺触手が潜んだポイントを通り過ぎ、立ち止まったのを見計らって、飛ばした。
 放たれた分離刺触手は見事、背後からの奇襲を決め、黒志摩の右肩を穿った……と言う具合か。


 もうピクリとも動かない分離刺触手を見るに、分離後はワンアクションかツーアクション程度が限界なのだろう。
 そんな一発屋染みたお粗末な手品の様な手で、してやられた。


(でも、これくらいの痛み……!)


 伊達に聖務学校ヘル・オブ・ザ・ヘルを卒業していない。
 聖務捜査官が持つ痛みへの耐性は高い。


「……ッ……!?」


 黒志摩は一気に立ち上がろうとしたが、いくら踏ん張ってもまともに力が入らない。
 立ち上がる所か、四つん這いの姿勢を保つのがやっとだ。


「ゾハハ! 動けないゾウ!? まぁ、そりゃあそうだゾウ!」
(……毒……!?)


 蠍の尾に似ているのは、形状だけではなかったらしい。


 至急、解毒の必要がある。
 魔物の持つ毒なら、その毒の種類はどうあれ構成は魔物の体組織が大半を占めるはずだ。


 捜査官の基本支給品の中には、『聖鉄板パニタルプレート』と言う聖具パニテムがある。
 コンビニのレジ横でよく売ってる様なチューインガムくらいのサイズの聖鉄製の鉄板で、口に含んで使用する。聖鉄に触れた唾液を飲み込むことで、体内に入り混んだ魔物の毒系攻撃等に対処するのだ。
 いちいち口に含むの面倒臭い、と言うことで、私費を投じ聖鉄の差し歯を作らせて代用している捜査官もいるとか。


 基本支給品なので当然、黒志摩も聖鉄板パニタルプレートは支給されている。
 そして本日、総務でホルダを受け取った時に、中に入っているのもきっちり確認した。


 だが……


「く、ぁ、……あぁ……!?」


 腕がまともに動かない。どれだけ力を込めても、額に脂っぽい汗が滲むだけ。四肢の小刻みな痙攣が止まらない。
 ベルトに下げたホルダに手を伸ばす事すら、ままならない。


 相当強い毒を打ち込まれた。加えて右肩…比較的心臓に近い位置に打たれたと言うのも大きいだろう。


(こん、な……)
「ゾハハハ! プルプル震えて、無様だゾウ! 間抜けだゾウ! 馬鹿丸出しだゾウ!」


 重い足音と巨影が、近づいてくる。
 目だけを動かして確認すると、象型の魔物が満面の笑みを浮かべながら、余裕が滲むゆったりとした歩調で、こちらに迫っていた。


(こ、んな、事……!)


 まるで、五年前の再現だ。
 巨大な魔物を前にして、黒志摩は、指先一つ満足に動かせず、ただ震えるだけ。


「さて、予定は少し変わったゾウが…お前の体で、俺は『戻る』ゾウ」
「ッ……!」
「ああ、ぞうぞう。さっきの質問…一応、最後に答えて置いてやるゾウ」


 魔物の笑みに、下卑た色合いが加わる。


「イ…」


 その時、黒い何かが、魔物の頭上に舞い降りた。
 一瞬、ジャケットのはためきが翼の様に見えて、それはまるで巨大な烏の様だった。


「エ?」


 当然、成人男性並の体躯を誇る烏などいない。
 周囲の建物の屋上から魔物の頭の上に降り立ち、厚い頭皮をしっかりと踏みしめたその生物は……全身黒ずくめの、人間。


 聖務捜査官、黒斑右之定。


「還れ」


 温度の無い一言。そして、一切の躊躇無く引き金を引く。
 真っ直ぐ下へ。白銀の鉄槌を撃ち落とした。


「ス、ゾんッ」


 脳天から顎までを一直線に貫かれた魔物は、短く間抜けな悲鳴を上げた。
 巨体が大きく揺らぎ、ゆっくりと仰向けに倒れていく。


「討伐完了」


 黒斑は軽やかに跳び、地を這う黒志摩のすぐ隣りにスタッと着地した。


「く、黒斑、聖務、巡査長……」


 ああ、私はまた助けられたのか。
 謝罪か、礼か。どちらを先に口にすべきか迷いつつ、黒志摩は黒斑の顔を見上げ、


「…………ッ」


 そして、一瞬で血の気が引いた。


 黒斑と目が合ったのだ。
 サングラス越しでもわかる。その目は、魔物を見る時の憎悪と敵意に満ちた目で、黒志摩を真っ直ぐに見下ろしていた。


「く、ろ、斑、聖…」
「今、魔物が言ってた『さっきの質問』ってのは、何の事だ?」
「……ッ……」


 その声の冷たさと鋭さの余り、耳に氷柱つららでも突っ込まれたかの様な感触を覚える。


「まさか、魔物と何か喋ってたのか?」
「そ、れは……」


 黒志摩が何か言うよりも先に、黒斑の手が伸びた。
 動けない黒志摩の襟元を乱暴に掴み上げ、お互いの鼻先が掠りそうな距離にまで引き寄せる。


「テメェは、自分が何をしようとしてたかわかってんのか、黒志摩ァ!」
「ひ、ぅ……!?」


 まるで別人の様な恐ろしい目、荒々しい口調。
 この人は本当に黒斑さんなのか、と黒志摩は思わず言葉を失ってしまう。


「魔物に取り憑かれた人間が、一体何をするか……知らない訳じゃあ無いよな…? 窃盗だ痴漢だで済めばまだ可愛い。中には、人を殺す奴もいるんだぞ……!? 聖具パニテムっつぅ武器で武装してる俺らが、魔物に取り憑かれたらどうなるか……実際に体験してみなきゃわかりませんってか? あぁ!?」


