BLACK・LIKE

須方三城

09,黒志摩ちゃんは私服が残念。

 少し曇り気味で、爽やかさが不足した朝。
 甲間町第三支署、地域安全課オフィスにて。


黒斑クロ達は非番か」


 勤務ボードで黒斑&黒志摩の非番を確認し、ラメ入り紫ネクタイが特徴的なハンサム中年、紫藤田原が「うむ」と頷く。


「丁度良い。紅瓦ベニ武黄嶋タケ。そろそろ『アレ』の打ち合わせをしよう」
「ほほぉう! 『アレ』と言えば、やっぱ『アレ』の事ですかシドさん!」


 紫藤田原の言葉に騒がしく反応する活発系女子、紅瓦。


「おォう。黒シマダが来て今日でもォ五日目…そりゃアもう『アレ』しか無ェよなァ」


 金怒髪の筋肉青年、武黄嶋がギャハッ! と「悪者かお前は」と言う感じの笑いを浮かべる。


「そうだ、『アレ』しか無い。……あと、タケ。黒志摩さんだ」


 黒志摩がこの甲間町第三支署地域安全課灰堂班に配属されて今日で五日目。
 そろそろ、やるべき事をやっておかなければなるまい。


 それは……


「では……ごほん。これより久々の『灰堂班主導第三支署地安課新人歓迎会~ようこそ黒志摩さん~』&『事のついでにクロに何か大掛かりなドッキリ仕掛けちまおうぜ☆』作戦会議を始める!」
「いえーっ!」
「うォォォォっしゃァァ!」
「……黒斑聖務巡査長の扱いが本当に熾烈ですね、この班」
「まぁ、クロは生まれたタイミングが悪かったと言う事で観念させ…って、黒志摩さん!?」
「ふぇっ!?」
「ぬァァァにィィィィ!?」


 いつの間にか、そこに立っていたのは黒志摩左弥。いつもの黒いレディーススーツでは無く、上下黒のジャージ姿だ。


「な、何故…!? 今日はクロと一緒に非番じゃ……」
「はい。ですので、この休日を活用して少し閲覧したい資料がありまして」


 と言う訳で、資料保管室に向かう前に、軽く挨拶だけしに来た…と言う感じだろう。


「資料?」
「過去のCレポです。先達の戦闘記録から、何か一つでも得られるモノがあれば、と」
「ま、真面目っ子だ! 真面目っ子がいるよタケちん!」
「め、目が潰れるゥ!」
「ほぉ、感心感心……って、ん? では、その皇居周辺で走り込みでもしてそうな格好は一体……」
「? ただの私服ですが」
「び、美人なのに私服残念っ子だ! 美人なのに私服残念っ子がいるよタケちん!」
「も、勿体無ェ!」
「激しく余計なお世話なんですが」


 この先輩共は……と黒志摩は呆れ溜息。


「あと、特に歓迎会等の場は設けていただかなくても結構です」
「えー!」
「ノリ悪ィなァ!」
「ただ、黒斑聖務巡査長の件に関しては一枚噛ませていただきます」
「おー!」
「ノリ良ィなァ!」
「…………………………」
「? 紫藤田原聖務巡査長。私の顔に何か?」
「いや、何と言うか、黒志摩さん……」


 ふむ、と紫藤田原は何やら確信を得た様子で……


「クロの事、めちゃクソ好きなのか?」
「……………………は?」
「普段、クロには色んな感情を見せているのに、僕達にはどこか素っ気ないと言うか、極めて冷静な対応ばかりだ、と思ってな。今も、クロの話題だけ、ほんの僅かだが語気が変わった」
「変わってた?」
「さァ? シドさんの人間観察力にゃ付いていけねェ。でもシドさんが言うんだからそォなんじゃねェの?」
「じゃあ左弥ちゃんは……」
「……な、何の話をしているのかわかりかねます。皆さん、ここ数日の生憎な空模様と湿気で、頭蓋の中に菌類が繁殖しているのでは無いですか?」
「左弥ちゃん!?」
「頭ン中で菌類が繁殖する事ってあんのか?」


