河童転生~武士道とは河童になろうとも進み続ける事とみつけたり~
伍:蛇悪なる者
「……どうした? 何か気になるのかい?」
仄暗さと湿気に満ちた洞窟の中。
不意に蠢き始めた巨大な影に、その男は疑問を投げかけた。
「いやなに、数日前から妙に山が騒がしいと思っていたのだが、昨日より顕著でな……じゃははッ……イキの良い小虫が数匹、快活に這いずり回っている様だ」
巨大な影が、地響きを伴う声で応える。
「そろそろ、身体を動かしたくなったのか」
「ああ。それにだ、貴様らとて己が率いる軍勢……【殺魔衆】だったか? それに我を加える前に、再起したこの武威、見ておきたいとは思わぬか?」
「一理ある」
「じゃはははは! 話が早くて好い! ますます気に入ったぞ、シマヅよ!」
「だがしかし、病み上がりの身と言えど私を失望させてくれるなよ。此処は頓狂な大陸の、しかも片田舎の軟弱な山なんだ。分け入る者など程度が知れる。その程度の輩に躓かされる様であれば、君のために費やした時間は無駄だったとしか言えない。……もう、手塩に掛けた者に失望させられるのは懲り懲りなんだ」
「じゃはッ。貴様がよく話す件の弟子の事か? 安心しろ。貴様に望まれずとも、我は元より【修羅界】を志す魔羅の業よ」
「修羅界……血と争いの絶え果てぬ世界か。まさしく私の望む所だね」
暗がりの中でもはっきりとわかる程、男は口元を歪めて、笑った。
「その実現のためにも、先ずは我ら殺魔が、この龍柩の地を統べる」
男は笑いながら、腰の当たりから何かを引き抜いた。
刀だ。血が染み込んでしまった様な、赤黒く照り輝く不気味な刃。
この刃で光をも斬り裂いてみせようと言う意思表示なのか、男はその鋒を洞窟の入口の方、僅かに差し込む陽の光へと振りかざした。
「期待しているよ。我が修羅の軍勢、その新鋭。【最五害獣】とやらに匹敵するやもと言わしめたらしいその武威……私に見せておくれ」
◆
翁呑山に入って、一夜が明けた朝。
ロウラの拠点である小屋にて、ロウラ手製の味噌(にとても味が近い木の実を干し砕いた粉末を溶いた)汁に干し肉を浸した物を朝餉代わりに啜る。
「昨日は結局、成果無しに終わったな」
「まァな。俺だってもォ何日も探してんだ。数が増えたからって急に見つかるたァ思ってねェよ」
「しかしこの山……遠目に見ていただけでも相当だと思っていましたが、本当に広大ですね……」
「町が丸々二つ三つは入る規模でござるニンからねぇ……」
「なになに、途方にくれるでない! 今日からは妾も捜索に加わる故な! 更に数が一増えるのだ! しかも妾は鼻が利き探し物は得意ときた! とあれば、すぐに見つからぬ道理がないじゃろ…」
「貴様は拙者と一緒に来い」
最低限護身の術があるマルやドラクリアならともかく、この阿呆を単独で野に放つ訳にはいかん。
「何故!? 昨日の探索では特に害獣には出会さなかったのであろう!? なら妾だけでも大丈夫では!?」
「貴様には『本来出るはずのない場所や時間帯に害獣と遭遇する』と言う前科が無数にあるだろうが」
「ぬ……それは確かに」
最初は冗談の類かと思っていたが……昨日だけで二度だ。朝は泥咽猛闇、昼は有象無象。そして満腹で伏したこいつを置いて山を彷徨いてみれば、野ねずみか野鳥にしか出会さずに済むときた。
今にして思えば、辺鄙な場所にあるらしい明峰村に都の連中が訪れたのもこいつのせいではないか? と疑って良い程である。
「と言う訳で、貴様は拙者……いや、拙者でなくとも良い、とにかく他の誰かと行動を共にしろ。こんな所で死にたくなければな」
「ぅ、うむ。……承知したのじゃ」
ロウラのために何か力になりたかったのだろう。ヒメは耳を伏せてしゅんとした。
