BLIZZARD!
第二章60『最深部にて』
視界の両方が氷で埋まるその世界を、翔とコハルの二人は静かに歩く。随分と深い場所であるからだろうか、この世界では年中降り止まないはずの雪もその場では舞い散るのを見なかった。しかし依然としてその場も遠征隊のいる地上と変わらず、冷たく静かな場所であった。
その場をそのような冷たく静かな場所としているのは、その気候と深さだけではなかった。年端も行かない二人の少年少女がそこを歩いているというのに、その間には一切の会話がなかったのだ。
「…………」
「…………」
お互いがただ無心に、無言で足を動かし歩みを進める。その間に流れる空気は、かつてなく重いものであった。
──やりづらいな。コハル、そんなに俺の事嫌ってたのか。
翔は内心そう悩みながら、横を歩く少女をちらりと見る。
そうして改めて見ると、コハルは三年間の間に随分と成長したようであった。マスク越しにでもわかるほどその顔立ちは三年前に比べ大人らしくなり、その身体も確実に年相応の成長を遂げていた。
と、そこまで考えてから、翔の身体から先程ようやく消えたコハルの身体の柔らかな感覚が蘇った。
「…………っ!」
そうして頭をよぎった邪念を振り払うように、翔は口を開いた。
「……どこまで歩けばいいんだろうな、これ」
それは単なる呟きに近い言葉であった。先程遠征隊と合流するまでは助け合わずとも一緒に行動するという無機質な契約を交わした後、念の為翔は遠征隊に通信が通じないかを確かめた。しかしやはりというか、その場が深すぎるためかはたまた遠征隊との距離が大きすぎるためか、遠征隊に通信を繋げることは出来なかった。
その結果二人はいよいよ歩いていかざるを得なかった。ねずみ返しのように登るものを拒むその壁面から、直接的に地上に戻ることは不可能に近いことは明白であった。ならば二人が地上に戻るためには、ひたすらにその割れ目の最深部を歩き、どこか地上に戻れるような道を探す他になかったのだ。
翔のその言葉は、咄嗟に過ったその邪念を振り払うためのものであるのと同時に、そこまで歩みを進めての疲れからの呟きであった。その呟きはか細く、そのためコハルはそれに反応することなどないと翔はふんでいたが、少し時間を置いてからコハルは口を開いた。
「分かりませんよ。とにかく、今は歩くしかありません。どこか上に登れるような場所を探すまで」
そのコハルの返答に、翔は小さな声で「ああ、そうだな……」と返す。それに続けて、コハルは言った。
「まだ獣達に出くわさないだけマシだと思いますよ。こんな狭い一本道みたいな所で『新種』に出くわしでもしたら、それこそ絶望的ですし」
そのコハルの言葉が指し示す状況に、翔は思わずゾッとする。
「……確かに、それに比べりゃマシだな」
現状、その場にいるのは翔とコハルの二人だけである。お世辞にも遠征隊の最高戦力とは言えないその二人で遠征隊全員でも勝てなかった『新種』と戦うなど、夢物語に他ならなかった。しかし今翔達が歩いている道は左右を氷の壁に囲まれているため、『新種』と出くわした場合逃げる場所はない。
そして何より、翔とコハルは先ほど約束した通り互いに手は貸さない。
「……遠征隊と合流するまで『新種』と会わないことを願うだけだな」
その翔の呟きは、不穏に冷たい空気の中に消えていったのだった。
「リー! 下がれ!」
「分かってますよ!」
普段は静かで冷たいその吹雪の世界に、そう怒号が鳴り響く。そしてその叫びに合わせるように、『新種』の一撃により大地が大きく揺れた。
「……クソ! 一筋縄じゃいかねぇな」
「リー、落ち着け。『新種』は焦って倒せるような敵じゃないだろ」
息を荒らげるベイリーを落ち着かせようと、元二はそう指示を出す。
翔とコハルとはぐれた遠征隊は今、『新種』との戦闘の真っ只中にいた。
「……あいつの腕、まじで厄介です。こっちがどれだけ攻めていってもあの長い腕で阻まれてそして薙払われる!」
「ああ。リーの氷爪が通らねぇとは、相当面倒だな」
そうして苛立ちを示すベイリーの指には、凍気により出来た氷の鉤爪が付いていた。小柄で俊敏なその身体を生かし敵の懐に潜り込み、その氷の爪で敵の肉を掻っ切るのが彼の戦闘スタイルなのだが、その言葉通りそれは『新種』の獣には通じないようだった。
──確かに厄介だ。でも、どこか妙だな……。
しかし平静さを欠いているベイリーとは別に、元二は冷静にその場を分析していた。
代理遠征隊二名と元の遠征隊四名の合同遠征隊六名のうち、コハルと翔が離脱した今その場で戦闘をしているのはキラ、フィーリニ、元二、ベイリーの四人だけであった。
──敵は未知の『新種』、対してこっちは三年前と比べて相当な戦力不足。なのに、なんでまだ犠牲が一人も出ねぇ?