 武黄嶋は今「お前ら脳みそカビてんじゃねぇの」と罵倒された事に気付いていない。


「おー?」


 と、ここで紫藤田原は興味深けな声。


「動揺してるからか、感情的な言葉が出て来たな。……だが、どこか嘘臭い。本心の言葉って訳じゃあ無さそうだ」
「ッ……!」
「成程。推測するに、君は元々『感情的になると、勢いでとんでもない事を口走ってしまう癖』があり、『黒斑クロの前では平静を保てずその癖が出てしまう』的な感じか?」


 紫藤田原にズバズバと諸々言い当てられ、黒志摩は激しく困惑。普段は頑なな口角が、動揺のせいかピクピクと震えている。


「で、今の僕達への暴言も、クロへの罵詈雑言も、全て照れ隠しの発言で、本心は別と言う感じか」
「な、な、なななななな……」
「ほう…つまりつまり、もしかして、左弥ちゃん本当はツンデレさんって事!? 萌え要素キタ!?」
「あ、それ知ってんぞ。思ってる事と言ってる事が逆の奴だ。別名アマガエルだっけか?」
「タケ。それを言うならおそらく天邪鬼だ」
「か、かか、勝手に話を進めないでください! 奇人博覧会の展示品共が! ロンドン辺りに搬入されてしまえ!」


 黒志摩は全力で身を翻して回れ右。そのままオフィスの外へと走り去ってしまった。


「ちょっと踏み込み過ぎたな。最後、言葉を敬語に変換する余裕すら失っていた」
「あの反応は完全に当たりですな~。よっ! 流石シドさん! 天性のプロファイラー! プライベート侵害界の麒麟児!」
「よくわかんねェが、とりあえず、あいつがクロッさんに吐いてた暴言は全部嘘って事かァ?」
「だな。間違いなく、彼女はクロ大好き人間だ」
「ほうほうほう」
「おうおうおう」
「ふむ。ベニ、タケ。その顔……僕達の心は一つの様だな」


 紫藤田原の言う通り、今、三人は同じ事を考えている。


 あの新人は弄り甲斐があるぞぉ、と。












 甲間町第三支署、資料室。
 ここには電子化された資料を閲覧するためのPC設備と、Cレポが電子提出になる前、手書きだった頃のアナログ資料がファイリングされて保存されている。


「全く……あの先輩方は一体何を考えて……」


 黒志摩が先程の事をブツブツと愚痴りながら、資料室の扉を開ける。


「……まぁ良いです。あの人達への対処は今後検討するとして、今は今やるべき事を」


 自分に言い聞かせる様につぶやき、黒志摩は気分を切り替える。


 今日、黒志摩がここに足を運んだのは、過去の捜査資料や戦闘記録から何でも良いので今後の参考にできる事を見つけるため。
 そこに嘘偽りは無い。


 ……ただ、その発想に至った理由は、紅瓦達が茶化した様に真面目っ子だから…と言う訳ではない。


 やれるだけの事をやれば、やれる事が増える。
 つまり、黒斑に感心されたり、黒斑の役に立てる場面が増えるかも知れない。


 黒斑からの評価を上げるため、黒志摩は自己研鑽を怠らない。


 魔物討伐に躍起になっているとかでは無く、「黒斑の好感度を上げる」と言うちょっと不純な第一目標に従っての行動なのだ。
 そして、黒志摩はその行動に「休日を返上するだけの価値が充分にある」と判断し、今ここにいるのである。


