どやすべ

奥嶋光

⑥信濃川のほとりで

もうすぐ夕暮れか、信濃川は初めてだ。黄昏スポットとしては申し分ない。黄昏ながら振り返るとする。

東京では今度はしっかり仕事を続けようと心機一転決意した、住むとこは会社の寮だった。
寮は青森から出てきた僕にとっては立派なマンションのようで嬉しかった、早くも出世したかのような気がした。
東京の大企業で働いて立派な社員寮に住んでる俺ってどうよ?地元八戸の奴等に自慢したくなり気持ちがワンランクもツーランクも上になった。
順調に新任研修を終え配属もされた、元々の勤務形態である朝10時から翌朝10時迄という勤務が始まりしばらくすると僕の心身は悲鳴をあげた。
面接の時点で説明を受け分かってはいたつもりでも想像以上に肉体的、精神的にも辛く辞めてしまいたいと思っていた。
東京に出てきて誇らしげだった気持ちはへし折られていた。
一人暮らしの面でも毎日コンビニやスーパーのお弁当、お惣菜を食べていると持病の皮膚炎が悪化して辛かった。
お母さんの手料理が恋しくなり、家を出て親の有り難みを噛み締めていた。
完全にホームシックにかかっていた、そして一人暮らしをしてからこんなにも自分はマザコンだったのかと思い知った。
戦時中特攻隊や兵士は最後母の名を叫んで死んだという気持ちが良く分かった。それからしたら僕の状況など比較するまでもない屁みたいなもので、只の平和ボケなんだけど、それ程母親が恋しく僕は追い詰められていた。
いっそ仕事を辞めて八戸の実家に帰りたいと思い始めてきたが、前職の工場を8ヶ月で辞めてしまったのと、上京を賛成してくれた両親に申し訳ないという負い目から親には相談出来なかった、せっかくお父さんが奮発して函太郎(かんたろう)に連れて行ってくれたのに。
本当に自分が情けなかった、不甲斐なかった。知らない地で知り合いもいなくて不満や悩みを吐き出す事もできずコミュ障で誰にも相談出来なかった。
思いつめた僕はとうとう眠れなくなった、負の感情が最高潮に達した。自分でもどこに気持ちを持って行けば良いのか分からない。
その時に卑怯な考えがよぎっていた、犯罪を犯せば今の生活を壊せる。今の状況から逃れられるんだ。
もうまとも精神状態ではなかった、その時僕はそうするしかないと思いこんでいた。
そう思った休みの午前中フラフラと外に出た、寝不足で頭はボーッとするものの気持ちは高ぶりどこかギラギラしてる僕がいた。
背負ったリュックにはアレを入れて…。

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