T.T.S.

沖 鴉者

File.5 Worthless Road Movie  Chapter2-5


~2176年12月25日AM10:18
   アメリカ ダラス~

 源たちのいるイーストタイムゾーンから大きく西に移動したセントラルタイムゾーンで、ブリー・ウィリアムズは目を醒ました。
 それなりに寝たはずなのに、ちっともそんな気がしないのは、ぐっしょりと汗で濡れた衣服と、初めて経験する顎の痛みに原因があるかもしれない。
 寝る前は飲みかけだったのに、新品に取り替えられているミネラルウォーターを仰ぐと、ブリーの腹は彼女の気持ちとは裏腹に元気よく空腹を宣言した。
 それを見越して置いてくれたのだろう。水の置いてあったベッドサイドテーブルには、クラッカーが一袋置いてあった。
 モソモソと惰性のようにそれを口に運び、水で流し込むと、今度は不快感が眉を顰めさせた。就寝前にシャワーを浴びたにも関わらず、たっぷりかいた寝汗ですっかりとベトついた身体が煩わしい。
 洗濯済みのものに交換されたバスタオルを手にシャワーに向かう道すがら、ふと、自分が何の屈託もなく生きていることに、どこか無気力を感じた。
 惰性のように自動的に連なる日常の所作が、なぜ自分はこうものうのうと生きられるのか?という疑問に繋がっていく。
 よくない思考パターンに陥っているが、当然本人に自覚はなく。
 そんな時に必要なのは、適切な刺激だ。
 例えば−−

「レディ?大丈夫ですか?」

 沈王芳しんわんふぁん。不如授人以漁という今ブリーが世話になっているNGO団体の代表を務めている男が、うずくまるブリーの肩にそっと手を置いて尋ねてきた。

「今し方彼の動向に関係していそうな情報が入りましたが、今聞ける余裕はありますか?」

 燻った表情だった少女の目に、確かな火が灯る。
 何気ない日常の行為にふと抱いた自己嫌悪で見失いかけていた目的を、今一度ブリー・ウィリアムズは思い出した。

「聞きます。教えてください。ゲン・カナハジメはどこにいるんですか?」

 目の色を変えて食いつくように顔を上げたブリーを見て、王芳は頼もしそうに頷いた。

「つい1時間ほど前、ここから遥か東部で家屋一軒が半壊し、軍事用着脱両面汎用性兵器MARTWと思われる兵器が爆破、破壊されたとの報告が入りました。報道管制が入っているため、一般はまだ知りません。すぐにでも現地に向かいましょう」

 本願を果たせるならば、少女にとって願ったり叶ったりだ。力強く頷いた彼女に手を貸して立たせ、王芳はバスタオルをその腕に置いた。

「わかりました。では、まずはしっかりと体をキレイにし直してきてください。先ほど女性スタッフが着替えを用意してくれたそうなので、身支度を終え次第、朝食をヘリコプターに詰め込んで一緒に人探しに行きましょう」


~2176年12月26日PM1:18
   日本 東京~

 かつての同僚源の重要居所情報を共有して、マダム・オースティンはそっとチャンネルを閉じた。

「共有、終わったわよMaster」
「ありがとうマダム。絵美ちゃんによれば、現地人の協力を得られたみたいだし、このまま順調にいけばブリー嬢は源ちゃんに会えるでしょう」

 今日はそういう気分なのだろう。女性の身体に入った甘鈴蝶は裁判資料を検めつつ、片手でペンをクルクルと回して、安心したように笑った。
 鈴蝶は、最初からこの展開を目論んでいた。
 訴訟が起こされたならば、取り下げさせればいい。
 警察組織としては絶対にしてはならない「加害者と被害者遺族の接触」を実現させようとする、余りに危険な計画に、最初はマダムも反対だった。
 考えが転換したのは、絵美が同道していると聞かされたからだ。彼女が場の手綱をしっかりと握るのであれば、問題はないだろう。
 とはいえ、直接的な支援が封じられ、絵美を経由しなければ現状の把握もままならない今、現場に全てを任せるしかない。
 しかしながら−−

「こんな無茶、絵美ちゃんと王芳じゃなかったら絶対に通用しなかったわよ」
「そうだね、本当に運が良かった」

 ヘラヘラと、スクラッチくじで少額を引き当てたような気軽さで頬を撫でる鈴蝶を見て、マダムの中で言いようのない苛立ちが募った。

「……たまにアナタを全力で殴ってやりたくなる時があるわ」

 確かな怒気を孕んだ声を新鮮に感じたのか、瞠目してマダムを仰ぎ見た鈴蝶は、自嘲気味に目を外す。

「みんなに言われるよ。言われ過ぎて……慣れて来てる自分が嫌になる時もある」
「……そう。じゃあ本気マジデコピンで勘弁してあげる」

 殊勝なことを言っているような鈴蝶だが、その実は場をやり過ごすためだけの感傷演技に他ならない。
 そんな誤魔化しは、海千山千のマダムには通じなかった。

「え?あれ?そこ慰めたり励ましたりする流れじゃ」
「ないない。私アナタみたいな人大嫌いだし」

 そんな暴言を上司に吐いても問題ない職場作りは見事だが、厄介極まりない人間性には、ほとほと愛想が尽きている。
 不貞腐れた表情を浮かべる鈴蝶の額に、ギチギチと音を立てるほどに勢いを溜めた右手中指を近づける間も、マダムには一切呵責の念がなかった。
 「イッター!」という悲鳴を背に聞きながら、彼女は自らの仕事部屋に急いだ。
 鈴蝶には報告していないが、こっそりと王芳に輸送を頼んだ源と絵美への医療救援物資。その準備を早急にしなければならなかった。
 蜘蛛のバルーニングを参考に開発された超高速達のドローン便ならば、4時間ほどで王芳の元に届くはずだ。
 今一度、積載重量の上限を見直し、詰められそうなものを探ろうと足を早めるマダムを、意外な人物が呼び止めた。

「オースティン嬢、まだ時間はあるかい?」
「え?あれ?おじいちゃん?久しぶりね、どうしてこんな所に?」

 普段は遥か地下にいてまず会うことのない技術部門の平賀清州が、爆心地に続く廊下の角で手招きしている。

「随分とご無沙汰ね、おじいちゃん。地上に来てくれるなんて」
「お前さん、絵美ちゃんに物送ろうって腹だろう?これも一緒に入れちゃくんねえか?」

「あー……なるほど。一旦こっちで話しましょう」

 彼が差し出した物を見て、マダムは医務室を指示して場所替えを申し出た。
 焦げ跡の残る廊下でするには、余りに職場で任務外の行動を起こしている以上、あまり公に動くわけにもいかない。
 でも、どうしても気になるので、マダムは一つだけ確認する。

「ちなみにそれ、ただのアクセじゃないわよね?」
「もちろん色々ついとる。こんな時に余計な物を送るほど、儂は場違いな考え持っとらんよ」

 平賀清州は比較的私情を優先するタイプではあるが、しかし、確かに土壇場になった時の彼の冷徹さは目を瞠るものがあった。

「そうよね。ところで、デザインは?」
「……」

 まあ、私情が絶対にないかと言われると、そうでもないようだが、本筋の邪魔をしない程度だから、むしろ洒落た気遣いといえるだろう。

「そういう所、好きよおじいちゃん」
「お前さんに言われてもちっとも嬉しくないわい!」

 かくして、見えない後方支援の手は着々と整って行く。

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