BLIZZARD!

青色魚

第二章62『葛藤ヒーロー』

「おい! コハル!」 

 ようやく雪原ちじょうに戻ってこれたところで気を失ったその少女コハルに、翔は必死にそう声をかける。
 
 その声に、当のコハルは答える様子はない。依然として彼女の目は固く閉じられ、その呼吸は不安定だった。その紅潮した顔は、翔が直接触れずともわかるほど熱を発しており、見たところコハルの容態が決して良いものでは無いことは明白であった。
 
 ──なんだ……、なんでなんだ……!? なんてコハルはこんなに……
 
 翔にはコハルのその消耗具合の理由がわからなかった。確かに先の氷壁登りは翔にとっても辛く厳しいものであった。いくら三年間遠征隊の代理を務めていたコハルとしても、あの氷壁登りは決して易しいものではなかったはずだ。加えて翔と違いコハルは女である。体力の面ではコハルは翔に恐らく劣る、それは翔も理解していた。
 
 ──それでも、なんでこんな……。こんなの、素人目でもわかる危険ヤバさだろ……!
 
 しかし、それを考慮に入れたとしてもそのコハルの様子は異常であった。氷壁登りで体力が摩耗したとしても、コハルのその発熱や、苦しそうに気を失う症状は翔には無いものだった。そのコハルの不可解な容態に、翔は必死に原因を探す。
 
 ──何か、何かあったのか……!?俺になくて、コハルにあったもの。もしくは、コハルがして、俺がしなかったこと……!
 
 翔はその原因を考えた。そして、とうとうその結論に辿り着いた。
 
「……あ……」
 
 翔とコハルは共に氷壁を登った。途中でコハルが力尽き、結果として翔の雪兎シュネーハーゼにより地上に帰還出来たことを鑑みても、翔とコハルの消耗量は凡そ同じであろう。
 
 ただ一つ、翔が使わずコハルが酷使した、凍気フリーガスという力を考慮しなければ、の話だが。
 
「……あの凍気フリーガスの連発が、コハルに相当な無理をさせてた……?」
 
 その事実に気が付いた瞬間、翔はそれまでどれだけ自分がコハルの凍気フリーガスに頼ってきたかを思い出す。
 
 ──まず割れ目クレバスに落ちた時のあの氷の滑り台。それから氷壁登りの時足りない分を補うための氷の鉄釘ハーケンに、最後にあの板状のもの。
 
 翔は未だ凍気フリーガスを使えないため、それらが凍気フリーガスの体力のようなものをどれだけ消費するものなのかはわからなかった。しかし、少なくともコハルが翔と共に地上に戻るために、どれだけ無理をして凍気フリーガスを使って来たのかは、直感的に理解出来た。
 
 加えて、コハルは割れ目クレバスに落ちる前に剣歯虎サーベルタイガーと戦っていた。そのことを考えれば、コハルがどれだけ凍気フリーガスを酷使してきたのか翔は想像できなかった。
 
凍気フリーガスの総量、つまりは純粋な強さも上がってる。もうきっと、遠征隊の皆ともそんなに差がないくらいに』
 
 翔は以前、コハルの戦闘を見てそう分析した。そのことを思い出して、翔は思わず悪態をく。
 
「……馬鹿か、俺は」
 
 翔は今も尚苦しそうにしているコハルの顔を見る。
 
 その少女は、凍気フリーガス精密操作コントロールが上手いだけのただの少女・・・・・である。本来であればこのような吹雪の世界に身を置くことも、そこで厳しい活動をすることもないはずの、ただのか弱い少女である。
 
 ──いくら強くなったとしても、コハルは女の子だ。それを俺は、何を買い被ってたんだ。
 
 そう翔が自らの考えを反省していたその時、コハルの目がうっすらと開かれた。
 
「……ここは……」
 
「っ! コハル! 大丈夫か!?」
 
 そのコハルのか細い呟きに、翔は駆け寄りそう声を掛ける。その翔の顔を少し見てから、コハルは辺りを見渡して小さな声で呟く
 
「……あの。マスクを……」
 
「──っ! そうだ、そうだったな、すまん! 今拾ってくる」
 
 そのコハルの僅かな言葉から、翔は彼女が言わんとしていることを察知し駆け出した。
 
 ──そうだ、俺とかフィルとかキラ以外の人間にとって、ここ・・の空気は吸っちゃ行けないものだろ。そんな当たり前のことにまで頭が回らないとか、マジで何やってんだ俺。
 
 翔はもはや自分のその無能さに苛立ちを感じ始めていた。それでも必死にそれを気にしないように努めつつ、翔は二人が転がったことにより少し荒れたその雪原の中から外れたコハルのマスクの一部を探し出し、それをコハルに渡す。
 
