元勇者の吸血鬼、教師となる

妄想少年

000

僕はただ、彼女が愛おしくて仕方無かったんだ。
 此処は僕が15年間という短くも長い時を過ごしてきた地球では無い、パラレルワールド。地球をベースにこの世の王が創り上げた別世界と言ってもいい。
 悲しみが悲しみを生み、憎しみが憎しみを生む負の連鎖、勇気が絶望に染まる。そんな地球では有り得ないようなことが当然のように起こる……それが此処だ。
 そのようなパラレルワールドにおいて、僕は孤独だった訳では無い。
 赤子の頃から一緒に過ごしてきた親友も一緒だったし、ゲームの中とはいえ五年間も仲間だった戦友も、僕のことを主と仰ぐ従魔もいた。
 ……しかし、その頃の僕はまだ精神的に若く、この……次元とでも呼ぼうか、この次元で過ごすことで心は荒み、傷ついていった。


 --そんな時だった。紅色の鮮やかな髪で、吸い込まれるような美しい黒の瞳をした一人の少女に出会ったのは。薄暗くて、吐き気を催す臭いで、じめじめとしていたあの場所。鉄格子に囲まれたあの場所が、僕と彼女が最初に出会った場所だった。
 数多もの星が輝き、美しい満月が闇夜を照らす夜だった。そう記憶している。


 今でも、どんなむごたらしい場所で、彼女とどんな話をしたのか、彼女にどんな想いを抱いたのか、そんなことを鮮明に憶えている。


 『ねぇ、貴方の名前はなんていうのかしら?』


 彼女に名前を答え、僕の名前を呟いて何故か嬉しそうに微笑む彼女の表情は、一輪の薔薇の様に可憐で、僕の心を掻き乱したのを憶えている。
 あれは、彼女と出会って五日後の事だった。初めて心を許してくれて、自己紹介すらしていないことに気付いた僕らは笑いあったものだ。


 『ねぇ、貴方は何が好きなの?』


 まだ年端もいかない少女のように、純粋な笑みを浮かべ、目を輝かせて聞いてきた彼女の姿は、僕の荒みきった醜い心を少しずつ癒してくれた。
 あれは彼女に出会ってから六日目の事だった。
 多分、この時点で僕は彼女に惚れていたのだろう。


 『ねぇ、貴方はどうして私に会いに来るの?』


 長い間彼女の下に通い、どうやって彼女を鉄格子に囲われた場所から奪いだすことを考えて過ごしてきた僕に、彼女は不安そうな表情を浮かべてきいてきた。
 あの時は不意打ちだった。反則だと思う。あと少しで彼女の体を抱きしめ、そのまま連れていった事だろう。それほどまでに僕の庇護欲を刺激した。
 ……確か、一緒にいたくなっていったからと答えたのだったか。


 それから数ヶ月後、僕は彼女を外へと連れ出した。鉄格子に囲まれた場所から奪い取ったのだ。この頃の僕は、彼女のおかげでまともな精神状態に戻っていた。
 全ては彼女のおかげだ。感謝しかない。
 外の世界を考え、キラキラと瞳を輝かせていた彼女を見て、僕はこれでよかったのだろうと思った。彼女がそれでよかったのは分からないのだが、僕は我が儘だったのだろう。


 『ねえ、これからどこに向かうの?』


 この場所から抜け出して、外の世界を見てみたい。僕が通い続けている間、そんな願いをいつも語っていた彼女は、とても楽しそうだった。
 この笑顔があったら他のことはどうでもよかった。
 少なくとも、鉄格子に囲まれた場所から彼女を奪い取ったとき、僕は幸せで幸せで仕方が無かったことを憶えている。
 なにしろ、異性として初めて愛した人と、ようやく共に歩んで行けると思ったのだ。僕の生きて行く、強くなる理由となっていた彼女と一緒にいられると思ったのだ。これで喜びを感じない男なんて、感情を捨てきった肉人形ぐらいのものだろう。
 それからしばらくの間、僕と彼女、親友や戦友、現地で出会った新たな仲間や、従魔との旅は険しくも楽しい、とても充実したものだった。
 時には襲い掛かってくる敵を殺した。そこで知った彼女の強さは美しく、普段とは違った凛々しさがあった。そんな時は彼女を可愛いとではなく、かっこいいと思った。かっこいいなんて言ったら彼女は怒ったが、その姿も愛している。
 時には、高そうなレストランや宝石商にも行ってみた。高い店に入ることには慣れてなくて、ちょっと震えている彼女の緊張っぷりは、見ていて微笑ましかった。僕の悪戯心が働いて、ウズウズしてしまったのは言うまでも無い事だろう。


