第３１話　抑止力の目覚め

　素空達がマスマテラ・マルケニス邸を襲撃してから約一ヵ月後。姫川璃緒を中心とする勇者一行は、東の森を攻略していた。
　東の森の魔物や魔族を殲滅する為である。始めこそ森の魔物達の強さに苦戦したが、《限界突破（オーバーリミット）》を持つ姫川は強い魔物と戦う度にその魔力数値を大きく上げる。姫川の魔力数値は既に１５万を超え、負けなしだった。他のクラスメイト達も、姫川には及ばないものの、確実にその実力を伸ばしていた。

　ジエルという凄腕ベテラン冒険者も仲間に加え、順調に森の攻略を進めていた。だが、森の中央部。古代の遺跡の調査をしていた時の事だった。


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　神殿のような遺跡。それは彼等に世界史の授業で見たアンコールワットを思い出させる、石造りの神殿のような建物だった。石棺が多く設置されており、その殆どは蓋が外され、中身は既に持ち去られていた。
　お宝を期待していたクラスメイト達は落胆する。まぁ、仮に宝を見つけたとしても、それはボスであるガルム王子に報告しなければならないのだが。

　だから自分たちの物になるという事は決して無いのだが、それでも、このトレジャーハンターのような状況を皆楽しんでいるようである。一人緊張した面持ちをしているのは、ジエルという冒険者。

「どうしましたジエルさん？」

　年齢は２０代半ばといった見た目だが、眉間に刻まれた皺が、くぐってきた経験の多さを物語る。姫川璃緒から見て、常にしかめっ面を崩さないジエルであるが、同時に彼の機転によって、何度も危険を潜り抜けてきた。恐らく、油断というものをしない人なのだろうと、姫川は彼を評している。

「ああ、姫川璃緒か。いや、何。ここに満ちた魔力が気になってな」

「魔力……ですか？」

「お前達は感じないか？　ここには毒になりそうなほど、聖なる気が充満している」

「すみません。未熟者ですので」

　姫川は頭を下げた。そして、自分の未熟さを呪った。
　ここには、聖なる魔力が満ちているとジエルは言った。聖なる……と聞けば、一見危険は無いように思える。
　だが、冒険者であるジエルがここまで険しい顔をしているのだ。何か危険があると見て間違いないだろう。

（なんという事。私はまた何か見逃したというの？　また皆を危険に晒すの？　こんな事じゃ）

　こんなことじゃ駄目だ。姫川がそう自分を責めようとしていた時、ぽんと肩を叩かれた。ジエルだった。

「そう落ち込む事は無い。聖なる魔力を感じ取れないのは、キミの心に邪な気持ちが無いからだ。寧ろ、聖なる魔力なんて物を感じ取れる方が、恥だ」

　それが慰めだと理解している。だが、姫川の心は軽くなった。こんな頼れる先導者が初めからいれくれたら。きっとあのような悲劇は起こらなかっただろう。そう思うと口惜しい気持ちで一杯になった。

（けれど、本当は私がこうならなくてはいけなかったんだ）

　今は只、良き先輩を得た。良き見本を得た。そう思い、このジエルというベテラン冒険者から、色々と吸収しよう。そう決心する姫川だった。

「お前たち。ここには聖なる魔力が満ちている。不用意に遺跡に触れるなよ」

　ジエルが怒鳴るようにクラスメイト達に注意を促す。一瞬で遠足気分が霧散し、緊張感が漂う。

「そう言うけどさジエルさんよ。ここには邪悪な魔力は一切感じないぜ？　注意する必要があるのかよ」

　ジエルに文句を言ったのは篝夜蛍だった。アスリートのようなスポーティなスーツに身を包んだ少女である。。年上相手に舐め腐った態度だが、ジエルは別段気を悪くした様子も無く、その質問に答えた。

「邪悪な魔力を感じないから注意をする必要があるんだ」

「あ？」

　首を傾げる篝夜。頭が悪いを絵に描いたような表情をしている。

「それの何が悪い？　悪いやつの気配は無いんだ。だったら今日はここでキャンプだぜ」

「考えても見ろ篝夜。ここは西の森と双璧を為す魔物達の救う東の森だぞ？　神樹の影響も少なく、人間なんて暮らしてはいけない土地だ。強大な力を持つ魔物達が生き残る為に戦い、殺し合う場所。それがこの森だ。そんな場所で、全く魔物の気配を感じないんだぞ？　何かあると思った方がいいだろう」

「……た、確かに」

　言いくるめられた篝夜が気を引き締める。自分が間違っていると理解したら、きっちりと方向修正できるのが彼女の長所だろう。だが、その話を聞いていても尚、ジエルの話に逆らおうとする者が居た。

