T.T.S.

沖 鴉者

File.5 Worthless Road Movie  Chapter 3-7



 凄まじい熱風に懐かしくも恐ろしい記憶を刺激され、絵美は眉間の皺を一層深くする。
 抵抗する術のない者を脅して、あまつさえ殺害するという源の決定を聞かされた時から、その皺は刻まれ始めた。警察官という唯一のキャリアから人生を組み立ててきた彼女にとって、この提案は受け入れ難いものがあった。
 罪を憎んで人を憎まず、の精神で生きてきた絵美の倫理観では人を殺めること自体が罪だ。
 だが、源とエリカ、そしてマライアの意見はまるで違った。
 放っておいても、遠くない内にあの男は処分されるだろうが、一口に処分といっても、殺害だけではない。脳核は外部記憶装置にされ、臓器はバラ売り、それ以外は射撃訓練の的にでもされる。

「命が軽い世界じゃそんなもんだぜ」
資材リソースは有効活用しなきゃな」

 源とエリカが交互に告げる絵美の知らない世界の常識には眩暈がしたが、戦場を知らない絵美が口を挟む余地はない。
 更に言えば、2人が追って発言した内容には説得力があった。

「アイツの組織はアイツを消すためなら何だってするだろぉよ。それこそ空爆すら視野に入れてな。巻き込まれる人間はアイツが生き長らえるほど増えてく」
「人権だ何だを議論する対象に最初から入ってねえんだよ軍人やらアウトローは。生命削って生命奪い合って生きてる連中に何を言っても響かないよ」

 ここから先の展開における危険性も、この場面における倫理のあり方も、ここまで丁寧に説かれてしまっては、閉口するしかない。
 だが、根本的に納得出来たわけではない。煮湯を飲んで何とか胃に収めて耐えているような状態だ。

「満足な結果は得れた?」

 ヘルメットのような物を小脇に抱えて戻った源に問いかける。
 出来るだけ不満を込めて発声したはずだが、どうやらその意思は伝わらなかった。

「おぅ、こりゃ結構な収穫だぜ」

 弾んだ声にウインクまでつけて得意げにメットを振る源を見て、絵美は思わずため息を吐いた。

「そう……それで?」

 良かったわね、とはどうしても言えず、ぶっきらぼうに結論を急ぐ言葉しか出ない。
 成果物を手に機嫌のいい相棒バディは、そんな葛藤は露知らず、カポリとそれを被って何かを閲覧し始めた。
 絵美も、無理矢理意識をその中身に向けることにする。敵勢の規模は?一体どれだけの武装を携えて何人が来る?そうしてその内……一体何人が死ぬ?

『ああダメだ。確実によくない。ここにいちゃダメだ』「……亜金さんの様子見てくる」
「……悪ぃな、よろしく頼む」

 閲覧データに夢中なのか、はたまた彼なりに絵美の意思を汲んだのか、控えめな反応を背中に聞きながら、絵美はユリアン邸内に戻る。
 その足取りは思いのほか重く、どうやっても速くならなかった。
 それ故、なのだろうか。

「敵襲か?何人来やがっ……って何よアンタ、どうしたのよ?」

 対物電磁狙撃銃アンチマテリアルレールスナイパーライフルの爆発音に飛び起きたのだろう、戸口を入ってすぐの所まで詰めていた完全武装の亜金に、思わず絵美は抱きついていた。
 ピリッとした殺気を放っていた賞金稼ぎは目を白黒させながら、絵美の背中にそっと手を添える。

「ごめん亜金さん、ちょっとだけこのままいさせて」
「……何だかよくわんないけど、敵が来たわけじゃ」

「ないです。ホント、トラブルとかじゃないんです」

 身を強張らせ声を震えさせる絵美を前に、流石の亜金も強硬的な態度は取らなかった。どこか諦めたような溜息を吐いて、沿わせていた手でポンポンと背中を優しく叩く。

「いいよ付き合ってあげる……けど、取り敢えず一旦リビング行こうか」
「……はい」

 ソファに腰掛けた絵美の傍に蹲み込み、背中に添えていた手を膝に置き換えて、亜金は諭すように問いかけた。

「何があったの?私も現状を把握したいし、何があったか教えてちょうだい」

 普段目にする力強い賞金稼ぎとは違う、姉御肌な女友達のような口調に、絵美の心が解れる。

「そうですよね、色々説明出来てないですもんね」

 ゆっくりと言葉を選びながら絵美は説明をする。
 紫姫音が攫われ、その行方を追うのに都合が悪いからこそ、源がT.T.S.を一時離脱したこと。
 源の素性を明かす報道がされたのが、薔薇乃棘エスピナス・デ・ロサスとはまた別の組織による妨害の可能性が高いこと。
 捜索には別動のT.T.S.本隊が連携していること。
 亜金と源が捕らえた男が、敵対組織の末端である可能性が高いこと。そして。
 源がその男を拷問の末、始末したこと。
 全てを話し終える頃には、亜金も絵美の葛藤を察しているようだった。

