♯影冤の人〜僕は過去で未来のキミと、二度出逢う〜
傀儡女編 鬼堂の主人
イザヨイがコモチの後を追って森に入り一時(約二時間)が過ぎた頃、コモチの姿を見失ったイザヨイは、道に迷っていた。
「さっきから、同じ所をグルグル回っている気がするのぅ……どこに行ったんじゃ」
息を切らせて道無き道を行くイザヨイは、暑さの為か身につけた直垂の襟がはだけ、豊かな胸元をのぞかせている。手ぬぐいで胸元の汗を拭きながら天を仰ぎ、鬱蒼としげる樹木を眺めてため息をつく。
「坂になってきたから、森を抜けて山を登っていると思うがのぅ……ん? なんじゃ……? 」
ふとイザヨイは、何かを感じて鼻をひくつかせる。
「松ヤニの燃える臭い……山火事では無いな、かがり火……か?
山の中とはいえ、灯りが必要な暗さとは思えぬが……何かしとるのか? 」
一人つぶやいたイザヨイは仕事道具の入った木箱を担ぎなおし、臭いをたどり歩き始める。
やがて木々が拓けると、目の前には巨大な洞窟の入り口が現れる。その前の地面には円形の図形が描かれており、それを照らす様に焦げた臭いを辺りに放つ、かがり火が二つ焚いてある。
イザヨイは草むらにしゃがみ込むように身を潜め、辺りを注意深く観察する。
「誰もいない……? いや、洞窟の中から声が聞こえる……」
「……ええぃ、言う事を聞きなさい」
耳を澄ましていると、洞窟の中からコモチの声と共に何か大きなモノが、抵抗する様な物音が反響して聞こえてくる。
「やはり、ここにおったかコモチ……と、あれは……牛? 」
白い水干姿のコモチが一頭の牛を引き連れ、洞窟の中から姿を現す。牛は何かを予感しているのか、コモチを振り回さんばかりに激しく抵抗している。
「贄は贄らしく、大人しくして下さいな……実験一つままならないではないですか」
コモチは言う事を聞かぬ牛に文句を言いつつ、地面に打ち付けられた杭にようやく牛の手綱をくくりつける。
「ふぅ……これで良し。準備出来ましたわよ」
そう言ってコモチは洞窟の中へと声をかける。
「実験……? コモチめ、何をやろうと……あっ、あぁっ……」
イザヨイはコモチの言動に首をひねっていたが、洞窟の奥から出てきた人物の顔を見て、力が抜けた様にペタンと座り込んでしまう。
「うむ、ご苦労」
洞窟の中よりコモチに声をかけ近づいて行く人物は、肩から紐で吊るされた鞘に長尺刀を収め、堂々たる態度で歩いて来る。
その男性の佇まいを眺めながら、コモチはほぅっとため息を漏らす。
「……どこか、頼りなげな雰囲気のヒロキ様も良いですが……私は、やはり自信のみなぎる男性が好ましいですわ。……ねぇ、クサナギ様」
「ヒロキ……?
