BLIZZARD!

青色魚

第一章05『「生きる」ということ』

 この世界で住んでいくにあたって、早急に見つけなければいけないのは「水」と「食料」だろう。衣の方はとりあえず翔は学ランで事足りているし、フィーリニも纏った麻布で大丈夫そうだ。それに洞穴はやはり風雪を防げるというだけで外よりもとても暖かく感じる。その面で住の心配もない訳だし、とりあえずその二つだ。

 特に前者は急を要するだろう。水がないと人は三日ほどで死んでしまうと聞いたことがある。食料の方はまだもう少し猶予があるだろう。という訳で、何よりも優先すべきは「水」だ。

「とはいえ、外ほっつき歩いてた時川の一つや二つ見つけてりゃ良かったんだが」

 結果は全くのゼロである。あの日は特に吹雪がひどかったのもあるが、そもそもこの気温で表面が凍りついていないのか。

「……だー、わかんね
 フィル、水のある場所知らないか?」

 フィル、というのは翔が作ったフィーリニの愛称だ。どこの言語か、この世界独自のものかもしれないが、日本語や英語に縁がないそれは翔には発音しにくく感じた。

 すると彼女はムクリと立ち上がって、ぐいっと翔の手を引いて外に向かい始めた。

「うぉっ……と」

 やはり見た目は少女でも獣の一面はあるのだ。翔を引いた時のその力は思っていたより強く、翔は危うくバランスを崩しそうになった。

 外はまだ吹雪いていた。といっても初日──召喚されたあの日よりはまだ風もなく雪の勢いもない。とはいえずっと洞穴にいた体には寒い環境に他ならなかった。翔は一つくしゃみをした。そしてこの寒さから気を紛らすため、何か話題を考える。

「……つーか、その足もう大丈夫なのか?」

 翔はそう言いフィルの左足を指す。マンモスに潰されたその足は、早くもほとんど回復しており、普通に歩くには支障がないように思えた。

「……再生力の強さも獣の力、的な在り来りなアレか」

 といいフィーリニの顔を見ると、その顔は意外にも、怒っていた。

「……」

 言葉を発せずともその一瞥だけで翔は後ずさりする。と、手を繋いでいたフィーリニも後ろに引かれる。 

「……ええと、ごめん?」

 とりあえず謝っておくと、フィーリニはやり切れないようにふるふると首を振った。その時になって始めて、翔は彼女の気持ちに気付いた。

「……そっか、悔しいのか」

 フィルはあの巨大なマンモスにも果敢に飛び込んでいった。しかし結果は、予期していなかった翔の増援があったにもかかわらず命からがら逃げ切るという結果は惨敗の他になかった。

「……」

 フィーリニは前に向き直ると、何も言うことはなくまた強い力で翔を引き始めた。

 その時ふと気付いた。彼はフィーリニの声を聞いたことがない。否、もしかしたら喋れないのかもしれない。見た目は人と同じでも、人と同じように発声できるとは限らない。

 と、そんなことを考えていると、翔の視界に色が見えた。フィーリニは気にせず突き進んで行くが、翔の足は無意識に止まっていた。

「……木、か」

 天頂の尖ったその木は針葉樹というのだろうか。今の今まで雪の「白」、闇の「黒」、加えてフィーリニの髪の毛の「栗」色しか見ていなかったその目に、その緑はとても映えて見えた。

「……なんだ、しっかり植物も存在する世界なのか」

 とりあえず翔はひと安心する。この場所は洞穴からそう遠くない。こんなに近くで木材を採取できるのなら、色々と生活の幅も広がるだろう。そう夢を広げる翔の傍ら、フィーリニは再び歩き出す。

「どこ行くんだ?フィル」

 はぐれてはならない、と必死に追いかける。針葉樹林の中をフィーリニを見失わずに追いかけるのは少し苦労がいったが、その森を抜け、視界が晴れた時に、翔は疲れも忘れて思わず嘆息していた。

「……あった」

 それは紛れもなく「川」だった。最もこの寒さからその表面は固くなり、水の流れがしっかりあるのか疑問ではあるが。

 と、そんなふうにしているとフィーリニがちょいちょい、と肩を叩いてからその川の中を指差す。

 するとそこに、優雅に川を泳ぐ魚がいた。

「……川がある、魚もいる、ってことは水と食料の問題はクリアか」

 何ともあっけなくクリアしてしまったように思えるが、このことをフィーリニが知っていたのも当然ではあるだろう。きっと彼女も、翔と出会う以前はここで一人で暮らしていたのだろうから。

