T.T.S.

沖 鴉者

File.5 Worthless Road Movie  Chapter2-3


~2176年12月26日AM0:27 東京~

 ビロードのような暗闇が広がる封鎖線の先には、僅かな月光で濡れたガラスが淡く浮かび、轟々と空っ風を響かせる開けた夜景が吹き抜けていた。にも関わらず、爛れた床材や炭化した木の匂いと、消火剤の化学薬品の匂いが、鼻腔にこびりついたようにしつこく漂っている。

「……やらしい匂いほど残るのよね」

 手先が悴む寒さの中、ジェーン・紗琥耶・アークは娼婦も真っ青のセクシーランジェリー姿で爆破現場を眺めていた。
 彼女にとっては見慣れた光景の一つだが、マダムや青洲おじいちゃんにとっては、生活圏が突如破壊された事実にショックが隠せないようだ。

「あーあ、こんな時に限ってい源サンドバックもいないし……どうしよっかな……」

 T.T.S.Masterの負傷により、事実上の休止状態となったT.T.S.は、無期限の待機をICPOから下知された。
 組織に所属している以上、仕方のないこととは言え、退屈は紗琥耶の最も苦手とする状態だ。
 加えてストレス発散の相手もいないとなれば、彼女のフラストレーションは白兵戦で相手をボコボコにするのとは違う発散の仕方を求める。
 即ち、男遊びだ。
 実際、つい今し方、5人ものむくつけき男たちを相手に致して・・・帰ったばかりだ。
 刹那的な欲求の埋め方故、虚無感と寂寥感は堆積していくが、それを補う役は正岡絵美が担ってくれる、はずだった。

「こういう時に限って抱き枕要因もいないし……」

 目の前に広がる殺風景と手に余る孤独感から、紗琥耶にしては珍しく、独り言が止まらない。
 それほどまでに、彼女はこの退屈に参っていた。

『久々に消えてようかな、2ヶ月くらい』

 T.T.S.が発足し、最初の任務が終了してしばらくの頃、彼女はよく行き先も告げずに街に消えては行きずりの男共を干からびさせていた。それしか虚しさを消す術を知らなかった。
 しかしながら。

「君、そこで何をしている?」
「……は?」

 突然背後から掛けられた男の声に、紗琥耶は純粋に驚いた。
 これまで彼女の背後に立って気取られなかった者は、2人しかない。
 その内の1人は故人で、もう1人は絶賛逃走中だ。
 まるで突然その場に現れたかのような登場を果たした者が気になって顧みると、そこにはペストマスクを被って顔を見せない者がいた。

「え、ペストマスク版鳥山明?」
「ん?トリヤマ?……へえ、そんな漫画家が大昔にいたんだ。よく知っているね。いや、そんなことはどうでもいいんだ。君は何をしているんだと訊いている」

 どこの誰かは判然としないが、どことなく、その口調に懐かしさを感じながら、紗琥耶は小首を傾げる。

「そっちこそ、こんな所で何してるの?ここは関係者以外立ち入り禁止よ?」
「君が関係者だと?」

「ええ、そうよ」
「そんな下着姿で?」

「マスク被りっぱなしの奴がそれ言う?」

 段々と、互いの疑念が高まり、剣呑な空気が漂い始めた。互いに気取られないようにゆっくりと腰を落とし始め、引き絞った弓はいつ重い一撃の矢を放ってもおかしくない状態に至る。

《よしよし、2人とも……集まってるね》

 緊迫した空気を一気に緩めたのは、紗琥耶には馴染みの、中性的な声だった。

「ん?あれ?Master?」
「……Master?甘鈴蝶か」

 捜査線の先、爆心地の目印がバッテンで記された場所に、ボロボロな姿の鈴蝶がホログラムで浮かんでいた。

「あらあらMasterったら、コロッとイキそうないい感じになったじゃない。逆にホッとしたわ。いっつも殺しても死ななそうな感じだから」
《ああ、うん。褒め言葉として受け取っとくよ、ありがとう紗琥耶ちゃん》

 即行でダル絡みに行った紗琥耶をあしらって、鈴蝶はペストマスクの男の方に向き直る。

《帷子ギルバートさん、ようこそT.T.S.本部へ。直接出迎えられなくてすまないね》
「帷子ギルバート?なんかどっかで……」

 いち早く反応した紗琥耶を敢えて無視して、鈴蝶はギルバートに尋ねる。

《あの子は?一緒に来てる?》

 ペストマスクは首肯して、傍を向く。

「あれ?陰姫?」

 そこには、いつからいたのか、アグネス・リーの姿があった。

「Master、指示通り、紗琥耶も連れて来たよ」
「え?マジで?陰姫アンカー挿入れてたの?」

「うん。ごめんね」
「……Master、説明」

 アグネスのメンタリズムを受けて行動していたことに不快感を示しながらも、紗琥耶は努めて冷静に上官に判断の意図を尋ねた。彼女の上司が冷徹ではあるが冷血でないと、ギリギリ信じて。

