うにゃまる伝
うにゃまる伝
――斃家には逆らうな。
斃庵と呼ばれるこの時代、これは生きるための常識だ。
例え斃家の執政が貴族階級優先で、民草をないがしろにするものであっても、決して一揆など企ててはいけない。
無駄なのだ、逆らう事は。
人の分際では、人ならざる者には決して勝てないのだから。
「これは斃家への反逆である」
違う――そう否定する事は、無駄。
斃家武者の言葉を否定する事は、斃家への反逆になるからだ。
茶屋娘は己の不幸を呪った。
だから嫌だったのだ、斃家武者を接客するなど。特に不機嫌そうな斃家武者は最悪。雑に民を見繕って、雑な因縁を付けて、雑に殺して、気を晴らそうとするに決まっている。
そうやって、何人も殺されるのを見た。
今回は、ついに自分の番。
往来を行く人々は遠巻きに哀れみの視線を送るだけ。店の主は奥へと引っ込んでしまった。誰も助けてなどくれない。
ああ、呪わしい。こんな時代に、こんな国に、こんな身分で生まれてしまった事が呪わしい。
「遺言くらいは聞こう。ただし、笑えるものだ。笑えなければ予定の三倍は苦しめて殺す」
斃家武者が立ち上がった。冗談かと思えるような巨体だ。熊とまともに組み合い、ねじ伏せる事も可能だろう体格。
その巨体を、八枚羽の鳳蝶紋――【斃家紋】を刻んだ黒い甲冑に包んでいるのだから、威圧感は強大。
敵意を以て見下ろされるだけで、もう茶屋娘は立っていられない。
「……何も言えんのか、命乞いすらもできんとは……やはり、つまらん娘だな。決めた。一〇倍は苦しめてやろう」
コォォオオオオ……と、奇妙な音がし始めた。
斃家武者の呼吸音だ。ただの呼吸音ではない。ある武術を使用する前兆とも言える呼吸音だ。
――【斃道】。
斃家武者が使う異能武術ッ!
大陸より伝来したとされ、この国においては斃家が独占する力ッ!
そして、斃家を人外的支配者として君臨させる象徴ッ!
だが斃家は言う。「斃家が人外なのではない、斃家だけが真に人なのだ」と!
そんな不遜すらも許させる絶対的武力――否、暴力こそが斃道なのだッ!
「斃家式武窮――【死殴満錬筋】!」
斃家武者の右腕の鎧が、爆ぜ散る!
内側にあった斃家武者の右腕の肉が、爆発的速度で肥大化したためだッ!
恐ろしい勢いで弾け飛んだ鎧の破片が砲弾となって、周辺の建物を破壊していく!
だが破壊された建物の主は何も文句を言わないだろう……「あの巨大で歪な、赤褐色に変貌した巨腕をこちらに振り向けられてはたまらない」と考え、泣き寝入りするからだ……!
ああ、それにしても、なんたる恐怖……なんたる異形!
異能武術と呼ばれるだけはある! 人外だと揶揄されて当然の姿!
斃家武者は皆、このような異能を使いこなすのだ! 人が斃家に逆らって、どうなると言うのか……単純明快、殺されるだけだ!
だが始末の悪い事に「逆らいさえしなければ殺されない」と言う話でもない!
現に今、斃家武者の異形巨腕の獲物と定められた茶屋娘は、何も悪い事なんてしていない!
茶屋娘は、無礼が無いように、ひたすら丁寧に、ひたすら無難に接客をした。
しかし斃家武者は唐突に言った、「お前の接客は笑い所が無い」と。
そして茶屋娘は「どう言う事でしょうか……?」と聞き返した。
斃家武者はそれを待っていたと言わんばかりに大声を張り上げた、「この斃家武者である我に、説明を命令するのか! お前は一体何たる者かッ!」とッ!
そこからはもうお決まりの文言。
斃家への敬いが足りぬ。斃家への忠誠が足りぬ。それ即ち――斃家への反逆である。
理不尽……理不尽理不尽理不尽ッ!
だが、この斃庵の時代においては理ッ!
悪いのは、斃家に生まれなかったこの茶屋娘……!
そんなふざけた理屈が、まかり通ってしまう、今まさにッ!
