BLIZZARD!
第二章33『かりそめヒーローの悪足掻き』
ちらりちらりと降り積もっていく雪が、その雪原から今も行われている戦いの痕跡を少しずつ消していく。そんな静かな空間の中、今にも倒してやらんと『新種』と向き合っていた翔は、聞こえてきたその元二の言葉に思わず耳を疑った。
「……退散、ですか?」
「ああ。『新種』は強い。加えてランも怪我しちまった。ここは一旦引いて、今回の経験から『新種』の対策を基地で練るのが得策だ」
翔のその疑問にも、元二はそう当然のように答えた。その口調に迷いは感じられなかった。感じられなかったから、翔は思わず平静を失った。
「……冗談じゃ、ない」
その呟きが引き金となり、その後まもなく、翔は自らの心の内を元二にぶちまけていた。
「今ここでコイツを逃がすんですか!? まだあまりこの『新種』のことを知らない状態でも、皆で力を合わせれば戦えてる! 今コイツを倒さない理由はない!『先輩』の仇を討ちましょうよ!」
その翔の言葉に、元二はため息をついて返事をする。
「……あのな、カケル。お前はもうちょっと……」
だがその言葉は途中で途切れることとなった。元二の言葉を最後まで聞かず、翔が雪兎を使って『新種』の方に向かっていったからであった。
「……っ! おい! カケル!」
「遠征隊が行かないなら、俺だけでも戦います」
そうして駆け出した翔は、腰からスタン警棒を取り出して叫んだ。
「うぉぉぉぉぉ!」
そう叫びながら突進しているさなか、翔の心の中では未だ葛藤が続いていた。
──逃げる……。逃げる……? あの、『新種』の獣から……?
翔は『新種』に近付いたかと思うと、再び雪兎でその周りを駆け始めた。
──冗談じゃない! 隊長が何を考えてるかは知らないけど、遠征隊の力を合わせればこの獣にも対処できる。ここで『新種』を倒せれば、基地で更に深い『新種』対策も練れる!
その苛立ちを必死に押さえつけながら、一方ではその苛立ちに行動力を借りて、翔はその『新種』の気を引いていた。
──こんなところで終わるなんて失策過ぎる。『新種』に次いつ遭遇できるかも分かったもんじゃないってのに……!
そうして翔が囮役を引き受けてから随分と経ったが、翔が遠征隊の方をちらりと見ても増援の類が来る様子はない。それはつまり、『新種』の相手をするならば翔一人で勝手にやっていろ、という遠征隊の意志であった。
──なんで、なんで、なんで……っ!
その遠征隊の様子を見たことで、また一層翔の苛立ちは募る。そうしてその怒りが最高潮に達したその時、翔は雄叫びと共に勝負を仕掛けた。
「あああぁぁ!」
その瞬間、翔が雪兎で自らに急接近をしてくると読んだのか、『新種』は翔の動きに警戒を払う。が、その瞬間、『新種』の視界は突如『白』に染まった。
「……どうせ雪兎の動きなら読むんだろ? だったら目くらましするしかないよな……!」
翔は囮役のさなか、その雪原から少しずつ雪を掻き取り、まるで雪合戦で使うかのような雪の球を作っていたのだった。そしてそれを『新種』の目に投げたのだった。その雪球は幸運にも『新種』の目に直撃し、一時的にその視界を奪うこととなった。
「──っ! これで! 終わりだ!」
再度体勢を整えてから、翔は手近な岩を踏み台にし、雪兎で『新種』に向かい大跳躍をする。そしてその手に持ったスタン警棒の電源を入れ、雄叫びと共にそれを振りかぶった。
「うぉぉぉぉぉ!!」
神速で『新種』に突撃をした翔を、『新種』は捉える術を持たない。先程雪球で奪った視界によって生まれた死角から翔は攻撃を仕掛けていたのだから。
そう、捉える術を持たない、はずであった。
「──っ!」
しかし翔の身体はその後まもなく雪原に叩き付けられた。他でもない、その『新種』の腕によって翔は叩き落とされたのだった。
──こいつ……! 視界は奪ったはずだってのに……!
そうして驚愕と共に翔が『新種』を見ると、やはりその片目は未だ塞がれたままであった。もう片方の目からは翔の先程の突撃は見えなかった。つまり翔の攻撃は防ぎようのない、必殺の一撃であったはずだった。
──コイツ、俺の攻撃を『予測』したのか!?
