元勇者の吸血鬼、教師となる

妄想少年

031

 美雨が目を覚ますと同時刻、少年は魔術師の一族柏木家の現当主、柏木貞夫の家にやってきていた。その表情には恐れが浮かんでおり、家にすらトラウマを抱えているというのが読み取れる。それでも尚この場所にやってきたのは、愛する妹の為だ。
 
 「美雨っ! どこだ美雨っ! 返事をしてくれ!」
 
 少年は叫ぶ。自らが痛められた部屋で。ゴーレムが徘徊し、常に危険が迫る廊下で。妹が泣き叫んできた部屋で。少年の心には一歩歩くだけでも恐怖がこみ上げるが、愛しい妹を探すために心を奮わせる。
 少年の名は柏木時雨、私立異能力専門学園で唯一授業をサボる生徒であり、ほとんどの時間を保健室で過ごしていると言われている少年だ。
 彼は妹の為に自らの異能、《サンクチュアリ》を発動させていた。この異能は対象の痛みを全て引き受けるというものであり、彼がロクに動けなかった原因である。体を焼かれる痛み、切り裂かれる痛み、殴られる痛み、彼はその苦痛を全て引き受けていた。当然、彼はまともに動ける状態では無くなり、必然的にサボるという扱いとなってしまう。
 しかし、苦痛というのは与えられない時間があるし、彼は妹を救いたい一心で激痛に苛まれながらも魔法の亜種とされる魔術の技術を向上させていった。元々才能に恵まれていたことから、彼の上達は著しかった。
 また、苦痛の無い時間帯には武術の訓練をすることで、前衛とも後衛ともなれる優秀な人材に成長していった。だが、彼はまだ足りないと思った。アジア魔術師協会は他の組織と比べれば小規模なものの、アジアという人口の多い地域の組織の為大規模である。柏木貞夫はその幹部を勤めるほどの実力があり、彼が勝てないと感じるのは当然のことだった。
 それ故に、彼は己の心技体を鍛え、救い出せるように努力していったのである。
 
 「なんでだよ……なんで誰もいねぇんだよ……クソがっ!」
 
 彼は憤怒にその端正な顔を歪ませ、襲いかかるゴーレムを破壊する。
 彼がこの家に来た理由、それは苦痛を感じなくなったということだった。普段から感じる地獄のような苦痛が無くなっていたのである。また、彼の異能は対象の状態は分からない上に、対象者が死んだ場合のことも分からない。調べるためには直接赴き、家に侵入せねばならなかったのである。
 彼は、自らが死ぬ覚悟でこの家へと訪れた。
 その心は恐怖、妹を失っていたのではないかという恐怖である。自分がどうなろうと彼は構わない。自分が今生きているのは妹を助けるという理由があるからであり、深いトラウマがある彼は妹がいなければ既に死んでいただろう。
 自殺か、他殺か、それは分からないが、死んでいたことは確実である。
 
 「邪魔なんだよォッ! 俺の邪魔をするんじゃねぇ!」
 
 それは、彼がもっとも恐れている自体を連想させた。
 誰一人としていなくなっていたのである。狂気的な笑みで彼ら兄妹を襲う男も、男からの暴行が兄妹に移ることで安心していた女達も……なにより、愛しい妹が。
 妹以外ならばいなくなろうが興味は無かった。寧ろ、この家に住む妹以外の存在は朽ち果てろとまで思っていたほどである。
 ……妹のみが消えた。これはまだ、妹の手掛かりがあるという意味だ。鍛えた能力が通じれば妹の所在を吐かせられる。魔術ならば脳の中を開示することも可能だからだ。見て記憶していた存在がいるならば、まだ彼でもどうにか出来たかも知れない。
 しかし現実は違った。妹含む全ての生命体が消えていたことで、妹の手掛かりすら無くなっていたのである。これで、ホムンクルスが知能あるタイプであったならば、彼の妹が外に出たことを確認出来ていただろう。
 もしも彼がもう少し早ければ、彼の妹と再会していただろう。とある精霊に見つかり、ある男のもので二人ともども保護されていただろう。
 ……もしもの話というのは、既にあり得なくなったことで縋る虚の希望、あるいは幻想である。偶然というのは、本当に偶然なのかは誰にも分からない。わかるのは、偶然が重なり合ったことで、彼は深い絶望を覚えた、それだけである。
 
 「……クソっ! ……クソがクソがクソがクソがっ!」
 
 彼は地面、壁、道具、目に付くあらゆるものを叩き、蛻の殻となった家を破壊していく。その瞳には涙が浮かび上がっていた。彼はすでにヤケクソである。
 彼はこの時間だけは幸せだったのかもしれない。何も考えず、ただ怒りのままに拳を振り抜き、何かを破壊するという感覚を味わえたのだから。
 ヤケクソになったことで起こるハイなテンション、それが今の彼であった。無様なもので、両手足は自らの血で濡れていた。
 