《やり方が荒っぽくなってごめんね。でも、私や私たちの本部ホームがここまでやられた以上、もう猶予はないんだ。事態は思ったよりも急を要しているんだよ》

 ペストマスクの下を右手で抑えていた男が、ぽつりと呟く。

「源を巡って、だね」

 何を分かり合っているのか首肯する鈴蝶を見て、紗琥耶は首を傾げるばかりだ。

「あのバカがなんだっての?」

 直後、凄まじい殺気を感じてペストマスクの男に向き直った紗琥耶だったが、アグネスがパチリと一つ手を叩いだけでその殺気が収まる。

「ジェーン、お願い。この人の前では、源の悪口はやめて」

 ゆっくりと、染み渡るような言い方で、アグネスが告げる。
 どこかぼやけたような聞こえ方をしたが、紗琥耶はその言葉に抗いがたいものを感じて首肯した。

《さて、本題に入るよ。3人には薔薇乃棘エスピナス・デ・ロサスの妨害工作を支援しているNGOから証拠品を抑えて欲しいんだ。今回の件、思ったよりも多くの要因が絡んでる。薔薇乃棘エスピナス・デ・ロサスもそうだし、源ちゃんの遺伝子情報を欲しがっている各国の軍や民間軍事会社、それにアギーの古巣・・・・・・も加わってると見ていい》
「そうなの?陰姫?」

 アグネスはコクリと頷き、溢すように呟いた。

「DPトリガー、使われたなら……多分そう」

 表情こそ穏やかなものの、どこか寂しそうな彼女の様子を見て、紗琥耶にしては大変珍しいことに、少しだけ気の毒な心持ちになる。

『そう、貴女まだ罪悪感が抜けないのね』

 しかしながら、今は任務下知の真っ最中、個人的感情は傍に置いて聞き慣れない単語の確認が先だ。

「DP……何?童貞?」
「君はちょっと黙っていてくれないか。アギー君。DPトリガーとやらは君が僕や彼女に仕掛けているのと同じかい?」

 ペストマスクに遮られた形となったが、訊きたい者に訊きたいことを訊いてくれたので、思ったよりも紗琥耶の心証は悪くならなかった。
 ギルバートの質問を受けたアグネスは少し思案した後に頷く。

「ちょっと違う。けど、そんな感じ」
「なるほど。僕らには理解出来ない繊細な違いがあるのはわかったよ。それで?DPトリガーそいつを回収すればいいんだね?どんな形状をしているものなんだい?」

 ギルバートの質問に、鈴蝶が頭を振る。

《DPトリガーは回収できるものではないんだ》

 ならば、と紗琥耶は別のアングルから正体を探る。

「ソフトウェアってこと?」
「ソフト、じゃない」

 しかしながら、せっかくのアプローチもアグネスの言葉に取りつくしまもなく断たれてしまった。

「じゃあ何?」
《ある種の洗脳装置、言い方を変えれば学習装置みたいなもの、とされてるんだ》

 余りに頼りない上長の返答に、思わず紗琥耶はギルバートのペストマスクと顔を見合わせてしまった。

「されてるってなんだ。わかっていないのか?」
《トリガーの方が重要なんだ。恐らく》

「煮え切らない言葉ばかりだな」

 要領を得ないT.T.S.Masterに嘆息するギルバートたちに見切りをつけ、紗琥耶はもう一人の精通者に水を向ける。

「陰姫、説明出来る?」
「DPトリガー、私が源に連れて来られた後、出来たみたい」

「ふーん。じゃあ結局わかんない感じか」
「そう、でもない」

「おっ、それどゆこと?」

 アグネスはホログラムに向かって気遣うように顔を傾げた。

「Master、大丈夫?」
《もちろん大丈夫だよ。気遣いありがう。おじいちゃん、お願いできるかな?》

 直後、空間が上書きされた。
 上書きといっても視覚的な上書きなので、ぶち開けられた窓はそのままで、身を切る風はそのままだが、視覚情報は爆破直前の記者会見場の場面に変わっていた。さらに、風の音に混じって音声情報が加わる。
 ちょうど、紗琥耶と背中合わせの位置で女記者が朗々と言葉を紡ぎ、ギルバートの背後で壇上で刻々と表情を曇らせていく場面だった。