となれば、その不可視の一撃を『新種』が躱し得たのはその『新種』が翔の動きを予測、予知したからであった。それはつまり、『新種』が相当高度な知能を持つことの証明に他ならなかった。
──って、やば……。
そう冷静に分析していた翔であったが、その直後『新種』がその腕を振り上げるのを見て、焦燥とともに回避行動に入る。が、既に猛スピードで落下を始めたその腕から逃れることが出来ないと悟った翔は、思わず目を瞑る。
──っ!
そうして翔は必死に防御の姿勢を取ってその衝撃に備えた。しかしいくら待っても、翔にその『新種』の攻撃が及ぶことは無かったのだった。
──あ、れ……?
困惑とともに翔は薄目を開けて辺りを見渡す。すると、そこには翔に当たるはずであった一撃を受け止めたヒロがいた。
「……っ! ヒロ先輩っ……」
その悲痛な呟きが本人に届いたのと同時に、ヒロはその場に倒れた。その紫の防寒具に徐々に赤色が増していくのを見るに、あの一撃を受け止めるのは体格のいいヒロにも不可能のようだった。そうして倒れたヒロのことを見、翔は思わずその顔を苦悶に歪める。
──ヒロ先輩が、傷を負った。俺の、せいで。先走って『新種』と戦おうとした、他でもない俺自身のせいで。
翔の中の何かが自らにそう冷静に言葉を浴びせる。そしてその『何か』は、一層言葉の強さを増して言った。
『お前のせいだ』
それはまるで翔を責め立てるかのように、翔自身が翔に浴びせた言葉であった。そうして自らを責め立てる自分の他に、翔の中にもう一つの翔が現れて言う。
──違う! 俺は、俺はこんなことをしたかった訳じゃない!
そう悲壮に暮れながら、翔は目の前の『新種』を見る。その瞬間、翔は何か納得がいったようになって呟いた。
「……そうか」
その呟きに続けて、翔は心の中で呟いた。
──俺は、悪くない。悪いのは、全部『新種』だ。
その考えに至った翔は、今度はその顔を怒りに染めて、『新種』の獣を睨み始めた。
──コイツのせいだ。コイツのせいだ。コイツのせいだ。俺は、英雄は、悪くない!
そうして『新種』に恨めしい視線を向ける翔は、自らの心が何か黒いものに侵食されていくのを感じていた。感じていたが、それでも翔は叫んでいた。
「……コイツの、せいだァァァ!」
そうして怒りに任せて雪兎を起動させようとした翔の前に、一つ腕が伸ばされてその進路が妨害される。
「……カケル」
「……ぁ……」
その伸ばされた手の主は元二であった。翔の前に立ったその男は、翔の方を振り返ることなく再度通信で翔に言った。
「ここは撤退だ。もちろんお前一人戦うことも許さない。分かったな?」
その、珍しく厳しさを含みつつも、どこか翔を諭すような元二の言葉に、翔は押し黙る。
──あれ? 何やってんだ、俺は。
そうして口を閉じ、頭を冷やし始めた翔は、ふとそう自問する。
──今日の俺は一体何をした? 何が出来た? どんなところで遠征隊に貢献できた?
一度浮かんでしまったその疑問に、翔はもう思考の濁流を止める術を持っていなかった。黙々と頭を下げ自らの足先を見る翔の頭に、そうした自責の念が現れては消えていく。
──俺一人で『新種』の跡を辿って、結果『先輩』に傷を負わせて。囮役で十分だってのに無理強いして戦いを続けて、ヒロ先輩を傷付けて。
そうした翔のそれまでの自分の自己分析を見るに、翔のその遠征での働きぶりは、役立たずもいいところであった。否、ただ猛獣を前にして動くことの出来ないいつかの無能よりも、遠征隊の足を引っ張ることしかしていない点で、今回の遠征での翔は役立たず以下の荷物に他ならなかった。
──おかしい。これはおかしい。これじゃまるで、俺は英雄だなんていうより……。
そうして自らの愚行を思い浮かべながらそう絶望する翔をよそに、元二は皆に通信を繋げて言った。
「……つーわけでな。みんな、よく聞け。これから遠征隊はこの『新種』相手に撤退する。カケルはランを、リーとビーは二人でヒロを背負って行ってくれ。殿は俺がやる」
その元二の通信に、残る遠征隊の全戦力である、ベイリーとフレボーグは小さく頷いた。それをしっかり確認してから、元二が背後の翔にも了解を得ようとしたその時……
「……っ!」
振り返った元二の横を、翔が神速で駆けていった。その手には今や唯一の武器であるスタン警棒すらも握られていない。つまりはほぼ丸腰同然の状態で、翔は『新種』へ特攻を仕掛けていったのだった。
「おい! カケル!」
「……分かってます!」
途端、元二は口調が荒くなるのも構わないでそう叫んだ。しかしその叫びを予測していたかのように、翔が瞬時に答えた。
「ここから撤退するのには賛成です。けど、撤退するなら殿役は俺の方が適任ですよ!」
そうして雪兎で『新種』との距離を詰めていった翔は、今度はその獣の周りを駆け回るなどということはせず、一直線にその懐に向かっていった。
──そうだ。これこそ俺に適任だろ。
その心の中からは、良くも悪くも先程までの迷いはなくなっていた。その時翔の頭には、先程までの失態を挽回する確固とした考えが浮かんでいたからであった。
──『誰かを逃がす』だったり『時間を稼ぐ』点において、俺の右に出る奴はいない……!