「さぁ、一〇発は殴るぞ。耐えねば殺す。一〇発、耐えてから死ね」
もう駄目だ、おしまいだ。
茶屋娘も、見守っていた誰もが、そう思った。これから始まる悲惨な一部始終を見たくないと、堅く瞼を閉ざす者も多数いた。
「――やれやれ。斃家の馬鹿が吐く暴論は、聞き飽きたな」
響いたのは、男女の区別も付けられないほどに幼い、言うならば声変わり前の子供のような声。
瞬間、場の空気が、凍った。沈黙が耳に痛い。
瞼を閉ざした者達も思わず目をかっ開き、その声の出処へと首を向ける。
その声の主は、道を挟んだ向かいの甘味処の奥の席で、二人の連れと共に串に刺さった色取り取りの団子をモリモリと食している所だった。
一言で言えば――声色通りの小娘ッ!
両手に串団子を持って旺盛な食欲を隠す素振りが微塵も無い小娘!
少々目付きが鋭く、割と上等な袴姿で総髪の頭であるため、女顔の若武士にも見えなくはないが……体格の小柄さと声色のあどけなさからして、女子と見て間違い無し!
「……へ……斃家の、馬鹿、だと……?」
信じ難い、余りにも信じ難い、小娘のその言葉。
不当に尊大な振る舞いをしていた斃家武者も、これにはきょとんッ!
「ん? 聞こえなかったか? 拙者、声の通りには自信があるのだがな?」
小娘もまたきょとんとした様子で串団子を口へと運ぶッ! 食欲の権化。
「うにゃまう、ちがう。たぶん、『まじで言ってんのそえ?』みたいな、やつ」
と、ここで口をはさんだのは、小娘に対面する形で座っていたこれまた小娘!
ただしただの小娘に非ず。なんと、その髪色は山吹色――金綺羅と言っても良い! 瞳は黒いが、まるで星空! 闇の中に無数の輝きが散った不思議な瞳色!
何より……耳が……耳が鏃の如く尖っているではないかッ!
服装も、植物の蔦を使って獣皮を仕立てた前時代的着物! 自然と露出が多いのがけしからん!
なんとも奇天烈珍妙な娘! 化生の類とすら思える外見! おそらくは南蛮あたりの者なのだろうか。
国外の者ならば、その舌足らずめいて拙い発音も納得だ!
「ああ、だろうなァ。ここいらは斃分家の膝下だ。斃家の連中に物申す奴なんている訳ねェ。となりゃあ、斃家に馬鹿だクソだ死ねだ言う奴は正気を疑われるだろォよ」
更に口を挟んだのは、奇天烈な国外娘の隣に座していた――超絶大男ッ!
何と言う事だろう、人外めいて巨体だと思っていた斃家武者よりも二回り……いや、三回りは大きい……袈裟姿からして僧侶――背に無数の武器を放り込んだ籠を背負っているのを見るに、僧兵か。
裾から覗く巨大僧兵の両足は鋼色に光っている……絡繰りの義足だ。少なくとも脛から下は両義足のようだ。
「む、拙者はそこまで言っていないぞ、弁堅」
「おォ、そいつは悪ィ。でもぶっちゃけ思ってんだろォ? 丑若様よォ」
「うむ。ぶっちゃけ至極」
「っていうか、うにゃまう、たべすぎ。ふとったあ、もったいない。かわいいのに」
「ヨイチ? 拙者は武士だからな? 何度も言ってると思うんだがな? かわいいはやめような?」
「カカカカカッ! ヨイチはまだわかってねェなァ。女子ってのはちっとは丸っこい方が愛嬌ってもんだぜェ? 脂肪がたんまり付いてる乳房は最高だしなァ。あー揉みてー」
「おいこら僧侶。と言うか、誰が女子だ? あ? 今ここで御形大橋の続きやるか?」
「カッ! 悪くねェ提案だなァ。前の町で義足の強度も上げた事だしよォ。テメェで試運転ができりゃあ最高だ」
「あ、だんご、なくなった。おかわい、おかわいたのもう」
和気あいあい。そんな様子で三人は三人の世界。
異形の右腕を振り上げたまま停止している斃家武者を筆頭に、呆然とする観衆を気にかける様子も無い。
「ふむ、おかわり大いに賛成だが……その前に、一仕事しておくか」
よっこらせ、と、若武士風の小娘が立ち上がる。
そして、てくてくと斃家武者の方へ。
「さて、斃家の馬鹿野郎。拙者の前で乱暴狼藉とは良い度胸だな。覚悟は良いか?」
本当にこれは空耳か幻聴ではないのか。
斃家武者はもう大きく開いた口も目も塞がらない。
有り得ない、有り得る訳が無い。
こんな、ちんまい小娘が、こんな、こんな……!
