BLACK・LIKE

須方三城

10,黒志摩ちゃんは安心したかった。

 ここ数日のすっきりしない天気はこの前フリだったのかも知れない。
 そう思えてしまう程の快晴、春の日差しが非常に心地良い朝。


 黒志摩は少し早めに自宅マンションを出て、地域安全課のオフィスへと向かっていた。


 署内の廊下を進む歩調は、普段より少し早め。


 黒志摩の足を早くさせる要因は二つ。
 二日ぶりに黒斑の顔が見れる、と言うワクワク。
 そして、一昨日、予期せず抱えてしまった『とある疑念』を極力早めに黒斑に相談し、解消したい。
 最も望む展開は、黒斑が素敵笑顔で「考え過ぎじゃない?」と笑い飛ばしてくれる事だ。


 正味、こんな早くオフィスに入っても、黒斑はいないだろう。
 それは充分わかっているが、じっとしていられなかった。


「おはようございます」


 誰もいないだろうが、とは思いつつ、黒志摩は挨拶と共にドアを開ける。


「おお、おはよう。黒志摩さん」
「……紫藤田原聖務巡査長」


 黒志摩の予想は外れ、オフィスには既に紫藤田原の姿があった。自分のデスクに座り、マイカップで優雅にモーニングコーヒーを嗜んでいるご様子。


「そんな、見るからに嫌そうな顔をする事は無いだろう?」


 マイカップを片手に、紫藤田原が微笑を浮かべた。
 常人の目には、今の黒志摩の表情の変化は捉えられなかっただろうが、紫藤田原はあっさりと見抜いてくる。


 厄介な人だ、と黒志摩は思わず半歩後退。しかし、このままオフィスを出て行くのは流石に感じ悪過ぎるだろう。
 仕方無い、と黒志摩はオフィスへ踏み入り、自分のデスクへと向かった。


「はっはっは。一昨日の話題で僕に何か弄られるのを警戒してる感じだな。安心してくれ。僕がちょっかいを出すのは、気が向いた時だけだ」
「何一つ安心要素が無いのですが……と言うか、今日に限って、随分と早くから居られるんですね」
「ああ、今日は妻が具合悪くてな。代わりに娘を幼稚園に送り届けて、そのままこっちに来た」
「奥様の傍に居てあげた方が良かったのでは?」
「まぁ、僕もそう思って休みを取ろうと思ったんだが…『寝るのの邪魔だから、エリを送ったらそのまんま仕事行け』と蹴ら…言われた」
「……蹴られたんですか?」
「…………………………」
「…………………………」
「……一応、討魔業務の前に娘のお迎え行きながら、一度家に戻る予定だ」
「左様ですか」


 紫藤田原の嫁は気が強い、と言う事はよくわかった。


「ん? ところで黒志摩さん。少し体調が良くないみたいだが…何かあったのか?」
「……いえ。少々寝不足、と言うだけです」
「その様子だと、何か悩み事があるんだな? それで寝付きが悪かった、と」


 本当、何でもズバズバ言い当てて来る人だ。 


「クロの事か?」
「……………………」
「その感じは半分アタリって感じだな。他に何を…」
「……紫藤田原聖務巡査長。今の私の表情から、心境を言い当ててもらってもよろしいですか?」
「『鬱陶しいな、この先輩』」
「紅瓦二等聖務巡査の仰っていた通り、素晴らしい観察眼です」


 黒志摩は暗に「その通りだから、少し黙れ」と言っている。
 本心から誰かに対して「黙れ」と思ったのは久々かも知れない。


「嫌われたモノだ。そう言えば、クロもベニもタケも、最初は僕を煙たがってたなぁ」
「……前科三犯でなお、悔い改めるつもりは無いと」
「僕が人の思ってる事を言い当てるのは、最早『癖』だ。そして無意識にやってしまう癖と言うのは、改善が非常に難しい。並大抵の事ではない。『それ』を多少改善できている君なら、その困難さはわかっているだろう?」
「…………………………」


 黒志摩が「脊髄反射的に人を罵倒してしまう」癖を改善できたのは、あの日、黒斑に救われ、大きな精神革命が起きたからだ。
 逆に言えば、無意識の癖と言うのは『人生の転機』級の大きなキッカケが無い限り改善するのが難しい。


