BLIZZARD!

青色魚

間章04『朝比奈杏里』

「……朝比奈遥、って……」

 翔は以前聞いたその名前を繰り返す。『氷の女王』の襲来という、未曾有の天災を予知し、このスルガ基地を建てた人間。

「……あいつアンリが、その子供……?」

「ああ。これはあまり、基地内の人間にも知らせていないことだ。くれぐれも内密にな」

 フィルヒナーはその冷淡さを崩さずにそう言った。それにしてももう随分と長く走っているというのに彼女のその苛烈さは未だ健在で、翔はその体力に内心驚きつつも話を続ける。

「……アイツアンリ天才朝比奈遥の子供ってのは分かりました。けど、だから何になるんです? その救世主朝比奈遥ってのも、腕力まで強かった訳じゃないですよね?」

 その言葉にフィルヒナーはクスリと笑って返す。

「何になる、って。そんなものお前が一番分かってる・・・・・・・・・・だろう。

『知恵』は人間が古来から持つ唯一無二の『武器』だとな」

 その言葉を聞いて翔はハッとする。かつて彼女の部屋を訪れた時、彼女のその知識量には翔も舌を巻いたものだった。

 もしあの科学知識に、思考力が伴ったら。

 ──この物資が限られた基地空間においても、その力は充分火を噴くかもしれない。

「それでも私達が駆け付けた方が安心だからな。カケル、急ぐぞ」

 フィルヒナーにそう促され、少し速度ペースの落ちていた足を翔はまた動かし始める。

 それにしても目の前のフィルヒナーはアンリが危険な目にあっているというのにこうも冷静であった。一方翔は彼女が消えたというだけで慌てふためく始末だ。

 ──これが、『信頼』ってやつなのかね。

 目の前のフィルヒナーはアンリが負けるはずがないと『信頼』しているのだろう、と翔は推測し、そして尋ねてみた。

「……フィルヒナーさん、アンリのこと心配してないんですね」

 するとその質問に対する答えは、翔の予想していたものとは全く違うものであった。

「……私はあの子が裏切り者に怪我をされるより、あの子が暴れ回って・・・・・・・・・この基地に誰も・・・・・・・住めなくなることの・・・・・・・・・方が心配なんですよ・・・・・・・・・

 そのフィルヒナーの返答は翔には笑えるようで笑えなかったのだった。


 ********************


 基地の一角にて、少女アンリと裏切り者は見合っていた。両者ともその顔には余裕の笑みを浮かべており、その状況は一見して、アンリが窮地に立たされているようであった。

 しかしその実際が真逆であることは、この後すぐに分かることであった。

「てやっ!」

 なんとも力の抜ける掛け声とともに、何かが入った袋が裏切り者に投げられる。

「……は?」

 目の前の少女の奇策に、思わず裏切り者は声をあげた。何を投げたかは知らないが、この狭い通路であってもこれを避けるのは難くない。遠慮なくそれを腕で払おうとしたその時、

 その裏切り者は見た。その袋に入っていたのが、大量の彼女の『発明品』であることに。

「──!!」

「知りませんでした? 私の発明品って、爆発するんですよ?」

 一拍おいてその袋諸共大量の発明品が爆発する。その爆発は基地の壁を焦がし、そしてその天井に付いた灌水機スプリンクラーが作動する。

 しかしその大爆発の中、裏切り者は息絶えていなかった。

「……てめぇ……!」

 それは偏に凍気フリーガスなどという能力のおかげであった。その力によって爆発を防いだ裏切り者は、粉塵が次第に晴れていく中、目の前の少女を今度は油断なく見据える。

「……もうお前には何もさせねぇ。子供ガキが大人に歯向かうんじゃねぇよ!」

「いえ、残念ながらもう終わりですよ、裏切り者さん」

 その爆発による粉塵が全て晴れたその時、裏切り者は少女がまだ笑っていることに気付いた。

 ──この小娘ガキは、まだ俺に勝つつもりなのか?

 それは甚だおかしいように裏切り者には思えた。もう少女の奇策は尽き、これ以降先のように爆弾発明品を投げられたとしても裏切り者は油断せずそれを避けることが出来るのは明白であった。

「……まだ何がするつもりだってのか? あぁ?

 何もさせねぇっつっただろ!」

 激昴とともに裏切り者は少女に詰め寄る。その手には凍気フリーガスを込め、そしてその目は血走りながらも迷いなく目の前の少女を見つめていた。

 裏切り者には目の前の少女がこの先何をしようとしたとしてもそれを封殺する自信があった。事実そうであっただろう。この瞬間、少女の動きは完全に封殺されていた。

 しかし少女は恐れも退きもしなかった。彼女の策は、もう既に実行済みなのだから。

 目の前の少女にその手を伸ばそうとしたその裏切り者が、突如異変に気付く。

「あ……あ?」

 突然身体が猛烈な『熱』を持ち始めたのだ。まるで全身が火に包まれているような、あるいは全身が鮮烈に切り刻まれたような、それほどの『熱』であった。

 これほど身体が熱くなるほど裏切り者は運動をしていなかったし、加えて運動をしていたとしても身体が灼ける程のこの熱は異常であった。

「あ……は?」

 そしてその熱は裏切り者の勘違いなどではなく、その証拠に刻一刻とその威力を増していった。

「熱っっちぃぃぃ!」

 全身が突然火だるまになったかのようなその『熱』を消すために、裏切り者は今も灌水機スプリンクラーから湧き出る水をその身体を浴びせる。しかしその『熱』は引くことがなく、むしろよりいっそうその猛威を振るうだけであった。

「は、はぁぁぁ???」

 裏切り者は訳が分からななかった。実際には身体は火に包まれている訳では無い。目の前の少女は平然としているため気温が急激に上がった訳でもない。しかし、それならばなぜ、これほどまで体が『熱』いのか。

「……乾燥剤シリカゲルって、知りませんでした?」

 静かな口調でそう語りながら少女は裏切り者に近付いていく。

「あれに水を加えると熱を発するんです。発熱反応ってやつですね」

 そうして飄々とした様子で裏切り者の手から白衣を奪い、それをはたいた。その様子はあまりにも幼稚なように見えて、その実裏切り者はその姿が悪魔かなにかのように見えた。

 ──熱い、熱い、アツイ……!