「お前、斃家を――斃家を何だと思っているんだぁぁぁーー!?」
「クソの集まりだ」
断言。あまりにも断言。
もはや、現実かどうかを考慮する事すら馬鹿らしい。
例え白昼夢の幻影だとしても、こんな小娘の存在は許されない。
「逆に笑えたぞ、小娘ぇあああああああああああああああッ!」
斃家武者、咆哮的怒号! 応じて放たれる、異形なほどに巨大な右拳ッ!
ひとたまりもない。何せ、その拳は小娘三人分の大きさもある。
それが見た目通りの筋肉量で拳撃として放たれれば……その威力は砲撃だと例えても不足する。大地に向けて放てば地形が変わる、そんな天災のような一撃なのだッ!
――だのにッ!
「――は?」
「所詮は、異能武術よな」
斃家武者の天災的巨拳が、止まった。
小娘に、受け止められたッ――!
「ば、馬鹿なぁぁぁーーッ!?」
「馬鹿は貴様ら斃家だと言っているだろうが」
理解不能にもほどがある。
斃家武者の巨腕と比較すれば小枝……いや、蜘蛛の糸にすら見えてしまう小娘の細腕が二本交差して、斃家武者の拳をがっちりと受け止めている!
斃家武者がぷるぷると震えながら前傾姿勢になっても、拳は一切動かない。
小娘が粉々に吹き飛び消えるどころか……その小さな踵は、一寸足りとも後退しない!
「小娘だと侮ったか……頓痴気で無礼、そしてやはり馬鹿……いや、大馬鹿よ」
小娘が、耳元まで口角を裂き上げて、不敵に笑った。
「拙者は湊戸丑若丸。湊戸家の次男にして、貴様ら斃家を滅ぼす男だ!」
「湊戸……だと……!? と言うか、次男!? 馬鹿な! どう見ても女だろう、お前!」
「馬鹿な人外は知らないか? 人は見た目で判断するべきではない。拙者はそう言う奇病なのだ」
「き、奇病……?」
「男枯病。男だが女体で生まれてしまう奇病だ。この奇病のせいか、いくら歳を重ねても背は伸びんし、いくら鍛えても肉が膨らまん。膨らまんだけで、密度は高まっているようだがな」
「……………………」
……いや、それ、あれじゃね? 第二子を長男の予備――つまりは後継の予備としておくために、奇病をでっちあげて長女ではなく次男として育てただけじゃね?
体が成長しない・筋肉が膨らまないのは、ただただ単純にそう言う体質と言うだけでは?
と、斃家武者は疑いのじっとりとした視線を向けるが……今はそれどころではないとすぐに思い直す。
「……湊戸……! ふはは……先の反逆戦争を引き起こし、当然の如く斃家に征伐された愚かしい落ち目武家か! 次男と言う事は、落ち延びて再起を図っているだろうと噂に聞く【夜朝の弟】ッ! 兄の、一族の仇討ちでもするつもりか!? 愚か、非常に愚か! 素直に笑えてしまうぞ、大マヌケが!」
「仇討ち……か。まぁ、その側面がある事も、否定はしない。だが覚えておけ、斃家のクソ」
「ッ!?」
じりじり、じりじりじりじりと、斃家武者の踵が、土を抉って後退し始めた。
丑若丸が前進し、その圧倒的膂力に押し込まれているのだッ!
「拙者が貴様らを滅ぼすのは――貴様らの悪政から、民草を解放するためだァァァッ!」
「ぇ、ちょッ――」
次の瞬間、斃家武者の異形巨腕が、跳ね返った。指先から肩に至るまで、腕中の骨がバッキバキに砕け散って、腕としての形を失いながら、紅い血肉と白い骨片を辺りに撒き散らす。
――丑若丸が全力で両腕を振るい、斃家武者の右拳を、薙ぎ払ったのだ。
ただそれだけで、異形の巨腕は、めちゃくちゃに粉砕されたッ!
