BLIZZARD!

青色魚

第二章32『新種』

 突如突き飛ばされた翔は、転がる視界の中それを視界に入れていた。その光景は彼の脳にきちんとした情報として届くことは無かったが、翔は確かにそれを視界に捉えていた。

 白ばかりのこの世界で、色彩を放ちその場にほとばしる『赤』。それは自らを突き飛ばした『先輩ランバート』の身体から噴出した血潮であった。自らを突き飛ばしたその男に怒りをぶつけようとしていた翔は、その後視界に捉えたその獣の様子を見て、その言葉を無意識的に留める。

 ──っ! これ、って……!

 その獣は白い身体を持っていた。体長は他の猛獣けものに比べれば一回りがふた回りほど小さく、その全長は二、三メートルほどであった。

 しかし翔はその獣の存在感に圧倒されていた。それは勿論その小さな身体の大きさが理由ではなく、その獣が持つ気迫や闘気などという曖昧なものが原因でもなかった。

 その獣は長い腕を持っていたのだ。体長と同じ程、否、それよりも長くも見えるその腕の先には獲物を狩るための立派な『爪』が付いており、その先は地面から離されていた。つまりその獣は……

 ──二足歩行、してる……!?

 翔はそう考えたが、二足『歩行』というのは少し誤りがあった。翔はその時はまだ・・、その生物が二本の後ろ足で歩く姿を見てはいなかったのだから。しかし翔がその考えに至った通り、獣はその時点で後ろ足のみでその場に立っていた。その長い二本の前足を、獲物をらえるために使うために。

「……ぁ……」

 瞬間、翔の頭は停止フリーズした。突然現れた『新種』の獣のその未知の戦闘スタイルに、そして自らを突き飛ばして傷を負った『先輩』の存在に、翔の頭は半ば狂乱パニックとなっていたのだった。

 そんな翔の硬直を、『新種』は見逃さなかった。その白い体毛に覆われた小さな口を静かに開け、『新種』はその長い腕を翔の方に伸ばす。

「──っ!」

 その迫り来る脅威に翔が身動きを取れないでいると、その瞬間その仲間たちの雄叫びが雪原に響いた。

「オラァ!」

「カケル! 大丈夫か!?」

 その『新種』に対して雄叫び共に鈍重な一撃を与えたのは、巨大な大槌ハンマーを携えたヒロであった。そうしてその男が『新種』と対峙しているさなか、元二は翔の元に駆け寄りそう言った。

 その言葉に漸く翔の硬直は解けたのか、慌てて元二に現状を伝える。

「……『新種』が突然背後うしろから襲ってきました。俺には目立ったケガはありませんが、俺を突き飛ばした『先輩』が血を流しています。その救護が最優先事項かと」

 そうしてすらすらと元二に言った翔の言葉を聞いて、元二は小さく頷いてそれに答えた。そして改めて眼前に居座るその『新種』を見て、険しい顔になって呟く。

「……さっきの剣歯虎サーベルタイガーの死体、ありゃこいつの罠か。獲物を放置しておくことで、遠征隊オレらをおびき寄せたな?」

 そう呟く元二は心の中で、目の前の『新種』のその罠に身震いをしていた。あの罠は完全に元二ら遠征隊をおびき出すためのものであった。同族の死体に剣歯虎サーベルタイガーが深い関心を示すとも思えないし、牙象マンモスはその影を見ただけで死体であろうと距離を取っていただろう。つまりはあの死体は、雪原の覇者である剣歯虎サーベルタイガーを狩りえる遠征隊にのみ有効な罠と言える。

 ──迂闊だったぜ。『新種』がどんな獣かわからない以上、もう少し慎重に動くべきだった。

 元二はそう心の中で毒を吐く。更に彼の中の不安や恐怖の類を強くしているのは、先程翔の元へ向かっていた時に見た『足跡』であった。

 ──『バックトラック』だっけか……? 付けた足跡を辿って後退することで、敵を偽りの方向へと誘い出す。この獣には、少なくともそれを考えるだけの知能は持ち合わせてるわけだ。

 元二はそう考察を続けながら目の前の獣と睨み合う。先程の剣歯虎サーベルタイガーの死体といい、その獣は明らかに他の獣とは違っていた。その張り巡らされた罠に、遠征隊はまんまと引っかかった訳なのだから。

 ──もしかして『新種コイツ』、人類オレら並に高い知能を持ってる、とかないよな?