「そっか、アンタなりに源のために色々気を使ってくれてたのね。ありがとう」

 でもそうね、と亜金は天井を見上げて一旦間を置く。

「日本で警察官やってたアンタには、たとえ凶悪犯が相手であろうとも、人命を奪うことを受け入れ難いわけね」
「……はい」

 そう、と一人ごちて、亜金は身を乗り出した。

「それじゃあ、昔ながらのやり方で落とし所を着けるしかないでしょ」
「昔ながらの?」

「そう。古今東西問わず、老若男女みんなが魂を鎮めるためにやってきたことがあるでしょ?」
「でも、それは宗教的な」

「とぼけんな。宗教が何のためにあるかなんて、アンタわかってんでしょ?」

 そう。宗教の存在意義とは、すなわち救済だ。
 生きていく上で味わう様々な艱難辛苦を何とかして耐え抜くため、腑に落ちる解釈を与えることこそが宗教の本質だ。
 最たる例が、葬送だろう。
 それをしよう、と亜金は提案しているわけだ。

「どんな形式だっていいのよ。死んだやつがどう思うかなんて関係ない、生きている私たちが折り合いをつけるための儀式でしかないんだから」

 亜金の言い分にも一理ある。無神論者の絵美からすれば、死後のことなんて知ったことではないし、断りを入れるべき神もいない。
 絵美にとっての神とは、所詮人造物でしかない。誰もが抱く他責意識の権化であり、社会を構成するための最低限の楔の役割、世間体のようなものだ。

「墓でも作ってやればちょっとは気が済むでしょ」
「……そうかもですね」

 共通認識を形にしたがるのは、人の性だ。
 誰かの死を悼むという万人に共通する情動が墓という形をなすのは、必然だろう。
 信心深くないがあまり、そんな人間の根幹的な行動原理を絵美は失念していた。

「ん、じゃあさっさと済ませちゃうよ。なんか死んだヤツの物とかあればそれが墓標でいいでしょ」
「それなら、今源がそいつのメットを持ってます」

「……なるほど、外部記憶装置化ESDしたメット……それが目的だったわけね」

 ふと、先ほども耳にした聞き覚えのない単語が気になって、納得したように頷く亜金に絵美は尋ねる。

外部記憶装置化ESDって聞いたことはあるけど、どんなものなんですか?いまいち分かってなくて」
「そっか、アンタはちょっと馴染みないかもね」

 それは、まだ軍事関連でしか散見されないが、間違いなく技術特異点となるとんでもない新技術だった。
 出発点は、一つの仮定から始まる。
 その仮定とは、物はすべからく記憶を持っている、とするものだ。
 例として、その辺に転がっている石を挙げて話をしてみよう。
 道端に何気なくあるその石は、長い時間をかけてたまたまその場所に行き着いたのだろう。
 地中でミネラルが結晶化し、どこかの山から地表に顕現。稜線を転がり落ちて谷まで下り、どこかの川に呑まれ、水流の中で削られ割られ、転がされて角が取れて今の形になった。やがて何らかの動物が河岸に漂着したそれを拾い、路傍に置き去りにした。
 適当に思い浮かべるだけでもそれだけの経歴を想像できるわけだが、その痕跡があったならば、過去はより鮮明になるだろう。削れて剖出した部分は結晶化した場所を指し示し、欠けや割れはその断面で元の失われたカケラを見つけ出す。
 一つの石からでも、ここまでの記録が入っているわけだ。
 では、もしこの情報にタグが付けられたら、どうだろうか。
 ましてや、付与された情報がプログラム言語で、そこから別のソフトウェアが起動したなら、それはもう外部記憶装置としての役割を果たしていないだろうか?例えば、髑髏から本人の人格を再現したAIが現れて話せたり。例えば、空間を構成する天面や壁面、地面が互いの位置関係を相互認識し、四次元的に展開したアーカイブから同等の空間を探し出したり。

「え?TLJにも関係あったんですか?」
「あれ?アンタなら知ってると思ったんだけど」

「いや、それはそうなんですけど……さすがに専門外過ぎます」

 今のところ知る人ぞ知る技術でしかないが、いずれはあって当たり前のものになるのだろう。かつて、軍専用の通信手段として考案されたインターネットが一般化したように。

「むしろ何で亜金さんは知ってるんですか?」
「源に聞いたのよ、アイツのお父さんはほら……ね」

「……なるほど」
『そんな話、聞かされたことないんだけど』

 亜金の言葉に、ほんの僅かなわだかまりを抱きつつ、絵美は同意する。
 必要とあらば平然と人を処理し、絵美の知らない世界の知見をビジネスの相棒バディではなくプライベートのパートナーに打ち明ける。勝手知ったる相棒バディの意外な心の置き所に、どこか距離を感じた。
 と同時に、もう一つ。

「亜金さんは一体どこまで源に聞いてるんですか?その、T.T.S.について」

 思いの外T.T.S.の内情に詳しい相棒の恋人が、どこまで情報を聞き出しているのかが気になってきた。

「アンタねえ……ワーカホリックも大概にしなよ」

 絵美の目つきが変わったのを見た亜金は、溜息を吐いて立ち上がる。しゃがみ続けて凝っていた身体を伸ばす彼女に、絵美はこれ以上の質問を重ねるわけにはいかなかった。
 何より、葬送の儀を行うのであれば、それほど時間もない。

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