「ぱ、ぱぼぎゃあああああああッ!? 我の、我の腕がぁぁぁあああああ!?」
「大体からして頭がおかしいだろう、貴様ら! 武士のなんたるかをまるでわかっていない! 良いか、教えてやる……兄様からの素晴らしい受け売りをなぁ!」
「ぐぇあ!?」
ぐしゃぐしゃに砕けた右腕をかばって喚く斃家武者の膝に、丑若丸が肘打ちを叩き込む。
するとボギャッ、と言うやや湿った鈍い音が通り中に響き渡った。
斃家武者は声もなく、その場に崩れる。
「武士とは……政・国を担う者の責務とは! 民草の規範であり、憧憬の的であり、何より、守護者である事だ!」
声色は幼い。しかし、その堂々たる口調と語気で紡がれる声はよく通る。
丑若丸の言葉が、観衆の耳を太く貫いていく。
「平時は優雅に茶を嗜み、気高く尊大に振る舞い、威厳を示す。だがしかして! 有事には民草のために泥を啜りながらでも、戦い、護る! それが武士だ! 平時に見せつけた威厳を以て、有事には民草に安心感を与える! 『ああ御武士様が護ってくださるならば大丈夫だ、もう安堵しかなァいッ! ヤッターッ!』と言ってもらえる! そんな民草の絶対的拠り所こそが、武士なのだ! それを貴様らは……! 民を無闇矢鱈とないがしろにする貴様らのやり方――論外も甚だしいッ! 仇討ちがどうの以前の問題だ! 人の上からその醜怪な尻を退けろ、人外の害悪共めがッ!」
「ぎ、ぅ、す、好き放題に、言わせて、おけばぁぁぁぁぁああああああ!」
「!」
斃家武者の鎧が、全て弾け飛ぶ。まるで全方位への散弾だ。
どうやら、右腕を異形化する斃道を暴走させ、異形化を全身に広げたらしい。
攻撃として放ったつもりはないだろうが……その鎧片の散弾は、看過できない!
「――ヨイチ! 弁堅!」
◆
丑若丸が名を呼んだのは、二人の連れ。
既に二人は待機していた。
丑若丸が斃家武者に喧嘩をふっかけた。どんな規模の戦いになるかは不明。
丑若丸がまず負ける事は無いだろうから、戦闘の補助は不要と考えて、戦闘の余波が周囲に――護るべき民草に害を及ぼさないように備えるのが一番。
「まーかせて!」
いつの間にか甘味処の屋根の上にて膝をついて準備していた金綺羅髪の珍奇小娘――名はナシェノ・ヨーチェ。
異なる国――どころか、異なる世界より来訪したと語る、【だーくえるふ】と呼ばれる部族の者。
元の世界では「魔法」と呼ばれていた巫の力で、光の弓矢を生み出す事ができる特技を持つ!
しかも、その弓術の技量は天下無類級ときたッ!
――しかし一体何故、異なる世界の優れた弓使いがこんな所にいるのか……それには当然、深い事情があるッ!
本来、【だーくえるふ】とは闇に溶けるような黒髪に褐色肌を持つらしいが、ヨーチェはご覧の金綺羅白肌。
まだ形質が異端なだけならば良かったが、最悪の偶然。彼女の形質はよりにもよって【だーくえるふ】の天敵である【えるふ】のそれに瓜二つッ!
それを理由に呪い子とされたヨーチェは、筆舌を躊躇うような苛烈な扱いを受けたッ!
舌足らずなのも、その当時の虐待により、まさしく舌を足らなくされたためッ……! 悲惨にして陰惨……!
――だが、ヨーチェの精神性は常軌を逸して逞しかったッ!
自らを虐げる故郷を「ここ嫌いだわーないわー」くらいの軽い感覚で抜け出し、捨てた!
それから世界すらも移り、自らが心地好いと感じられる居場所を追い求めたのである!
そして辿り着いたこの地にて、運命的に出会ったのが丑若丸!
ヨーチェは丑若丸の(主に見た目を。それも性的な領域で)気に入っており、旅を共にしている! 繚乱する百合の花ァ!
「あほー!」
本当は、弓矢の意味を持つ異なる世界の言葉「アロー」と叫びたかったようだが、舌足らず故に酷い事に。
それはともかくとして、ヨーチェの右手に輝かしい翡翠色の光弓、左手には同じく光矢が顕現する。
ヨーチェは即座に矢を弓にあてがい、そして一瞬で放った。
狙いを定めずに射った? 否、言ったはず、ヨーチェの弓術の技量は天下無類ッ!
今の一瞬にして、完璧に、全ての照準を絞りきっているッ!