元二はその状況が異常だということに気付く。少なくとも三年前戦った『新種』は遠征隊員を次々に屠った獰猛かつ強力な獣である。それなのに今その戦場では四人のうち誰も重大なケガは負っていなかった。
──三年前のあの壊滅的な被害はカケルの暴走ありきだったが、それにしても妙だ。『新種』、何か企んでる……のか?
元二がそう推測したその時、それまで比較的大人しかった『新種』が動いた。
「──っ! 総員──」
その俊敏な動きに元二が指示を出すより前に、その『新種』は素早い動きでその場から去っていった。
「…………は?」
その『新種』の不可解な行動に、思わず元二は呆然とする。『新種』は未だ深い傷も負っておらず、また疲労も見受けられなかった。こちらの戦力も『新種』の脅威になり得るほどのものでもない。つまり『新種』が圧倒的有利のその状況で、『新種』がその場を立ち去る理由が元二には分からなかったのだ。
──少なくとも、本能に従うままの獣ならそんな状況で獲物の俺らを逃がさねぇ。なら……
元二はそこまで考えを巡らせてから、考えたくなかったその結論に辿り着いた。
──『新種』は高い知能を持つ。つまりあれは、考え無しに逃げた訳じゃない。
「……何か目的があって、この場を立ち去った……?」
元二にはその推測が正しいのかも、たとえ正しかったとしてその『目的』も分からなかった。しかし、本能の部分で理解していた。それはなかなかに不味い、と。
「……嫌な感じがするな。本当に、底が知れねぇやつだ、『新種』」
元二が苦い顔でこぼしたその呟きは、静かに雪の中に消えていったのだった。
「……ここを、登るのか?」
「それしかないでしょう。まだ垂直じゃない分登りやすいと思いますよ」
一方、割れ目の最深部を歩いていた翔とコハルの二人は、ようやく目当ての場所を見つけた。だが……
「……いや、確かにこの壁は垂直ではないけど、この勾配はほぼ垂直だろ……。ねずみ返しじゃないだけまだマシだけど、こんなの登れるのか?」
二人が前にしてるその氷壁は、限りなく垂直に近い角度で傾いていた。その壁をどうにかして登ることが出来れば、確かに地上に戻ることも可能だろう。しかし翔にはその急勾配の高い氷壁を登ることなど不可能のように思えた。
「……防寒服のポケットに、こういう壁を登るための鉄釘が入ってますよね。何とか打ち込めればそれを足場に登れると思いませんか?」
そのコハルの考えに、翔は少し唸ってから口を開く。
「……でも、二人分の鉄釘を合わせてもこの高さ登れるか?正直言ってキツそうだと思うんだが……」
その翔の言葉に、コハルはさも当然のように答える。
「ええ、だから足りない分は私が作ります」
その言葉と同時に、コハルはその手に凍気をまとい始める。瞬間、冷気がその場を包んだかと思うと、氷で出来た擬似鉄釘がその場に出来上がっていた。
「氷で出来たものなので強度は低いですけど、それは私が凍気を与え続けることでなんとか補います。相当キツイですけど、上に登るまでならなんとか持つはずです」
そのコハルの言葉に、翔は少し考えてから言った。
「……確かにそれなら行けるかもな。このままじゃ体力が消費されてくばかりでジリ貧だ」
翔とコハルはその氷壁に辿り着く間に随分と割れ目の最深部を歩いてきた。翔もコハルも体力に自信が無いわけではなかったが、ここから高い氷壁を登るとなるとその残された体力はもう無駄に出来なかった。
「よし、この氷壁を登ろう」
そうして翔はその手に持った鉄釘を氷壁に突き刺し、氷壁を登り始めたのだった。
その場をそのような冷たく静かな場所としているのは、その気候と深さだけではなかった。年端も行かない二人の少年少女がそこを歩いているというのに、その間には一切の会話がなかったのだ。
「…………」
「…………」
お互いがただ無心に、無言で足を動かし歩みを進める。その間に流れる空気は、かつてなく重いものであった。
──やりづらいな。コハル、そんなに俺の事嫌ってたのか。
