BLIZZARD!

青色魚

第二章26『惨状』

「……なんだよ、これ……」

 キラの友達候補であるその少女を探してその部屋に入った翔は、思わずそう呟く。翔がそう困惑するのも無理もなかった。それほど目の前に広がる光景はむごたらしかったのだから。

 その小さな部屋の無機質な壁の色を塗り替えるかのように、そこらに飛び散った赤い液体は独特の鉄分を感じさせる匂いを放っていた。その赤い液体は一人の少女、丁度翔が探していた少女と一緒にいるはずのコハルの身体から出ていた。そのコハルの目は力なく伏し目がちになっており、その身体はピクリとも動かずその部屋の地面に横たわっていた。

 その部屋にはもう一人少女が存在した。そちらの少女こそ翔が探し求めていた少女、朝比奈アサヒナアンリだったのだが、そうして呆然と立ち尽くす彼女のトレードマークである白衣は、いつになく赤色に染まっていた。その赤は、やはりその部屋を染め上げるものと同じ色のように翔には思えた。

 その白衣の赤がアンリ自身の身体から出たものではないと翔が推測したのは、アンリが手に持ったその何かに多量の赤が染み込んでいたからだった。よく観察すると、アンリの持つその物体は、鉛色に鈍く輝く刃物ブレードであるようだった。それこそ、小さな少女の身体くらいならば簡単に引き裂くことができるような。

「あれ? カケルさんじゃないですか~」

 その部屋に立ち入った翔に気付いたアンリが、上半身だけをこちらに向けてそう言う。その部屋の地獄絵図を前にしても、そのアンリの飄々とした態度は普段のものと全く変わらない。否、むしろその声にどこか弾みがついたように翔には感じられた。

 そのアンリの不気味な様子に翔は思わず身震いする。

 ──なん……だ? 何が、起こって……

 その状況に呆然とする翔に、アンリはその顔の笑みを絶やさずに歩み寄る。

「見られちゃったなら仕方ありませんね~。私としては、なるべく隠しておきたかったんですけど」

 その近付いてくるアンリの手に握られた武器に、そこに染み込んだ赤色と、その部屋の奥で生気を感じさせず横たわるコハルの姿を改めて見比べて、翔は反射的にキラを自らの後ろに隠す。そして反射的に叫んでいた。

「……っ! 何が目的だ、アンリ!」

 その言葉にアンリはより一層その口角を上げてにこやかに笑う。その笑みはまるでイタズラの成功した子供のそれであり、その血肉にまみれた光景にはあまりに不釣り合いミスマッチに翔には思えた。

 ──信じられねぇ。いや、信じたくねぇ……、けど……!

 翔は苦い顔をしながらそう目の前の少女に視線を集中させる。今、その部屋に広がっている光景と、そしてその少女アンリの様子を総合して考えれみれば、翔の頭に導き出された結論はひとつだった。

 ──こいつアンリが、コハルを殺した、のか……?

 そう結論は出ながらも、翔はそれが真実だとは思えなかった。翔は目の前の少女を、アンリのことをあまりよく知らない。しかしそれでも、こんな極悪非道なことを顔色一つ変えずに遂行することのできるような少女ではなかった。なかったと、翔は思っていた。

 しかし尚もアンリはその顔の笑みを崩さない。そう、アンリは笑っていた。今にもその状況の可笑おかしさに声を上げて笑わんとしていたのだった。

「……カケルさん……」

 その笑いを堪えながら発せられたアンリの言葉に、翔はその視線を外さずに答える。

「……なんだよ。何がおかしいんだ」

 翔はその場でも必死に思考を冷静に保とうと努力していた。その状況や、目の前の少女に対しての『なぜ』という疑問をかなぐり捨てて、『どうやってこの現状をキラと一緒に乗り切るか』というその疑問に思考を集中させていたのだった。それでいて目の前の現状にも注意を払っていた。目の前の少女がこれからどんな行動を起こしたとしても、それに瞬時に対応できるように。

 だが、そんな翔にもその直後の事態には呆然とする他なかった。

 翔の視界、笑みを浮かべるアンリの向こうで、血にまみれたコハルがすっくと立ち上がったのだった。

「……はあ?」

 その奇想天外な事態に思わずそんな情けない言葉を発した翔に、笑いを堪えながらアンリが翔に言った。

「……騙す気は、無かったんですよ? ただカケルさんがあまりにも必死になってたんで……」

 そうとだけ告げると、いよいよアンリは我慢が出来なくなったかのように吹き出して声を上げて笑い出した。一方そうして阿鼻叫喚の中立ち上がったコハルは、居心地の悪そうに何かもじもじとして言った。

