BLACK・LIKE

須方三城

00,黒い背中を追いかけて。

 私は、素直になれない自分が嫌いだ。


 昔から、私は極端な天邪鬼気質と言うか、もう本当にひたすら素直じゃない。


 素直に何かを好きと言えた事も、誰かに好きだと言えた事もない。


 むしろ、好意の裏返しについつい相手を罵倒したり、嫌味を言ってしまう。好きな相手ほど、何故かキツめに当たってしまう節がある。
 もう脊髄反射に近いのかも知れない。


 そのせいで、こちらの好意に反比例して相手との仲は悪くなっていく。


 素直に言う。


 辛い。シンプルに辛い。


 この素直さを、人との対話でも出せればどれだけ楽だろうか。


 きっと、私は誰かに「辛いの?」と聞かれたら、その親切心への感謝の余り反射的に「辛くない様に見えるんですか? それは素晴らしい。あなたの目を通せば、どんな紛争地帯の荒野も平和な街角のお花畑に見えるのでしょうね。羨ましい事この上ない」とか言ってしまう。
 最低な奴だと自分でも思う。


 ただ、言い訳させて欲しい。
 それは本心じゃない。欠片もそんな風には思ってない。
 でも、何故か咄嗟にそんな事を言ってしまう。


 一種の病気としか思えない。
 それも、症因も治療法も見当が付かない、先天的な難病だ。


「……私は、社会不適合者なのかも知れない」


 高校からの帰り道。
 藍色のグラデーションが混ざり始めた茜の空を眺めながら、真面目にそんな事を考えてしまう。


 今の所、人と関わって生きる事が苦行でしか無いから。
 だって、誰かが不快な思いをしているのを見るのなんて、何が楽しいと言うのだろう。
 しかも、その誰かを不快な思いにさせてるのは、誰でも無い自分自身。


 ……こんな私がこれから先も生きていて、一体何になるんだろう。
 誰かを傷付けるだけでは無いのか。


 私が社会に出た所で、果たして誰かの役に立てる様な大人になれるのだろうか。


 とてもじゃないが、想像できない。


「……………………」


 時間的にも時勢的にも閑散とした公園の前を通り過ぎ様とした時、ふとあるモノが目に入った。
 それは、電柱に括りつけられた木の看板。看板には『交通事故注意』と言う赤文字が刻まれている。
 現代史の時間で教師が豆知識として言っていたが、この町は交通事故発生件数と交通事故での死傷者数の多さが全国トップクラスなんだそうだ。
 わざわざ注意を呼びかけていると言う事は、この町の中でも特にこの辺りは事故が多発しているのだろう。


 ……きっと、私よりも社会の役に立てただろう人達が、ここでたくさん死んだのか。


 ダメだ。気分が沈んでいるからか、何を見ても不必要な程にネガティブに捉えてしまう。
 どんな些細な事も、自己否定的な思考に繋げてしまう。


「ッ……」


 耳鳴りがする。視界の端々に、曖昧な輪郭の黒い人影が無数に蠢く。
 脳をじんわりと締め付けられる様な感覚に、一瞬だけ平衡感覚が揺らいだ。


 幻聴、幻覚、頭痛、立ち眩み。


 よくある事だ。特に、ネガティブな事ばかり考えてしまう時に頻発する。
 精神病の類だと、以前医者に言われた。


「うっ……」


 あ、ダメだ。吐き気までしてきた。本当にダメなパターンだ。


「……薬……」


 ……ああ、今回は酷い。
 鞄から薬と水筒を出そうにも、手がまともに動かせない。足も震えて来た。
 寒気までする。ただの耳鳴りが、遠くで誰かが嗤う様な不愉快な音に変わっていく。視界がブレる。揺れる。大地震に見舞われている様に錯覚してしまう。


 ……最初の頃は、この状態に陥る度にパニックになって泣き叫んでいたっけ。
 今ではもう、そんな風に冷静に記憶を遡れるくらいに慣れてしまった感覚だ。


 それでも、気分の良いモノじゃないし、何より激しく辛い。


 少ししゃがみ込んで、収まるのを待った方が良さそうだ。


「……本当、最悪……」


 こうして、最悪な気分で自分の爪先を眺めるのは何度目だろう。この体勢で、最低な人生だと心中嘆くのは何度目だろう。
 もうはっきり覚えて無いし、思い出してカウントする気にもなれない。


