BLIZZARD!
第二章51『呼び名』
次に翔が意識を取り戻した時、そこはいつもの寝床だった。
「…………」
頭の隣にある時計を見ると、時刻は七時四〇分を指している。外の猛吹雪のせいで日光は出てないためわかりづらいが、今が朝であることは明白であろう。
その無機質な天井を無言で眺めたまま、翔は寝起きにしてはやけに冴えた頭で考えた。
──俺は、確か基地の廊下で意識を失ったはず……。
翔の記憶では翔は昨晩、基地の廊下でニヒと話をしていて、そのまま意識を失ってその場に倒れ込んだはずであった。
──ニヒが、俺をここまで運んでくれたっていうのか?
翔はこの不可解な状況についてそう考察する。力持ちの獣人、フィーリニに瓜二つのニヒであればそれもあるいは可能であろう。だが、それ以前に翔の頭にはひとつの疑問が浮かんでいた。
「……いや、そもそもあれは現実だったのか?」
昨夜のあの現実離れした出来事が果たして本当に現実のものなのか、翔にはそれすら分からなくなっていた。あの夜の出来事は現実の事のようにしっかりと記憶に残っているが、それが現実じみていた夢であったということも否定はできない。だが……
「いずれにせよ、心は決まった」
あの出来事が夢であったのか、現実であったのか。どちらであったにしろ、あの出来事のお陰で翔の心は良くも悪くも定まったのであった。
「まだ状況は何も好転してない──どん底のどん底だったのが、そこから一歩這い上がれただけだけど、
俺は、諦めない。この現実に、立ち向かい続ける」
翔はそうして再び決意を口にし、一つ息をつく。
──本当に、何をどうすればいいのかまだ全くわかってないままだけどな。頭も相変わらず痛いし、身体は重いし。
それでも、冰崎翔は戦うと決めたのだ、その運命に。抗うと決めたのだ、この現実に。償うと決めたのだ、あの罪を。
「……それなら、ひとまずは動かないとな」
そう自分に言い聞かせ、翔は寝床から身体を追い出す。と、その瞬間基地の廊下に怒声が鳴り響いた。
「──退けって言ってんだろうが!」
その声の大きさに、翔は思わず一瞬怯んでから声の方を見る。するとそこには、翔のよく見知った人物がいた。
「──っ!」
「……すいませんが、それは出来ません」
基地の廊下には今や人だかりができていた。その中心になっているのは二人の人物。その内先の怒号を上げた方の人物は翔は見覚えがなかったが、その人物の前に立ち、静かにそれを制したその青年のことは翔は知っていた。
「……キラ」
そうして翔は、つい先日『三年』ぶりに出会ったその青年の名前を呟いた。
冷静にその状況を見ると、その場はキラとその他の大勢の大人の二勢力で対立しているようだった。その二勢力が何についてそれほど争っているかは翔には分からなかったが、その言い争いの激しさを見るにその対立は相当なもののようだ。
キラと対するその他大勢のうち、一人がキラと向かい合って言った。
「……なぁ、キラくん。俺らは君にはすごく感謝しているんだ、本当だ。遠征隊がいなかったあの三年間、君がいなければ俺らはこの世界を生き抜くことなんて出来なかった。だから、尊敬していた」
そう言った男の表情は事実苦しそうであった。その様子と発した言葉を見るに、事実男達はキラのことを嫌っている訳では無いのだろう。『三年前』の世界ではキラは基地の人間に煙たがられる存在であったが、遠征隊がいなかった三年間キラが遠征隊の代わりに外の世界へ行っていたために、その評価は一変していたらしい。
──キラが基地の皆に認められたならそれは凄く良かったけど、ならこの対立はなんで……。
そうして翔がその疑問を浮かべたその時、キラが再び口を開いた。
「……そんな風に思っていただけていたのは、すごく光栄です。ですが、それでもここは通せません」
そのキラの言葉を聞いて、男達は渋い顔になって言う。
「……なぁ、何でだよキラくん……。頼むよ、そこを通してくれ」
その男の言葉を聞いた瞬間、翔は驚愕のあまり目を見開く。
──まさか……!これは……!
