どやすべ

奥嶋光

⑦僕の罪

寮を出てフラフラ歩いていると、程なくして前方に小柄な女性が歩いているのを見つけた。小雨が降っていたからその女性は傘を差していた、ピンク色の傘が女子っぽい。後ろからのシルエットに何とも言えない愛嬌を感じた。
僕はしばらくその女性の後をつけるように息を殺しながら歩いた。
道を曲がる時に横顔が見えると、その女性は肌が白くて眼鏡を掛けていた、髪は栗色で後ろで束ねている。清楚でおとなしそうだなと思った。
話し掛けてみたい、僕はそう思いながら考えた。ナンパなんて高等技術は僕にはない、イケメンかパリピ系の特権だと思っていた。
今の毎日をぶっ壊して変えたい、そう思っていた僕はいつもより大胆になりたかった。
そうだ、道を知らないふりをして話し掛けてみよう。優しそうな人だし少しは会話が成立するだろう、そう思いながら声を掛けてみた。

僕「あの〜 すみません。」女性は少し警戒気味に僕を見た。並ぶとなおも小柄で可愛らしい人だった。
僕「田舎から出て来て、道が全然分からなくって。駅までの道を教えてほしいんですけど、良かったら途中まで一緒に行ってもらえませんか?」
女性「えっ、ああ… はい、途中までなら…。」女性は驚きながらも断れなかったのか行ってくれるという。
僕「ありがとうございます、助かります。」ああ、予想通りの優しそうな人で良かった。しかし一緒に歩く事は出来ても次にどんな風に喋れば良いか分からなくなり。無言の状態が続く、その女性はいい加減気まずいと思ったのか。
女性「田舎から出て来たんですか?大変ですね。」と聞いてくれた。
僕「そうなんです、青森の八戸から出てきて、慣れなくって。」
女性「青森なんですか〜 私も秋田出身なんです、慣れるまで苦労しますよね?」女性が少し笑顔になる、だから白くて綺麗なんだと合点がいった。
僕「あ〜 そうなんですか、お姉さん秋田美人ですね。」僕から柄にもなくそんなセリフが出たが、本心だった。
女性「そんな事ないですよ〜。」笑ってくれた。女性との、しかも好みのタイプとの久しぶりの会話に舞い上がりながらも楽しい時間はあっという間に終わった。
女性「じゃあ私はこっちに曲がるんで失礼します。お兄さんはあの線路沿いに左に歩いて行けば駅に着きますよ。」と線路を真っ直ぐ指差して教えてくれた。
僕「ああ… ありがとうございました。」僕は名残惜しさを感じながら秋田美人の背中を見送るしかなかった。

ああ、落胆した気持ちを抱えながら駅の方に向かい彷徨った。
これから何をしようか、悪い事をしようにも不良経験の無い僕にはハードルが高い。道行く人に喧嘩を売ろうにも反撃が怖い、痛いのはやだ。
うるさいバイクに乗り回している奴のバイクを奪ってバイクでぶっ飛ばす、そんな尾崎豊のような真似も出来ない。僕はバイクになんか乗れない。免許を持っていない、原付免許ですら…。
くそっ もっと男らしくワイルドになれたらいいのに、EXILEみたいに。
HiGH&LOWみたいな世界は陰キャな僕にとっては異次元でしかない。パッと思いつくのは陸上で鍛えた脚力を活かしての食い逃げ位か。
ステーキのチェーン店で1万円分位食いまくって食い逃げしたら、田舎の少年達の間では即英雄扱いされる位のワルさ加減だろう。
よしっ 素早く動けるように靴を買おう、僕は大通り沿いにある靴屋に入った。
涼しい店内の中で僕はランニングシューズを手にした。買ったものはビニール袋に包んでリュックの中に入れた。
その後靴を履き替える場所と今の自分にできるであろう悪さをする為に徘徊した、リュックを背負いながらブツブツ言いながら歩く僕ははたから見たらキモかったかもしれない。
そうこうしてると何とさっきの秋田美人を見かけたのだ。彼女はさっきのようにピンクの傘を差していた、僕は嬉しくなった。さっきの優しい彼女ならこんな僕でも受け入れてくれるかもしれない。僕の現状を聞いてくれるはず。
ホームシックだった僕は勝手に男の子が母親に対する想いのような期待をした。
運命なのかな?2時間ぶりの偶然にテンションが上がった。
僕は彼女の後をつけた、人気が無くなった道に入るとサササササッと彼女に駆け寄り再度話しかけてみた。