「さて……、?」


 電灯を点けようと扉のすぐ横、換気扇等のスイッチ群に目をやると、スイッチのすぐ下に小さな貼り紙が貼られていた。


『絶対節電。消し忘れ厳禁。消し忘れを確認した場合、必ず犯人を特定し始末書を書かせます』
「…………………………」


 節電の心は評価する。ただ、ここまで来ると何か悲痛なモノを感じてしまうな…と黒志摩は軽く引きながらスイッチを入れ、室内を光で満たす。


 闇が晴れた室内。まず目に入ったのは、アナログ資料が収められた資料棚の群れ。地安課オフィス程では無いにしろ、それなりに広い室内の七割程の面積が棚で埋められており、非常に圧迫感がある。
 第三支署が建ったのは二〇年程前。エスケーが専用ネットワークの運用を始め、Cレポや捜査資料の管理がほぼ全て電子化されたのは一〇年程前だと聞いている。つまり、第三支署がアナログで資料作成・管理していたのは差し引き一〇年間程度。
 それでこの蓄積量だ。甲間町の魔物の多さと当時の捜査官達の働き具合が伺える。


「……すごい……」


 手近なファイルを手に取ってみる。
 過去のCレポ集だ。表紙の題目の書き方的に、先日黒斑と共に行ったポイントでのCレポのコピーをまとめたモノらしい。


「……うわっ」


 埃の堆積具合がとんでも無い。黒志摩の指の太さを軽く越える厚みの埃が乗っかっていた。
 ここ一〇年二〇年、一度も動かされてないと言う事か。


 軽く埃を払い、適当なページを開いてみる。
 開いたページには、戦闘した魔物の細かな容姿説明が書いてあり、軽い素描の挿絵まで付けられていた。


 黒斑も以前少し触れていたが、昔はきっちり一体一体、がっつりとしたレポートを作成していたらしい。
 日付や時間や場所、作成者の名や所属、同行者の有無やその詳細で一ページ。遭遇した魔物の容姿説明に一ページ。使用聖具や戦闘内容の説明に大体二~三ページ。
 一体の魔物との戦闘に付き、大体四~五ページのレポートを作っていた訳か。


「……このクオリティでレポートを作成してたら、黒斑聖務巡査長は一生家に帰れなそうですね」


 黒斑は一日に何体も魔物を討伐する。でもレポートの作成は苦手。なのでCレポ作成のために割と結構な頻度で残業していたそうだ。
 最近は半分黒志摩が討伐してるので作成量が減り、きっちり定時に帰れているが、少し前までブラック企業戦士の様相を呈していたと聞いている。
 黒斑は「歳を取りたくない」と時の流れを呪っているが、この辺は時の流れに救われた形と言う訳だ。


「……?」


 ファイルを棚に戻そうとした時、黒志摩はあるモノを発見した。


 それは、背表紙に何も書かれていないファイル。他のファイルは一つ残らず背表紙に題目が記されているのに、その一冊だけが無記入だった。
 なんとなく撫ぜる程度に眺めていたら、紛れて気付かないくらいの差異だろう。しかし、小さな差異でも一度気付いてしまうとかなり目立って見えるモノだ。


 何のファイルだろう。
 ちょっとした興味で黒志摩はその無地のファイルに手を伸ばした。


 ファイルの表紙にも題目は無し。ただ、隅の方に持ち主か作成者か、人名が一つ。


「これは……『白区しらまち』、じょうしょう…じょうめ? いえ、『定召さだめ』さん? でしょうか」


 白区と言う苗字は甲間町では珍しいモノでは無いが…黒志摩には欠片も聞き覚えの無い名前だ。捜査資料を作成していると言う事は、捜査官か総務職員なのだろうが……少なくとも、黒志摩が把握している範囲でそんな名前の人物はいない。
 異動になった人の私物…忘れ物が、何かの拍子でここに流れ着いたのだろうか。


