♯影冤の人〜僕は過去で未来のキミと、二度出逢う〜
傀儡女編 求め続けたひと
コハルも涙を拭きながら、イザヨイの背中に担いだ木箱を見つめる。
「……グスッ……新しい人形……ですか? 出来たのですね……」
「うむ……元々二体あったうちの一体に手を加えたものじゃがな。デカくて重い分、扱いづらくはあるが力はある」
イザヨイはどこか誇らしげに説明を続けようとしている。
「戦闘用に術を施された最後の個体であるが、これが良く出来たものでのぅ……そうだ、コハルに見せてやろう……」
「……グスッ……あの……イザヨイさん……? 」
喜々とした様子で木箱を下ろし始めるイザヨイに、コハルはおずおずと言葉をかける。
「……その話、長くなりますかね? 出来ればその……食べ物をいただきたいのですけど……丸三日飲まず食わずだったもので……」
コハルの言葉にイザヨイは慌てふためいた様子で、降ろしかけた木箱を再び背負う。
「……すまぬ。自分の事ばかり申してしまった……妾の悪い癖じゃな。ウチまで行けば食料がある。歩けるか……? 」
その後コハルはイザヨイに肩を借りながら、平安京内にあるイザヨイの家へと向かって行った。
月明かりが降り注ぐ京都盆地に、にわかに現れた巨大な骸骨の妖魔『がしゃどくろ』を眺めながら、東に位置する鍛冶町より平安京へ向けてヒロキは走り続けていた。
だがその足取りは重く、すぐに息が上がった様子で立ち止まると、膝に手をついて肩を上下させている。
「……勢い込んで走り出したはいいけど……徹夜明けは、さすがにしんどいな……」
そう言っておもむろに、懐からガラケーを取り出すとしみじみと眺める。
「……そういや、親父が言ってたっけ……毎朝身体の状態がリセットされるって。どんなに腹減って疲れていても、日付が変わると元気になっていたな……」
そう言ってふと、宗近がいるであろう鍛冶町を振り返る。
「……これが無けりゃ、乗り切れなかった……師匠は生身で、丸三日飲まず食わずやっちまうんだから、昔の人はスゲえな……」
ヒロキは一人つぶやくとガラケーを大切そうに懐に仕舞い、喧騒の上がる平安京へ向けて再び走り出す。
ヒロキが平安京の東側にある羅城門に辿り着いた時、『がしゃどくろ』はいまだ山裾の森から出て来たばかりの所を、カラカラと骨のぶつかる音を響かせながら、ゆらりゆらりと立ち止まりつつ歩いていた。
「……遅っそ……俺の方が先に着いちゃったよ……まぁ、準備する時間があるって事だけど……イザヨイさん、いるかな……? 」
ヒロキは一人ごちりながら、東の羅城門をくぐり都の中へと入って行く。
『がしゃどくろ』の咆哮に慌てふためき逃げ惑う住民達の中から、真っ直ぐヒロキに向かって走り寄ってくる見慣れた二人の姿が見える。
「コハルッ……イザヨイさんも……」
二人の姿を見かけたヒロキは、笑顔で名前を呼ぶ。しかし、彼の姿を見かけたコハルはビクリと身体を強張らせて立ち止まり、遠くから様子を伺う様に恐る恐る呼びかける。
「……ヒロキ様……ですか……? 」
「他に誰がいるんだよ……あっ、お前なに握り飯なんて食ってるんだ? ずるいぞ」
コハルは口の周りにご飯粒を付けた状態で、手に白いおむすびを持っていた。指摘を受け、急いで飲み込もうとしたコハルは喉に詰まらせたのか目を白黒させ、胸の辺りを強く叩いている。すかさずイザヨイは助け舟を入れる。
「すまぬ、ヒロキ様……故あって、コハルに飯を食わせていたのじゃ」
「故あって……って、どんな理由があれば贅沢品の白いご飯をご馳走になるんだよ……俺だって飯食ってないんだぞ」
「……ゴホッ……実は……」
ようやく飯が喉を通ったコハルは自分の身に起こった事を含め、イザヨイも交えて一連の出来事をヒロキに伝えた。
「……そんな訳で、私は丸三日もお預けくって殺されそうになり、あの『がしゃどくろ』に変えられる所を、命からがら逃げて来たんです」
そう言ってコハルは、こちらへ向かって歩いて来る妖魔を指差す。つられてそれを眺めたヒロキは、憐れむような眼差しを送った後コハルとイザヨイに向き直る。
「あの骸骨の化け物は、コモチさんの成れの果て……って訳か……その俺そっくりの、クサナギって人は何者なんだ? 」
「妾と……将来を約束しておった男じゃ……」
イザヨイがおもむろに口を開く。
「並外れた戦闘力を有しながらも、凡庸な性格だったのじゃが……ある日を境に、残虐な性格に豹変してしもうた……」
気落ちした様子のイザヨイを見て、コハルとヒロキは気まずい表情で顔を見合わせる。
「コモチと共に国家転覆を目論んでおったのか判らぬが……どちらにせよ、奴の企みは止めねばならぬ……」
「……豹変……ねぇ。あまり、戦いたくはないけど……」
「……成る程。これで合点がいったわい」
突然、三人の背後から口を挟む人物が現れる。ヒロキ達はその人物を、驚いた表情で眺めている。
「陰陽道防疫神、牛頭天王の象徴である牛頭を切り落とした事からも、クサナギとやらは厄介な相手の様じゃのぅ……心せよ、ヒロキ」