あぁ、この俺と同じ顔をした奴の事か……取るに足らぬわ。
俺と勝負になる様な輩であれば、話は別だが……」
クサナギと呼ばれたヒロキと瓜二つの顔をした男性は、不敵に顔を歪めて笑う。
コモチとクサナギの会話を聴いていたイザヨイは、まるで見ているものが信じられないと言う様な表情で、震える手で声が漏れぬよう口元に手を当て、一人ごちる。
「……雰囲気はまるで違うが、あの顔で長尺刀……二年前に妾を捨て、姿を消したクサナギ様に間違いない。
何故、今頃になって……」
「……むぅ? 」
クサナギは不意に周囲に目を配る。その様子を見たコモチは、不思議そうにクサナギに尋ねる。
「……どうかなさいましたか? クサナギ様」
「人の気配がする……何者かが潜んでいるぞ」
「あぁ……」
コモチは下ぶくれた能面のような微笑みを浮かべる。
「きっとイザヨイですわ。ようやく追いついたのでしょう。
わかっていますわよ、姿を見せて下さいな」
イザヨイはコモチの声に応え、担いでいた木箱をその場に下ろしてのろのろと立ち上がる。小刻みに震える身体を必死に押さえつけながら、やっとの事で草むらから出て来たイザヨイは、クサナギに向かって搾り出す様な声で話しかける。
「……久しぶりじゃな……クサナギ様……」
「俺は知らぬ。女、名を名乗れ」
尊大なクサナギの態度に、イザヨイは顔を隠す布の奥で唇を噛む。
「……イザヨイじゃ……本当に、人が変わってしまった様じゃな……昔は、もっと優しかった」
「醜い顔の貴女に、愛想を尽かしたのではないのですか? 」
コモチはククッと声を漏らして笑みを浮かべる。イザヨイはその言葉に反発する様に、コモチに向かって叫ぶ。
「『顔など関係ない』と、言ってくれていたのじゃっ。
クサナギ様が妾の前から姿を消す……二年前まで……なのに……」
徐々に、力なく肩を落としてゆくイザヨイ。
「確かに妾は、コモチほど美しいおなごでは無い……だが、姿を消す直前のクサナギ様は、まるで何かに取り憑かれたかの様に、人が変わってしまった……」
イザヨイはそう言うとガックリとうなだれ、その場に座り込んでしまう。
その様子を見たクサナギは、おもむろに口を開く。
「そうか、あの時の……思い出したぞ。
三度目の逢瀬の夜、俺が容姿を罵ると泣いていた女か」
そう言うとクサナギは乾いた笑い声を上げる。
「それで顔を隠しているとは……ハハハッ、全く分からなかった……グゥッ」
クサナギは不意に頭を抱え、よろめく。
コモチとイザヨイは何が起こったのかと戸惑いの表情を見せる。
「……クサナギ様? 」
次第に大量の汗をかき、苦しそうな表情を見せるクサナギ。その背からは、暗くよどんだ湯気の様なものが立ち上っているのが分かる。
やがてクサナギは苦しそうにしながらも、毒気の抜けた様な表情で顔を上げると、イザヨイに向かって話しかける。
「……イ、イザヨイッ」
「……なんじゃ……? 雰囲気が……」
先ほどまでの刺々しい雰囲気が薄れたクサナギを見て、イザヨイは思わず手を伸ばす。
「イザヨイ……俺……を、殺せっ……」
「やはり、何かに取り憑かれておったのか? クサナギ様っ……」
イザヨイは、その場から這う様にしてクサナギに近付こうとしたが、一瞬にして再び禍々しい表情に戻った彼を見て、伸ばした手は虚しく空を切る。
「グゥッ……まだ、意識があったとは……」
苦悶の表情を続けるクサナギは、頭を抑えながら洞窟の入り口へと足を向ける。
「クサナギ様っ、どちらに……実験はどうされるのですか? 」
寝ぐらと思われる洞窟に帰る素振りを見せるクサナギに、コモチは焦った様に呼びかける。
「……ならば」
コモチの声に煩わしそうに顔を歪めたクサナギは、刀が逆さになる様に鞘を天に向けて、カチンと留め金を外す。
ズラァァッと、金属のこすれる音が聞こえたかと思うと、すれ違いざまに怯える牛の首が宙を舞う。
「……後は、勝手にやるがいい……」
そう言うとクサナギは、いつの間にか抜いていた刀を鞘に収め、ふらつく足取りで洞窟の闇に溶け込んでいった。
「あン……つれないお方ですわね……そこがまた良いんですけれども……」
「……何が……起こったのじゃ……」
大量の血を吹き出し痙攣しながらも佇む、首の無い牛を呆然と眺めるイザヨイを、振り向くコモチは冷たい笑顔で見下ろしている。
「……これから起こるんですのよ……摩訶不思議な、見世物は……」
コメント