悪い魔法使い(姫)~身の程知らずのお姫様が、ダークヒーローを目指すとほざいています~

須方三城

R09,悪竜の王(もふもふ)

 朧月の淡い光が、夜闇と溶け合い妖しい夜を演出する。


 そんな静寂の世界で、その女は激しく動揺していた。


 この女は、いわゆる犯罪者だ。
 文字通りの前科百般、盗みに食い逃げ、軽犯罪と呼ばれるモノは大抵こなしている。
 小さな犯罪ばかりを飽きる事なく繰り返してきたその女に与えられた異名は、『小物女チープレディ』。
 重犯罪を犯す事なく『重要指名手配犯』となった稀有な人物である。


「な、なんの冗談よ……!?」


 女の背中が建物の外壁にぶつかる。袋小路に追い込まれた。


「冗談? 何の話だよ?」


 響き渡るその声は、聞く者全てに負の感情を押し付ける不可解な声。
 あらゆる生命体の天敵とされる『元』生物の声だ。


「1つ聞きたい。テメェは『アーリマン』を知ってるか?」
「あーりまん……?」
「その感じは知らねぇか。ならもう特に質問はねぇわ。終わりだ」
「くっ……」


 最後のあがきに、女は壁面をよじ登ろうとした。


「逃がさねぇよ」


 不快感を誘う不可解な声が、女のすぐ耳元で響いた。


「『悪夢を誘う囁きグリム・メル・ヒェン』から、逃げられると思うな」
「ひっ……」
「『悪党』には、覚めない『悪夢』を」












 ダフマの森。
 ナスタチウム王国にある、巨大森林地帯だ。
 昔から『死者の魂が還る場所』、『天国への入口がある場所』だと信仰されている、いわゆる聖地に近い場所であり、人が足を踏み入れる事はほとんど無い聖なる森。


 そんな森の奥深く。
 巨木の枝葉の天井により、ほとんど陽光が差し込まない薄暗いその場所には、小さな湖がある。


 湖のほとりに佇む、小さな影。
 全長約50センチ。一般的な新生児より少し大きいくらいの、黒竜のぬいぐるみ。
 頭部から後ろ首にかけて白銀の鬣があしらわれている。


 その黒竜のぬいぐるみは、ただのぬいぐるみでは無い。


「あー……全く収穫無し……全然カスりもしねぇなぁ」


 無機物であり、非生命体であるはずのぬいぐるみが、静かにつぶやいた。


 それも当然、このぬいぐるみには、亡霊が取り憑いているのだ。
 更に言えば、そんじゃそこらの亡霊とは訳が違う。
 3年前に世間を騒がせた悪竜の王・ドラングリムの亡霊だ。愛称はグリム。


 ちょっと前まではメカメカしいアンドロイドの器に取り憑いていたのだが、とある戦闘においてその器を破損してしまい……
 現在、実に可愛らしいドラゴンのぬいぐるみに取り憑いている。


 グリムはそのちんまりしたぬいぐるみハンドで草船を作っていた。
 以前のアンドロイドの器は戦闘用で指先に鋭い爪が付いていたためやり辛かった作業だが、このぬいぐるみだと指が短すぎて手こずる。
 それでも何とか、それなりの船を完成させた。