「……ありがとうございます」
 
 差し出されたマスクにコハルはそう簡単に感謝を伝えてから、咳交じりにそれを自らのマスクに取り付ける。
 
「……大丈夫そうか?」
 
 そのコハルの様子を見て、翔はそう声をかける。その言葉に、コハルは力なく問い返す。
 
「マスクの話ですか? それとも私の体調の話ですか?」
 
「……両方だ」
 
前者マスクについては特に問題はありませんよ。推測通り安全フックが外れただけですから。今ハメ直しましたし今後も問題なく使えます」
 
 翔の神妙な面持ちを見て、コハルは何の気なしにそう答える。
 
 コハルが話した「安全フック」というものは、いわばマスクが衝撃で壊れないようわざと接続部の一部を外れやすく・・・・・作っている、その構造のことだった。言うまでもないことだが、物資の限られるこの猛吹雪の世界において、外の空気から身を守るマスクというものはとても貴重なものである。その数に限られることを考えれば──あまり倫理的に良い言い方ではないが──マスクは人命よりも重いものとも言える。
 
 そのためマスクには、それ自体が壊れないため、加えてそれを装着する者が助かるために、一定の衝撃や圧力が加わるとそのパーツの一部が外れ、マスクが修繕不可能になるのを防ぐ仕組みが施されているのだった。その仕組みによってマスクの一部が外れたとしても、それはそのパーツを再度ハメ直すことで簡単に修復可能であるため、マスクにとってもマスクの使用者にとっても何の危険もなしにその後も活動できるのだ。
 
「……そうか。それは良かった」
 
「まあ、壊れてない分にはいいですよね。いざとなったら私も、ちょっと試して・・・見ようかと思いますけど」
 
「……?」
 
 そのコハルの妙な物言いに翔が首を傾げたその瞬間、再びコハルが激しく咳き込んだ。
 
「……っ! 大丈夫かよ!?」
 
「……ああ、後者わたしの方はちょっと大丈夫じゃないかもですね。マスクが直ったにしても結構ここの空気を吸っちゃいましたし。それに、結構無理して凍気フリーガスも使いましたしね」
 
 そのコハルの言葉に、翔は苦い顔になる。
 
「……やっぱり、無理させてたのか」
 
 しかし、そうして翔が申し訳なさそうにするのを見て、コハルは呆れたように言った。
 
なぁーにを罪悪感とか感じてるんですか。私が無理をしたのは、私とついでに・・・・カケル先輩が無事に地上に帰るためですよ。それもどれも必要な無茶でしたし。カケル先輩が何しようが、どのみち私はこれぐらいまで消耗してましたよ」
 
「……それは……」
 
 コハルのその、励ましにとれなくもない言葉に翔は釈然としない。
 
「……それでも、例えばもし俺が凍気フリーガスを使えたら、もう少しコハルの負担を減らせたかもしれないし……」
 
 その翔の自責の言葉に、コハルはまたため息をついて言った。
 
「『もし』の話ですよそれは。カケル先輩の実力なんて、人並外れた運動能力と体力、それとそれを用いたアンリの発明品『雪兎シュネーハーゼ』のコントロールってとこですよね? その点さっきの氷壁登りではその実力は十分に発揮されてましたし。カケル先輩が凍気フリーガスを使えないことなんてみんなが知ってますし、それなのにそんな風に責める人はいませんよ」
 
「……でも、俺は……」
 
 そのコハルの言葉に大部分は納得しつつも未だどこかが引っかかる翔は、そうしてまた何かを口にしようとする。その様子を見て、コハルは鋭い目をしてから翔に問いかけた。
 
「……それとも何ですか? 周りの人の負った傷は全部自分の力不足が原因だとか、そんな・・・英雄ヒーローみたいな・・・・ことでも・・・・考えて・・・るん・・ですか・・・?」
 