「まぁ、黒志摩さんもその内、あいつらの様に慣れるさ」
「そうですね。そうで無ければやってられなそうです」
「で、だ。何かに悩んだ末、居ても立ってもいられずとりあえず早めに出勤して来た感じの黒志摩さん」


 この男、実は心が読めるんじゃないか。そう疑いの目を向ける黒志摩に構わず、紫藤田原は微笑で続ける。


「僕で良ければ、何か相談に乗るが? 質問でも良いぞ。これを機に交流を深めようじゃないか」
「結構です」
「クロについて知りたい事とか、無いのか?」
「好みの女性のタイプなど」










 まさか、用意してから約一週間経っても一〇分の一程しか埋まっていなかった『黒斑さんメモ』が、この数分で半分近く埋まるとは。
 黒志摩は表情には一切出さず、心の中で喜びに打ち震える。


「ありがとうございます。今思いつく限りの知りたかった事は大方知る事ができました。個人情報保護の観点から言えば最低のクソ野郎ですが、とても素晴らしい。まさか私生活に食い込んだ部分までそれなりに網羅しているとは。流石、黒斑聖務巡査長の教育を担当したお方です」
「は、はは。それはどうも。……あと黒志摩さん、嬉し過ぎてか、ちょっと毒漏れているぞ」


 想像を遥かに越える勢いで食いつかれ、紫藤田原はやや疲弊の色を微笑の中に滲ませていた。
 乙女しゅごい、と少し後悔すらしている。


「で、これで終わりで良いんだな?」
「あ…………、はい。ありがとうございます」
「……何だ? まだ聞きたい事があるのか?」
「…………………………」
「今、一瞬何かを聞こうとして、止めただろう?」


 黒志摩の微妙な反応から、紫藤田原はまた黒志摩の本音を見抜いた。


「もうここまで来たんだ。と言うか、ついさっき数分間まともに呼吸を整える暇すら与えず質問攻めにしておいて、今更何を遠慮している?」
「……その……『この件』は、流石に詮索すべきでは無いかと思いまして」
「……? 気になるな。一体何を聞こうとしたんだ?」


 あれだけ聞いておいて、まだ聞き残した事があるだと? と流石の紫藤田原にも見当が付かない。


「いえ、結構ですので……」
「言わないと、クロに色々と言うぞ。しかも男子トイレで肩を並べてる時くらいに。乙女的に良いのか? もっとロマンチックに気付いてもらいたいんじゃないか?」
「………………………………」
「無駄だ。心の底からゴミクズを見る様な目で見られるのには慣れている」


 この一連の発言が、妻子のいる男のモノとは思えない。
 ……観念した方が良さそうだ。


「………………黒斑聖務巡査長が、魔物に対して異様に刺々しい理由です」
「! ……その事か」


 黒斑は、魔物に対して容赦が無い。と言うか、どこか荒々しい。
 聖務捜査官は少なからず魔物が嫌いだ。だから、魔物に対して強く当たるのはわかる。


 が、黒斑のその振り幅は、少々異常に思える。
 魔物を見る黒斑の目は「憎むべき敵だ。絶対に殺してやる」と言わんばかりの、普段は優しい彼には到底似つかわしく無い目だ。


「なんとなくですが、余り詮索すべき部分では無い事は想像が付きます」
「だが、気になるモノは気になる、と」
「はい。それで、一瞬『紫藤田原聖務巡査長なら、この件も無作法に踏み荒らして知っているのでは』と思ってしまい……」


 なので反射的に「これも聞いてみよう」と思ったが、「いや、やっぱ詮索しちゃ駄目なアレだと思うし……」と思い止まった、と言う訳だ。


「いやいや、黒志摩さん。いくら僕でも、流石にあんな闇が深そうな部分には踏み込まない」
「…………………………」
「まぁ、さっきの脅迫の後では、僕が詮索を躊躇うなんて信じられないかも知れないが……この件は、欠片の冗談も通じないと僕は判断した。だから本当に踏み込んでない」


 紫藤田原も、黒斑が魔物に対して異様な敵意を見せる事には気付いていたのだろう。
 そして、それ以上先にある洒落にならない程に深い部分もなんとなく察し、踏み込まかった。