僕「あの〜 さっきのお姉さんですよね?さっきはありがとうございました。」
彼女は少し不審に思いながらも対応してくれた、調子に乗った僕は続ける。
僕「さっき駅前で用事済ませたんで靴を買ったんです、僕俊足なんで。」
女性「はあ、そうですか…。」
さっきよりもつれない気がした。けど余裕がなかった僕は自分の身の上話がしたくなった、とりあえず話を聞いて欲しかった。
僕「今日は休みなんですけど、仕事がキツくって。朝の10時から翌朝10時の24時間勤務なんです。」
女性「えーっ!それって大変ですね。ずっと起きてるんですか?」
彼女は少し興味を持ってくれたようだ。
僕「仮眠を交代で取りながらなんですけど、なかなかすぐ寝付けないからずっと起きてるようなもんです。」
女性「それは大変なお仕事ですね、労働基準法とかに違反してるんじゃないんですか?」
僕「どうなんですかね、これってブラック企業なんですかね?とにかく寝不足で…。」
女性「お兄さんお若いのにキツいなんて激務なんですね、お疲れ様です。」
僕は癒されるような会話にこんな人が彼女だったら良いなと思った。小さくて可愛くって優しくて癒されるなあ。
年はいくつ位だろう、20代後半から30代前半といったところか。
しばらく彼女と並んで歩きながら勝手に充実感を感じていた、そして僕は聞いてみた。
僕「お姉さん結婚してるんですか?」
女性「はい、そうですね。」
僕「………   そうなんですか……   」
撃沈…。ショックだった、勝手に期待して好意を抱いた僕が馬鹿みたいにだった。
世の中の全てから見放された気分だった、そして僕は黙り込んでしまった。
彼女は少し気まずさと不審さを感じているようだ。
女性「まだ寄るとこあるんで私こっちに行きますね、失礼します。」
彼女はすぐにでも離れたそうに去ろうとした。
行くなっ!僕の元から勝手に離れるな!結婚してるのに何で僕に優しくしたんだ!弄びやがって!指輪をしてなかったから勘違いしたじゃねえか!
自分勝手でドス黒い感情が湧き出てきた。タコとかイカは天敵から逃げる時に墨を吐くというが、きっと今の僕がタコやイカなら獲物を捕まえる時逃がさないよう真っ暗にして視界を奪うのに使うだろう。
胸の中から湧き出たドス黒い感情を墨にして吐き出して彼女を追い詰めてやる、彼女を支配してやる、そんな気持ちだった。
僕にそんな超能力は無いけどリュックの中には家を出る時に入れたアレがある、包丁だ。
自分でも驚く位スッと取り出した、取り出した右手で包丁を彼女に向けた。
「待てっ!」そう言うと彼女は驚いた様子で目が大きくなった、僕の胸はバクバクして今までにない緊張感だ。
「うごぉくなぁよんっ!」動くなよと言ったつもりが声が上ずってしまい震えてしまった、凄いキモい言い方だったと思う。
思い切ったものの、この後どうしようか。行き当たりばったりな行動だけどもう引けないので彼女に包丁を向けたまま迫る。
そうするとその秋田美人は小柄な体からは想像もつかないような大きな声で、
「ぎゃああああぁぁぁーーー!殺されるーー!誰かあーー!助けてーー!わあああああぁぁぁーー!」
と騒ぎ出した。頭が真っ白になった僕は黙らそうと近づこうとするが差していたピンクの傘を大きく広げて向けられ必死の抵抗をされた、とても強固なガードだった。
桃太郎に成敗された鬼になった気がして、僕はどうにもならなくなった。僕の前進が止まると彼女は脱兎の如く逃げ出してしまった。
僕もオロオロしてしまいその場から立ち去った、陸上で鍛えた脚力で。
もうそれからの事は逃げる事しか考えていなかった。

しでかした事を振り返り、ため息をついて空を見上げるとだいぶ日が暮れていた。
ああ、今日起こった事も信濃川の流れのように水に流れれば良いのに。
どやすべ…  僕は後悔していた。

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