 時は経ち、僕と彼女との間には子供が生まれていた。
 そして、綺麗な夜空と月が見える穏やかな場所に僕らの家を作り、たまに知人友人を招いて幸せに暮らしていた。僕の幸せの全盛期の事だ。
 そこでも僕は、彼女の魅力をいくつも知ることになった。


 『貴方、どうすればいい!?』


 子供をあやすためにあわてふためく彼女。僕は子供の世話を兄弟で慣れていたから大丈夫だったが、ずっと一人だった彼女には難しいものだったようだ。
 あわあわと焦る彼女を見て、クスリと笑ったのも幸せな思い出だ。
 --笑わないでと怒られたが、反省はしなかった。


 『……ど、どうしよぅ……助けてぇ。』


 泣き出す子供につられて泣きそうになる彼女。悲しいのではなく分からないから瞳に涙を溜める彼女は、以外と子供っぽいんだなと思った。
 また、どうしようかと悩むぐらいには子供のことを愛していると知って、やっぱり幸せな気持ちになった。またまた怒られた。


 いつしか子供は育ち、僕はこの次元に来た目的を果たすために旅に出た。それまで僕らのことを待っていてくれて、この次元を守っていてくれた友達には感謝しかない。
 本来の僕らの目的は、この次元にいるとされる敵を滅ぼすことだった。それが出す被害をどうにかして食い止めてくれていたのは、他ならない仲間達である。
 僕は、友達面をして彼らと共にいられるような人間では無かっただろう。戦い、強くならねばならない状況で、たった一人の女性を幸せにするために役目を一時期放棄していたのだ。そのことに後悔はしていなかったし、彼らには後悔するなと怒られた。


 戦いながら、またしばらく時を過ごしていると、とうとう彼女は老いはじめた。彼女はヒトではなく長命な種族だったが、老いるものは老いるのである。
 そして、彼女の種族が老いはじめるということは、寿命が残り一年だという証拠だった。長命な種は長い間を生きるため、残りの一年で急速に老いてゆくのである。
 ここから、僕らの最後の生活が始まった。
 僕の起こした行動は一つ、とある神と一つの契約を結び、彼女と生きられる最後の一年を親子三人で過ごせるように取り計らってもらうことだ。その結果用意してもらったのは、かつて親子三人で過ごしたあの場所に似たまったく別の空間。
 ……彼女の、死に場所となった場所である。


 僕は妻子と暮らす毎日を、悩んで悩んで過ごしていた。
 やはりあのとき、彼女と出会ったのは間違いだったのではないだろうか。彼女に毎日会いに行く生活をしていたのは、彼女の選択肢を奪っていたのではないだろうか。僕はまったく老わないのに、日々彼女だけが老いていく苦痛を味合わなくて済んだのではないだろうか。
 分かっている。これは僕の我が儘なのだ。
 日々を過ごす中で、悪い思考ばかりがぐるぐる、ぐるぐると巡っていた。何度も泣いたし、何度も寿命という超えられない壁を憎んだ。


 --しかし、僕が泣いているたびに彼女はこう言った。


 『……泣かないで? 貴方が泣き顔になっているなんて似合わないわ。ほら、肩の力を抜いて? いつも通りのふざけてた笑顔を私に見せて頂戴?』


 彼女は、僕が思う以上に心も体も強い、大きな女性だった。簡単な事にうろたえて、ちょっとしたことで悲しんだりする少女は、とうの昔にいなかった。
 そんな彼女を美しいと思うあたり、僕は駄目な人間なのだろう。