 このファイルは資料室に並んでいるそれと全く同じメーカーの同じサイズで同じ色の代物だし、誰かが「ああ、これ資料室の奴か」と適当に突っ込んだ可能性は無くは無い。


 総務に届けるべきだろうか。
 でも、ファイル全体に相当年季が入っている。封を切られてから軽く一〇年は経過していそうだ。埃の被り方も相応。
 長い間、放置されていたと言う事は、紛失しても全然困らない程度の代物と言う可能性が高い。そんな物がが今更出てきたって、この白区さんも苦笑いしだろう。受け取った瞬間ゴミ箱に放り込むレベルかも知れない。
 だとすれば、このまま資料室で眠らせておく方が親切、と言う可能性すらある。


 なので、黒志摩はファイルの中身を覗いてみる事にした。


 別に好奇心だけでの行動ではない。内容の重要度を確認し、総務を経由して白区さんとやらに届けるべきか、ここでまた静かに埃と過ごさせるか判断を付けるためだ。
 決して好奇心、だけ、ではない。


「……? 新聞記事のスクラップ……?」


 ファイルには、スクラップを貼った紙が何枚もファイリングされていた。
 随分古い記事ばかりだ。一五・六年前の日付のモノですら比較的新しい方だと言える。三〇年以上も前の連続通り魔事件なんかの記事も網羅していた。


「………………これって…………」


 少し読み進めて、黒志摩は二つの共通点に気付いた。


 まず一つ目。ここにスクラップされている記事の種別。
 ある青年がデート中に恋人にフラれた腹いせで、帰り道に一〇人以上もカッターナイフで切り付け、三人の死傷者を出した連続通り魔事件。
 二〇人以上の小学生を乗せた通学バスが、居眠り運転のトラックに横合いから突進を受けて大破。乗車していた学生の半分以上が死んでしまった交通事故。
 大型娯楽施設の元従業員が「不条理な理由で解雇された」と憤慨し、その施設に客を人質にして立て篭り、最終的に施設に火を放って多くの人質を巻き込んで焼身自殺した凄惨で身勝手な事件。
 その他にも、学生が運悪く落雷に見舞われて即死した事故の記事や、飛び降り自殺を止めようとした人が自殺者と一緒に転落して二人共死んでしまった事件の記事、とある交差点での交通事故死亡者数が全国一位になった事を伝える記事などなど……
 ここに集められているのは、全てが『理不尽な悪意や不慮の事象により死亡者が出てしまった事件・事故の関連記事』なのだ。


 そして二つ目。それらの事件や事故の発生場所。
 これらの事件・事故は全て、この町…甲間町で発生したモノだ。


 確かに、思い返してみると子供の頃に見聞きした覚えのある事件が多い。


「高校の時、交通事故発生件数が全国でも多い方だと社会科の先生が仰っていましたが……」


 膨大な記事の半数以上が、交通関連の事故に関するモノ。
 道理で、町中の交差点近くで交通事故注意の呼びかけ看板を目にするはずだ。黒斑との思い出の公園前の道や、先日討魔作業で足を運んだ大通りにもあった。


「……でも、何故こんなモノがここに?」


 甲間町で起きた凄惨な死亡事故・事件のスクラップファイル。
 このファイルの主旨は大体理解できた。
 しかし、それが何故、エスケーの資料室に?


 先程の推測通り、捜査官や職員の私物が流れ着いたモノだとしても、おかしいだろう。
 警察ならともかく、聖十字警察隊が魔物が関わっていない事件・事故を調べて何になる。


 このファイルの作成者と思われる白区と言う人物は、一体何を思って……


「え?」


 ページを捲っていると、不意に、スクラップとは別のモノが姿を現した。
 それは、甲間町の地図。地図上のいくつかの箇所には赤い点が落とされていた。


「これは……」


 黒志摩は、その赤点の配置に見覚えがあった。


 甲間町に置ける、魔物のホットスポットの配置図だ。
 この町の捜査官として、暗記していて然るべきモノ。


「?」


 何故、突然ここで魔物に繋がる? と疑問に思っていると、更に疑問が。


「ここは……どこ?」


 一箇所だけ、黒志摩の知らないポイントに赤点が落とされていた。町の外れだ。


 以前紅瓦への自己紹介で述べた様に、黒志摩は記憶力には相当自信がある。
 流石に何気無い日常風景や、さっさと忘れたいと思っている事は、時間の経過で忘れてしまうが、意識的に暗記した事を忘却した事など、今までの人生で一度も無い。
 このポイントも魔物のホットスポットなのに、自分が忘れているだけ……なんて事は有り得ない。断言できる。