 早く終わって欲しい。過ぎ去って欲しい。何もかも。


「おやおやぁ、どうしたんだい? 具合が悪いのかなぁ?」
「…………?」


 不意に、背後から声をかけられた。


 幻聴にしてはやたらにリアルに感じて、私は思わず振り向いてしまった。


「あ……」


 視界が、灰色の何かで覆い尽くされる。


 鼻先がかする程の距離にあった、灰色の物体。
 ゆっくり見上げてみると、その灰色の物体の頂上から大きな瞳が一つ、私を見下ろしている。


「やったぁ。君は『当たり』だね」


 一つ目のそれが、心底楽しそうに口角を引き上げた。


「ッ」


 油断していた。この時間帯、『私の様な人間』が知らない声に不用意に振り返るなんて、自殺行為だ。


 子供の頃から、飽きるほど言い聞かされた事。
 わかっていたのに、やってしまった。


逢魔時おうまがどき』。


 とある素質を持つ人間に、『魔物』たちが語りかけてくる時間帯。


 魔物は、自分を認識した相手にしか干渉できない、特殊な生き物だ。
 逆に言えば、魔物を認識してしまった人間は、その魔物に干渉されてしまう。


 魔物の声を聞き、その姿を見る事が出来るのは、そう言う素質がある人間だけ。
 そして私は、そう言う素質のある人間。


「さぁ、君を僕に頂戴」


 灰色の塊から、巨大な触手が無数に伸びる。


「君を使って、僕は戻るんだ」
「ひっ……」


 魔物と遭遇、つまり魔物を認識してしまったら、まず逃げられない。だから、絶対に認識してはいけない。
 あれほど、母に厳しく言われていたのに。


「し、塩……」


 唯一、魔物に認識されても尚、その魔の手から逃れるために出来る行動。それは、『塩』を投げつける事。


 何故かはわからないが、魔物は塩を異様に嫌うらしい。
 もし、魔物を認識してしまったら、塩を振り撒いて魔物が怯んだ隙に逃げる以外に助かる道は無い。
 なので、万が一のために塩は常に携帯する様に言いつけられている。


 現に、私は鞄の中にしっかり入れてる。
 でも、未だに指が動いてくれない。


「……ッ……」


 ああ、本当に私は駄目な奴なんだ


 情けなく尻餅を突いて、指一つ動かせないまま、そう悲観した時だった。


 パァンッ! と言う乾いた銃声が連続し、灰色の触手が吹き飛んだ。


「ぴ、ぎ、ぁぁああぁぁぁぁぁああぁぁあ!? 僕の腕がぁぁあぁぁぁぁあぁ!?」
「やかましい。さっさと還れ」


 更に一発、銃声が響き、灰色の魔物の頭が木っ端微塵に弾け散る。


「……ぱ、ば……」


 頭部を失い、灰色の巨体がゆっくりと崩れ落ちていく。


「ったく、おい、お嬢ちゃん。夕暮れ時に知らない奴に声をかけられたら、絶対に振り返っちゃダメだって誰かしらに教わらなかったのか?」


 その声に振り返ると、


「ひぇっ」
「あーあー、言ってる傍から。まぁた振り返った」


 すぐ目の前に、サングラスをかけた男の人の顔があった。


「俺が魔物だったら地獄に逆戻りだよ、全く」


 呆れた様に溜息を吐きながら、その男の人は軽く微笑みかけてくれた。


 多分、二〇代中盤くらい。サングラスを筆頭に、背広も、シャツも、ネクタイも、靴まで真っ黒で統一されたコーデ。
 その手に握っている自動拳銃も黒。銃身に刻まれた十字架の刻印だけが金色に加工されていて、かなり目立つ。


「お、おじさん、誰……?」
「おじっ…俺、まだ二五なんだけど……まぁ、JKから見りゃおじさんか……」


 ちょっと寂しそうに、おじさんが肩を落とす。
 それでも、私を安心させるためか、優しい微笑みを崩さない。


「俺はアレだよ。いわゆる『エスケー』だ」
「えすけー……?」
「ん? 聞いた事無いの? ……あ、エスケーって略称は知らないのかな?」


 おじさんはゆっくりと、手の拳銃、その銃身に刻まれた十字架を指差した。


「『聖十字せいじゅうじ警察隊けいさつたい』。悪さをする魔物共を片っ端から撃ち抜いて片付ける。ちょっと乱暴な正義の味方だ」












 魔物。
 半世紀ほど前にその存在が明確に確認された、人智を越えた特殊生物であり、世界最悪の害性生物。
 その形態は実に様々で個体差が著しい。加えて、一定期以降から魔物の生態研究は遅々として進まなくなってしまったため、わかっている事は非常に少ない。
 だが、魔物について現時点で判明している『共通点』が大きく五つ存在する。


 一つ。魔物は、ほぼ全ての個体が、普通の装備の人間ではまともに太刀打ちできない屈強さを持っている。


 二つ。魔物は、人間の体を乗っ取り、悪意の限りを尽くす事を目的としている。一通り悪事を働くと、満足した様に消え失せていく。


 三つ。魔物は、塩、もしくは聖鉄パニタルと呼ばれる特殊鉱物に干渉されると、著しく弱体化する。


 四つ。魔物は、特殊な素質、いわゆる『第六感知性質シックスセンス』を持つ人間にしか干渉できない。


 五つ。魔物は、夕暮れから完全に日が落ちるまでの時間帯に活動がピークに達する。素質を持つ人間が相手でも、魔物側から干渉行動を行えるのは、ほぼこの時間帯のみである。


 そんな魔物に対抗し、魔物に狙われる人々や、魔物に操られる者によって被害を被るかも知れない人々の身の安全と心の平和を守るため、設立された国営組織。
 それが『聖十字警察隊』。十字架を背負った正義の組織。通称エスケーである。