 『そう、その笑顔が見たかったの。やっぱり、貴方は泣き顔よりも笑顔のほうが似合っているわ。……あぁ、また涙が流れてるわよ』


 そう言いながら涙を拭ってくれる彼女を見て、僕はやっぱり彼女を失いたくない、出来ることならば一緒に朽ち果てたい、そう思った。
 僕も一緒に死ぬと彼女に伝えると、彼女はかつて見せた凛々しい表情で、怒気を含めながらこう言った。


 『駄目よ。貴方には生きる理由と使命があるじゃない。……ごめんなさい、嘘よ。本当は私たちが生きてきたこの世界を終わらせたくないだけ。ね、頼めるわよね?』


 最後に泣きそうになるのなら、最初から言おうとしなければいいのに、そう思いながらも、彼女のことを愛おしいと感じた。……彼女にも、弱さは残っていた。
 彼女は厳しくもあり、優しくもあり、強くもあり、そして弱くもある女性へと成長していた。そんなことはとっくに気付いていたのに、僕は目を逸らしていたのかもしれない。
 彼女が立つことも出来ない程に老い、しわくちゃのおばあさんになる頃には、僕の心にも芯が出来ており、折れぬものへと変わっていた。
 僕や子供が食べ物を食べさせ、おむつを替えたりする介護や、車いすに彼女を乗せて散歩をしたりする僕らの時間は、穏やかに静かに過ぎていった。
 近く、彼女に訪れる死を、僕の心は受け入れることが出来ていた。悲しみはあるが、それよりも少ない時間を楽しむべきだと割りきったのだ。
 ……また時間は、過ぎてゆき、僕らの子供は二人の時間を尊重しろとでも言うように、いつの間にかこの空間からいなくなっていた。


 『貴方と過ごしたこの一生、とても幸せだったわ。』


 僕らが初めて会った日のように、星が輝き、月が夜空を照らす夜のこと、僕らは二人で会話をしていた。すると、彼女は唐突にそのようなことを口にした。そして、僕らとのことを思い出しながら語り出したのである。
 僕を最初に見たときは何だこいつと思ったこと。何回も会うたびに僕に興味が湧いていったこと。初めて外に出たときの感動。仲間達の気のよさ、心の優しさ。子供が生まれた喜び、育っていくことの喜びと難しさ。


 『ふふ、やっぱり、あの時貴方に着いていって正解だったわね。』


 彼女は、上手く喋れる状態では無いというのに、ずっと思い出を話していた。ゆっくりと、一つ一つのことを思い出すように。何が何でも忘れないと決意するかのように。
 --あぁ、彼女もは怖いのだ。自分が死ぬことが。いや、それよりも自分が死ぬことでみんなから忘れられないかが。
 穏やかに微笑んでいるように見える彼女の唇は微かに震え、その瞳には怯えが含まれていた。
 大丈夫、大丈夫だと彼女に言いつづけた。君のことは誰も忘れないと、忘れたとしても僕だけは永遠に覚えているよと、彼女に思い浮かぶ限りの安心させる言葉をかけた。彼女の忘れられたくないという気持ちに答え、絶対に忘れないと伝える為に。


 『ありがとう、ずっとずっと、忘れないでね? 最後の約束よ。』


 彼女は僕に弱った手を延ばすと、僕の頬へ微かに触れた。それから何も言わずに腕を降ろし、ゆっくりと眠りについた。僕は落ちる腕を確かに掴み、全てを察した。
 そのまま、彼女が起きることは無かった。
 ずっと彼女の手を取り、顔を眺め、体温が失われたのを感じると、僕はそっと彼女の手を離し、夜空に輝く星と、夜空を照らす満月を見た。
 普段は大好きなその景色も、その夜だけは目に貯まる涙でぼやけ、何も見えなかった。


 これから僕は何の為に生きていけばいいのだろうね。


 『教えてくれよ……リリス』


 そう静かに呟くと僕の瞳から悲しみが涙と共に溢れ出した。
 --それが僕、不老不死の吸血鬼にある最も幸せで悲しみ記憶だ。

「元勇者の吸血鬼、教師となる」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く