「ぎゃははは! なァにしおらしくなってんだよ! 他所事だろうにそう意気込んで探してくれてるだけでもこっちァ嬉しい限りだっつゥの!!」
「ぬ、そうか? ならば良いのじゃが……」
内心察すれば一刻も早く遺骨を見つけたい所だろうに、ほとほと、粗暴な風体や態度に見合わず気遣いのできる娘だ。
おそらく、生き方の規範とする者が……育ての親が良かった証であろう。
ロウラのためにも、そしてその素晴らしき御両名のためにも、必ずや骨を見付けてやらねばなるまい。
◆
ヒメを引き連れ、野山を踏み分ける。
今の所は、特に害獣らとは遭遇せずに済んでいるが……
「やれやれ、にしても冷静に考えてみると中々に難儀な話じゃな。こんな大山の中から骨を探すなど……独りで数日もそんな挑戦をしていたとは、ロウラは腕っ節だけでなく心も強ぃわぶひゃッ」
「地面は木の根で塗れているのだ。きちんと足元にも気を配れ。転ぶぞ」
「ああ、既にすってんころりん華麗に決めたわ!! もっと早く言って欲しかったのじゃが!?」
「すまん、今貴様がすっ転げたのを見て、言うのを忘れていたと思い出した」
と言うか、山道や森を歩く上では言うまでも無い当然の話だ。
やれやれ……髪にまで泥や葉を付けて……どんだけ派手にすっ転んでいるのだ貴様は……どれ、払い落とすのを手伝ってやろう。本当、手間のかかる頭目だな。姫とは方向性が違うが、手間は似た様なものだ。小娘とは例外無く御転婆な者か。
「……む?」
呆れ果てながらヒメの髪を整えていると、不意に、気配を感じた。
……やはり出たか。
「全く……にわかには信じ難いが、ここまでくれば貴様の体質と言うのは本物と断じて良さそうだな」
「ほぇ? って、あッ!」
……ふむ、一匹か。
あれは、昨日ロウラが蹴り倒した大猪と同種の者だな。ヒメくらいならば一口でぺろりと飲み込んでしまいそうな大きさだ。
確か、ドラクリア曰く【破猪行】と言う種族の害獣。本来ならば夜行の者。
ちなみに、辛哩苺汁に使われていた肉は主にこれの物だった。
「……ぼぁああ……」
大猪は拙者らを見据えて、口を開き唾液をこぼし始めた。
空腹たまらん、と言った様子だな。まぁ、夜行の者が昼に動く動機なんぞそれくらいか。
「お、ぉおう……本当に出てくるとは……わ、妾もしかして誰ぞに呪われておるのか……?」
「ふん、誰ぞから恨みを買えるほど、器用な者か? 貴様が」
似合わん心配をしている暇があるなら下がっていろ。
――さて、では、神日刀の試し斬りといこうか。
口上は、既に考えてある。こいつの刃を見た時にぴんと来た奴をな。
さぁ、河童の膂力を以て、神日刀・裂羅風刃を、抜く。
「神日の払暁はこれ夢幻泡沫の如く。……抜刀、裂羅風刃」
この神の世の日と同色とされる刃の輝きを目の当たりにすれば、神などと言う泡沫の如き夢幻の産物すら信じても良いと思える。
そこに、拙者の剣技も乗せて、お届けしよう。
「おお、それが噂の神日刀! 陽光に透ける桜の花弁の如く……誠に美麗な刃よな!」
……ああ、そうか。貴様もこの薄桜色の刃を美麗だと褒めるか。
特に意味の無い合致だが、なんとなく血が滾るではないか。
「ぼぁあああああ!!」
獣風情には、この刃の素晴らしさと裏腹に内包する武威がわからないと見える。
まさしく猪突、大猪は何も考えていないと言う風で真っ直ぐこちらに突っ込んできた。
技を使うまでも無し。
ただ、刀を振るう。大猪の剛毛に、刃を当てる。
まるで綿を斬る様な軽い感触で、薄桜色の刃は大猪の毛皮を穿ち、肉を裂く。
我ながら驚く程に呆気無く、大猪を横一閃に両断する事ができた。
「――うむ。重畳」
軽く振って、刃に着いた血糊を払う。