そうして翔は走るさなか、右手を握って開いて、その『感覚』を思い出す。そうして翔が想起していたのは、キラと共に雪原を逃げたあの日、最後の最後に芽生えた力、『時間転送』であった。
──いくら『新種』といえど、この攻撃は避けられない。多分『新種』は俺のこの手を避けようともしない上に、『新種』にこの手がかすりでもすれば『新種』は間もなく居なくなる。
そう突っ込んでいく翔の頭には、自らの作戦の成功の確かな光景が浮かんでいた。それもそのはず、対象者のみを時の潮流から外し、一時的に世界から姿を消すその技は、一見ただの掌底打ちにしか見えないのだった。いくら高い知能を持つ『新種』であろうと、その翔の人智を超えた所業のことを予測するのは翔には不可能に思えた。
──これで、これで終わりだ!
そうして翔はその手のひらを思い切り『新種』に押し出した。瞬間、その手が当たった『新種』の身体は未来へと飛ばされ、翔は見事その獣を撃退し……
否、その翔の決死の作戦も失敗に終わったのだった。『新種』目掛けて突き出されたその手が、『新種』の腕によってその勢いを止めることになったのだった。
「──っ! こいつ! なんで! なんで!?」
そうして『新種』に手首を掴まれる形で再三『新種』に捕まった翔は、焦燥と怒りと疑問とでそう悪態を吐く。その決死の攻撃も防がれた今となっては、翔にはもう『新種』から身を守る手段は残されていなかった。そうして振り上げる『新種』の長い腕を見上げながら、翔はようやくその仮説に辿り着いた。
──まさか『新種』……。人の表情とか視線も読み取ってんのか?
それは翔が漸く辿り着いた『新種』に関しての真理であった。しかしその事実はあまりに常識外れで、翔は思わず自らのその考えを疑う。
──人類の考えをも読んで、ひょっとしたら言語まで学習し始めるかもしれない。そんなの、並大抵の獣の知能じゃ考えられない……!
そうして翔は改めて、『新種』の高度過ぎる知能に愕然とする。もし『新種』が本当に人類の表情を読み取り、その考えをある程度読み取ることが出来たのならば、理論上『新種』は遠征隊の攻撃など全て封殺することが出来ることとなる。その高度な知能と、反射神経と、鞭のように長い腕とがあればそんな絵空事も不可能ではないのだ。
──そんな猛獣、どうやって勝てばいいんだ……。
その事実に思わず戦意を喪失する翔であったが、その直後そう悲観している暇すらないことを悟ることとなった。翔の腕を掴んでいないもう片方の手を、『新種』が翔目掛けて振り上げ始めたのだ。
──っ! 不味い、ヒロ先輩でも倒れた一撃なんて喰らったら、死……。
その攻撃に気付いた翔の頭は、超速で生き残るための方法を思案する。しかしそんな方法は結局一つも思い付くことが出来ず、そうして迫り来る絶命の一撃に、翔はただ目を背けることしか出来なかった。
そうして『新種』の一撃が、いよいよ翔に当たらんとしたその時。
ザシュッ。
肉を切り裂く音がその雪原に響いた。いつまでもやって来ない『新種』の攻撃に翔がそちらの方を見ると、そこには『新種』の一撃を翔の代わりに受けたフレボーグがいた。
「──っ!」
「……ったく、ホントに無茶ばっかしやがって」
「……ぁ……」
そう笑って言いながら血を吐くフレボーグの姿を見て、翔は漸く自らの行動が全て状況を悪化させる、悪足掻きにほかならないと悟ったのだった。
「……退散、ですか?」
「ああ。『新種』は強い。加えてランも怪我しちまった。ここは一旦引いて、今回の経験から『新種』の対策を基地で練るのが得策だ」