放たれた翡翠の矢は、発射直後に砕け散った。
無数の小さな、それこそ散弾と化し、鎧の散弾を的確に、一片すら逃さずに迎撃に向かったのだ!
無駄矢は一本も無し。鎧片の射ち漏らしも皆無。
周囲の観衆に牙を剥きかけた鎧の散弾はことごとく射ち抜かれ、塵となった!
「むふー!」
えっへん、とヨーチェが自慢気に鼻を鳴らす。「褒めれ。ほら、めっちゃ褒めれ」と主張している。
「はいはァい、さすがさすがのヨイチちゃーん、っと……やれやれ、俺の出番は無くなっちまったかァ?」
甘味処から出てすぐの往来にて堂々と鼻をほじりながら、丑若丸のもう一人の連れである大男が溜息。
「おいそこのデカ物! 貴様、あの小娘二人の仲間だな!?」
「ァん?」
と、そんな大男に物々しい声が投げかけられる。
「あァ、警兵か。尻尾振ってご苦労さん」
斃家の眷属ではあるが、斃家には数えられていない治安維持組織、警兵衆。
善良な民草の味方を謳っているが、その実質は斃家の手先。飼い犬。
斃家の暴虐は当然看過、斃家に害となる事件以外は基本放置。そんな連中だ。
「御用だ! 斃家武者様に仇名すなど、言語道断至極と知れぇぇ!」
何人かいた警兵の一人が、帯に差し込んでいた黒い何かを引き抜いた。
南蛮式の小型鉄砲――拳銃と言う奴だ。
「……ケンジューか。鉄砲は要らねぇよ。俺の趣味じゃあねェ。刀か槍の類は持ってねェのか? 鞭でも良いぜ? 最近ハマってよ」
「なッ……不遜な態度! 我々が斃家より直々に命を賜っている事を知っての狼藉か!?」
「お馬鹿さんなのかァ? 斃家に喧嘩売ってる野郎の連れが、斃家の名前に臆する訳がねェだろ」
阿呆らし。と大男は大きな欠伸。
「お、おのれぇぇ! 貴様が悪いんだぞおぉぉおお!」
パァンッ、と言う渇いた音。警兵が、発砲した。
拳銃は小型鉄砲、そりゃあ鉄砲に比べれば威力は落ちるが、それでも人間の頭を木っ端微塵に吹き飛ばすには充分以上。
――の、はずだったのだが。
「ォう?」
大男の側頭部に直撃した弾丸は、あっさりと弾き飛ばされ、地面に転がった。
「はぃ……?」
「あァ、今、撃ったのか。良い腕だな。普通なら死ぬ当たり所だ」
「え、いや、何でそんな平気そうな……」
「平気じゃあねェよ。雑に擦り撫でられたみてェに痒みくらいは感じたぜ。ムズッ、てなァ。……まァ、そちらさんにゃあ生憎な話よォ、丑若とは別物だが、俺は俺で丈夫なんだ」
弾丸が当たった場所をボリボリと掻きながらニヤリ笑う大男――名を無尺桜弁堅。
ある町で喧嘩売りをしていた元僧兵ッ。生まれつき両足の脛から下が無く、鋼の義足を装着している!
趣味は武器集め! だがしかし、戦闘は大体殴り合いを楽しむ派である!
僧兵時代の修行にて刃をも通さない鋼の肉体、南蛮の英雄の名にあやかって【明黎守鎧合緞】と呼ばれる奇跡を体得しており、その巨体に相応以上の頑強さを誇る無敵人間要塞ッ! ……ただし、肉体ではない脛から下の義足はこの奇跡にあやかれないため、比較的やわい。秘密の弱点である。
喧嘩売りをしていた頃に丑若丸に敗北を喫し、今は彼女に勝つ事を目標としている!
斃家打倒の旅路に同行しているのは「俺が倒す前に、何かの間違いで斃家の誰ぞに倒されちゃあ、たまんねェからなァ」と言う、実にわかりやすいアレ!