《「本事件を引き起こしたとされるT.T.S.No.2かなはじめ源氏は、かつて実施されていたというネオナチによる人体実験、新人類組成計画Neuemenschheitherstellungplanの被験者、いや、この場合被害者であるという情報があります。T.T.S.はこれを承知の上で彼をエージェントとして雇用していたのでしょうか?」》
「こいつ死ぬほど舌回ってるじゃん。でもこの感じ、ピロートークはド下手そう」

「初めて君の意見に同意できるよ。それにしてもこの女、なぜこんなことまで知っているんだ?」

 ふと、気になったので訊いてみる。

「ねえ、新人類組成計画Neuemenschheitherstellungplanってのはあのバ……源とかアンタが作られたってやつよね?」
「ああ、その通りだ」

「それってどこ突つけば分かるの?」
「……確かに、そこからもアプローチはかけられるのか」

 紗琥耶の視界の端で、鈴蝶が顎に手を当てて微笑みながらコチラを見ている。
 ほんの少し嫌な予感がしてアグネスに視線を向けると、目の合った彼女は僅かにコクリと頷いた。

『えぇ、マジで?コレが?』

 一方、何も知らない様子のペストマスクの男ギルバートは、鈴蝶に確認する。

「話を本筋に戻そう。この記者の発言の中にトリガーがあるとして、それは単語なのか、文章なのか、文節なのかはアギー君でも分からないのかい?」

 しかしながら、鈴蝶が口を開く前にアグネス本人が割って入った。

「それだけじゃ、足りない。脳内、麻薬とか、ホルモンの量、心拍数、とか血圧。色んな要素」

 アグネスの発言に、ギルバートは首を傾げた。
 それもそのはず。
 さながら彼女の発言は、【人生で最も緊張した瞬間を他者に意図的に生じさせる】と言っているのと同義だからだ。

「そんな再現性のない条件を揃えないと発動しないっていうのか?」
「バカ、逆だろ。その再現をするためにアギーと同じ心理誘導が使われてて、実際の爆発そのものはナノマシンが起こしてる。そうでしょ?陰姫」

 無言でアグネスは頷いた。
 鈴蝶が破裂する女記者の動画を一時停止して、別の画像を展開する。
 禿頭とメガネと出っ歯の目立つ、ハダカデバネズミのような男だった。

《ご名答だよ紗琥耶ちゃん。そしてその開発……アギーちゃんの父親代わりでもあるこの男が、今回のキーパーソン。仲賢・エビングハウス博士だ。そして、もう一人》

 女記者を写していたホログラムが、緩やかにその投影範囲を円形に広げる。
 そうして浮かび上がったのが、彼女の傍でマジマジとその姿を見上げる一人の子男の姿だった。
 俗に小人病と呼ばれる小さな身体の男は、カッと目見開いて鈴蝶と女記者を交互に見遣っているようだ。

「誰?この風俗通いしまくってるくせに、行く度説教してそうなおっさん」
《色眼鏡で見るもんじゃないよ……まあそう間違ってそうもないのが残念なところではあるけど》

「この男は有名なのかい?」

 何気なく尋ねたギルバートの言葉に、鈴蝶が嘆息する。

《まあね、いわゆるハンディキャップを特権的に使うタイプの厄介極まりない輩よ。それも世界中でね》
「なるほど」

「でも死んだんでしょ?何でここにいたの?」
《うん。これを見てもらえる?》

 鈴蝶はホログラムのカメラを切り替えた。
 それは、実像を追うカメラではなく、不可視の電波を捉えるカメラ。アクセスポイントを示す白金の線の脈動だった。

「なるほど。これは、明らかにハブ・・を担っていたみたいだね」

 ギルバートの言葉通り、集まりすぎて太線に見えるほどの数の回線が、小男の頭に繋がっている。彼が中継機となって、全世界の仲間たち・・・・に映像が送られていたのは明らかだった。

「それにしても多いな。一体何人くらい同時接続していたんだ?」
《およそ400万を平均に前後しているみたいだ。この中から一貫して接続し続けていて、過去にこの男の方からアクセスしたことのあるアカウントを抽出した結果、227が残った》

「ってことは?アタシらはまずそん中からこの2人の組織の人間を探しゃいいわけ?」
《回りくどくて申し訳ないね。その通りだよ。そして、出来ればそいつらを使った背後にいる奴ら・・・・・・・も引き摺り出して欲しい》

「了解した。人員はこっちで割り振っても?」
《そうだね。それに関してはアギーと絡めて3人で決めてちょうだい。じゃあ、私は一旦ここで、頼んだよみんな》

 そうして、がらんどうの吹曝に戻った暗闇の中、T.T.S.たちは改めて互いの顔を見合わせる。

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