「──っ!」
 
  そのコハルの核心をつくような言葉に、翔は思わず息を呑む。
 
「……カケル先輩のせいなんかじゃありませんよ。全ての責任が自分にあるとか、そんな風に思い上がらないでください」
 
 そうして黙り込む翔に、コハルは冷たい口調のままそう言い放った。そうしてまた言い終わってからひとつため息をついたコハルを横目に、翔は複雑な表情になる。
 
 ──俺は、もう自分が英雄ヒーローなんかじゃないって分かってる……、分かってたはず、なのに。
 
 翔は自らのそれまでの思考回路にそう辟易する。自らの力を過大評価し、すべての責任を自らで背負い込み、そしてすべてを救おうとする。その態度は、コハルの言った通り、英雄ヒーローのそれに他ならなかった。
 
 ──アンリに言われたばっかだろ、前みたいに戻りたいなら、『余計なこと』はするなって。なんだってのに、俺は……。
 
 翔はそう苦い顔になってから、その頭を冷やさんとその頭を掻く。と、その瞬間翔はコハルだけでなく自らのマスクも外れているということを思い出し、瞬間その顔を冷気が覆う。
 
「……っ」
 
 その冷気にあてられ、翔は仕方なく自らのマスクのパーツを探し出し、拾い上げてそれを再装着した。外の空気は翔にとって無害であるためマスクを装着すつける必要性はなかったが、それでもその雪原の気温の低さを考えると、マスクなしでの活動は翔にとっても堪えるものだった。
 
 ──もしかして、俺はまだどこかで自分が英雄ヒーローだとでも思っているんだろうか。
 
 そのマスクを再装着するさなか、翔はそう考える。その仮説に翔はまた自分に呆れそうになるが、むしろ長い間自らがそのように振舞ってきたことを考えると、その時の思考パターンが残ってしまっているのも当然のことのように思えた。
 
 ──なんにせよしっかりしろ、俺。なんとか地上までは戻ってこれたんだ。あとは遠征隊みんなと合流するだけだろ。
 
 翔はそれまでの自省の念をそう振り切って、再びコハルのもとへと駆けていく。翔が自分のマスクを取りに行っていた間にコハルの体力も少しは回復したらしく、コハルは上体を起こして翔の帰還を待っていた。
 
「……それで、これから私たちはどうするんですか? とりあえず地上までは戻ってこれましたけど、まだフィーリニは私たちを見つけてないみたいですし」
 
 そのコハルの問いかけに、翔は少し考えこんでから結論を出す。
 
「フィルなら、フィーリニなら絶対に俺らを見つけてくれる。俺の匂いを辿ってここまで来るのも時間の問題だろ。でも、それまでの間ここでほうけてるわけにもいかないな」
 
 翔は自分たちが立つその周囲の雪原を見渡してそう言った。辺りには獣の生息するような痕跡はなかったが、そこが基地の外である以上二人が獣と出くわす確率は決してゼロではなかった。そして何より、万が一その状況で救援フィーリニが来るよりも前に二人が獣と遭遇した場合、現状の二人の状態を考えると戦闘は実質不可能であった。
 
 ──コハルは凍気フリーガスの使い過ぎで体力がすっからかんだし、俺にはそもそも一人で雪原ここの獣と戦えるほどの戦闘力はない。これまでだって、囮として気を引くか、フィルと一緒にマンモスを倒したくらいだしな。
 
 つまりは二人が今置かれている状況も決して油断など出来るものではないのだった。そのことを再確認して、改めて気を引き締めてから翔は言った。
 
「とりあえず、どこか吹雪を防げて、ついでに獣からも身を隠せる場所を探すか。フィルなら俺がどこにいても見つけてくれるはずだし」
 
 そうして当面の指針を話した翔に、コハルは無言で頷く。その行為からコハルも翔の意見に同意であると察した翔は、一つ息を吸ってから口を開く。
 
「よし、そうと決まればさっそく動くか。こんな野晒しの危険な状況、一刻も脱したいもんな。
 
 コハル、立てるか? しばらくは適当な場所を探すことになるから、ここから離れて歩かなきゃいけないんだが」
 
 その翔の問いかけに何かを答えようとしたコハルの口が、突如大きく開かれる。そのコハルの眼はどこか遠くのものを訝しむように薄くなっており、思わず翔もその視線の先を見る。
 
「なんだぁ、コハル? いったい何を見て……」
 
 そうしてコハルの視線の先に目を向けた翔は、瞬間眉をひそめ、その存在・・・・に意識を集中させた。
 
「……なんだ、あれ・・
 
 翔とコハル、二人が寸分違わず視線を向けるその先には、吹雪に揺らぎはためいている、ような・・・もの・・があった。
 
 そうして翔とコハル、二人の冒険は急加速していくのだった

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