「クロは新人の頃、魔物との戦い方が荒過ぎて、トクセンを剥奪されかけた事もある程だ。その一件から表層上はかなり大人しめになったが……さっき言った事を覚えてるか? 無意識の癖は、早々改善されない」
「……………………」


 黒斑が魔物に対して刺々しい感情を顕にするのは、最早無意識の反射に近いのだろう。だから、中々直らない。
 そうなってしまうくらい、心の深い部分で魔物を憎んで生きてきた…と言う事だ。


「無理矢理に言わせといてアレだが、僕はその疑問を解消できる答えを持っていない。すまないな。強いて言える事があるとすれば……僕の見立てだと、あいつが抱えているモノは、そう軽くない。魔物と因縁があるのは確かだろうが、僕達が簡単に想像し得る様な事では無いだろうな」


 黒斑は、いつも魔物を仕留める時、「還れ」と冷たく口にする。
 アレは、「土に還れ」……つまり平たく言えば「死ね」と言うニュアンスだろう。
 そんな言葉を吐き捨てて引き金を引くくらい、魔物を憎んでいるのだ。


 魔物被害にあって、多少の被害を被った……なんて軽い話な訳が無い。 
 そうなってしまう程、凄惨な目にあったのだろう。


「…………?」


 ……少し、おかしくはないか?


「どうした?」
「……紫藤田原聖務巡査長。あなたと組んでいる時も、黒斑聖務巡査長は魔物を仕留める際に『還れ』と言っていましたか?」
「ん? ああ。そう言えば毎回言っていたな。それくらい、魔物が嫌いと言う顕れだ」


 紫藤田原と組んでいる頃、新人時代から毎回言っていた。つまり、トクセンを剥奪されかけたと言う一件を経て、大人しくなったからそう言う言い回しになった訳では無い、と言う事だ。


 だったら、やはりおかしい。


 トドメを刺す際、思わず「死ね」と言うニュアンスの言葉が溢れる程に憎い相手に対して、わざわざ迂遠的表現での言葉をかけるだろうか。
 普通、直球で「死ね」と言ってもおかしくは無いはずだし、つい口から出てしまう感情的な言葉として考えるなら、そう言うシンプルな言い回しの方が自然だ。


 だのに、わざわざ間接的な言い回しを選ぶ理由。


 忌むべき相手だが、ストレートに「死ね」と言うのは憚られる…どこかに、そんな感情があるのではないか。
 だから、『無意識に』言葉を選んでしまう。「死ね」ではなく「還れ」と。


(それって、もしかして―――)
「おはざーっす」
「おお、クロじゃないか」
「!」


 オフィスにやって来たのは、黒斑。二連休を経ても変わる事なく、本日も真っ黒な様相である。


「ありゃ、早く来たつもりだったのに、黒志摩ちゃんどころかシドさんまで……」
「今日は朝から色々とあってな。まぁ、良い歳して独身のお前に話しても、共感は得られないだろうが」
「朝っぱらから後輩のテンション殺しに来るのやめてくんない!? ん? って言うか黒志摩ちゃん、どうしたの? 俺の顔見て固まっちゃって」
「い、いえ……お、おはようございます」
「? うん。おはよう」
「……………………」


 黒斑に会ったら、すぐに相談したい事があった。


 でも、ダメだ。


(黒斑さんは……もしかしたら……)


 一昨日、黒志摩が辿り着いてしまった『答え』。


 もしかしたら、黒斑はそれと同じ様な『事実』を知っているのかも知れない。
 そう仮定すると、黒斑が「還れ」と言う言葉を選ぶ理由に納得が行くのだ。


「ッ…………」


 でも、そうだとすると、黒斑は、自分達は―――
 その答え合わせをする勇気が、出ない。振り絞れない。


 黒斑なら、きっと笑い飛ばしてくれる。
 そう、思っていたのに。




 ……結局、黒志摩は何も相談する事ができなかった。






◆黒志摩ちゃんは苦悩しつつも悦だった◆
「ッ…………」(黒斑さん……そんな、まさか……)
「いやー…黒志摩ちゃんは二連休、どうだった?」
「ぇ、あ、ゃ、…特ににゃ、何、も」(ま、まぁ、それはそれとして……二日ぶりの生黒斑さんだぁぁぁぁっはぁあああぁぁ……!)
「……? 黒志摩ちゃん……?」



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