偉転者は目眩く

あんくる

霧都。霧の都と書いてキリト。大都市であるここのど真ん中で
  僕、迷ってます。
引越ししたものの大都市は慣れなくて、地図とにらめっこしても分からない。スマホのマップに頼ろうとポケットを探れば空気を掴むだけ。そう、家に忘れた。とりあえず歩こう、と地図を見ながら歩いていればドン、と白衣の誰かにぶつかる。
「ああ、すみません…!」
慌てて頭を下げて謝り、直ぐに去ろうとしたのだけれど頭をあげればそこにその人はおらず。
「あれ…?」
さっき、確かに白衣を見たのに。ぶつかる瞬間だったけれど、確かに。一瞬白い電柱にでもぶつかったのかと思ってしまったけれど、ここは道のど真ん中。電柱は端っこ。
かなりおかしいけれど人に紛れて見えなくなっただけだと思って、また地図を見る。今度は人にぶつからないように。

「お困りですか?」
あれからしばらく歩いていれば声をかけられる。パッと顔をあげれば人の良さそうな黒髪の男性が。丁度いい、とその人に地図を掲げる。
「えっと、ここに行きたいんですけど…」
そっと自宅付近の公園を指さす。この公園からだと自宅が見えるからなんとか家に帰れる訳だ。自宅までの道を素直に聞けばいいのかもしれないけど、他人に個人情報バラしているだけだし。
「ああ、ココへなら向こうノ道路を進んでいれば突き当たりますヨ」
少しカタコトの日本語でそう言うと、そっと向こうを指さす。突き当たる、という言葉に少し疑問を感じたけれど「ありがとうございます」と軽く礼をしてその人が言った方向に向かった。

道を進んでいけば、段々薄暗くなっていく。
こんな道を通って向こうに行ったわけじゃないのにな、と思いながらもあの人の方が知ってるだろう、という偏見でずっと進んでいた。
その途端。
ヒュッと何かが空を切る音が聞こえれば、僕の着ていた蜜柑色のトレンチコートが切れる。随分気に入っていた、というのはこの際どうでもいい。
今考えるのは。今脳裏に浮かぶのは1つ。
       “誰かが僕を切ろうとした”
それだけ。
人間としての本能なのか、僕は気付かぬ間に走っていた。それもすぐに息が上がりそうなくらい速く。今までこんなに速く走った事がないくらい。
けれど、どれだけ走っても逃げられたという感覚にはなれない。
姿が見えなかったのが1番なのだろうけど、気配がそこにある気がして。いや、気配みたいな、なにかが。

流石に体力が限界を迎え、ゆっくりと壁にもたれかかる。はー、はー、と忙しなく呼吸して、そのまま倒れ込んでしまいそうだった。
けれど、“アレ”は追いかけていた。
またあの空を切る音と共に次は袖を切られた。何の抵抗もなく切れるから、随分上等な刃物なんだな、と命を狙われている側に合わない事を呆然と考えながら、迫り来る死を感じていた。
心臓は忙しく動き、僕の耳にも聞こえ、切りつけてきた犯人にも聞こえていると思えるほど。
そんな状態なのに、何故。
何故、僕は犯人を見ようとしているんだろう。
犯人は姿が見えない。まるで透明人間の様に。
そんなハーバート・ウェルズの小説みたいな事、ありえない。
そんな妙に冷静な事を考えて。
死の方が大事な事だというのに。
何故かそっちに気が滅入って。
気付けば、呼吸を忘れそうになっていて。
ああ、まあいいか。
どうせ、もう死ぬんだから。
瞼をゆっくりと閉じる。
また、また空を切る音がして―――

「……え?」
次は、風を切る音と、激しい金属音。
まるでファンタジーの戦いの様な。剣士と剣士が戦う、あの時に出る音。
ゆっくりと瞼を開ければ、白衣が目の前に。
上を見れば、少し薄い橙色の髪が見えた。
その体から伸びる右手には、医療用のメスがしっかりと、見えない刃を遮っていた。
「…何のつもりかは知らないが」
白衣の人から発せられる、低めの声。
「帰ってもらおうか。」
そう言った途端、メスを乱暴に振り刃をはね飛ばす。
その瞬間、フッと気配みたいな、よく分からないものが消えた。
僕は力が抜けて、へなへなとそこに座り込んでしまった。
「…さて。」
その白衣の人はゆっくりとこちら側を向き、メスを白衣のポケットにしまう。
「邪魔者も居なくなったしいいだろう。」
まっすぐと僕を見つめれば手を差し伸べられて。反射的にその手に手を重ねて立ち上がった。
「津島修治。共に来てもらう。」
そう、言った。

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