BLIZZARD!

青色魚

第二章53『涙』

 基地の廊下は静まり返っていた。時刻が昼飯時をとっくに過ぎているからであろうか、それともその場所が娯楽所などの人の集まるところから遠く離れたところであるからだろうか。

 いずれにせよ、静かな空気は全てを伝えていた。翔のか細い息の音も、何故か乱れている『松つん』の心音も。

 何故そんなに目の前の親友の息が乱れているのか疑問に思いつつ、翔はその男を見る。

 この限界とも言える状況で彼がここにやってきたということは、恐らく彼は翔を気にかけてきたということなのだろう。別の言い方をするならば、彼は翔に手を差し伸べているのだ。彼は、今にも限界を迎えようとしている翔を助けようとここまで駆けてきたのだ。

 しかし、その事を理解しているにも関わらず、翔の口から真っ先に出た言葉は鬱屈としたものだった。

「──何を、しに来たんだ?」

「…………」

 その翔の暗い言葉に、『松つん』は押し黙る。

「……ああ、ひょっとしてお前も俺に恨み言を言いに来たのか? それとも嘲笑いに来たか? こんな、惨めな俺を」

 その顔に自嘲気味な笑みを浮かべて、翔はそう問い掛ける。その翔の様子はお世辞にも『松つん』を歓迎しているものとは思えないほど悪辣的であった。

「…………」

 その様子を見つつも、その自虐的な翔の言葉を聞きつつも、彼は口を開かない。

 その様子を見て、翔はその嘲笑うような笑みを辞めて、ボソリと呟いた。

「……まぁ、当然の報いだよな。俺が、こんな最低な状況を作り出しちまったんだから」

「…………」

 その翔の言葉を聞いても、彼は一言も発しようとしない。むしろその視線は翔ではなく彼のその手に持った何かに向けられており、翔は苦い思いをしながら続ける。

「……こんな愚痴みたいなことを聞いても面白くもないだろ。早く立ち去──」

「うるせぇ!」

「むぐっ!?」

 と、その翔の言葉を遮って、『松つん』は怒りキレながら翔の口に何かを突っ込む。

「……!?」

 途端に鼻に抜けた油の香りから、翔は自らの口に突っ込まれたものが遠征隊が外で調達してきた肉であることに気付く。その咥えさせられた肉を噛む暇もないまま、『松つん』は畳み掛けるように翔に怒鳴り散らす。

「何をそんなに不機嫌になってんだ、あぁん!? 世界の終わりみたいな顔しやがって。だいたい親友オレに向かってなんだその口の利き方は!」

「……!?」

 その『松つん』の勢いに翔は思わずめんを食らう。そうして翔がその状況が理解できないまま『松つん』は続けた。

「この世の悩みの九割は腹を満たせば解決すんだよ! なのにお前は朝飯どころか昼飯も食わねぇとか食欲舐めてんのか! 桜木さん泣いてたぞ!」

「むぐっ……!」

 その暴論に突っ込む暇もないまま、翔は『松つん』にそう押し切られる。翔は別に朝ご飯も昼ご飯も食べることを拒否したわけではなかったが、何となく足が進まなかったのだった。しかし桜木さんしょくどうのおばさんの名前を引き合いに出されたことでその言い訳も咥えた肉と一緒に口の中に引っ込む。