　久住強太である。グループである大田と毛羅と共に、ジエルを睨みつけていた。彼らは敵対こそしないものの、ジエルの事を内心良く思っていなかった。
　急に現れて自分たちのリーダーである姫川に対し、先輩風を吹かせて気取っている。姫川に頼られ、篝夜や仙崎、その他の女子たちの精神的支柱になっていくあのジエルという男が、久住には許せなかったのだ。

　そんな幼稚でくだらない反抗心から、久住達はとんでもない行動に出る。

　まだ蓋の閉じられた石棺の一つに、その蓋に三人で手を掛ける。

「おっ、結構重いじゃねーか」
「中にはミイラか、それともお宝かな」

　ジエルの忠告を無視し、石棺を開く。

「おい、貴様等何をしている！！」

　それに気が付いたジエルが怒鳴る。一瞬怯んだ久住達だったが、もう止まらない。蓋が、急に軽くなったのだ。まるで中に封じ込められていた者が、手助けしたように。

「うおおお！？」

　中から激しい輝きと共に、バスケボール大の銀色の球体が飛び出した。空中に浮かんだそれは、まるでシャボン玉のようにぶるぶると震えている。

「あ、あれは？」
「魔物なのか？」

「魔物か……おーいみんなー！　やっちまおうぜ！」

　久住の叫びに、面倒そうに応じるクラスメイト達。驚いたが、別段強そうな魔物ではない。どちらかと言えば、面倒ごとを増やした久住達にイライラしているようだ。

だが。

「ちょっと待って、そいつは危険だよ！」

　叫んだのは姫川の親友、仙崎ゆとりだった。スマホを銀色の物体に向けた先崎は、いつもの余裕ぶった表情を崩している。

「データが読み込めない。そいつ、正体不明のモンスターだよ」

　途端、クラス中に緊張が走る。皆武器を構える手に、汗を握った。その時。

「えっ？」

　突如、銀色の物体は姫川の前に移動していた。そして、まるでスライムの様に形状を変え、質量を増やし、姫川を飲み込んだ。

「璃緒！？」
「嘘、嘘でしょ！？」

「ええいっ！！」
「離れろやコラああああ」

　すかさず剣で攻撃するジエルと、蹴りを加える篝夜。だが、その銀色の物体は、鉄の様に硬く、そして水のように捕らえどころがない。

「チッ、なんて化け物を呼び出してくれたんだ。このままでは姫川が」

　滅多に見せないジエルの焦る表情に、クラスメイト達の顔が絶望に包まれる。姫川の体は、全てが銀色の物体に包まれており、中からもがく様子も見られない。
　このままでは息が出来ずに死んでしまうかもしれない。いや、単純に圧力で殺されてしまうかも。

「糞、なんとか、なんとかならないのかよおおおお」

　涙の混じった篝夜の叫びに応じたのは、彼等が初めて聞く声だった。

『この娘じゃないな』

　そんな無機質な声が聞こえた。途端、姫川から離れる銀色の物体。捏ねられるパン生地のようにうねうねとうねった後、その物体は人間の姿へと変貌した。

　その神々しい姿に、クラスメイト達は息を呑んだ。

　それは、一人の少女のようであった。銀色の輝く髪、病的に白い肌、そして真っ赤な真紅の瞳。服は身に着けていない。胸にある小さな二つの乳房が露になっているが、まるでいやらしい気持ちにはさせなかった。そして、局部には何も無かった。そう、無性なのだ。女性寄りの、無性生物。それは、姫川の肉体をトレースしたからに他ならないのだが、今のクラスメイト達には知る由も無かった。

「璃緒に……似てる？」

　気を失った姫川に駆け寄った仙崎が、そんな事を呟いた。そう言われて、クラスメイト達も思い至る。その銀色の少女の顔は、どこか姫川に似ていた。そっくりではない。幼くなったという訳でもない。だが、どこか面影があるのだ。

　その少女はきょろきょろとクラスメイト達を見回している。目が合うたび、小さな悲鳴を漏らすクラスメイト達。この無性の生物の、毒の様な神々しさが恐ろしかったのだ。

「君たちじゃないな。ねぇキミ。《竜帝》って知らない？」

　銀色は、宮本正のすぐ目の前まで一瞬で移動し、小首を傾げて尋ねた。その様子に腰を抜かした宮本君は、震えながらもなんとか答える。

「し、知らない。竜帝なんて知らない」

「そ。キミ達からは竜帝との縁を感じたんだけどなぁ。あっ。ああ、感じる。感じるぞ。そうか。あっちか」

　銀色は形状を弾丸の様に変化させ、西の空に消えていった。その様子を、唖然として見つめるクラスメイト達。

「あれは……抑止力か。アレならば、もしかしたら竜帝を滅ぼせるかも」

　ジエルがそう呟いたのを、聞いていた者は居なかった。