翔のその疑問にも、元二はそう当然のように答えた。その口調に迷いは感じられなかった。感じられなかったから、翔は思わず平静を失った。
「……冗談じゃ、ない」
その呟きが引き金となり、その後まもなく、翔は自らの心の内を元二にぶちまけていた。
「今ここでコイツを逃がすんですか!? まだあまりこの『新種』のことを知らない状態でも、皆で力を合わせれば戦えてる! 今コイツを倒さない理由はない!『先輩』の仇を討ちましょうよ!」
その翔の言葉に、元二はため息をついて返事をする。
「……あのな、カケル。お前はもうちょっと……」
だがその言葉は途中で途切れることとなった。元二の言葉を最後まで聞かず、翔が雪兎を使って『新種』の方に向かっていったからであった。
「……っ! おい! カケル!」
「遠征隊が行かないなら、俺だけでも戦います」
そうして駆け出した翔は、腰からスタン警棒を取り出して叫んだ。
「うぉぉぉぉぉ!」
そう叫びながら突進しているさなか、翔の心の中では未だ葛藤が続いていた。
──逃げる……。逃げる……? あの、『新種』の獣から……?
翔は『新種』に近付いたかと思うと、再び雪兎でその周りを駆け始めた。
──冗談じゃない! 隊長が何を考えてるかは知らないけど、遠征隊の力を合わせればこの獣にも対処できる。ここで『新種』を倒せれば、基地で更に深い『新種』対策も練れる!
その苛立ちを必死に押さえつけながら、一方ではその苛立ちに行動力を借りて、翔はその『新種』の気を引いていた。
──こんなところで終わるなんて失策過ぎる。『新種』に次いつ遭遇できるかも分かったもんじゃないってのに……!
そうして翔が囮役を引き受けてから随分と経ったが、翔が遠征隊の方をちらりと見ても増援の類が来る様子はない。それはつまり、『新種』の相手をするならば翔一人で勝手にやっていろ、という遠征隊の意志であった。
──なんで、なんで、なんで……っ!
その遠征隊の様子を見たことで、また一層翔の苛立ちは募る。そうしてその怒りが最高潮に達したその時、翔は雄叫びと共に勝負を仕掛けた。
「あああぁぁ!」
その瞬間、翔が雪兎で自らに急接近をしてくると読んだのか、『新種』は翔の動きに警戒を払う。が、その瞬間、『新種』の視界は突如『白』に染まった。
「……どうせ雪兎の動きなら読むんだろ? だったら目くらましするしかないよな……!」
翔は囮役のさなか、その雪原から少しずつ雪を掻き取り、まるで雪合戦で使うかのような雪の球を作っていたのだった。そしてそれを『新種』の目に投げたのだった。その雪球は幸運にも『新種』の目に直撃し、一時的にその視界を奪うこととなった。
「──っ! これで! 終わりだ!」
再度体勢を整えてから、翔は手近な岩を踏み台にし、雪兎で『新種』に向かい大跳躍をする。そしてその手に持ったスタン警棒の電源を入れ、雄叫びと共にそれを振りかぶった。
「うぉぉぉぉぉ!!」
神速で『新種』に突撃をした翔を、『新種』は捉える術を持たない。先程雪球で奪った視界によって生まれた死角から翔は攻撃を仕掛けていたのだから。
そう、捉える術を持たない、はずであった。
「──っ!」
しかし翔の身体はその後まもなく雪原に叩き付けられた。他でもない、その『新種』の腕によって翔は叩き落とされたのだった。
──こいつ……! 視界は奪ったはずだってのに……!
そうして驚愕と共に翔が『新種』を見ると、やはりその片目は未だ塞がれたままであった。もう片方の目からは翔の先程の突撃は見えなかった。つまり翔の攻撃は防ぎようのない、必殺の一撃であったはずだった。
──コイツ、俺の攻撃を『予測』したのか!?