良い刃は血のはけも良い。一瞬で新品同然の刃に戻った。
初めて見た時から確信に近いものを感じていたが、一太刀試して完全な確信に変わった。これは重宝する逸品である。
「おっほぉー……武者は武器をひとつ変えるだけで見違えると聞くが……輪をかけて強くなったな!!」
まぁ、武器が全てと言う訳ではないが――当然、小枝を振り回すより刀を振り回す方が強いに決まっている。
今ならば、斬れる物など無いと言う気勢すら――
「……ッ、何だ……!?」
「む? どうかしたのか?」
呑気に大猪の死骸の牙をぽんぽんしている場合か。
この気配、今の大猪とは比べ物にならぬ何か、得体の知れないモノが、来――
「じゃぁあああッははははははははははははははははははははははは!!」
笑い声の様な咆哮。信じ難い事に、その咆哮のせいで大地が、山が揺れている。
咆哮の主は、山の奥底の彼方から、あっと言う間に姿を現した。
と言うよりも、大き過ぎて、かなり遠くにいる現状でも姿を視認できた。
「なッ――」
泥を刷り込んだ様な黒寄りの灰色をした無数の鱗。それにびっしりと覆われた長大な影が、うねりながら木々を薙ぎ倒し、こちらへ向かってくる。
あれは――
「へ、蛇じゃ!? 妾、蛇は結構苦手……と言うか、何だかすごくデカくないか!?」
そう、蛇だ。冗談みたいに巨大な蛇だ。
まだまだ遠くだと言うのに、こうも大きく見えると言う事は……おそらく、拙者が一〇名束になっても一口に含まれてしまう規模の大蛇だ。
そんな馬鹿な。
化生者にしても、巨大過ぎるだろう……!?
あんなのが蜷局でも巻こうものなら小高い丘になるぞ……!?
「完全にこちらを狙っているな……!」
まったく、ほとほと貴様の体質は……!!
あんなものまで引き寄せると言うのか!? 限度と言うものを知れ!
……さて、どうする。
あの巨体、致命傷を与えるには苦心しそうだが……幸い、頭から突っ込んできてくれている。脳髄を斬られて無事で済む生き物はいまい。
とすれば、斬るのみ。
裂羅風刃を構え、こちらからも走り、突っ込む。
「じゃっはっはっはっはっは!!」
いちいち腹の底を揺すられる豪快な鳴き声よ。すぐに鳴けない様にしてやる。
「疾風逸川、川形瞬斬ッ!!」
真っ直ぐこちらへと突っ込んで来る巨大蛇の頭に斬りかかり、放つは瞬間三閃を叩き込む剣技。
我が薄桜色の刃が三度、その泥色の鱗ごと頭蓋を斬り裂いて脳漿と血飛沫を散らす――――はずだった。
「――は?」
一閃目で、拙者の斬撃は止まってしまった。
大きな火花が散り、鉄と鉄が激しく擦れ合う音が鳴った。
――そう、裂羅風刃の刃が、拙者の斬撃が、巨大蛇の鱗に受け止められた。
今なら何でも斬れそうだと意気込んだ矢先、こんな事があるか。
「じゃっはァ……頓狂な面をするでない。笑えるぞ」
「何……!?」
今、言葉を喋……ッぬぅお……!
巨大蛇が頭を振るったせいで、吹っ飛ばされた。
後方へと流されながらも咄嗟に体勢を立て直す。
裂羅風刃の刃に毀れは無い。相当堅い鱗ではあったが、強度では負けていない様だ。
……いや、今はそれよりも……
「貴様、言葉を吐けるのか……!?」
「じゃはは!! この我を無知な獣共と一緒くたにしたのか? 道理で生命知らずに飛び込んでくる訳よなぁ!!」
えぇい、身体がデカいからか、声もいちいち耳が痛くなる程にデカい蛇だ。
「しかしまぁ、今の一撃、それなりに激烈なものを感じたぞ緑色の小虫よぉう! 思っていたより、楽しい狩りになりそうではないかぁ!!」
耳を塞ぎたくなる様な大声でそう言ったかと思えば、巨大蛇は唐突にその長大な身体を捻り始め……ッ、まさか――
「不味いッ、ヒメッ!!」
ふざけた事を考えてくれる蛇畜生が……!! 間に合えッ!!
