セブンスナイト ―少年は最強の騎士へと成り上がる―

清弥

助ける為に

 数m先でさえ見えない暗闇の中、一人の青年は両膝を抱え蹲る。
 受け入れがたい現実から目を背ける為に、目を閉じ耳を塞ぎ呼吸をギリギリまで抑えた。


 知らない。
 暗闇も、獣の唸り声も、血と肉が腐ったような匂いも感じないのだ。
 少しでも動けば死ぬような環境に、自分が居る訳がない。


 考え、思い込み、今にも襲い掛からんとする恐怖を少しでも和らげようと尽力する。
 そうでもしなければ、ただの一般人である彼の心は耐え切れそうにもなかった。


(……母さん)


 手の中に握りしめているロケットを握りしめる。
 逃げ続ける青年の唯一の救いを、決して離さないと言わんばかりに。


(……父さん)


 ロケットを握りしめて、声を潜めて存在を隠せば……いつか誰かが救いに来てくれるのだと思える。
 たとえどれほど小さな確率だとしても、絶望に染まることはなかったのだ。
 決意を胸に抱き必死に耐え続ける青年の鼓膜を、ナニかが揺らす。


「Ki――――」
「ひッ……!」


 思わず、声が出た。
 怯えるような、胸からせり上がったその悲鳴を青年は止める事ができなかったのである。
 そしてその絶望の声を聞き逃がす物体はいない。


 湿り気の多い洞窟内の地面を歩く音が響く。
 ヒタ、ヒタ、ヒタとゆっくり……だが確実にその足音は青年の元へと近づいていた。


「あ」


 暗闇に慣れたその瞳は、奥から迫る物体を視界に映して青年は間抜けな声を出してしまう。


(“余物”だ)


 これは駄目だ。
 即座に青年は諦めの息を漏らす。
 ただの獣ならまだしも、“余物”に勝ち目はなく逃げる事すら不可能だろう。


 死んだ生物の身体を乗っ取り使う“余物”は、本来生き物に合って然るべき身体のリミッターを外すことが出来る。
 普通ならば凄まじい痛みを伴って外されるリミッターは、しかし死体である“余物”には関係がない。
 どれほど筋肉繊維が千切れようとも、骨が砕けようとも、内臓が潰れようともそれを伝える痛覚がないからだ。


 狐の“余物”は虚ろな目で人間を認識すると憎悪を宿す。
 あぁ、あれは敵だ、紛うことなき敵だ。


 ――殺さなければ。


「Ki――――!」
「うわああぁあぁぁぁ」


 もう駄目だと青年は叫ぶ。
 生き物離れしたその顎力で、鋭き爪で肉片残らず殺されるのだ。
 たまらずロケットを両手で握りしめて強く目をつむる。


 憐れ青年は“余物”に八つ裂きにされ――


「“風よ、舞い護れプロテクト”!」


 ――ることを、『緑の騎士』は許さない。


 その時、青年の瞳に映ったのは緑の風だった。
 穏やかでありつつも踊り狂うその風は青年の周りを囲むように回転し、“余物”が振るう爪を弾いて見せる。


「今だ、アニータ!」
「えぇッ!」


 軽い破裂音が洞窟内に響き渡り、狐の形をした“余物”の脳を何かが打ち砕いた。
 あっけないと青年は思う。
 生物としての限界を超えて、青年が成す術無く叫ぶことしか出来なかった相手が一瞬でこの有様だ。


(隻腕の騎士と、女性の騎士)


 緑色の大楯を左手に宿した隻腕の少年と、藍色の両銃を両手に宿した美しい女性。
 その姿を確認した青年は彼らが『騎士』なのだとすぐに察し、体中の力が抜けるのを感じる。
 視界が歪み、音が遠くなって意識が真っ白になった。


「だ、大丈夫ですか!」
「ぁぅ……」


 少年の慌てた声を聞きながら、青年は凄まじい眠気に身を任せて目を閉じる。
 ただ今だけは生きているという喜びを噛みしめながら。








「アニータ、あの人は大丈夫だったのか?」
「えぇ、気を失っているみたいよ。流石に長時間こんな場所に居たんじゃ仕方ないわね」


 逆に良くここまで意識を保っていられたと褒めるべきだろう、とアニータは思う。
 『騎士の力』を扱えるアニータ達は対抗手段があるので、精神をすり減らす心配はいらないが助けたあの青年は別である。
 見つかったら死は免れないだろうし、水も食料もなく助けが来るかどうかすら分からない状態で待ち続けたのだ。


 錯乱してしまっていたら物音を立ててしまい“余物”に見つかり殺されていただろう。
 逆に溜まりに溜まった疲れを癒す為に睡眠をとろうとしても、寝息や寝返り時の音、最悪の場合はいびきの音で気付かれる。
 冗談ではなく本当にいつ死んでも可笑しくない状況だった。