「……つー訳で、ほれ」

 そこまで翔に怒声をあびせてから、『松つん』はその声色を穏やかにしてその手に持ったものを差し出す。

「……っ」

 それは少ないながらも綺麗に配膳された基地の食事であった。

桜木さんおばちゃんに頼んで貰ってきた。まずはこれ食って腹を満たせ。話はそこからだ」

 差し出されたその食事を見て目を潤ませる翔に、『松つん』はそうぶっきらぼうに声をかける。

「…………」

 その『松つん』の言葉を聞いて、翔は改めてその差し出された食事を見る。微かに湯気の出ているそれらの香りは、翔の忘れられていた食欲をそそるものであった。

 だが、翔はそれに手を伸ばすことは出来なかった。思わず分泌された唾液を飲み込んで、翔は呟く。

「……それでもこれは、俺が食っていいものじゃないよ。これは……この食事は、キラ達代理の遠征隊が必死の思いで取ってきてくれたものだ。俺には、食べる資格なんてない」

 その翔の陰気な言葉を聞いて『松つん』はまたひとつため息をつく。

「食べる資格ない、なんて訳ないだろ。お前のその理論だと何か? ほぼ何も基地に貢献してない俺も基地のものは食べちゃダメってことか?」

「……いや、そういうことでは……」

 その鋭い返しに、翔は思わず口をつぐむ。その様子を見て、『松つん』は意地悪そうに笑って言った。

「いいから食えって言ってんだよ。『働かざる者食うべからず』なんて今は気にすんな。俺のおごりだ」

「……おごりも何も、基地の食事は無料タダだろ」

 その『松つん』の言葉に、翔は思わずそう突っ込んでクスリと笑う。それを見て、『松つん』はより深い笑いを浮かべて言った。

「……やっと・・・笑ったな・・・・

「──ぁ」

 その『松つん』の言葉に、翔は言葉を失う。思い出したのだった。自分がいつから、笑っていないのかを。

「笑う気力があるってことは飯を食う気力もあるし俺と話をする元気もある。大丈夫だ、何も問題ない

 だからまずは食え。腹が減っては戦は出来ぬ、って言うだろ?」

 その『松つん』の言葉に思わず目を潤ませながら、翔は視界に滲んで映る基地の食事を見る。

「…………いただきます」

 そしてとうとう観念したのか、翔はその食事に手を付け始めた。

「…………」

 そうして食事を進める翔を、『松つん』は静かに見つめる。

 一方当の翔は、食事を進めるにつれて、自らの目から涙が流れるのを制御できなくなりつつあった。

「…………あれ、……なんで?」

 ボタボタと食器に零れていく自らの涙を見て、翔は困惑していた。あれ程限界にあったのに、あれ程枯渇していたのに、自分の中に未だにこれほどのエネルギーが残っていることが信じられなかったのだった。

「…………は、は」

 その事がどこか翔には可笑おかしくて、思わず笑みが溢れた。

 そうして静かに、しかし確実に食事エネルギーするためる翔を『松つん』は静かに見ていたのだった。





「……ふぅ。ごちそうさまでした」

 そうして十分ほどで差し出された食事を平らげた翔は、小さな声でそう呟いた。その声には未だに以前のような活力はない。しかし十分前の枯渇寸前の状態にはなかった、しっかりとした気力があった。

「お粗末さまでした。……って、俺が作った訳でもないのに言うのは変か」

 その翔の様子を見て、『松つん』は笑ってそう言った。その言葉に翔は「……いや」と否定し、続けた。

「確かに松つんが作った訳でもないけど、助かったよ。ホントに、ありがとな」

 面と向かってそうはっきりと言われた『松つん』は、思わず照れながら答える。

「よせやい。でもお礼はどうせだから受け取っておく。どういたしまして、だな」

 その『松つん』の言葉に翔はまた笑って、続けた。

「……ああ、本当に助かった。

 それで・・・松つんは・・・・何しに・・・来たんだ・・・・?」

 その翔の言葉に、『松つん』は思わず翔の目を返し見る。

「…………」

 そうして『松つん』は気付いた。未だ翔の目に、光が灯っていないことに。

「……当然だ。こんなのじゃまだ足らない・・・・よな」

 目の前の翔に聞こえないように、小さな声で『松つん』はそう呟く。

 ──上等だよ。というかあの食事は桜木さんが作ってくれたものだ。むしろここからが、俺の仕事だ

 心の中でそう覚悟を決め直してから、『松つん』は言った。

「決まってだろ。

 ……助けに来たんだよ、お前しんゆうを」

 そうして彼の、親友カケルを救う戦いは始まった。

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