「さァて、丁度良いか……暇は趣味じゃあねェから、少し遊ぼうぜェ。オマワリさん達ィ」
「「「ひッ……」」」
「安心しなァ。斃家の犬だろうが、斃家そのものじゃあねェんなら丑若が護る対象だ。殺しゃあしねェよォ!」
それだけ言って、弁堅はその大きな胸をいっぱいに広げ、平手を振りかぶった。
「どォすこォいやァァ!」
「「「ぐわぁぁぁあああああああああああああああ!?」」」
たった一発の張り手で、数人の警兵達が束になって遥か彼方、空の向こうへと消えた。
「……おろ。見えなくなっちまった。ちょォいと、加減を間違えたかァ? うっかり弁堅☆ ってなァ」
「べんけん、あんぼーものー」
「あんぼー? ああ、乱暴か。しゃあねェだろォ? こちとら元から僧兵、いわゆる悪僧・荒法師って奴だぜェ? 俺に喧嘩を売られる奴の運が悪ィんだよ。カカカカ!」
◆
「ふむ、何の心配も要らんかったか。よくやってくれた。流石は拙者の仲間だ」
ヨーチェと弁堅の活躍を見て、丑若丸は満足気に頷く。
するとその眼前にて、奇怪な肉の塊が激しく波打った。
それは、先程までは一応、かろうじて人の形をしていたもの――斃家武者の成れの果てだ。
「ぽあ、ぼぃあが、ぺぶああああ、めああああ」
「……やれやれ。ほとほと大馬鹿め。斃道の出力を無理に引き上げるとは……」
異能武術、斃道。
それは体内の気功の流れをあえて狂わせ、人の生理では有り得ない力を体現する武術。
そんな馬鹿げた術を暴走させれば、人の形を失うのは当然。
「だから言ったのだ。所詮は異能武術――拙者が体得した【万能武術】とは比べものにならん欠陥品よ」
「ぱぱぉあ!」
到底人語ではない唸りを上げ、異形の肉塊が丑若丸へと攻撃を仕掛けた。
そこかしこから分岐し、一本の腕でありながら四本の腕と化した奇怪極まる右腕を、振り下ろす。
「……【技】を出す必要も無く防げるが……せめてもの哀れみだ。拙者の万能武術をたらふく味あわせてから、輪廻へ帰してやる」
くだらん異能武術への執着を捨て、来世ではこの万能武術を目指して邁進するが良い。
そんな心意気で、丑若丸は構える。
両腕を前面へと突き出して――
「これこそが、蔵魔川の【河童】より直伝されし万能武術――【波道】だ!」
かつて、斃家の暴虐に待ったをかけるべく立ち上がった武家、湊戸家。その次男坊――名を湊戸丑若丸。
無念に倒れた兄・夜朝の意思を継ぎ、斃家打倒を目指す彼女は、とある川に住む河童に弟子入りした。
すべては、斃道を修める化生共を討ち滅ぼすため。
だが、同じく斃道を修めて化生の身に堕ちるつもりは無かった。
丑若丸は、人として斃家に勝つと言う、茨に塗れた道を選んだ!
そんな彼女に、河童の師匠は授けたのだ! 人の形と心を失う事無く、人外に拮抗できる万能武術を!
当然、修めるには途方も無い修行が要る! その修行を、丑若丸は見事に乗り越えた! 全ては人として、人の世を取り戻すためにッ!
彼女の一見すれば華奢な肉体には、その見た目の二〇倍は質量がある。
体躯は三・四倍も違えど、丑若丸の体重は弁堅とほぼ一緒。そう……それだけの筋肉が、その小さな体に凝縮されているのだッ!
そしてその筋肉量あってこそ、彼女が修めた万能武術は真価を発揮できるッ!
武術の名は【波道】!
それは波動を操る武術!
波動とは何か、それは波状の力の動き!
人間の筋肉の脈動は、力の波を生む! つまりは波動を放っている!
筋肉、即ち波動ッ!
波動、然るに筋肉ッ!
生み出される波動の量は、筋肉量にずばり比例ッ!
まずは筋肉の脈動を繊細に感じ取れるようになる事が波道の第一段階!
次に膨大な筋肉を付け、多くの波動を精製できるようになるのが第二段階!
そしてその波動を気合で、そう気合を以て自在に操り、身体を強化するのが第三段階!
最後に、波動を技に転用し、斃道の異能を軽々と凌駕する奇跡を顕現させるのが、第四段階!
この第四段階を、波動疾走――波道の開祖である河童の祖国の言葉で【オーバードライブ】と呼ぶッ!
前置きがかなり長くなったがッ!
丑若丸が今から見せるのはッ!
その波動疾走がひとつッ!
「奮い立て気合ッ! 吹っ飛ばすほどの波動ッ! いざ――円形皿状の波動疾走ッ!」
簡素端的に言おう!