 この謎の赤点……ここには、一体何があっただろう。この辺りには一度も行った事が無いので把握できていない。
 特に、何か目立つ施設があった記憶は無いのだが……黒志摩はスマホを取り出し、甲間町の電子マップを表示。ファイルに綴られた地図上にある謎の赤点の場所にカーソルを持っていき、詳細情報を表示する。


「拘置所……?」


 そこは警察の拘置所だった。
 拘置所なんて、普通に生きてたら縁も由も無い。自分の町のどこに拘置所があるか、なんて、知らない人の方が多いだろう。記憶に無くて当然だ。


 にしても、ますます疑問が深まる。
 魔物のホットスポット配置図との関連性が欠片も読み取れない。


 黒志摩は、その拘置所の名前をコピーして検索をかけてみた。


「……………………、!」


 その拘置所は、ただの拘置所では無かった。
 表示された施設の解説ページの一文に寄ると、その拘置所は……


 日本で一〇箇所も無い「死刑を執行する設備のある特別な拘置所」だったのだ。


 死刑の執行場所…つまり、多くの『人の死』が関わる施設だ。


「……! まさか……」


 黒志摩は嫌な予感を覚え、ページを遡る。
 記事を一つ読んで『ある情報』を発見次第、地図のページに戻って確認する。


 その作業を何度も何度も繰り返していく。


「これも、これも……これも……!」


 ほんの一部の例外はあった。だが、九割程が間違いなく合致した。


「ここに集められた記事…そのほぼ全ての事案が、魔物のホットスポット周辺で発生してる……?」


 どう言う事だ?
 これらの記事になっている事件・事故は、魔物が関わっていたのだろうか。


 ……いや、それは無い。
 魔物が関わった痕跡のある事件は、魔物が公式に確認された半世紀前から『魔物案件』として普通の事件・事故とは異なる扱いをされる様になっている。
 ここまで読んだ記事は、全てここ半世紀以内のモノであり、どこにも魔物に関する記述は載っていない。
 つまり、調査の結果『魔物は無関係である』とされた事件・事故だ。


 だとすれば、何だと言うのだろう、この符合は。


 魔物がよく出現する場所では、人がよく死ぬ? そんな法則が?


「……もしくは、逆?」


 人がよく死ぬ場所では、魔物がよく出現する。
 魔物はそう言う縁起の悪い場所を好む傾向がある……?


 聖務学校アカデミアではそんな事は習わなかったし、そんな話、今まで薄らとも聞いた事が無い。


 試しに、黒志摩は「魔物 死亡事故 死亡事件」や「魔物 人がよく死ぬ」などの検索ワードで検索をかけてみる。
 ……やはり、そう言った話は全く見当たらない。


 魔物の生態調査は、ある一定期を過ぎて全く進んでいない。
 故に、どんな些細な情報でも、相対的にとても高い価値を持つ。その中でも「魔物の出現傾向」なんて、かなりの高価値だろう。


 個人が集められるだけで、これだけのデータがある。「人がよく死ぬ場所に魔物が頻出する」と言う傾向があると言う事実は、このファイルが証明している。


 半世紀もの間、多くの研究者達が魔物のデータを収集解析しているはずなのに、個人が作成したファイルでも導き出せる答えに辿り着けていないとでも言うのか。


 それとも、甲間町では偶然こう言う結果が出ただけで、世界的に見ればそんな傾向は無いのだろうか?