翔は内心そう悩みながら、横を歩く少女をちらりと見る。
そうして改めて見ると、コハルは三年間の間に随分と成長したようであった。マスク越しにでもわかるほどその顔立ちは三年前に比べ大人らしくなり、その身体も確実に年相応の成長を遂げていた。
と、そこまで考えてから、翔の身体から先程ようやく消えたコハルの身体の柔らかな感覚が蘇った。
「…………っ!」
そうして頭をよぎった邪念を振り払うように、翔は口を開いた。
「……どこまで歩けばいいんだろうな、これ」
それは単なる呟きに近い言葉であった。先程遠征隊と合流するまでは助け合わずとも一緒に行動するという無機質な契約を交わした後、念の為翔は遠征隊に通信が通じないかを確かめた。しかしやはりというか、その場が深すぎるためかはたまた遠征隊との距離が大きすぎるためか、遠征隊に通信を繋げることは出来なかった。
その結果二人はいよいよ歩いていかざるを得なかった。ねずみ返しのように登るものを拒むその壁面から、直接的に地上に戻ることは不可能に近いことは明白であった。ならば二人が地上に戻るためには、ひたすらにその割れ目の最深部を歩き、どこか地上に戻れるような道を探す他になかったのだ。
翔のその言葉は、咄嗟に過ったその邪念を振り払うためのものであるのと同時に、そこまで歩みを進めての疲れからの呟きであった。その呟きはか細く、そのためコハルはそれに反応することなどないと翔はふんでいたが、少し時間を置いてからコハルは口を開いた。
「分かりませんよ。とにかく、今は歩くしかありません。どこか上に登れるような場所を探すまで」
そのコハルの返答に、翔は小さな声で「ああ、そうだな……」と返す。それに続けて、コハルは言った。
「まだ獣達に出くわさないだけマシだと思いますよ。こんな狭い一本道みたいな所で『新種』に出くわしでもしたら、それこそ絶望的ですし」
そのコハルの言葉が指し示す状況に、翔は思わずゾッとする。
「……確かに、それに比べりゃマシだな」
現状、その場にいるのは翔とコハルの二人だけである。お世辞にも遠征隊の最高戦力とは言えないその二人で遠征隊全員でも勝てなかった『新種』と戦うなど、夢物語に他ならなかった。しかし今翔達が歩いている道は左右を氷の壁に囲まれているため、『新種』と出くわした場合逃げる場所はない。
そして何より、翔とコハルは先ほど約束した通り互いに手は貸さない。
「……遠征隊と合流するまで『新種』と会わないことを願うだけだな」
その翔の呟きは、不穏に冷たい空気の中に消えていったのだった。
「リー! 下がれ!」
「分かってますよ!」
普段は静かで冷たいその吹雪の世界に、そう怒号が鳴り響く。そしてその叫びに合わせるように、『新種』の一撃により大地が大きく揺れた。
「……クソ! 一筋縄じゃいかねぇな」
「リー、落ち着け。『新種』は焦って倒せるような敵じゃないだろ」
息を荒らげるベイリーを落ち着かせようと、元二はそう指示を出す。
翔とコハルとはぐれた遠征隊は今、『新種』との戦闘の真っ只中にいた。
「……あいつの腕、まじで厄介です。こっちがどれだけ攻めていってもあの長い腕で阻まれてそして薙払われる!」
「ああ。リーの氷爪が通らねぇとは、相当面倒だな」
そうして苛立ちを示すベイリーの指には、凍気により出来た氷の鉤爪が付いていた。小柄で俊敏なその身体を生かし敵の懐に潜り込み、その氷の爪で敵の肉を掻っ切るのが彼の戦闘スタイルなのだが、その言葉通りそれは『新種』の獣には通じないようだった。
──確かに厄介だ。でも、どこか妙だな……。
しかし平静さを欠いているベイリーとは別に、元二は冷静にその場を分析していた。
代理遠征隊二名と元の遠征隊四名の合同遠征隊六名のうち、コハルと翔が離脱した今その場で戦闘をしているのはキラ、フィーリニ、元二、ベイリーの四人だけであった。
──敵は未知の『新種』、対してこっちは三年前と比べて相当な戦力不足。なのに、なんでまだ犠牲が一人も出ねぇ?