「……とりあえず、ある程度水と魚取って早めに洞穴に帰るか。
 風が強くなってきた」

 フィーリニはその言葉に頷くと、突然その身にまとった布を脱ぎ始めた。

「!?」

 フィルは獣のような部分もあるとはいえ大部分は人に近い。ということはその裸も……と、その先を想像してしまいそうになって、やめる。

 何をするのか、薄目を開けてみると、フィルは思いっきり跳ねたかと思うと、川に全力でその肘を叩きつけ水面を割り、その中に入っていった。

「……なんつーワイルドな」

 とりあえず川の透明度は高いようで、そこに潜ってもフィルの姿を見ることは翔にとってある意味危険なことであるのにはすぐに気付いた。実際その身体がどうなっているか、興味が無い訳では無いが体ごと目を背ける。

 すると、その目になにか動くものが映った。目を凝らしてみると、それは鹿のような生物だった。

「……マンモスがいるんだもんな
 いてもおかしくない。こいつらを狩っても食料は確保できる、か」

 そう思い立ち、落ちていた石を手に鹿に殴り掛かる。が、それは軽々と躱され、鹿はその場を去っていった。

「……やっぱ素早いな
 鹿採るんだったらもうちょっと工夫しないとダメだな」

 思えば遠い昔、地球で銃火器も持たないひ弱な人間は「知恵」で狩猟をし、生活していたのだ。多人数、罠、加工した道具などを使いこなし、それこそあのマンモスでさえも倒したと聞く。

 ──その時、翔の頭バカみたいな考えが浮かんで来た。それはあまりにも短絡的で、複雑で、自分勝手で、フィーリニのためのものであった。そして何よりも、出来るはずがない、そう思える「作戦」だった。

 だが、それを実行に移したい、その気持ちがなぜだか湧いてくる。もしこれが、成功すれば翔達の大きな前進には変わりないが…

 そんなことを思考していると、後ろでピチピチと音がした。振り返ると、魚を一匹ずつ両手に持った、一糸纏わぬフィーリニが立っていた。

「……服を着てくれ!」

 危うく飛びかけた翔の何かを押さえ付け、翔はそう叫んだのだった。




「……流石に、生じゃまずいよな……」

 木の枝で刺した魚を見て、翔は呟く。あの後、吹雪がどんどん強さを増していく中、翔とフィルは退路についた。初日と同じような猛吹雪に、フィーリニは何を思ったか洞穴から出、外の岩を押し始めた。

 するとそれは、まるで洞穴に蓋をするかのように入口を大方塞ぎ、寒さを防いでくれた。

「さながら石の扉、『扉石』って感じか」

 フィルが動かしたその『扉石』の他にも、洞穴の周辺には大小様々な岩石が転がっていた。中にはフィルも動かすことの出来ない岩もあり、翔は流石に彼女の馬力も万能ではないと悟った。

 そうして寒さを凌げるその洞穴に戻って来てから、翔はその魚とにらめっこをしている。好みの問題ではない。魚をこのまま食べることの問題は、別にあった。

 翔本来彼は魚より肉の方が好きなのだが、こんな状況ではそんなことは言っていられない。食わねば死ぬまでだ。その覚悟はできていた。

 だがこの魚を食べて死んでしまう場合もあり得るのではないか。この世界にいるかも分からないが、魚には寄生虫などが多くいると聞く。そもそもこの世界の魚が翔の口に合うのかも分からない。だがとりあえず、翔の以前の世界に習って熱処理をしなければ。

「……こうして思うと、初期装備は充実してるな」

 学ランのポケット──カッターナイフの入っていた方と逆の左のポケットには、ライターが入っていた。最も実はそれだけではなく、その隣に彼が持つはずのない──タバコも入っていたのだが。

「……虐められてたことも少しは幸運だったってか」

 そういえばあの日はタバコを買ってこいと脅された翌日だった。田舎であるためか年齢認証も必要ないタバコの自動販売機のある翔の町では、不良がそれを吸っているのは珍しくなかった。