 いや、それでも、だ。
 先に言った通り魔物に関する情報はどんな些細な事でも貴重。加えて、この甲間町は日本でもトップクラスの魔物出現数を誇り、魔物を研究する者達は少なからずこの町に注目している。
 そんな町で、こんなデータが出るのだ。例えこの町に限った偏りだったとしても、このデータを見た研究者の中から一人くらい「甲間町の魔物には妙な特徴があるぞ」と興味を持ち、何かしら論文を出していても良い気がするのだが……いくら検索結果をスクロールしても、表示されるのは魔物案件についての記事見出しばかり。


 検索ワードを「魔物 甲間町」に変えてみても同様。魔物の出現数の多さに言及する記事は出てきても、魔物の出現傾向に触れる文面は一切無い。


「………………」


 ここで黒志摩は、ふと、ある可能性を考えてしまった。


「……敢えて、この情報が出回らない様にしている……?」


 ……何故?


「……………………」


 黒志摩は、自身の動悸が少しずつ早くなっていくのを感じていた。


 自分は今何か、とんでもない事実に気付きかけている予感がする。
 そして、それに気付くべきでは無いと言う予感もする。


 だのに、魔物に関する記憶の整理が止まらない。
 裏付けになりそうな要素を、探してしまう。


「そう言えば……」


 ここで、とある記憶が引っかかった。
 それは、五年も前の事。魔物に初めて襲われ、そして、黒斑と初めて会った日の記憶だ。


 記憶と言うのは、そこに含まれる感情が強ければ強い程、劣化し難いモノ。
 あの時の恐怖、そしてその後に訪れた精神的革命と、最高の出会いに対する喜びは、記憶を鮮烈に残し続けるには申し分無い要素だったのだろう。加えて、元々黒志摩は記憶力に優れている方だ。五年程度の時間経過で、あの日の事を忘れるなど有り得ない。
 あの日の事は、魔物に襲われた時の事以外にも色々と鮮明に記憶に残っている。具体的に言うと、あの後に食べた夕食のメニュー、入浴時に体のどこから洗ったか、果ては就寝時に見た夢まで。
 それだけ、特別な日なのだ。


 引っかかったのは、その鮮明な記憶の中の、とある一場面。




『僕は「戻る」んだ』




 あの日、黒志摩が初めて会った魔物の言葉だ。
 あの当時は混乱もあって、深く考えなかった。


 だが、思い返して冷静に吟味してみると、意味がわからない、不自然な発言だ。


 戻る? どこへ? どうやって? あの言葉はどう言う状況で放った?


 このファイルの情報を踏まえた上で、あの発言の意味を考えると、何かが繋がる……繋がってしまう気がした。


「…………ッ」


 思わず、黒志摩はファイルを閉じた。


 落ち着け。
 どこの誰が作ったともわからないファイルと、支離滅裂な魔物の言葉を根拠にした、未熟者の推測だ。


 汗を止めろ。震えを止めろ。


 もし、仮に、だ。
 黒志摩の推測が事実だとしたら、世界中を震撼させるビッグニュースになる。
 遅々として研究に進展の無い魔物の生態、その真相に大きく迫る一歩。魔物を研究する者達が半世紀の間、血眼になって調べ続けて尚、未だ辿り着けていない一つの『答え』。


 有り得ない。そんなの、こんな未熟者が、こんな些細なキッカケから辿り着く訳が無いではないか。


 大体、魔物の言葉なんて何のあてにもなりはしない。
 討魔の鉄則、第二条を思い出せ。魔物と言葉を交わすべからず。魔物は狡猾。巧みな言葉で絡め取り、こちらに隙を作らせようとするモノだ。
 魔物の言葉を根拠に組み込む様な推論など、何の…


 ……もしかして、あの条文は、捜査官が魔物から『余計な言葉』を聞いてしまわない様に仕向けるための?