 そう考えてから、元二はたちまちその考えを振り払った。その考えが実際に正しかったとすれば、まるで遠征隊にとってその状況は絶望そのものであったからであった。

 そして同時に、自らはその『新種』の獣と向き合いながら、通信をその兄弟に繋いだ。

「リー、ビー! ランを頼んだ!」

 そう言って元二は二人の遠征隊隊員、ベイリーとフレボーグにランバートの処置を依頼する。その言葉に即座に二人の戦士は動き、その手負いの男の元へと駆けて行った。

「……さて、と」

 その姿をしっかり見守ってから、元二は改めて眼前の獣に向かい合う。今やヒロは一人で『新種』の相手をしており、その身体に僅かながら傷も増えていっている。

「……このままじゃまずい。少なくともランを助ける時間を、『新種アイツ』から稼がねぇとな」

 そうしてその『新種』に向かっていこうとする元二の隣で、同じ考えに至ったらしい翔が立ち上がった。

「カケル! もう立ち上がれるのか?」

「……もちろんっすよ。『新種』から時間を稼ぐんですよね?」

 そうして立ち上がった翔は、震える身体に鞭を打って臨戦態勢になる。そしてその恐怖や疲労を悟られないように必死に英雄ヒーローを取り繕って、翔は言った。

「時間稼ぎなら俺の領分です。けど相手も『新種』。何をしてくるか分からないんで、危険に見えたらサポートお願いします」

 そう言い、翔は『新種』に向かっていく。元二も「……了解」と短く通信を入れて、その『新種』の気を引かんと獣の近くで旋回し始めた。その仲間の援助サポートに心の中で感謝しながら、翔は改めてその獣を見、その戦闘スタイルを分析する。

 ──見たところ武器は、あの長い腕だけっぽいな。体格サイズもそれほど大きい訳でもないし、筋力パワーで押し切られることは無い、か。

 そうして翔がその獣について分析をするにつれて、少しずつ翔の頭は冷静になっていく。そしてその冷えた頭で『新種』を見れば、それは一見『雪原最強』などと名乗れるほど高い戦闘能力を持っているようには思えなかった。

 しかし、そう考察していながらも、翔の震えは収まらなかった。

 ──ぶっちゃけ怖いな。さっきまでの分析も所詮見たところの話だし、この獣自体未知数の部分が多い。それに……

 そうして翔は改めて『新種』の獣を見て、呟いた。

「……なんかコイツ、不気味だ」

 その翔の考えには何の根拠もなかった。ただ翔の中のどこか、本能のようなものが告げていただけであったのだった。『この獣は危険だヤバい』、と。

「けど、だからって逃げる訳には行かないんだよ!」

 そうして翔は改めてその獣に正対し、『新種』が翔の存在に気付いて手を伸ばしたその時、自らの靴底を思いきり踏んづけた。

 ──『雪兎シュネーハーゼ』!!

 その天才少女アンリから貰った靴の機能により、翔の身体は爆速で『新種』の下をくぐる。そして『新種』の背後に接地した瞬間、弾かれるようにその『新種』の体側に駆けていく。

 その翔の電光石火の動きに、『新種』は一瞬だけ呆気に取られていた。しかしすぐにその男の姿を捕捉したかと思うと、そちらに向かってその鞭のような腕を伸ばした。

 ──っ! 反応はえぇ! けど……!

 そうしてその腕をギリギリまで引き付けてから、翔は再度その靴を使い爆ぜる。

「……うぉぉぉぉぉ!」

 そこからの数分間は、翔にとって永遠にも感じられるほどながい時間であった。『新種』の腕を躱し、かつその注意を引き付けながら辺りを駆け回る。雪兎シュネーハーゼという機動力を爆上げする装備をもってしても、その獣相手に翔は一瞬も油断することが出来なかったのだった。

 ──いや、つーかむしろこいつ……!