「それじゃあウィリアム、その人を担いでくれる?見つけたのだし、ここに長居する理由はなくなったわ」
「あぁ、わかった」


 ウィリアムはアニータの提案に頷くと、死んだように気を失っている青年を背負う。
 完全に体を支える力を失っている青年の体は重たかったが、『騎士』であるウィリアムにはさほど関係はなかった。
 軽々と背負うウィリアムを見て、アニータは先導しようと脚を進めかけて……気付く。


 こちらに殺意を向ける、敵の気配に。


「伏せてッ!」
「――ッ!」


 鋭く叫んだアニータの指示にウィリアムは光の速さで従い、前に飛び地面と身体の表面をこすり合わせる。
 うつぶせに成る形で伏せたウィリアムの背中に乗っかっている青年のすぐ後ろを、何かが高速移動するのがアニータには見えた。
 音も無く地面に着地するナニか。


「なに、これ……?」
「禍族なのか……?」


 そこにいたのは黒い影。
 あらゆる憎悪をその身に宿したような、禍々しい物体だった。
 最近になってよく見るようになった禍族である。


 ――ただ、その形状はあまりに常識から逸脱していたが。


 通常、禍族は生物の形を模範していることが多い。
 何故あのような形をしているのかは誰もわからないが、重要なのはその形故に対処がしやすかったということだ。
 人の形をしていたのなら大抵、足元を攻撃することでバランスをとれなくしたり出来るのである。


 だが、目の前のアレは何だと言うのか。
 何を模範して形とったというのか。


 全体の輪郭ははっきりとせず、グニャリと何度も形を変えては消えていく。
 少なくとも見た目は固形物を模範していないのは明らかで、液体状のように見える。
 しかし液体状に見えるだけでその実質は液体のように流れてはおらず、自らの意志をもって動き続けていた。


 あまりに生物とはかけ離れた形。
 もし知っている者がここにいたのならば、こう呟くだろう。


 “スライム”のようだ、と。


「アニータ、来るぞッ!」
「えぇ!」


 敵が何であるかはいつでも考えられるとアニータは頭を振り、すぐさまウィリアムの声に肯定すると両銃を構えた。
 動く暇は与えず、牽制の一撃を加えるべくその引き金を引く。
 破裂音が響き弾丸はまっすぐスライムの元へ飛んでいき……避けることもせず直撃した。


「~~~~」
「う、そ……」


 アニータの得物、“純水之救済ルニアリィ”は銃の形をしている。
 それ故に一点を穿ちきる凄まじい貫通力を誇り、生半可な鎧では防ぐことすら不可能だ。
 防ぐのが無理ならば避けるべきだと思われがちだが、秒速381mほどの速度で飛ぶ鉄の塊を避ける生物はいるのだろうか。


 まず普通の人なら無理だろう。
 一般人の最大の反射神経はまばらに配置された1~50を探して、順に当てていくゲームの場合最速で「5.45秒」だと出ている。
 確かに驚異的な数字ではあるが、そうだとしても「5.45秒」の反射神経を持つ人が拳銃の弾を避けることは不可能だと即答できた。


 故に、アニータは今までこの両銃から放たれた鉄の塊が少なくとも禍族程度に防がれることは無いと信じ切っている。
 しかしその信頼は打ち砕かれた。


「~~~~」


 スライムの形をした禍族は真正面から銃弾を受けきると、突き進まんとした鉄を逆に飲み込んでしまったのである。
 避けもせず、防ぐこともせず、ただ飲み込んだだけ。
 敵にとってただ穿たんとする小さな鉄など、障害にも成り得ないのだ。


(ウィリアム、これは相性が悪すぎる!)
(あぁ、分かってる……!)


 “余物”相手には必中必殺を体現してきたアニータの武器が、一切として通用していない。
 その事実にウィリアムは現状況が不利だと即断し背負っていた青年を片腕で担ぐ。


「アニータッ!」


 信頼する攻撃が通用しないことに多少なりともダメージを受け、苦虫を噛み潰したような表情をしていたアニータに担いだ青年を放り投げた。
 人がいきなり宙を舞い飛んできたのだから、アニータは驚きつつもしっかり負担がかからないようにキャッチする。


「お前じゃ不利だ、その人を背負って今すぐに逃げろ」
「……貴方はどうするの?」


 分かり切った問いにウィリアムは笑う。


「そんなの決まってる、時間を稼ぐ」
「また!そうやって、自分を犠牲にしてッ!」


 納得できないと言わんばかりのアニータに、ウィリアムは真っ直ぐ視線を向けた。
 出来るだけ真摯に、出来るだけストレートに。


「頼む、助けられるのはアニータ……お前だけなんだ」
「――――」


 助け。
 今助けを必要としているのは誰なのか、それが分からないアニータではなかった。


「~~~~」
「ッ!早く!」
「えぇ、わかったわ」


 迫りくるスライムを認識し、ウィリアムは焦ったように叫ぶ。
 アニータは戦い続ける少年に背中を向けて、青年を背負い外に向けて走り出した。


(すぐに戻る!)


 担いだ青年を、護り続ける少年を助ける為に。
 ただひたすらに駆け抜けた。

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