 「ハハハ……何やってんだよ俺はァ……」
 
 ひとしきり暴れた後、彼は虚無感に捕らわれていた。破壊しても得られるものは何もない。そればかりか、自分の手足がズキズキと痛むだけだ。
 彼は嗤う。己の姿に。どうしようもないと諦めた醜い姿に。妹を救いたいという気持ちは無くならない。逆に、だんだんと強まっていくだけだ。
 --あぁ、なんでこうなっちまったんだろーな。
 誰も答えてくれない問いを心の中で呟く。含められていた感情は悲しみか、諦めか、ましてや混じり合ったものか。どれにしても前向きな感情は無い。ひたすらに、急速に心が病んでいくばかりである。
 --よし、死ぬか
 彼はアッサリとその言葉を紡ぎ、所持していたナイフを首に当てる。一瞬だけ妹に会えることを望み、鍛えられた技術を代償にするように--
 
 「待てーい! まだ若いのに死ぬんじゃねえよ!」
 「グホァッ! ……ガハッ! ゲホォァ!」
 「……あ、やべ。やり過ぎましたねこれは。……とりあえず連れてくか」
 
 いつの間にか現れていた青年に腹を殴られ、久し振りの感触を味わいながら彼は気絶した。胃を押しつぶされたことによる吐瀉物の排出とともに。
 ……その吐瀉物には、彼のものではない何かが含まれていた。
 
 ◇
 
 「よう少年、目は覚めたか?」
 「……あなたは?」
 
 次に少年が目を覚ましたのは和室だった。隣には和服を着た青年が座っており、自分を此処へ連れてきたのは青年なのだと彼は直ぐに気づいた。
 何があったのか、彼は簡単に思い出そうとして我に帰る。
 自らが衝動に駆られ、首を切り落とそうとしていたことを思い出したためだ。途端に押し寄せるは後悔と悲しみ、自分は何をしていたのだという叱責。
 こみ上げる吐き気をどうにか抑え、今は自分を止めてくれた青年に問う。
 
 「俺? 俺はこの宿のオーナーだ。おっさんとでも呼んでくれたらいい。」
 「えーと、おっさんって年齢じゃ無いですよね?」
 「色々あるんだ気にするな。で、お前の状況をざっと説明するぞ。魔術師の家系である柏木家の現当主の中で何かを探し、見つからなかったら家を破壊、そのまま自殺しようとしたところを俺に腹パンされ気絶、んで此処に運ばれたというわけだ。記憶に違いは?」 
 「ないです。……それはいいんですけど、何で知ってるんですか?」
 「何をだ?」
 「魔術師の家系というところです。一般人には知られていない筈ですよね。オーナーのような顔つきの一族をみた覚えがありません。」
 「お? そんなこと覚えてんのか。……まぁ、確かに魔術師とは関係のない家系だよ。柏木家について知ったのは今日、調べてこいと頼まれたのも今日だ。俺の親友が帰りに寄っていけっていうもんだからな。仕方なしに調べにいったわけだ。」
 
 彼は魔術師の家に知った上で近寄る青年に驚いた。普通、魔術師というのは忌避される存在で、近寄りたいと思うものでは無い。ましてや、友人に頼まれたからという軽いノリで行くようなところではないのである。
 そして、彼は当然の疑問を覚える。
 彼は立場を知られるようなことはしていないし、数年間は閉じ込められていたのだ。この青年が知る機会なんてある筈がない。
 
 「どうして俺に話せるんですか?」
 「どうしても何も、お前が正しい後継者だろ? 柏木時雨、前当主柏木辰巳の息子であり、本来柏木家を継ぐべきだった人間。それぐらいは知ってんだよ。」
 「……俺は、世間から見られないようになっていました」
 「当然それも知っている。親友から聞いたからな。ちなみに、お前の妹のことも聞いたぞ。無事に生きていると聞いた」
 「……っ!? 美雨が……生きている……!?」
 「何勝手に殺してんだ。苦痛が無くなったから妹がいなくなったと思うのは仕方ない。が、それで生存を信じないと兄としては失格だぞ。お前が本当に妹を救いたいのなら、お前は生き延びようとするべきだった。分かるな?」
 
 青年は先ほどの気さくな様子ではなく、剣呑な雰囲気で彼を諭す。
 彼の逃亡を防いだ者としてではない。ただ一人の大人として、同じ大事な存在がいる男としての話である。その言葉は決めつけと言ってもいい内容ではあったが、彼は間違いだとは思わなかった。
 
 「……そうですね。分かります。」
 
 彼の行動は妹の美雨と変わらない。絶望したから自殺という形で逃げようとしたのだ。あの世で邂逅したとしても、彼らは決してお互いに気付かなかっただろう。
 彼は今、少しは冷静である。それ故にどうするべきだったかぐらいは理解している。だからこそ暴れるわけでもなく素直に青年の言い分を認めたのだ。これが無茶苦茶な言い分だったとしても、喚くようなことは無かっただろう。
 
 「んでもって時雨、お前は一度死んだ身だ。あの時に自殺しようとしていたのは間違いないんだから否定はするなよ?」
 「異論はありません。一応、助けてもらった身ですから」
 
 青年は彼の返事に笑みを浮かべながら頷いた。青年にとってその返事は満足のいくようなものだったらしい。だが、それだけでは終わらなかった。
 青年はおもむろに口を開きこう言った。
 
 「そういうわけだからお前、今日から俺の弟子な?」
 「……はい?」
 
 呆気にとられる彼を見て、またまた青年は満足そうに頷いた。
 

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