僕は間違っている

ヤミリ

8話


一年前
────ジリリリリリ
蝉の合唱で夏らしさを感じる。温度は三十六度くらいで水がないと干からびてしまう、と感じる程暑い。校舎裏は木々がたくさんあって日陰で涼しい。気休めになる。
「颯海は生徒会に入らないのか?」
缶コーヒーを飲みながら、彼杵が僕に問いかける。よく暑い中あったかい缶コーヒーを飲めれるな、と感心する。
「入らないよ、面倒くさいしプレッシャーがあるじゃないか」
「情けない男だな!だからモテないんだぞ」
笑いながら小馬鹿にされた。一言余計だ。今更別に気にしていないが。
「別にモテなくてもいい。彼杵が男前過ぎるんだよ」
「うるさいぞ! これでもモテるんだからな!」
そう言って頬を膨らます彼女は引くほど美しい。どんな顔をしていても欠損しているパーツは無く、人形を見ているようだ。
「本当に臆病者だなあ!お前は!」
「臆病者ですいませんね」
僕は昔から臆病で、消極的であまり目立たない。彼杵の隣に居ると存在感はいつもより薄くなる。それでも僕達は、離れられない。
「また、おばさん暴れたのか?」
心配そうに僕に尋ねる。
「まあね。別に慣れてるから」
「さっきからずっと疲れている顔をしているぞ」
隠しているつもりだったのにバレてしまった。毎回彼女には嘘が通じない。ずっと一緒に居るからだろうか。きっと周りからは金魚の糞だの言われているだろう。
母は僕が小学五年生の時からヒステリックが酷い。たまに癇癪を起こしていて、『非定形鬱病』と診断されている。それと共に、『境界性人格障害』も併発している。まともに生活も出来ず、何度も何度も自傷行為を繰り返したりしていた。最近は大人しくなってきている方だ。家事もできないので、たまに叔母が来てやってくれている。けれど毎日毎日、僕は罵倒を受けていたせいで、自嘲的になっていた。
母がこうなった原因は父の浮気の発覚のせいだった。日々献身的に父を支えていた母にとっては、ショックが大きかったのだと思う。元々優しくて包容力のあった母は一夜にして別人に変わり、避けることが多くなっていた。
しかし昨晩、暴れていた母を押さえようとした時、皿の破片が僕の肩に刺さった。それを見ても母は気にも留めることなく、暴れ続けるだけだった。
「颯海、無理は禁物だ」
真っ直ぐ揺らぎのない瞳で心配してくれている。いつもその眼差しを見ると、安心できる。
「分かってるよ。ありがとう」
「今からゲーセンに行かないか?」
唐突な提案に驚く。
「え? 今から?」
反論しようとする前に、手を引かれ彼女は走り出す。女の子のはずなのに馬鹿力で僕の身体を軽々と引っ張っていく。あっという間に学校から出て、軽快に人混みを抜けていく。
彼杵の長い髪は後ろから見ても、煌びやかで汗をかいていても、むしろそれが輝きを際立たせている。もう体力が限界だ、と思った時近くのショッピングモールが見えた。同じスピードを維持していたはずの足が、段々と遅くなっていく。
「疲れ、吹っ飛んだか?」
前から声が聞こえる。
「むしろ疲れが溜まった気がするよ。けど、スッキリした!」
僕は笑いながら答える。きっと彼女なりに僕を元気づけたかったのだろう。
「良かった!」
そう言って微笑みながら振り返る彼女は、息を呑むほど可愛らしく、愛くるしさを感じさせた。
「さあ! ゲーセンに行くぞ」
「え、ほんとに行くの?」
「当たり前だろ? ほら行くぞ」
そう言ってまた手を取る君は、きっと僕がこんなにも救われていることに気付いていないだろう。
「彼杵には叶わないな」
小さく聞こえない程度に呟く。
「何か言ったか?」
「なんにも」
彼杵は必要不可欠な存在だ。

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