そしてその翔の憶測を裏付けるように、男は叫んだ。
「その先に居るんだろう!? 俺らをあんな目に遭わせた、スサキカケルが!」
その叫びを聞いて、翔は呆然として呟く。
「……もしかして、男達の狙いは……俺、なのか?」
その事は翔には理解しがたかった。その状況は、今何が起こっているかは頭では分かっていた。しかし、翔には分からなかったのだ。何故男達が、あれほど怒りを露わにして翔を追っているのか。
そうして翔は先の男の叫びを反芻する。そしてその中で発せられた言葉に、翔は戦慄した。
──俺らをこんな目に遭わせた?
その言葉を男が発したということは、つまり……
「……どっかから漏れたんですね、翔さんの『時間跳躍』のこと」
キラはそう顔をしかめて呟く。そのキラの言葉に男達は頷き、そして続けた。
「……キラくん、否定しない、ってことは事実なんだろう? カケルってやつが遠征隊を三年間も基地から遠ざけてたことも、この先にそのカケルが居るってことも」
その男の言葉に、キラは再び押し黙る。その傍ら、一連の出来事を見ていた翔は思わぬ事態に放心していた。
──まさか、ここまで俺は基地の人間に嫌われてるのか。
キラと向き合う男達の表情は決して安らかではない。そしてその体格を見るに、ただ翔とお話をしに来た訳ではなさそうだ。
──つまりは報復、ってことか。こんな事態を作り出した、元凶の俺に。
そこまで状況が掴めてから、翔は改めてキラを見る。
──なら、キラは一体……。
そうして向けられる翔の視線など知る由もなく、キラはキッパリと言い切った。
「お気持ちは分かります、ですがここは通せません。カケルさんに乱暴をさせる訳には、行きませんから」
そのキラの揺らがない姿勢を見て、男達は再度ため息をついて尋ねる。
「キラくん、それは基地長に頼まれたからか? それとも、個人的な感情からか?」
その男の質問にキラは一度歯を食いしばってから答えた。
「決まってるじゃないですか。
……頼まれたから、ですよ」
その一言を聞いた瞬間、翔の頭に鈍い衝撃が走った。
──あ……れ? なん……で……
そのキラの言葉になぜ衝撃を覚えたか翔が考える暇もなく、男達はしびれを切らしたように言った。
「キラくん、君の事情は分かった。でも、もう俺らもそれに構っていられないんだ」
その言葉と共に、男達から並々ならぬ闘気が発せられる。彼らは遠征隊でもないただの一般人であったが、それでもその男達の人数は中々のものであり、その集団から発せられる気合いに翔は思わず身震いする。
「多勢に無勢だが、許してくれよキラくん」
「……仕方、ありませんね」
その男達の様子を見て、キラは苦い顔持ちで指を鳴らす。
「分かりました。僕が相手しましょう」
そうしてその場において、キラ対基地の男達の戦闘が開始した。
「うおおおおおおおおおおおお!!!」
雄叫びと共に、男達は集団でキラに襲いかかった。
──キラ……っ! 大丈夫なのか!?
気付かれては行けないため心の中で翔はそう叫ぶ。遠征隊の居なかった三年間代理の遠征隊をしていたという情報によれば、キラに一定の戦闘能力があることは確かなのだろう。しかし……
──いくらなんでもあの人数は無理だ! そもそも遠征隊は対人より対獣、対人の戦闘能力なんか素人に毛が生えたくらいのもんだ!
そんな翔の懸念などつゆ知らず、男達は一斉にキラに飛びかかっていく。
──危ないっ……!