「ぶち喰らうが良い。【威折无癌屠】ォ!! じゃあはははははははは!!」
拙者がどうにかヒメを抱きかかえたのとほぼ同時。
巨大蛇が、その巨体を薙ぎ振るった。
◆
「――ム、ゴッパム!! 大丈夫か!? おい!?」
ッ、は……なんぞ、胸元でもぞもぞと……やかましい……あぁ、ヒメか。
そう言えば、あの巨大蛇が身体をブン回そうとする予備動作を見て、咄嗟にヒメを抱きかかえたんだったか……
「……無事か……?」
「うむ! 吹っ飛ばされている間、おぬしががっちりと庇っていてくれたおかげでな!! ありがとうな!! じゃが、おぬしの方こそ大丈夫か!?」
「あぁ……まぁな……!!」
打ち所が悪かったのか、一瞬意識は飛んだが、痛みは大して無い。
打撲や裂傷は無数にあるだろうが、骨や臓器は無事だ。ならば大丈夫だろう。
どうにも、かなり吹き飛ばされた様だな……長々と地に摩られたらしい背中が非常に熱い。
咄嗟だったが、直撃は避けたはずなんだがな……まったく、ふざけた蛇畜生だ……ただ身体を捻って周囲を薙ぎ払うだけでこの威力か……!
身体が大きいと言うのはそれだけで武器だ。
ただの体当たりひとつが、こうして必殺の技に成り得るのだからな……!
「じゃはははは。おう、やはり生きていたな」
ッ……出たな、不愉快な巨大蛇め……!
さっさと立ち上がり、ヒメを下ろして刀を構える。
「大したものだと我が褒めてやろう。並の手合いであれば今の一撃は掠っただけで挽肉どころか血肉の汁。五体満足かつまだ立ち上がれると言う事は、未来永劫語り継ぐに値する武勇であるぞ」
「……随分と、上からほざいてくれるな……!」
「お、おい、ゴッパム……? 普通に刃を構えておるが、か、勝てるのか……!?」
「無論だ」
見栄ではない、勝ち筋は見えている。
一度斬った感触、奴の鱗は確かに常軌を逸して頑強ではあるが、打つ手がある。
……ただ、致命的な問題もあるがな。ここからは、その問題を解消する術を模索しながら立ち回るしかない。
さて、ヒメを守りつつ、どう攻めたものか……と考えていると、
「ルァアアアアッ!!」
黄金の雷光。
金綺羅の甲掛を纏った金毛の少女――ロウラだ。
ロウラが、その足に雷電を纏わせながら巨大蛇の側頭へと飛び込んだ。
「死ねやァ、【悪刈落鋭】ィ!!」
雷電を纏った足で放つ、全力の踵落とし。
雷撃が爆ぜる音と共に、豪快な打撃音が山中に響き渡る。
……だが……
「んなッ……全ッ然キいてねェ!?」
ロウラの一撃を以てしても、巨大蛇の鱗には凹みどころか、焦げのひとつも無し。
「ロウラか!? 良い時に駆けつけてくれたのじゃ!!」
「おう! 馬鹿デケェ声と破壊音が聞こえたんでなァ!! で、ァんだよこのデカブツはよォ!? 俺の技が全然キいてねェぞ!?」
「ふん、小虫がもう一匹。中々どうして、貴様も威勢が良いではな…い、か……」
不意に、巨大蛇がその目を剥いた。
……? 何だ、何故、そんなにも驚いた風でロウラを凝視している……?
「貴様……その見てくれは……じゃは、じゃははははは! そうか、何の因果かと思えば!! 貴様さては、あの夫婦の子か!? その獣の耳に金の毛、そして先程の雷電!! そうに違いまい!!」
――!
「……テメェ、今、なんつった……? あの夫婦、だァ? まさか、俺の親父と母ちゃんの事を知ってんのか!?」
「それは勿論。我は悪辣なれど強き者には敬意を示す。この我と相討ったあの二匹を、決して忘れはしまいて」
常軌を逸した巨体を持つ蛇の化生……まさか、こいつは……
いや、だがしかし、いるはずがない。現れるはずがない。話通りならば、そいつはもう、死んでいなければおかしいのだから。
「奴らの子であれば、名乗ろう。我は遠呂智の朱天堂士。かつてこの翁呑山に君臨し、此度はこの大陸を蹂躙すべく蘇った。修羅の化生である」
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