「……安倍晴明様……」
「……げげっ……」
「ここは危ないぜ、何しに来たんだよジイさん。今はもう、寝てる時間だろ」
安倍晴明は白い水干姿で三者三様の態度を見届けた後、呆れた様な表情を浮かべるヒロキをジロリと睨む。
「……バカにするでないわぃ。これでも貴族の端くれ、内裏の守護を担う責務を果たさなければならぬ……」
「守護……って、ジイさんも戦うつもりかよ」
「当然じゃ、あれは並の相手では無い。
本来『がしゃどくろ』は、大きな戦の後に死んだ兵士の骸が寄り集まって出来る、怨念の塊じゃ。未熟なお前さん達がいくら束になろうとも、おいそれとは勝てぬ」
そう言うと晴明は、妖魔を睨みつけながら説明を始める。
「今は殆ど無いが太古には生贄を依代とし、邪気を集める事で妖魔へと変容する法があったそうじゃ。
自然発生の『がしゃどくろ』は厳しいが、あれが元人間であれば勝てぬ事もない」
「それって、あの妖魔は弱いって事なんですか? 」
ヒロキの後ろに隠れていたコハルが、そう問いかける。髪の毛を一つにまとめたコハルの容姿を見た晴明は相好を崩す。
「……おお。しばらく見ぬうちに成人したのか、コハル。どうじゃ? これを機に、わしの元に来ぬか? 」
ニコニコしながら話かけてくる晴明に、コハルはあからさまに「しまった」という様な苦い表情を浮かべ、再びヒロキの背後に隠れる。
「……何度もお断りしてるはずですけど……まだ、諦めていただけないんですか? 」
「奥ゆかしいのぅ……醜女と言われとる事なら気にするな、コハル。わしは其方のような顔が好みなんじゃ」
「謙遜してる訳じゃありません、嫌がっているんですって……何で、分かってくれないの……? 」
「そんなつまらぬ兄の元で暮らすより、わしの処に来れば安泰じゃぞ……食いっぱぐれる心配も無いしな」
二人の間でやり取りを聴いていたヒロキは、何かに気づいた様な表情を浮かべると、コハルに向かって話しかける。
「……そうか、だから最近ジイさんの所に行きたがらなかったんだな。
前に話していた好きな相手って、ジイさんの事だっ……」
「断じて、違います」
据わった目で、ヒロキの言葉に被せるように即座に否定するコハル。その様子を見ていたイザヨイがポツリとつぶやく。
「……コハルも大変じゃな……」
上機嫌の晴明は、コハルに向かって手招きしながら話を続ける。
「……では、先程の話しの続きをしようかのぅ。一人の人間から妖魔に変容した場合、なぜ倒しやすいのか解説してやろう。ちと、こっちへ来い」
「……またそう言って、あちこち身体を触って来るつもりでしょう? だまされませんよ」
「人聞きの悪い事を……わしは真面目に、人間と妖魔の身体の動かし方の違いを教えてやろうと……」
晴明がそこまで言ったとき、ヒロキは何か閃いた様に口を開く。
「……もしかして、元人間だったあの妖魔は、無くなった筋肉を使おうとしているから動きづらそうにしているのか? 」
その場の全員がヒロキを見つめる。
「妖魔の身体の動かし方は分からないけど、元コモチさんだったあの妖魔の動き見てたら、そんな気がしたから……」
「……つまらん」
一気に不機嫌な表情になった晴明は、吐き捨てる様につぶやく。
「ほんにお主はつまらぬ男じゃな、ヒロキ。せっかくコハルと組んず解れつの楽しい時を過ごす段に、わしより先に言い当てよるとは……」
「ヒロキ様、凄い」
コハルはヒロキを笑顔で見上げると、嬉しそうに彼の腰にしがみつく。
「晴明様より優秀な陰陽師になれるんじゃないですか? ヒロキ様」
「えっ……そうかな……? 」
照れた様な表情を浮かべたヒロキに、何事か言いかけた晴明が口を開いた時、突然『がしゃどくろ』が悲鳴の様な叫び声を上げる。
「ギャァァアアァァァァァッ」
ヒロキ達が話しているうちに、だいぶ都まで近づいていた『がしゃどくろ』は、まるで酷い頭痛を堪えるかの様に両腕を上げ、頭を抱える。
すると、その右手指先から肘にかけて見る間にドス黒く変色していくと、ボロボロと崩れ落ちてゆく。
「……ちと、戯れが過ぎた様じゃのう……皆の者、気を引き締めぃ」
ここまで笑顔を浮かべていた安倍晴明は、月明かりに照らされて浮かび上がる妖魔に目を移すと、急に表情を引き締める。
崩れ落ちた『がしゃどくろ』の一部は、次々と無数の小さな妖魔に変わっていく。その中でも足の速い数匹の妖魔が、身構える前のイザヨイに襲いかかってくる。
「……っ、危ないっ、イザヨイさんっ……」
「何っ……クゥッ……」
ヒロキの呼びかけにより、すんでのところで妖魔の爪を避けたイザヨイだったが、その魔手は彼女の顔を覆う布を引き裂いてしまう。
「……ああっ……」
一瞬の出来事に、ヒロキは言葉を失う。
布の下に隠されていたミキそっくりの素顔をさらしたイザヨイを、彼は信じられないという様な表情で、ただ黙って見つめ続けていた。
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