翔がそうしてその場から目を逸らそうとしたその瞬間、キラは左手で迫り来る男のうちの一人の攻撃を叩き落とした。
「……っ!」
「先に始めたのは、そちらですからね?」
男達がキラの予想外の強さに息を呑むのを他所に、キラはそう言い切り男達に向かっていく。
その光景を見ていた翔は思わず嘆息する。
「……すげぇ」
そう翔が呟いてしまうほど、キラのその戦闘能力は目を見張るものがあった。
翔は先日キラを『三年』ぶりに目にした時、その背丈の成長はしっかりと感じていた。しかし、その強さの成長は侮っていた部分があったのかもしれない。
翔には目の前で華麗に戦うキラが、ついこの前まで自分に力なくしがみついていたあの子供と同じ人物だとは思えなかった。無論、子供の頃からキラは強い子供であったが、その『強い』は精神的なものであった。しかし今、その子供はもう実際の『強さ』と精神的な『強さ』を兼ね備えた、立派な戦士であった。
「……ぐっ! なんでこんなに……」
「対人戦が強いんだ、ですか? 単純な話ですよ」
その男の言葉を途中でそう奪い、キラは喋り出した。
「僕は代理遠征隊としての訓練とは別に、フィルヒナーさんと対人戦の訓練もしていましたから。僕の体質上、外国人に狙われることも考えられたので」
そのキラの言葉の中に出た予想外の人物の名前に、翔は思わずそれを反芻する。
──フィルヒナーさんと……対人訓練?
翔にとってそこで基地長の名が出たのは意外であった。確かに彼女の睨みは剣歯虎すら怯ませられそうなものだが、その戦闘能力については翔は特筆する程でもないと、そう思っていたからだった。
──あの人も、実は強いのか……?
そんなことを翔が考えている間にも、キラは瞬く間に男達を倒していく。
「ぐっ……! 退散だ!」
その様子を見て、男達の代表と見られる男がそう叫んだ。それを聞いた男達は気絶した仲間を連れ、一目散に去っていった。
「ふぅ……」
男達が立ち去っていくのを見て、キラはそう息をつく。流石のキラでも、先程の人数はなかなかに堪えるものであったらしい。
と、そうして息をつくのと同時にキラは振り返って言った。
「いつまでそうして様子を見てるんですか? カケルさん」
その一言にビクリとしてから、翔は恐る恐るキラの方を見る。
「……気付いてたのか」
「カケルさん独り言多いですから。それに、もうそろそろ起きると思って」
そのキラの言葉に翔は黙り込む。その言葉が図星であったのと同時に、目の前のキラに何を話したらいいかが分からなかったからであった。
「…………」
「…………」
そうして沈黙が少しの間流れた後、翔はようやく口を開いた。
「そうだ、凄かったなさっきの戦闘」
「あ、はい……。ありがとうございます」
そのオドオドとしたキラの返答に、翔は続ける。
「いや、本当に凄かったよ。フィルヒナーさんに教わったんだって? それにしてもよく三年間であそこまで強くなったな」
「まぁそれは……」
そうして褒め称える翔をよそに、キラは浮かない顔で呟く。
「……当然、なんですよね」
「へ?」
そのキラの言葉に翔は思わず素っ頓狂な声を出す。そんなことを気に留めず、キラは冷たい目で続けた。
「……三年間も、僕は戦ってきたんですよ?」
「──っ!」
そのキラの言葉に、翔は息を呑む。一方その冷たい目をしたまま、キラは呪詛のように続けた。
「強くなれたんじゃないんです。強くならざるをえなかったんです。
フィルヒナーさんとの訓練も同じです。したかった訳じゃありません。せざるをえなかったんですよ」
そのキラの核心をついた言葉に、翔は苦しい顔になって尋ねる。
「……キラ、お前は、いや、お前も俺を恨んでるのか?」
その翔の質問を聞いて、キラは少し考えるふりをしてから答える。
「……いえ、別にそれほど恨んではいませんよ。元々僕はカケルさんに助けられた命でしたし、遠征隊が三年間も基地にいなかったのも不可抗力みたいですし。ただ……」
そこでキラは言葉を切って、しっかりと息を吸ってから言い放った。
「……もう、以前のようには戻れませんよ。カケルさん」
そのキラの言葉を聞いて、翔はようやくそれまで自分が何と呼ばれていたかに気付く。
「……っ! キラ……!」
その名を呼ばれた少年から翔への呼称に、もう『兄さん』という言葉はない。
それはつまり、キラの翔への尊敬の念が、三年もの間に消え去ったことを意味していた。
「…………」
頭の隣にある時計を見ると、時刻は七時四〇分を指している。外の猛吹雪のせいで日光は出てないためわかりづらいが、今が朝であることは明白であろう。
その無機質な天井を無言で眺めたまま、翔は寝起きにしてはやけに冴えた頭で考えた。
──俺は、確か基地の廊下で意識を失ったはず……。
翔の記憶では翔は昨晩、基地の廊下でニヒと話をしていて、そのまま意識を失ってその場に倒れ込んだはずであった。
──ニヒが、俺をここまで運んでくれたっていうのか?