 身体の『熱』はどれだけ転がっても落ちる気がしなかった。もう既にその身体が、服が、多大な熱を持ってしまったのだ。悶え苦しむその熱からは逃れられない。

 ──クッ……ソ!乾燥剤ったって、そんなもんいつ俺に……

 そう考えてから、裏切り者は気付いた。先の爆発の際、やけに粉塵が晴れるまでの時間が長かったということに。

「……あの袋に、入れてたのか!」

「正解です。だからどの道、受けても躱してもあの袋を投げた時点で勝負は決まってたんですよ」

 一方少女は手に持った布を纏うことで、その布で乾燥剤を全て受けきっていた。そのため彼女はこの『熱』による影響を受けない。

 ──つまりは最初の一手で裏切り者は詰まされていたのだ。どうしようもなく、完璧に。

「か……はっ」

 未だ取れないその『熱』に、裏切り者は苦悶の表情で我慢をし立ち上がる。

「立ち上がるんですね。そのままじっとしてた方が楽ですよ?」

「……お前は……ぶっ殺す……!」

 裏切り者は朦朧とした意識で少女に向かって駆けていく。だが少女は冷静なまま、少し身体をそらしてその細い腕を突き出した。

「がっ……ごほっ……!?」

「どんな人間でも急所はあるものですよね。最も、ここ・・を狙うのは男性諸君には凄く卑怯だというのは知っていますケド」

 その腕が伸びた先は裏切り者の股であった。堪らずその場に倒れ込む裏切り者に、少女は更に追い打ちをかける。

金的さっきのところ以外にも色々あるんですよ?例えば……」

 少女はその細い足を持ち上げ、裏切り者の側頭部を思い切り蹴り付ける。壁と少女の足によりその頭がしばらく挟まれたあと少女がその足を下ろすと、裏切り者はフラフラと倒れた。

「……こめかみtemple。平衡感覚は失ったはずです。それから……」

 彼女はその足を今度は裏切り者の喉に当てる。

「……喉仏。当てると呼吸困難になりますね。流石に可哀想なのでしませんケド」

 などと言いつつも少女は今度はその足を裏切り者の胸に押し当てる。

「……人中。みぞおちとか、人体の中心にあるところの総称ですね。これも呼吸困難」

 裏切り者の目に涙が滲む。しかし少女は次々と、人間の弱点を羅列していった。

「額、ここは言わずもがなですね。大量出血しますし、脳に障害が起きることも。眼球、これも当たり前。潰せば視界を奪えますし、深く突けば脳まで届きます。乳状突起、耳の後ろにある骨ですね。運動機能を麻痺させられます。顎、これも有名ですか。脳震盪やら内出血やら危険が沢山です。首、やはり大量出血。加えて呼吸困難も引き起こしたり。頚椎、即死します。心臓、肋骨の間から刺せば即死ですし、圧迫すれば当然苦しい。肋骨、折れれば肺に突き刺さる恐れがありますね。膀胱、実は神経の束があって、ちょっと刺されただけでも動けなくなります。肩口、強打すれば腕が動かなくなります。脇の下、ここにも神経が集まってたりします。あと止血ができないので失血死にも繋がりますね。上腕骨隙間、突かれると神経が断ち切られて腕が動かなくなります。手首、昔はここを切って『リスカ』というのをしてたとか聞きますね。上腕三頭筋、切られると腕が使えなくなります。膝、大きなダメージを受けると立てなくなります。腿、これも蹴られるとしばらく立てなくなります。脛、『弁慶の泣き所』ってやつですね。アキレス腱、切られると足が使えなくなります。あと全体的に関節は力を加えれば非力な私でも折れますね。

 で、どうします?」

 そうも残酷に、自分を殺すための幾つもの方法を聞いたその裏切り者は、もう限界であった。涙を啜りながら、彼は少女に許しを請う。

「……ひっ……すみま、せんでした……。
 もう……許して……」

 その裏切り者の言葉に、アンリはようやくその足を下ろし、手に持った白衣を羽織りながら言った。

「……まぁ、娘よりも訳の分からない暗号のために生きた母親ですから、別にそこまでこれが形見として大切って訳じゃないですケドね。
 次やったら遠慮なく頭使って弱点突いて殺しますから」

 少女はそう言い、気ままな彼女に戻り、自分の部屋に戻ろうとした。まさにその時であった。

「待て」

 声がした。振り返ると、ハンドガンを構えた何者かがそこに立っていた。

「……参りましたね。こんな白衣もののために複数人の犯行本気を出すとは予想が付きませんでした」

 そこに居たのは紛れもなく『裏切り者』の一人。蹲る彼とは仲間であろうか。この二人のどちらの方が強いか、などというのは推し量るしかないが、少なくとも遠くにいるそれは少女に油断しておらず、そしてハンドガンを構えている。先程より圧倒的に手ごわいのは確かだ。

 ──さて、どうしましょうか。

 そうして動乱は混沌を極めていくのだった。

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