 そうしてモグラ叩きのような膠着状態が二、三分続いたところで、翔は兼ねてより感じていた違和感に気付く。

 ──雪兎シュネーハーゼの加速力に、慣れてきている……!?

 そう翔が考察した正にその瞬間、翔はその『新種』に脚を掴まれる。

 ──っ! マズ……

 その獣に捕らわれた翔は、瞬時にそう戦慄する。翔の頭には約半年前、マンモスに同じように身体を捕らわれた時のことが思い出されていた。あの時と同じように、掴まれたまま地面に振り下ろされたら、と翔は想像して翔はぞくりとした。

 しかしその時、『新種』の体勢が大きく崩れた。それは『新種』の脚に遠征隊最重量のヒロの一撃が炸裂したからであった。

「大丈夫か、カケル!」

「はい! ヒロ先輩、ありがとうございます!」

 そうしてその男に感謝を伝える翔だったが、同時に危機感を覚える。その重い一撃から『新種』は標的を翔からヒロに変えたのか、空いた方の手でヒロを襲い始めたのだ。

「うぉっ! こえぇ怖ぇ!」

 その一撃はなんとか躱したヒロであったが、迫り来る二度目の攻撃にヒロは険しい顔になる。元より彼は、見た目の通りそれ程機敏な方ではなかった。『新種』のその腕を振り回すだけの単調な攻撃は、単純だが攻撃範囲リーチが広く素早いものだった。牙象マンモス相手にならば辛うじて発揮できるヒロの回避スキルも、『新種』相手では初撃を躱すことだけに費やされることとなった。

 が、その二撃目もヒロに当たることは無かった。その腕がヒロに当たるより前に、その懐に入り込んだベイリーの存在がいたからであった。彼は短く呟いてから、地面を蹴り大跳躍をする。

「……氷爪アイスクロー!」

 そう呟くのと同時に、ベイリーの両手に氷で出来た鉤爪が形成される。凍気フリーガスによって出来たそれは、ベイリーの攻撃範囲リーチを広げるのと同時に、その一撃の鋭さを強めていた。

「オラッ!」

 ベイリーのその技は、その刃の小ささからランバートの凍刃フリーズクリーブ程には敵の肉を掻き切ることは出来ない。せいぜいが敵の獣の体表面に引っかき傷を作るほどであった。しかし、その一撃に『新種』は身をよじらせた。それもそのはず、ベイリーがその氷の爪で引っ掻いたのは、『新種』の顔面であったのだった。

「──っ! っとと……」

 その痛みに耐えきれず、たまらず『新種』は掴んでいた翔を放す。突然中に放り出された翔は、何とか空中でも姿勢を整え、受け身を取りながら雪のクッションに無傷で着地した。

「……ってて。
 助けてくれてありがとうございます、ヒロ先輩、リー先輩」

「ああ、気にすんな。それより今は、目の前の相手だ」

 翔の感謝にそう短く返して、ベイリーは改めてその『新種』に向き合う。と同時に、どうやら凍気フリーガスの発動準備をしていたらしい元二にまもなく問いかけられる。

「リー、ランの怪我は!?」

 その元二の言葉に、ベイリーは苦い顔をして答える。

「……それ程良いとは言えませんね。腹の辺りが裂けてましたし、マスクが外れかかってました。気付いた時すぐに付け直しましたが、多少吸って・・・たと思います」

 ベイリーが指すのは外の空気に含まれる毒素のことであった。しかし、まるでその症状を過剰に気にかけるかのようなベイリーの言葉に、翔は一瞬怪訝に思ったのだった。

「……そうか。分かった。なら、やることは決まったな」

 そうして踏ん切りを付けたらしい元二の次に発する言葉に、翔は内心期待する。目の前の獣を今の遠征隊でどうやって倒すか、翔の頭は今も考えていたのだった。

 しかしそんな翔の耳に届いたのは、そんな翔の予想を裏切るものだった。

「……退散だ。この『新種』から逃げて、基地に帰るぞ」

 その元二の言葉に、翔は思わず耳を疑ったのだった。

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