「俺は吸いたくないけどね。寿命縮めて何がおいしいのか」

 ポケットの中に入った二つのものからライターを探り当て取り出す。油の残りも少しはある。しばらくは使えそうだ。

「……とはいえ重宝しないとな。今現在、唯一の熱源はこれだけだ」

 せめて油だけでもどこかで手に入れられたらいい。それかあのフィーリニがいるのなら、摩擦を使って火を起こすことも可能かもしれないが。

「まぁ今回はここに来て初めての食事だからよ。許してくれ」

 そう言い拾ってきた木の枝に火をつける。気分はさながらキャンプファイヤーだ。直接木に火はつきにくかったが、なんとか灯すことが出来た。

「あぁ……温かい」

 目の前のこの炎は自分勝手に熱を周囲に振りまく。その事に感謝したのは初めてだろう。翔はその炎を、ずっと見ていたい気分になった。

 だが、そういう訳にもいかない。手元の魚を焼いてからでも暖まることは出来る。ひとまず手元の魚を焼くことにした。

 ふと、フィーリニの方を見ると、既に彼女は生のままその一匹を平らげていた。フィーリニの胃袋が人と変わらないならば、この魚は人間には害がないということになるだろう。最もそうであってもあんなワイルドな芸当はできないのだが。

 しばらく火に当て、表面をじっくりと焼く。そもそもこの魚が食べられるというのは翔の勝手な推測でしかない。目の前のフィルが食べることが出来た。だから翔も、なんて単純な話ではないかもしれない。だが、何にしても、もう翔の腹も限界であった。

 そのこんがりと焼けた魚が顔のあたりに持ち上がると、瞬間、とても懐かしい匂いがして幸せな気分に包まれる。もう我慢は出来なかった。その魚を遠慮なく、自らの口に突っ込む。

 ──思えば味付けとかすればよかったなぁとか、そういえば塩の採取方法についても考えなきゃなだとかそんな思考は全部途切れた。

 美味しい。

 この味を伝える術を持たないことを恥ずかしいと思うと共に、別に伝える相手など今やフィーリニくらいしか居ないのだからどうでもいいやと、少し笑った。この世界に来てから、恐らく二、三日は既に経っているだろう。その間何も食べずに、翔の体が生きていたことに「感謝」する。

「……あぁ、うまいなぁ……」

 もう止めることなど出来なかった。普段は頭の部分や内臓は食わないのだがそれも無我夢中で貪った。まるで翔の方が動物のようだ、などと笑われても仕方が無い。体が久しぶりのエネルギーの供給に喜んでいるのが分かった。

「……ああ、生きているんだな、俺」

 当たり前のようなことを呟いて、そして何故か涙が出た。その様子を、フィーリニは黙って、見つめていた。




「ふー、食った食った」

 食べたのはたったの魚一匹。栄養バランスなどきっと取れていないだろうし、運動部などでなくても翔は成長期の男子高校生だ。普段の食事が魚一匹で足りるはずがない。それでもとても、満たされた気分であった。

 一方で、洞穴の端にいるフィーリニは浮かない顔であった。魚一匹では足りなかった、ではおそらくないだろう。先程と同じ理由だろう。よほど負けて、悔しかったのだろうか。

 その様子を見て、翔は悩みながらも、決断した。

「……なぁ、フィル」

 彼女の茶色の真ん丸の目がこちらを見る。

「……やっぱ、悔しいよな」

 その翔の言葉に、一拍置いてこくりと頷く。

「……勝ちたいよな」

 また一度、こくりと頷く。

「……一泡、吹かせてやりたいよな」

 三度頷く。もう彼女の頬には雫がつたっていた。

「……じゃあ、リベンジしよう」

 その言葉に、フィーリニはハッとこちらを見る。

「俺だって悔しいさ。一応男の子だからな。負けて悔しいのは、当然だ」

 そう言うと、フィーリニは初めて会った時と同じ獣の目になって、今にも倒しに行こうとする気が満々である。それを宥めて翔は続ける。

「……けどな、前みたいに猪突猛進に突っ込んでいって、勝てる相手じゃないのは分かるだろ?」

 フィーリニはその凶暴な犬歯を露わにしつつも、小さく頷く。

「……だから戦略を練った」

 翔は立ち上がって、フィーリニに顔を近付けて言い切った。

「俺の『知恵』とお前の力で、あのマンモス野郎をぶっ飛ばそう」

 その言葉に嬉しそうに頷いたフィーリニの顔を皮切りに、対マンモス作戦は開始した。

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