となれば、その不可視の一撃を『新種』が躱し得たのはその『新種』が翔の動きを予測、予知したからであった。それはつまり、『新種』が相当高度な知能を持つことの証明に他ならなかった。
──って、やば……。
そう冷静に分析していた翔であったが、その直後『新種』がその腕を振り上げるのを見て、焦燥とともに回避行動に入る。が、既に猛スピードで落下を始めたその腕から逃れることが出来ないと悟った翔は、思わず目を瞑る。
──っ!
そうして翔は必死に防御の姿勢を取ってその衝撃に備えた。しかしいくら待っても、翔にその『新種』の攻撃が及ぶことは無かったのだった。
──あ、れ……?
困惑とともに翔は薄目を開けて辺りを見渡す。すると、そこには翔に当たるはずであった一撃を受け止めたヒロがいた。
「……っ! ヒロ先輩っ……」
その悲痛な呟きが本人に届いたのと同時に、ヒロはその場に倒れた。その紫の防寒具に徐々に赤色が増していくのを見るに、あの一撃を受け止めるのは体格のいいヒロにも不可能のようだった。そうして倒れたヒロのことを見、翔は思わずその顔を苦悶に歪める。
──ヒロ先輩が、傷を負った。俺の、せいで。先走って『新種』と戦おうとした、他でもない俺自身のせいで。
翔の中の何かが自らにそう冷静に言葉を浴びせる。そしてその『何か』は、一層言葉の強さを増して言った。
『お前のせいだ』
それはまるで翔を責め立てるかのように、翔自身が翔に浴びせた言葉であった。そうして自らを責め立てる自分の他に、翔の中にもう一つの翔が現れて言う。
──違う! 俺は、俺はこんなことをしたかった訳じゃない!
そう悲壮に暮れながら、翔は目の前の『新種』を見る。その瞬間、翔は何か納得がいったようになって呟いた。
「……そうか」
その呟きに続けて、翔は心の中で呟いた。
──俺は、悪くない。悪いのは、全部『新種』だ。
その考えに至った翔は、今度はその顔を怒りに染めて、『新種』の獣を睨み始めた。
──コイツのせいだ。コイツのせいだ。コイツのせいだ。俺は、英雄は、悪くない!
そうして『新種』に恨めしい視線を向ける翔は、自らの心が何か黒いものに侵食されていくのを感じていた。感じていたが、それでも翔は叫んでいた。
「……コイツの、せいだァァァ!」
そうして怒りに任せて雪兎を起動させようとした翔の前に、一つ腕が伸ばされてその進路が妨害される。
「……カケル」
「……ぁ……」
その伸ばされた手の主は元二であった。翔の前に立ったその男は、翔の方を振り返ることなく再度通信で翔に言った。
「ここは撤退だ。もちろんお前一人戦うことも許さない。分かったな?」
その、珍しく厳しさを含みつつも、どこか翔を諭すような元二の言葉に、翔は押し黙る。
──あれ? 何やってんだ、俺は。
そうして口を閉じ、頭を冷やし始めた翔は、ふとそう自問する。
──今日の俺は一体何をした? 何が出来た? どんなところで遠征隊に貢献できた?
一度浮かんでしまったその疑問に、翔はもう思考の濁流を止める術を持っていなかった。黙々と頭を下げ自らの足先を見る翔の頭に、そうした自責の念が現れては消えていく。
──俺一人で『新種』の跡を辿って、結果『先輩』に傷を負わせて。囮役で十分だってのに無理強いして戦いを続けて、ヒロ先輩を傷付けて。
そうした翔のそれまでの自分の自己分析を見るに、翔のその遠征での働きぶりは、役立たずもいいところであった。否、ただ猛獣を前にして動くことの出来ないいつかの無能よりも、遠征隊の足を引っ張ることしかしていない点で、今回の遠征での翔は役立たず以下の荷物に他ならなかった。
──おかしい。これはおかしい。これじゃまるで、俺は英雄だなんていうより……。
そうして自らの愚行を思い浮かべながらそう絶望する翔をよそに、元二は皆に通信を繋げて言った。
「……つーわけでな。みんな、よく聞け。これから遠征隊はこの『新種』相手に撤退する。カケルはランを、リーとビーは二人でヒロを背負って行ってくれ。殿は俺がやる」
その元二の通信に、残る遠征隊の全戦力である、ベイリーとフレボーグは小さく頷いた。それをしっかり確認してから、元二が背後の翔にも了解を得ようとしたその時……
「……っ!」
振り返った元二の横を、翔が神速で駆けていった。その手には今や唯一の武器であるスタン警棒すらも握られていない。つまりはほぼ丸腰同然の状態で、翔は『新種』へ特攻を仕掛けていったのだった。
「おい! カケル!」
「……分かってます!」
途端、元二は口調が荒くなるのも構わないでそう叫んだ。しかしその叫びを予測していたかのように、翔が瞬時に答えた。
「ここから撤退するのには賛成です。けど、撤退するなら殿役は俺の方が適任ですよ!」
そうして雪兎で『新種』との距離を詰めていった翔は、今度はその獣の周りを駆け回るなどということはせず、一直線にその懐に向かっていった。
──そうだ。これこそ俺に適任だろ。
その心の中からは、良くも悪くも先程までの迷いはなくなっていた。その時翔の頭には、先程までの失態を挽回する確固とした考えが浮かんでいたからであった。
──『誰かを逃がす』だったり『時間を稼ぐ』点において、俺の右に出る奴はいない……!
