元勇者の吸血鬼、教師となる

妄想少年

020

 私は、この変わり果てた世の中で非常に珍しい、《無能者》と呼ばれる人種だ。
 この星、地球はある日を境に急激な変化を遂げた。魔物が現れ、一般人に知れ渡ってはいけない魔法が広まり、優れた一族しか持たない魔力を持ち出した。
 --そう、私は数千年前から続く魔法使い……いや、魔術師の家計に生まれた。厳しくも優しい両親や優しく強い兄に囲まれ、同年代の子供と切磋琢磨しながら人生を過ごしてきた。
 当然、優秀な魔術師の家計に生まれたからにはキツく投げ出してしまいそうになる訓練もあったし、大怪我だって何度も経験した。
 
 『頑張りなさい。でも、挫けそうになったら何時でも私たちに相談なさい』
 『お前には才能はあまりないが、努力する心の強さがある。挫けるな』
 『辛くなったら言いに来い。何時でも兄ちゃんが支えてやるからな!』
 
 そのたびに彼らの優しい言葉が思い出され、私の心を奮い立たせたのを覚えている。練習が終わると頭を撫でてくれて、とても嬉しかった。
 穏やかな母は、私を娘として見てくれていたということを知っている。一緒に眠るときに喋ってくれたお話は、道具に向けるものではなかった。
 不器用な父は、口下手ながらも私に向き合ってくれた。照れながら誕生日プレゼントを渡してくる父の姿は、とっても頑張っていたように見えた。
 明るくて格好いい兄は、一番私を甘やかしてくれた。良いことをしたら褒めてくれたし、悪いことをしたら怒り、何が悪かったのか理解すればやはり褒めてくれた。
 そんな家族が、ずっとずっと大好きだった。
 
 『グルゥァァァアアアアァァァァ!』
 
 しかし、そんな優しくて楽しい日々は、あの日をもって終わってしまった。……いや、正確には、あの一体の悪魔によって終わってしまった。
 五年前のあの日、突如として現れた巨大生物に、強い魔力を持つ魔術師の一族は喰い殺されていった。後々分かったことだが、あの生物の名前は邪龍というらしい。
 当時十歳であった私には、あの恐怖をどうすることも出来なかった。
 
 『大丈夫よ。あれは私たちがなんとか倒すわ。あなた達はここでまってなさい』
 『安心しろ。俺たちが爬虫類如きに負けるわけはないだろう?』
 
 そう言って、魔術師としての両親は邪龍に立ち向かった。親としての両親は私たちを家の中に魔法で拘束し、絶対に外に出られないようにした。
 両親は天才的な魔術師だったということを知っていた。私たちの家計の中でも歴代トップレベルに優秀な才能を持ち、努力も欠かさなかった逸材らしい。
 ……そんな両親も、邪龍という圧倒的な力を持つ者には敵わなかった。気が動転していたからよく覚えていないかが、悲鳴は聞こえていたと思う。
 
 『人は!? 誰か生き残りはいないのか!?』
 『龍牙、あのクソドラゴンは僕が殺る。生き残りは何が何でも探し出せよ?』
 『当然だ、ここは頼むぞ!』
 『了解。くたばりやがれクソドラゴン!』
 
 その時、二人の男の声が聞こえた。今思えばその声は若く、両親ほどの年もいってなかったのだろう。そして、両親の死をなんとなく察した。兄は気丈に振る舞おうとしていたものの、私を抱きしめる力は強くなっていた。
 数十秒後、邪龍の咆哮は聞こえなくなり、私たちの前には一人の男が現れた。返り血で汚れた学生服を着ており、男自身も戦っていたというのが分かった。
 男は私たちを見つけると涙ながらに近寄り、兄共々私を抱きしめた。
 
 『……すまない。君たちのご両親は見つけられなかった。』
 
 後にこの男が『リベリオン』序列一位となる存在だと知ったのは、大分後のことだ。
 男に抱きしめられたことで生き残れると安心したのか、その時の私たち兄妹は眠ってしまった。確かな温もりがあり、両親が亡くなった悲しみを忘れようとしたのかもしれない。あるいは緊張の糸が切れただけなのか、それは今でも分からない。
 目を覚ますと私たちを抱きしめたあの男はいなくなっていて、私たちは孤児院に預けられていた。出資者はあの男と、もう一人の男らしい。
 思えば、この時の私たちは幸せからはかけ離れた境遇になってしまったが、本当の地獄というものはそれからだったのだろう。
 
 『あなた達の引き取り手の方々が来たわ。ご両親の親戚なんですって。』
 
 そう言って男女を連れてきた孤児院の院長は、私たちに義理の両親が出来てとても嬉しそうにしていた。彼女は親を失った私たちのことを愛情込めて育ててくれて、悪意なんてまったくない喜びだということは分かっていた。優しい人だったのだ。
 この頃私は十二才、兄は十三才、あの日から二年の月日が経っていた。何故身を引き受けるまでの期間が長かったことに何の違和感も持たなかったのかだろう。
 時期から考えて、彼らが引き取ったのは善意でないと気付ける筈なのに。
 