翔はこの不可解な状況についてそう考察する。力持ちの獣人、フィーリニに瓜二つのニヒであればそれもあるいは可能であろう。だが、それ以前に翔の頭にはひとつの疑問が浮かんでいた。
「……いや、そもそもあれは現実だったのか?」
昨夜のあの現実離れした出来事が果たして本当に現実のものなのか、翔にはそれすら分からなくなっていた。あの夜の出来事は現実の事のようにしっかりと記憶に残っているが、それが現実じみていた夢であったということも否定はできない。だが……
「いずれにせよ、心は決まった」
あの出来事が夢であったのか、現実であったのか。どちらであったにしろ、あの出来事のお陰で翔の心は良くも悪くも定まったのであった。
「まだ状況は何も好転してない──どん底のどん底だったのが、そこから一歩這い上がれただけだけど、
俺は、諦めない。この現実に、立ち向かい続ける」
翔はそうして再び決意を口にし、一つ息をつく。
──本当に、何をどうすればいいのかまだ全くわかってないままだけどな。頭も相変わらず痛いし、身体は重いし。
それでも、冰崎翔は戦うと決めたのだ、その運命に。抗うと決めたのだ、この現実に。償うと決めたのだ、あの罪を。
「……それなら、ひとまずは動かないとな」
そう自分に言い聞かせ、翔は寝床から身体を追い出す。と、その瞬間基地の廊下に怒声が鳴り響いた。
「──退けって言ってんだろうが!」
その声の大きさに、翔は思わず一瞬怯んでから声の方を見る。するとそこには、翔のよく見知った人物がいた。
「──っ!」
「……すいませんが、それは出来ません」
基地の廊下には今や人だかりができていた。その中心になっているのは二人の人物。その内先の怒号を上げた方の人物は翔は見覚えがなかったが、その人物の前に立ち、静かにそれを制したその青年のことは翔は知っていた。
「……キラ」
そうして翔は、つい先日『三年』ぶりに出会ったその青年の名前を呟いた。
冷静にその状況を見ると、その場はキラとその他の大勢の大人の二勢力で対立しているようだった。その二勢力が何についてそれほど争っているかは翔には分からなかったが、その言い争いの激しさを見るにその対立は相当なもののようだ。
キラと対するその他大勢のうち、一人がキラと向かい合って言った。
「……なぁ、キラくん。俺らは君にはすごく感謝しているんだ、本当だ。遠征隊がいなかったあの三年間、君がいなければ俺らはこの世界を生き抜くことなんて出来なかった。だから、尊敬していた」
そう言った男の表情は事実苦しそうであった。その様子と発した言葉を見るに、事実男達はキラのことを嫌っている訳では無いのだろう。『三年前』の世界ではキラは基地の人間に煙たがられる存在であったが、遠征隊がいなかった三年間キラが遠征隊の代わりに外の世界へ行っていたために、その評価は一変していたらしい。
──キラが基地の皆に認められたならそれは凄く良かったけど、ならこの対立はなんで……。
そうして翔がその疑問を浮かべたその時、キラが再び口を開いた。
「……そんな風に思っていただけていたのは、すごく光栄です。ですが、それでもここは通せません」
そのキラの言葉を聞いて、男達は渋い顔になって言う。
「……なぁ、何でだよキラくん……。頼むよ、そこを通してくれ」
その男の言葉を聞いた瞬間、翔は驚愕のあまり目を見開く。
──まさか……!これは……!