今、丑若丸は――大仰な技名を叫びながら、両腕を前方へと突き出し、まるで河童の皿を描くように、ぐるぐる回転させただけだッ!
だがそれは、丑若丸の膨大な筋肉を凝縮した両腕による行為である事を失念してはいけない!
その圧倒的膂力で振るわれる腕は音をも置き去りにする速度で回転し、「回転する衝撃波」を発生させる!
あとは、両腕の筋肉が生み出した膨大な波動を使って、回転する衝撃波を強化、更にその場へ固定、押し留めるッ!
こうして誕生するのは、極小規模の圧倒的竜巻ッ!
生み出された竜巻的波動疾走は丑若丸の前方に滞留し、荒ぶる盾となるのだッ!
当然、丑若丸に正面から振り下ろされた異形肉塊の多腕は荒ぶる盾に直撃し――挽肉ッ! いや、粉肉――もはや汁!
「ぎゃ、ぱみ、ああああああああああッ!?」
喘ぎ悶える異形肉塊――いくら斃家武者とは言え、ここまでくれば流石に哀れ!
早々に決着を付けるべく、丑若丸が拳を引き、構える。
わかりやすく――正拳突きの構え!
「さぁ、行くぞ! 駆け抜けろ波動ッ! 爆ぜ散るほどの衝撃!」
放たれる一撃は、丑若丸が誇る最強の波動疾走。
全身から波動を集めた、まさしく渾身全霊の一撃。
豪拳が、鋼をも破り、邪悪を断つッ!
「豪鋼破断の波動疾走ゥゥッ!」
――正拳一閃。
音が消え、そして、異形の肉塊も、消え失せた。消えたと思えるほどの勢いで、粉微塵に吹き飛んだのだッ!
断末魔どころか、存在すらも掻き消す正拳ッ!
人外を討ち払う、人の豪拳ッ!
「――成敗」
返り血一滴すら残らぬ己の拳を、少しだけ寂しそうに見つめながら、丑若丸はつぶやいた。
……斃家は皆すべからく死すべし。
欠片の因子すら、次の世に残してなるものか。
そう決意しつつも――彼女の根底には、慈愛がある。
斃家者は救い難い、報いを与えるべき、消さなければならない。
そうはわかっていても、それでもやはり、ほんの少しだけ――人の心は傷むのだ。
例え今は人外であるとしても、かつては人だった者を屠る事に。
「……拙者は、この感傷を失いはしないぞ」
……「武士として」あるべき責務を果たすため、斃家は皆殺しにする。
例え、いちいち苦しくとも。それが「人として」あるべき心なのだから、受け入れる。誤魔化したり忘れたりは、しない。
「さて……ヨイチ、弁堅。待たせたな。ヨイチの希望通り、団子のおかわり……と行きたい所だが、流石に目立ち過ぎた。店を替えよう」
「うん。わかた」
「へいへェい。賛成だぜ。どォにも、もう美味く団子が食える雰囲気じゃあねェや」
弁堅の言う通り。衆目の視線は……敵意とまではいかないが、迷惑そうな色だった。
そりゃあそうだ。斃家に従ってささやかに生きてきた者達からすれば、斃家に逆らう一行なんて、関わりたくないだろう。
……慣れたものだ。
救い護ると宣言した民草に疎まれるどころか、その首を斃家に差し出さんと襲撃された事すらもある。
それでも、失望などしない。むしろ、呪うべきは己の無力だと丑若丸は考える。
今はまだ、力が足りない。威厳が足りない。
未熟な己が立ち上がった所で、民草は安堵などしてはくれない。
立派な武士には――民草を守護する拠り所には、まだまだ程遠い。
とすれば、励むのみだ。
「…………む」
不意に、斃家武者に殺されかけていた茶屋娘と目が合う。
茶屋娘は逡巡の後、声は出さずに、唇だけを動かした。
「 」
「……うにゃまう、見た?」
「ああ。しっかり、聞いたとも」
行こう。
斃家を討ち滅ぼし、胸を張って礼を言ってもらえる武士になるために。
丑若丸一行の旅は、まだ始まったばかりである。
「ファンタジー」の人気作品
書籍化作品
-
-
1168
-
-
1978
-
-
440
-
-
35
-
-
11128
-
-
159
-
-
549
-
-
2265
-
-
4503
コメント
ノベルバユーザー601496
作り込まれた世界観に続きが気になり寝る間も惜しんで読んでしまいました。
まだ謎が残っていますし続編への期待!!