「……アーリマン、中々尻尾も掴めやしねぇ」


 完成の草船を満足気に眺めつつも、口から溢れるのは溜息。


 現在、グリムはアーリマンと呼ばれる連中を追っている。
 特に使命とかを帯びている訳では無く、単なるお節介精神の様なモノだ。


 どうやら悪どい事をするのが好きな連中らしいので、日課の悪党狩りの片手間に情報を集めているのだが……今の所、具体的な進展は無い。


 まぁそれは置いといて、やはり船を作った以上、水上に浮かべるべきだろう。
 グリムは静かに湖の水面を見据える。『奴』の気配は感じない。


「…………イケるか……?」


 グリムはそーっと水面に草船を着水させる。
 そして、草船に向かって優しく、吐息を吹きかけた。


 グリムの息に押され、草船がゆっくりと水面を進み始める。


 順調な航行、に思えたのも束の間。


 湖の底から急浮上してきた何かが起こした波に揉まれ、グリムの草船は沈没してしまった。


「あぁあぁぁあああぁっ!? まぁぁたテメェかクソ鯰ぅぅぅぅ!!」


 グリムの叫びを嘲笑するかの様に、大鯰は尾びれを翻し、水中へと消えた。


 実はあの大鯰、グリムが草船を浮かべるたび、それを狙って沈ませに来る。
 嫌がらせ……と言うより、悪戯的なノリだが、グリムとしては非常に腹立たしい。


「っの……! 今日と言う今日こそは許さねぇ!」


 もう許さない。
 その決意の元、グリムは己が誇る能力の1つを起動。
 それは圧倒的な『力』で、闇そのものを従え、武器化すると言う超能力。


 闇を束ねた漆黒の剣を生成し、水中へ消えた大鯰を狙って投擲。


 ドォッパァァァッンッ! と言う大きな破裂音と共に、高く水柱が上がる。


「どぉだクソ鯰! 俺様の力を思い知ったか!」


 たかだか鯰、竜の王の前には手も足も……


「ヴァハハハハ! やはり俺様は無てkぶぉふっ!?」


 高笑いするグリムの顔面を強襲したのは、水。


 水面に顔を出したあの大鯰が、鉄砲魚の如く口から水を噴射し、グリムに浴びせかけたのだ。


「………………」


 大鯰はゆっくりとした動きで水中へと帰る。


「…………うがぁぁぁっ! 上等だクソッタレがぁぁぁぁぁああぁぁぁ!!」
「こらっ! 何やってるんですか!」
「うおうっ」


 この周辺一帯を丸々吹き飛ばしかねない一撃を放とうとしたグリム。
 その小さな体を抱き上げたのは、1人の少女。
 地面に届きそうな程に長い、天然のウェーブがかかった金髪が特徴的な女の子だ。


 彼女はグラ。
 正式な名前は偉大なる精霊女王グラン・ティターニア
 この森で暮らす高位の精霊だ。
 見た目は小学生だが、実年齢は万年単位である。


「グラ! 放せ! 俺様は今、絶対鯰殺すマンだ!」
「グリム、何度も言ってるでしょ? あなたが全力を出すと森の皆が怯えちゃうんですよ。めっ!」


 グリムを抱きかかえながら、グラは視線で周囲の木々を指す。


 風も無いのに、草木がざわざわと大きく揺れ動いている。
 恐怖に身をよじり、どうにか逃れようとしている。そんな拒絶の意思を感じさせる。


「むぐ……」


 悪竜の王ドラングリム・ゼファスタンは、「全ての生命体に取っての天敵」だ。
 その存在そのものが、あらゆる生命から疎まれる。そういう存在。


 本来の肉体を失い、仮初の肉体に収まっている事で、グリムが持つ「全ての生命体に拒絶される要因」は押さえ込まれているが、彼が全力を出すとそれが表に出てしまう。


 グラと共にこの森で暮らすには、抑えていかなきゃいけないモノだ。


「大体、ただの鯰さん相手になんですか。絶対鯰殺すマンて。全く大人気ない。あなたは仮にも竜の王でしょう?」
「ただの鯰って……あのクソ鯰、絶対只者じゃねぇぞ?」


 あらゆる生物の心を大雑把に読めるグリムでも察知し損ねる潜伏術。
 そして銃弾の軽く数倍の速度で射出されたグリムの一撃を回避する身体能力。


 どう考えても、ただの鯰では無い。


「もう、言い訳する子はモフモフしながらスリスリの刑です」
「だぁぁ! またこれか! やめろ鬱陶しい!」


 グリムをギューッと抱きしめ、グラは頬ずりを開始。
 中々高級な素材を使用したぬいぐるみらしく、肌触りは抜群。
 何かに付けてグラはグリムをモフモフする。


 ちなみに、このぬいぐるみを用意したのはグラである。


「わかった! もう暴れねぇし言い訳もしねぇから! 放せ!」
「えー。あと5分延長で」
「テメェがモフりてぇだけかよ!」
「……駄目ですか?」


 不意に頬ずりが止まり、グラが寂し気にそんな事を言い出した。


「グリム、私にスリスリされるの嫌ですか?」
「ぅぐ……テメェ、いつもいつもそういう雰囲気出せば俺様が折れると思うなよ!? 放せ!」


 四肢に加えて小さな翼と尻尾をバタバタさせ、グリムがもがく。


「……………………」
「ええい! そういう雰囲気だしても無駄だっつってんだろうが!」
「……………………」
「無駄だからな! 毎度毎度同じ手が通じるとか思うなっつぅの! もう流石に騙されねぇからな!」
「……………………」
「っ~…………あー……もう好きにしろよ」
「はい!」


 と言う訳で頬ずりが再開される。


「……卑怯者が」
「何とでも言うが良いと言う奴です。私のお気に入りのぬいぐるみを貸してあげてるんですから、少しくらい融通してください」
「だから他の器よこせっつってんだろうが!」
「お気に入りのぬいぐるみが動いてるの見るのって、意外ととっても楽しいんですよ?」


 無邪気に微笑むグラ。


「……知るかよ……」


 はぁ、と深く溜息を吐き、グリムは全ての抵抗を放棄した。






 今まで、グリムは無敵だった。
 どんな奴だって、その力で制圧してきた。


 そんな彼だからこそ、力で制圧できない相手への対抗策は、持ち合わせていない。


 今日も1日、グラと大鯰に弄ばれるグリムであった。





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