 『此処が君たちの新しい家だ。寛いでくれたまえ』
 
 温和な笑みを浮かべる男の瞳の奥は濁りきっていた。なのに、私たちはそれに気付かず、男のことを信頼してしまった。
 それから半年後、男は素顔をさらけ出すようになった。
 とある日、男は私たちに対して魔術を行使してきた。女も引き留めなかったことから、私たちに攻撃することは知っていたのだろう。
 女の顔は、どうしてか安心しているようにも見えた。もしかすると、私たちが攻撃の対象になる前は、あの女が標的だったのかもしれない。
 
 『君らの両親のせいで私の人生は……ハハハハッ! あのクズどもの代わりだ! 存分に苦しみ、絶望したまえッ!』
 『ん? どうだね? 抵抗出来ないままいたぶられる気分はッ! それが私に対してあのクズどもが与えてきた屈辱だッ!』
 
 男は、狂ったように私たち、特に私を攻撃してきた。魔術もそこまでな上に、異能を持たない私は男からすると絶好の的だったのだろう。
 男の行いを簡単に振り返れば両親の才能に嫉妬し、才能無きその娘を恨みの捌け口に使った、といった所だろうか。今となってはどうでもいいことだが、本当にくだらない。
 そして、私の心が壊れなかったのはひとえに兄がいたお陰だろう。
 
 『大丈夫だ。お前の痛みは俺が背負ってやる。《-------》』
 
 兄は、自らの異能を使うことで私の痛みを引き受けた。自分も攻撃さえ苦痛を味わっているというのに、その苦痛は言葉で表せないほどのものだっただろう。
 当然止めた。大好きな兄が自分のせいで苦痛を味わっていると思うと胸が苦しかった。でも、兄は苦痛に顔を歪ませながらも、どうにか笑顔を作り大丈夫だと言った。
 正直なところ、何が何でも止めようと思えば止められた筈なのだ。それをしなかったということは、私の心は弱かったのだろう。
 現に、私は弱い心で行動を起こそうとしていた。 
 
 『ククク、嬉しいかね? 君はこれから学生となる。その間痛みを全て引き受けるのは君の妹だ。精々、呑気に学生生活を謳歌したまえ。』
 『ふ、ざけなるな! 学生にするなら、俺じゃなくてあいつにしろ! お前がこれ以上あいつを苦しめる理由は無いだろうがッ!』
 『何を言っているのかね? 親戚の弱者をいたぶる、それは君の両親もやってきたことだろう? 私はそれを繰り返しているだけだが?』
 『俺の両親がそんなことするわけ無いだろうがッ!』
 『ククク……黙れ。君に選択肢などあるわけなかろう。《----》……おい、連れていけ。死なぬように、な?』
 『……は、仰せの通りに』
 
 そんな会話が聞こえた次の日から、大好きな兄は姿を消していた。兄はずっと守っていてくれたし、最後まで抗おうとしてくれたことを知っていた。だからこそ思った。
 --あぁ、ようやく死ねる、と。
 兄が助かったのなら、私がこの世界に生きている理由は無い。さっさと首でも吊って、屍になろう、そう思ったのだ。
 その時私は十四才、本来であれば中学二年生として生活していた頃のことだ。
 ……終われると思った。けれど、終われなかった。
 
 『おやおや、どうしたのかね? 首吊り自殺など、私が許すはずも無かろう? 自殺したいのならば、舌を噛み切るぐらいのことをやってみたまえ。まぁ、即死しない限りは私が治してしまうが、ね。』
 
 男は、私の死すらも許そうとしなかった。むしろ、死のうとしたことがきっかけで与えてくる魔法の量は増えていった。
 ……それでも私に痛みが無かった。兄は、男から解放される場所にまで行ったのに、尚私のことを守ろうとしてくれたのだ。
 嬉しい、という感情はある。兄の優しさは尚も無くなっておらず、今でも私を守ってくれていたのだ。しかし、それよりも悲しいという気持ちが上回った。私なんか忘れて学生生活を謳歌してほしい、そう望んだのも事実だった。
 
 『さて、兄を失った君は、どれほど耐えられるのだろうね?』
 
 それからの日々は、痛みを感じずに死ぬ方法を模索するというものだった。私自身、ある程度の痛みなら仕方が無いと思っていた。痛みを省みずに死ぬぐらいなら、覚悟は出来ていたからだ。だが、その痛みは私ではなく兄に行く。
 手首を切れば、手足を失ったような痛みが兄を襲うだろう。
 体を燃やせば、全身を蹂躙される痛みが兄を襲うだろう。
 首を吊れば、それこそ兄の命が先に尽きてしまうだろう。
 学のない私が考えて考えて、それで思いついたのが--『即死』、即死をすれば兄は痛みを感じないし、その前に私は死ぬことが出来る。
 車に跳ねられるのは駄目だ。魔力により頑丈になった体では、可能性が非常に高い。下手をすれば兄が動けなくなる。
 ……となれば、思い付くのは一つ。飛び降り自殺だ。そのためには男を欺いて外に出なければならないし、そんか機会は早々に訪れない。
 
 『私たちはこれから海外に行ってくる。くれぐれも変な気は起こさぬようにしたまえ。ククク、安心したまえ。監視ぐらいは付けておこうではないか。』
 
 ……時は経ち、そのチャンスはようやく訪れた。
 

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