元二はその状況が異常だということに気付く。少なくとも三年前戦った『新種』は遠征隊員を次々に屠った獰猛かつ強力な獣である。それなのに今その戦場では四人のうち誰も重大なケガは負っていなかった。
──三年前のあの壊滅的な被害はカケルの暴走ありきだったが、それにしても妙だ。『新種』、何か企んでる……のか?
元二がそう推測したその時、それまで比較的大人しかった『新種』が動いた。
「──っ! 総員──」
その俊敏な動きに元二が指示を出すより前に、その『新種』は素早い動きでその場から去っていった。
「…………は?」
その『新種』の不可解な行動に、思わず元二は呆然とする。『新種』は未だ深い傷も負っておらず、また疲労も見受けられなかった。こちらの戦力も『新種』の脅威になり得るほどのものでもない。つまり『新種』が圧倒的有利のその状況で、『新種』がその場を立ち去る理由が元二には分からなかったのだ。
──少なくとも、本能に従うままの獣ならそんな状況で獲物の俺らを逃がさねぇ。なら……
元二はそこまで考えを巡らせてから、考えたくなかったその結論に辿り着いた。
──『新種』は高い知能を持つ。つまりあれは、考え無しに逃げた訳じゃない。
「……何か目的があって、この場を立ち去った……?」
元二にはその推測が正しいのかも、たとえ正しかったとしてその『目的』も分からなかった。しかし、本能の部分で理解していた。それはなかなかに不味い、と。
「……嫌な感じがするな。本当に、底が知れねぇやつだ、『新種』」
元二が苦い顔でこぼしたその呟きは、静かに雪の中に消えていったのだった。
「……ここを、登るのか?」
「それしかないでしょう。まだ垂直じゃない分登りやすいと思いますよ」
一方、割れ目の最深部を歩いていた翔とコハルの二人は、ようやく目当ての場所を見つけた。だが……
「……いや、確かにこの壁は垂直ではないけど、この勾配はほぼ垂直だろ……。ねずみ返しじゃないだけまだマシだけど、こんなの登れるのか?」
二人が前にしてるその氷壁は、限りなく垂直に近い角度で傾いていた。その壁をどうにかして登ることが出来れば、確かに地上に戻ることも可能だろう。しかし翔にはその急勾配の高い氷壁を登ることなど不可能のように思えた。
「……防寒服のポケットに、こういう壁を登るための鉄釘が入ってますよね。何とか打ち込めればそれを足場に登れると思いませんか?」
そのコハルの考えに、翔は少し唸ってから口を開く。
「……でも、二人分の鉄釘を合わせてもこの高さ登れるか?正直言ってキツそうだと思うんだが……」
その翔の言葉に、コハルはさも当然のように答える。
「ええ、だから足りない分は私が作ります」
その言葉と同時に、コハルはその手に凍気をまとい始める。瞬間、冷気がその場を包んだかと思うと、氷で出来た擬似鉄釘がその場に出来上がっていた。
「氷で出来たものなので強度は低いですけど、それは私が凍気を与え続けることでなんとか補います。相当キツイですけど、上に登るまでならなんとか持つはずです」
そのコハルの言葉に、翔は少し考えてから言った。
「……確かにそれなら行けるかもな。このままじゃ体力が消費されてくばかりでジリ貧だ」
翔とコハルはその氷壁に辿り着く間に随分と割れ目の最深部を歩いてきた。翔もコハルも体力に自信が無いわけではなかったが、ここから高い氷壁を登るとなるとその残された体力はもう無駄に出来なかった。
「よし、この氷壁を登ろう」
そうして翔はその手に持った鉄釘を氷壁に突き刺し、氷壁を登り始めたのだった。
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