 黒斑の怒声の中には、悲痛な何かが含まれていた。
 何かを思い出し、抑えきれない感情が爆発している。そんな感触だ。
 本気で、憤慨している。死んでも許し難い。殺してでも許す訳には行かない。そんな意志がひしひしと伝わってくる。


「それに、だ! テメェに取り憑いた魔物が、テメェの家族や友達を襲うかも知れないんだぞ!? その時、襲われた人達は選ばなきゃならなくなる! 大人しく傷付けられるか、身を守るためにテメェを傷付けるか、だ! 大切な人にそんな選択を迫るために、テメェは捜査官になったのかよ!? なぁ!? だとしたら、随分と愉快な性格してんなぁおい!」
「…………ッ…………」


 あの黒斑が、我を忘れ、感情剥き出しの怒声を張り上げている。
 あの黒斑が、それ程までに憤慨する様な事を、自分はやってしまった。
 とんでもない罪の感覚が、黒志摩の心に深く突き刺さる。深く深く、抉る。




「なぁ、答えろよ! 黒志………ッ!」




 不意に、黒斑の猛舌が止まった。


「…ぁい……ご、べんな、ざぃ……」


 黒斑の目の前にあったのは、普段の無表情さなど欠片の痕跡も無い、くしゃくしゃに歪んだ顔。
 黒斑の耳に微かに届いたのは、か細く、かすれ切った弱々しい謝罪の声。


 黒志摩が、泣いている。


「………………あ……?」


 それを見て、聞いて、黒斑は少し冷静さが戻ってきたらしい。


 そして、僅かでも冷静になれば、熱は急速に冷めていく。


「……あ。いや、その……」


 …………ヤバい。やっちまったかも知れない。
 冷や汗をダラダラと流しながら、黒斑はゆっくりと黒志摩を座らせ、襟から指を離す。彼女の襟にくっきりと残った指の跡が、どれくらい乱暴に掴み上げていたかを証明している。


「ご、ぇ、うあ、はい。ご、めんな、さ、い。ご、めんな、さい……!」
「………………ぅ、うぉぉぉぉぁぁああぁ!? ご、ごめん! ごめんね黒志摩ちゃんんん!! 違う! 違うの! ちょっとアレだ! 感情的になり過ぎちゃったって言うかあぁぁぁぁああぁぁもぉぉぉぉぉどぉぉぉしようこれぇぇぇぇ!!!!!」


 後輩、それも歳下の女の子を、ガチで泣かしてしまった。最近の若い子はデリケートだと聞いていたのに、余りの事に思わず容赦を忘れて怒鳴り付けてしまった。


 生命に関わる重大事項な上、人生最大級のトラウマを軽く抉る様な真似をされた……とは言え、完全にやり過ぎだ。
 良い大人なんだから、少しは自制と言うモノをきかせて当然。感情的に怒鳴り付けるんじゃなく、きちんと理性的にお説教して処理すべきだった。
 そう反省しても、全て後の祭りだ。


「どうしようどうしようどうし…って、黒志摩ちゃん!? 何その右肩の傷ゥ!? 魔物にやられたの!?」
「ぁぃ、ごめんな、さい…ごめぅぁさい、ごめん、な、ぁい…ご…」


 滑舌の不調や全身の僅かな痙攣から考えて、神経毒に近いモノを打ち込まれている可能性もある。


「ご、えん、ぁさい、ごぇんぁ、ひ、ぁ、ぃ……ごめ、んな、ひゃぃ……」


 そんな状態でもボロボロ泣きながら謝り続けるモンだから、黒斑を襲う罪悪感は天井知らずである。


「と、とりあえず救急車の前に…黒志摩ちゃん! これ咥えて! 聖鉄板パニタルプレート! はい! そしてあわよくば謝るのやめて! 胸にザクザクき過ぎて心が死ぬゥ!」
「ごめ…あむぃ」


 黒斑は半ば無理矢理、黒志摩の口へ自分の聖鉄板パニタルプレートをねじ込み、耳と心を攻撃し続ける謝罪を物理的にやめさせる。


「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「……ごめんなさいほへんははい……」
「黒志摩ちゃんんんんんんんんんんんんんんんんんんんッッ!!!」










◆黒志摩ちゃんは朦朧とする中ちょっとハッピーだった◆
「ほへんははい……」(もうダメだ……あんな、あんな……誰か私を殺せ……殺すんだ……)
「やめて! 本当! 俺が悪かった! 辛抱の無い中年でごめんなさい! 土下座でも何でもするからもう謝るのやめて!」
「ぅうぶぅ……あぅ」(そんな…黒斑さんが謝る事…って、あれ? 待って。って言うか私、今、黒斑さんの聖鉄板パニタルプレート咥えてない? ちょっと待って、え? は? ちょ、え? マジ? だってこれってアレでしょ? 毎度洗浄はされてるとしても、過去に幾度と無く黒斑さんが咥えた事ある奴で…それが私の口の中に入っててそれに触れた唾液が私の体の中に流れ込んでる訳でこれってつまりあれなあれがあれであれがあばばばばばばばば)
「く、黒志摩ちゃん? 許してくれたの…?」
「で、あ……ごふぁッ」(ぁ、ぁぁぁああぁありがとうございますッ)
「ぎゃあああああああああああああああ!? 黒志摩ちゃんんんんんん!? 血!? 血!? は、鼻血!? え!? 鼻血なんで!? 恐いッ!? 黒志摩ちゃ…白目剥いてるーっ!? 黒志摩ちゃん! 黒志摩ちゃぁぁぁぁぁん!」

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