そしてその翔の憶測を裏付けるように、男は叫んだ。
「その先に居るんだろう!? 俺らをあんな目に遭わせた、スサキカケルが!」
その叫びを聞いて、翔は呆然として呟く。
「……もしかして、男達の狙いは……俺、なのか?」
その事は翔には理解しがたかった。その状況は、今何が起こっているかは頭では分かっていた。しかし、翔には分からなかったのだ。何故男達が、あれほど怒りを露わにして翔を追っているのか。
そうして翔は先の男の叫びを反芻する。そしてその中で発せられた言葉に、翔は戦慄した。
──俺らをこんな目に遭わせた?
その言葉を男が発したということは、つまり……
「……どっかから漏れたんですね、翔さんの『時間跳躍』のこと」
キラはそう顔をしかめて呟く。そのキラの言葉に男達は頷き、そして続けた。
「……キラくん、否定しない、ってことは事実なんだろう? カケルってやつが遠征隊を三年間も基地から遠ざけてたことも、この先にそのカケルが居るってことも」
その男の言葉に、キラは再び押し黙る。その傍ら、一連の出来事を見ていた翔は思わぬ事態に放心していた。
──まさか、ここまで俺は基地の人間に嫌われてるのか。
キラと向き合う男達の表情は決して安らかではない。そしてその体格を見るに、ただ翔とお話をしに来た訳ではなさそうだ。
──つまりは報復、ってことか。こんな事態を作り出した、元凶の俺に。
そこまで状況が掴めてから、翔は改めてキラを見る。
──なら、キラは一体……。
そうして向けられる翔の視線など知る由もなく、キラはキッパリと言い切った。
「お気持ちは分かります、ですがここは通せません。カケルさんに乱暴をさせる訳には、行きませんから」
そのキラの揺らがない姿勢を見て、男達は再度ため息をついて尋ねる。
「キラくん、それは基地長に頼まれたからか? それとも、個人的な感情からか?」
その男の質問にキラは一度歯を食いしばってから答えた。
「決まってるじゃないですか。
……頼まれたから、ですよ」
その一言を聞いた瞬間、翔の頭に鈍い衝撃が走った。
──あ……れ? なん……で……
そのキラの言葉になぜ衝撃を覚えたか翔が考える暇もなく、男達はしびれを切らしたように言った。
「キラくん、君の事情は分かった。でも、もう俺らもそれに構っていられないんだ」
その言葉と共に、男達から並々ならぬ闘気が発せられる。彼らは遠征隊でもないただの一般人であったが、それでもその男達の人数は中々のものであり、その集団から発せられる気合いに翔は思わず身震いする。
「多勢に無勢だが、許してくれよキラくん」
「……仕方、ありませんね」
その男達の様子を見て、キラは苦い顔持ちで指を鳴らす。
「分かりました。僕が相手しましょう」
そうしてその場において、キラ対基地の男達の戦闘が開始した。
「うおおおおおおおおおおおお!!!」
雄叫びと共に、男達は集団でキラに襲いかかった。
──キラ……っ! 大丈夫なのか!?
気付かれては行けないため心の中で翔はそう叫ぶ。遠征隊の居なかった三年間代理の遠征隊をしていたという情報によれば、キラに一定の戦闘能力があることは確かなのだろう。しかし……
──いくらなんでもあの人数は無理だ! そもそも遠征隊は対人より対獣、対人の戦闘能力なんか素人に毛が生えたくらいのもんだ!
そんな翔の懸念などつゆ知らず、男達は一斉にキラに飛びかかっていく。
──危ないっ……!