 ……完全な邪推だ。そんな事は絶対に有り得ない。
 それだと、エスケーは『このとんでもない事実を隠蔽している』事に……


 いや……それも妥当な事なのかも知れない。
 もし、この『答え』が真実なら、世に発表できる訳が無い。そんな事したら、大混乱が起きる。エスケーと言う組織も、根本から大きく揺らぐ事になりかねない。
 そうなれば、魔物の脅威から人々を守ると言う業務に支障が出てしまう。


「……そんな、馬鹿な話……!」


 本当は、少しデータを整理して精査すればわかる『答え』。
 それこそ、黒志摩の様な新人捜査官ですら、微かな材料を渡されればこうして仮説を立てる事ができてしまう程、単純なモノ。
 研究者達は、とっくの昔にその仮説に辿り着いていて、あらゆる裏付けを得て、そして隠蔽せざるを得なかった。


 そう考えれば、全ての帳尻が合う気がする。


 このファイルが指し示す法則。
 死刑執行設備のある拘置所に落とされた赤点。
 魔物の不可解な発言。
 一定期以降、遅々として進展の無い魔物の生態研究。
 討魔の鉄則第二条。


 それらの点が、一本の線で繋がってしまう。


「ッ……!」


 納得しようと思えば、納得できる理屈をいくらでも用意できる。
 これ以上、黒志摩が一人で推測を並べても、一つの答えにしか集約できそうに無い。


 誰かにこの仮説を話し、参考意見を聞くべきか。


 いや、こんな事、誰かに相談して良いのだろうか。
 もしも事実だった時の事を考えると、相談相手は慎重に選ぶべきだろう。


(黒斑さんになら……)


 黒斑なら、信頼できる。
 それに、あの人なら深く考えずに笑い飛ばしてくれそうな気もする。


 正味、黒志摩は、本当の真実が知りたい訳では無い。
 ただ、否定して欲しい。信頼できると思える人に「考え過ぎだよ」と言って欲しいのだ。
 そうして、安心したい。「もしこれが真実だったら……」と言う恐怖から、解放されたい。


 早速、黒斑に電話をかけようとした。
 だが、その指が途中で止まる。


 昨日、黒斑は明日から二連休だと事を非常に喜んでいた。
 もしかしたら、二連休を活用してどこかで羽を伸ばしている可能性が高い。


 そんな時に、こんな話題を持ち込んで良いモノか?


 そんな事したら、嫌われそうだ。
 少なくとも良い顔はされなそうである。


「………………」


 静かに、黒志摩はスマホをポケットに戻す。


 黒志摩の中の天秤は、この案件の早期解消よりも、黒斑からの好感度を重んじた。


 黒斑の休日を邪魔したくない。嫌われたくない。
 そんな事するくらいなら、そんな事になるくらいなら、不安くらい耐える。耐えてみせる。


 明後日、黒斑が出勤してきたら相談する。
 だから、今は別の思考に移行しよう。


 半ば自分を騙す様にそう結論付け、黒志摩はファイルを棚に戻した。






◆黒志摩ちゃんは盗撮・盗聴の心得がある◆
(この件は明後日、相談しよう。うん。黒斑さんの休日を邪魔するなんて恐れ多い)
「……………………」
(でも…これは、電話越しとはいえ耳元で黒斑さんの声を聞くチャンス……はっ……! しかも通話内容を録音しておけば、いつでもどこでも黒斑さんの声が再生可能……!?)
「………………ッ……!」
(……駄目! それは私の私欲エゴ…! 私の私欲で黒斑さんの休暇を邪魔したと言う事実は、きっとこの先の人生で私を延々と苦しめるに違いない……! 気をしっかり持って…! 目先の利益に流されては駄目……! あぅ、でも……でも……!)
「…………ッッッ!!」
(……黒斑さんの声を録音する機会なんてこの先いくらでもあるはずだから……! 最悪、盗聴器と言う手があるから……! だから今は静まれ、私の中の欲望ゥォォォォォォォ……!)


 この後、黒志摩は小一時間資料室で独りグネグネしていた。

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