「ええと……あの……、……すいませんでした」

 そのコハルの謝罪を聞いて、ようやくその状況を理解した翔は一つ深呼吸をしてから、アンリの頭を鷲掴みして笑顔で問い掛けた。

「……アンリ」

「ほへ?」

「……何か、言い残すことはあるか?」

 その翔の語気にようやくその怒りを理解したアンリは、往生際が悪くも苦笑いして翔に言った。

「……あー、えーっと、……すいません、でした……?」

 しかしその謝罪が告げられてからでは既に遅かった。そのアンリの振り絞った謝罪の言葉の数秒後、彼女の頭には翔の拳骨が直下したのだった。


 ********************


「……ったく、死んだフリだなんて洒落シャレにもならんことすんなっつーの」

「うへぇ。……すいませんでしたー」

 その翔の言葉にまた適当に返そうとしたアンリが、再び翔にギロりと睨まれて仕方なくそう謝った。そのアンリの頭には先程の翔の拳骨お説教によって出来たたんこぶがのぞいており、そこから滲むじんじんとした痛み故かアンリは落ち着きを取り戻していた。

 あの後アンリに詳しく事情を聞いて確定したことだが、端的に言えば翔は完全に騙されていたのだった。アンリと、その協力者のコハルと、そして何よりもアンリの発明に。

 あの部屋を染めていた赤い液体はアンリの発明品だったのだ。本人曰く、あれは『色と匂いまで極限まで似せた、本物そっくりの血のダミー』らしい。確かにそれは戦闘において使えそうな発明品なように思えたが、それでも翔にはまだ懸念が残っていた。

「……なぁアンリ。あの血の偽物ダミー、外の猛獣けもの相手にはそんなに有効じゃないんじゃないか?」

 あの発明品は、知性を持たぬ外の獣達への武器というよりも、まだ姿を潜めているかもしれない裏切り者に対してのもののように翔には思えた。

 翔がそう考えた理由は至極単純であった。その偽物は十分立派な完成度クオリティであったが、それでもやはり本物の血との乖離はあったのだ。翔があの説教の後、部屋の内装まで飛び散ったその偽物を拭き掃除していた時にもそのズレは感じられた。色合いは本物と何ら遜色はない。しかし問題となるのは匂いだった。

 すっかり冷静さを失っていたからこそ騙されたが、翔はそれが偽物だと聞かされた途端その匂いの違和感に気付いた。その偽物は本物に少し甘い匂いが混じっていたのだ。人間である翔がその違和感に気付いたのだから、ヒトよりもその嗅覚が優れた獣達がそのことに気付かない訳はない。

 そう懸念する翔だが、その論を笑い飛ばしてアンリは言った。

「カケルさん、こういうものは使えるか使えないかじゃないんですよ~。『いつか使える』って精神で私はいつも発明してますし」

「なんじゃそりゃ……。爆弾ばっか作ってるやつがよく言うぜ」

 そのアンリの暴論に翔は改めてひとつため息をつく。が、翔の疑問は未だ残っていた。

「……つーかアンリ、お前いつの間にこんなにコハルと仲良くなってたんだ?」

 翔は心底意外そうにその二人の少女を見た。翔の知る限りでは、遠征前この二人の間の交友はほぼなかったはずである。加えてアンリもコハルもそれほど社交性に優れているとも言えない。アンリに至っては、その偏屈な性格故、むしろ友達などは多くない方だったように思える。そんな二人が、今こうして一緒に翔をだまくらかすことをやってのけたというのは翔には信じられなかった。

 その翔の疑問に、アンリは「ふっふっふ~」とわざとらしく笑ってから答えた。

「まぁ、色々あったんですよ~。カケルさんが遠征してた間に」

 その答えになってないアンリの答えに、翔はアンリからその答えを聞き出すことを諦めた。代わりにそのアンリの新しい友達に視線を移して、ため息をつくように言った。

「……コイツの実験台モルモットでいるのは相当大変だろうけど、頑張れよ……」

「へぇ!? は、はい……」

 その翔の言葉にコハルは慌ててそう答える。一方その翔の言い得て妙な言葉に、アンリは腹を立てて言った。

「何を失礼なー! コハルちゃんには友達だから何も危険なことしませんよー! ……多分」

「早速揺らいできてんじゃねぇか! つーかさっきその『友達』を血まみれにしてたやつが何言っても説得力皆無だっつーの!」

 そのアンリの相変わらずの態度に、翔はそう突っ込む。と、そうして翔とアンリとコハルが三人で騒いでいるさなか、残された少年キラは一人部屋の端で蹲っていた。

「…………」

 完全にその場に取り残されたキラの存在に翔が気付いたのは、そうして話し始めて十分ほど後のことだった。その一人はぐれたキラを見つけた翔は、ひとつため息をついて呟いた。

「……って、本来の目的忘れるとこだった。危ねぇ危ねぇ」

 そう、翔がその少女アンリを探していたのは、決してそんな談笑コントをするためではなかったのだった。キラに友達を作る、その当初の目的を思い出した翔は、一つ咳払いをして話し始めた。

「んー……あー、アンリ。ちょっと大事な話があるんだが、いいか?」

「? なんですか~? 急に改まって」

 そうしてふとこちらを見返してきたアンリに、翔は意を決してその話を切り出そうとしたその時……

「……あの、カケル兄ちゃん」

 ふと飛んできたその声は先程まで蹲っていたキラのものだった。突然飛んできたその声に翔が驚く暇もなく、キラは申し訳なさそうな顔で言った。

「……僕、この子のことは知ってます……」

「はい?」

 そうしてキラが発したその言葉は、翔のこれまでの計画の根幹を揺るがすものであった。

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