翔がそうしてその場から目を逸らそうとしたその瞬間、キラは左手で迫り来る男のうちの一人の攻撃を叩き落とした。
「……っ!」
「先に始めたのは、そちらですからね?」
男達がキラの予想外の強さに息を呑むのを他所に、キラはそう言い切り男達に向かっていく。
その光景を見ていた翔は思わず嘆息する。
「……すげぇ」
そう翔が呟いてしまうほど、キラのその戦闘能力は目を見張るものがあった。
翔は先日キラを『三年』ぶりに目にした時、その背丈の成長はしっかりと感じていた。しかし、その強さの成長は侮っていた部分があったのかもしれない。
翔には目の前で華麗に戦うキラが、ついこの前まで自分に力なくしがみついていたあの子供と同じ人物だとは思えなかった。無論、子供の頃からキラは強い子供であったが、その『強い』は精神的なものであった。しかし今、その子供はもう実際の『強さ』と精神的な『強さ』を兼ね備えた、立派な戦士であった。
「……ぐっ! なんでこんなに……」
「対人戦が強いんだ、ですか? 単純な話ですよ」
その男の言葉を途中でそう奪い、キラは喋り出した。
「僕は代理遠征隊としての訓練とは別に、フィルヒナーさんと対人戦の訓練もしていましたから。僕の体質上、外国人に狙われることも考えられたので」
そのキラの言葉の中に出た予想外の人物の名前に、翔は思わずそれを反芻する。
──フィルヒナーさんと……対人訓練?
翔にとってそこで基地長の名が出たのは意外であった。確かに彼女の睨みは剣歯虎すら怯ませられそうなものだが、その戦闘能力については翔は特筆する程でもないと、そう思っていたからだった。
──あの人も、実は強いのか……?
そんなことを翔が考えている間にも、キラは瞬く間に男達を倒していく。
「ぐっ……! 退散だ!」
その様子を見て、男達の代表と見られる男がそう叫んだ。それを聞いた男達は気絶した仲間を連れ、一目散に去っていった。
「ふぅ……」
男達が立ち去っていくのを見て、キラはそう息をつく。流石のキラでも、先程の人数はなかなかに堪えるものであったらしい。
と、そうして息をつくのと同時にキラは振り返って言った。
「いつまでそうして様子を見てるんですか? カケルさん」
その一言にビクリとしてから、翔は恐る恐るキラの方を見る。
「……気付いてたのか」
「カケルさん独り言多いですから。それに、もうそろそろ起きると思って」
そのキラの言葉に翔は黙り込む。その言葉が図星であったのと同時に、目の前のキラに何を話したらいいかが分からなかったからであった。
「…………」
「…………」
そうして沈黙が少しの間流れた後、翔はようやく口を開いた。
「そうだ、凄かったなさっきの戦闘」
「あ、はい……。ありがとうございます」
そのオドオドとしたキラの返答に、翔は続ける。
「いや、本当に凄かったよ。フィルヒナーさんに教わったんだって? それにしてもよく三年間であそこまで強くなったな」
「まぁそれは……」
そうして褒め称える翔をよそに、キラは浮かない顔で呟く。
「……当然、なんですよね」
「へ?」
そのキラの言葉に翔は思わず素っ頓狂な声を出す。そんなことを気に留めず、キラは冷たい目で続けた。
「……三年間も、僕は戦ってきたんですよ?」
「──っ!」
そのキラの言葉に、翔は息を呑む。一方その冷たい目をしたまま、キラは呪詛のように続けた。
「強くなれたんじゃないんです。強くならざるをえなかったんです。
フィルヒナーさんとの訓練も同じです。したかった訳じゃありません。せざるをえなかったんですよ」
そのキラの核心をついた言葉に、翔は苦しい顔になって尋ねる。
「……キラ、お前は、いや、お前も俺を恨んでるのか?」
その翔の質問を聞いて、キラは少し考えるふりをしてから答える。
「……いえ、別にそれほど恨んではいませんよ。元々僕はカケルさんに助けられた命でしたし、遠征隊が三年間も基地にいなかったのも不可抗力みたいですし。ただ……」
そこでキラは言葉を切って、しっかりと息を吸ってから言い放った。
「……もう、以前のようには戻れませんよ。カケルさん」
そのキラの言葉を聞いて、翔はようやくそれまで自分が何と呼ばれていたかに気付く。
「……っ! キラ……!」
その名を呼ばれた少年から翔への呼称に、もう『兄さん』という言葉はない。
それはつまり、キラの翔への尊敬の念が、三年もの間に消え去ったことを意味していた。
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