そうして翔は走るさなか、右手を握って開いて、その『感覚』を思い出す。そうして翔が想起していたのは、キラと共に雪原を逃げたあの日、最後の最後に芽生えた力、『時間転送』であった。
──いくら『新種』といえど、この攻撃は避けられない。多分『新種』は俺のこの手を避けようともしない上に、『新種』にこの手がかすりでもすれば『新種』は間もなく居なくなる。
そう突っ込んでいく翔の頭には、自らの作戦の成功の確かな光景が浮かんでいた。それもそのはず、対象者のみを時の潮流から外し、一時的に世界から姿を消すその技は、一見ただの掌底打ちにしか見えないのだった。いくら高い知能を持つ『新種』であろうと、その翔の人智を超えた所業のことを予測するのは翔には不可能に思えた。
──これで、これで終わりだ!
そうして翔はその手のひらを思い切り『新種』に押し出した。瞬間、その手が当たった『新種』の身体は未来へと飛ばされ、翔は見事その獣を撃退し……
否、その翔の決死の作戦も失敗に終わったのだった。『新種』目掛けて突き出されたその手が、『新種』の腕によってその勢いを止めることになったのだった。
「──っ! こいつ! なんで! なんで!?」
そうして『新種』に手首を掴まれる形で再三『新種』に捕まった翔は、焦燥と怒りと疑問とでそう悪態を吐く。その決死の攻撃も防がれた今となっては、翔にはもう『新種』から身を守る手段は残されていなかった。そうして振り上げる『新種』の長い腕を見上げながら、翔はようやくその仮説に辿り着いた。
──まさか『新種』……。人の表情とか視線も読み取ってんのか?
それは翔が漸く辿り着いた『新種』に関しての真理であった。しかしその事実はあまりに常識外れで、翔は思わず自らのその考えを疑う。
──人類の考えをも読んで、ひょっとしたら言語まで学習し始めるかもしれない。そんなの、並大抵の獣の知能じゃ考えられない……!
そうして翔は改めて、『新種』の高度過ぎる知能に愕然とする。もし『新種』が本当に人類の表情を読み取り、その考えをある程度読み取ることが出来たのならば、理論上『新種』は遠征隊の攻撃など全て封殺することが出来ることとなる。その高度な知能と、反射神経と、鞭のように長い腕とがあればそんな絵空事も不可能ではないのだ。
──そんな猛獣、どうやって勝てばいいんだ……。
その事実に思わず戦意を喪失する翔であったが、その直後そう悲観している暇すらないことを悟ることとなった。翔の腕を掴んでいないもう片方の手を、『新種』が翔目掛けて振り上げ始めたのだ。
──っ! 不味い、ヒロ先輩でも倒れた一撃なんて喰らったら、死……。
その攻撃に気付いた翔の頭は、超速で生き残るための方法を思案する。しかしそんな方法は結局一つも思い付くことが出来ず、そうして迫り来る絶命の一撃に、翔はただ目を背けることしか出来なかった。
そうして『新種』の一撃が、いよいよ翔に当たらんとしたその時。
ザシュッ。
肉を切り裂く音がその雪原に響いた。いつまでもやって来ない『新種』の攻撃に翔がそちらの方を見ると、そこには『新種』の一撃を翔の代わりに受けたフレボーグがいた。
「──っ!」
「……ったく、ホントに無茶ばっかしやがって」
「……ぁ……」
そう笑って言いながら血を吐くフレボーグの姿を見て、翔は漸く自らの行動が全て状況を悪化させる、悪足掻きにほかならないと悟ったのだった。
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