 言わば正義の味方の様なお仕事だが……魔物が見えない人々からすれば「何故か国に活動を公認されている武装派オカルト団体」でしか無く、その認知度と理解度には未だやや問題がある。
 一部事務職を除き、魔物が見える者しか所属できないと言う制限があり、それ故の門戸の狭さも世間様への印象の悪さに拍車をかけているのだろう。


 それでも、今の世の中には必要なお仕事だ。






黒志摩くろしまくん。本気かね」


 聖十字警察隊、甲間こうま町本署。最上階に設置されたとある大部屋。
 見ただけで上質なそれとわかる赤い絨毯を敷き詰められ、国旗を始めとした旗が並ぶ。壁を埋めるガラスケースの中には、無数の表彰状やトロフィー群。


 明白に偉い人の部屋っぽい雰囲気。
 その内装が醸し出す雰囲気通り、ここは甲間町本署で一番偉い人の部屋…署長執務室である。


「どうしても、ノンキャリア採用を希望すると? 聖務学校アカデミア在学中に『特別選抜討魔員資格トクセン』を取得する程に優秀な君が……」


 上質なワインレッドのデスクに座り、やれやれと言わんばかりに提出された嘆願書を摘み上げたのは、スーツでビシッと決めた初老の男性。
 この執務室の主、甲間町本署の署長だ。


「はい。だからこそです」


 呆れ気味の署長の言葉に応えたのは、平坦だがどこか芯のある、静かな強かさを感じさせる女性の声。


 声の主の名は、黒志摩くろしま 左弥さや
 黒いフレームの眼鏡の奥。鋭い眼光と微動だにしない表情筋で気丈な雰囲気を思わせつつも、決して女性らしさを損なってはいないキリッとした顔立ち。いわゆるクールビューティ系。
 後方で束ねられた長髪は、単純な黒と言うより黒い真珠の様な色合いをしている。
 レディーススーツを始め、その身に纏う衣類は全て黒一色で統一され、非常にシンプルでありながら、どこか上品さが漂う。実にシックな仕上がりだ。


 黒志摩はエスケー捜査官養成機関を主席で卒業し、採用会議にて満場一致でキャリア組としての採用が決まる程、優秀な人材だ。
 しかし、彼女はその議決に対し、まさかの不服を訴える書状を作成。現在、その書状を手に署長に直談判に来ている。


「キャリア採用では、私が聖務捜査官になる意義が損なわれてしまいますので」
「意義?」
「私は、現場で魔物と戦うために、聖務学校アカデミアで訓練課程に励み、特別選抜とくべつせんばつ討魔員とうまいん資格を取得するに至りました。だのにキャリア組として直接戦闘に参加しないとなっては、本末転倒も良い所です」


 エスケーに置ける『キャリア』組とは、いわゆる管理職志望者だ。
 大規模な捜査指揮などで現場へ出向く事はあっても、自らが魔物との戦闘に臨む事はほとんど無い。


「あー……君も『あの男』と同じタイプか」
「……あの男とは?」
「もう、一〇年くらい前になるかな。君と同じく、在学中にトクセンを取得する異例と言える程に優秀な捜査官候補生が、これまた君と全く同じ理由で同じ事をしてね。まぁ、彼の場合はヘラヘラと軽薄そうに笑っていたが」


 署長は軽く笑いながら、ひらひらと嘆願書を揺らす。


「まさか、こんな事をする人間を二人も見る事になるとはね……長生きしていると実感させられるよ」
「……失礼ですが、その男性の名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「ああ、構わないよ。よく覚えているからね」


 キャリアの切符を自ら、それも何の躊躇いも無く破いて捨てる。
 そんな稀に見る愚かしさ…言い方を変えれば、眩しい程の若さを持った青年の名を、歳老いた者が忘れられるはずも無い。


黒斑くろむら 右之定みぎのじょう。確か、今は……そうそう。君がこの嘆願書で配属を志望している甲間町第三支署の所属で、階級は一等聖務巡査…いや、最近、聖務巡査長になったんだったか」
「……成程。そうですか」
「成程?」
「いえ、ありがとうございます」


 黒志摩は、その名前をつい最近、知った。


 聖務学校アカデミアの卒業資格を得た後、大手を振って甲間町で起きた魔物案件の資料を閲覧できる立場になり、ようやく知る事が出来た名前だ。


 黒斑右之定。
 五年前、とある公園の前で起きた魔物による女子高生襲撃事件を処理した捜査官。


 あの日、一人の少女の生命いのちを救い、そして、目標を与えた男。
 とてもとても簡単な事実に気付かせてくれた人。


「で、本当に良いんだね? 総本部に話を通せば、もう撤回はできないよ?」
「はい。目をかけていただいたにも関わらず、申し訳ありません」


 あんまり申し訳なさそうには聞こえない、社交辞令感バリバリの謝罪を述べ、黒志摩は続ける。


「今回のキャリア採用のお話を辞退させていただき、通常採用を希望します」


 黒志摩の表情に変化は無い。
 しかし、その声の芯の強さは少しだけ増していた。


 まるで、黒斑の話を聞いてますます決意が固くなったと言わんばかりに。



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