T.T.S.
FileNo.2 In Ideal Purpose On A Far Day Chapter 3-18
18
深く深く沈んでいく。
肉体を脱ぎ捨て、自我を強く意識して、感覚を手放す。
意識交換の名で一時期は若者間で流行した、究極の相互理解を刺衝する強烈な精神体験だ。
SNSが一定の役割を終え、人々はスタンドアローンの楽しみ方の深度を深め、この意識交換によって真の相互理解を得るに至った。
しかしながら、その交換調整の具合を間違えれば、統合失調症をきたす危険な行為でもある。
そしてまさに今源が行っている“心的外傷によりパニックに陥った人間”への意識交換こそ危険極まりない行為だった。
『イヤッ、私は違う!』
『イヤだよ!私はパパとは違う!』
『止めて!あんなのとは違う!』
耳障りな悲嘆の声が源の頭に直接流れ込んでくる。心苦しさに、またしても胃がキリキリと痛んだ。
幸美の意識に直結して、源の思考は幸美にリンクする。黙って歯を食い縛り、源は沈み込むことに集中した。
やがて源が輪郭を失い、幸美に代わっていく。
激しい苦痛に頭痛がして、吐き気も酷い。
やがて表層感情のもっとも苦しい部分に突入した。
《源、ノウナイの活性細胞区画の一部分離がカンリョウしたよ》
《そう、一応幸美の脳内麻薬経過を監視してこっちに回して》
《りょーかい》
紫姫音の声に背中を押されて、なおも幸美の苦渋に身を浸していく。
まもなく、ある光景が見えた。
幼い幸美が佇み、父親の外部記憶保管用特殊端末にアクセスしている。
それは源には見慣れた景色の断片だった。
当時の皇議員の職は、2102年に勃発した第一次核大戦を機に設立された国際軍事裁判所の高等陪審員だ。そんな彼が外部記憶装置に隔離するほど遠ざけ、それでいて忘れられない記憶。
戦争犯罪の犯行現場写真だった。
身体の部位が欠損しているものや奇妙な腫瘍に覆われたもの、果ては生物兵器まで、その種類は多種多様だ。
その中で、私はある画像をじっと見つめる。
幼い頃の紗琥耶の画像だった。傷だらけの裸体で壁に凭れた彼女は死んだ目を虚空に投げている。
その姿に、どこか親近感を感じる自分がいた。
『違う!私は違う!』
しかしながら、その画像は一瞬で消え、場面が切り替わった。
同時に、強い嫌悪の感情が頭を茹だらせ、吐き気をもよおす。視界は真っ暗闇で、なにも見えない。
違う。
固く目を閉ざしている。
視覚情報がない分、聴覚情報は豊富だった。
紛れもない、セックスの音だ。
男女二組の嬌声が交互に木霊していた。
僅かに、瞼が開く。
そこには、見知らぬ女に腰を振る皇栄太と、その秘書に腰を打ちつけられて啼く、母の姿があった。息を荒げ、喘ぎ声を上げるたび、彼らはゴボゴボと目と口から泥のような血を噴き出す。血まみれになってもなお腰を振り続ける2人が、ゆっくりとこちらに振り向いた。
私は頭まで布団に潜り、耳を塞いで身を縮めて寝たふりをするしかない。
拷問のような長い夜が延々と続いた。
内側から炙られ融けていくように胸が、噛み締めすぎた顎が、米神が、痛い。
自分の歯がきしむ音を聞きながら、私は耐えて耐えて耐えて……耐えることを止めた。
『私は違う!』
両親は青ざめていた。
小学3年生の私が並べた数々の証拠を前に、みっともなく震えていた。
みっともない。
情けない。
バカみたい。
みすぼらしい。
怒りで喉が痛くなる。
睨みつける瞼が震える。
拳の中で爪が肌に突き刺さる。
脈が耳元で聞こえる。
「すまなかった」
父は枯れた声で絞り出すように呟き、頭を下げた。
抗弁もせず、ただただ謝り続ける姿を見て、少しだけ父が哀れになる。私の脳裏に、あの女の子がよぎった。
「パパは……無理ないとは思うけど……」
『違う!そういう意味で言ったんじゃない!違う!
母は黙って家を出て行った。秘書の人も、パパの元を去った。だから、もう、どうでもいい。
でもパパはあんな仕事をしてるから!辛い気持ちに一杯なってるから!それが辛そうだったから同情しただけ!
『だから違う!私はそんなんじゃない!』
小学5年生。
初潮が来た。
私は、子供が産める身体になってしまった。
イヤだ
『イヤだイヤだ』
イヤだイヤだイヤだイヤだ!
『私もあんな風になるなんてイヤだ!』
『じゃあなんでパパを許したの?』
『それは……辛い仕事をやってるから!』
『どうしてママじゃ駄目だったの?なんで他の女の人を選んだの?』
『それはママのせいで!』
『だからあの女の人と再婚することを許したの?ママを引き留めもせずあっさりと捨てて、仕事を変えてもママを取り戻しもしなかったパパを許したの?』
『それは』
『それとも羨ましかったの?』
「違う!」
違う違う違う違う違う違う違う違う違う!
『じゃあなんでパパを許したの?』
それは……。
『ところで、貴女はどんな人とどんな人の子供なんだっけ?
イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ
あの写真の子みたいだ。ママにもパパにも自分自身にも、なにもかもに裏切られて、頼れなくて。でも、あの写真の子だって今はああだ。
ヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテ
『もういぃでしょ』
なにがいいの?全然よくないよ!きっと私もパパやママやあの写真の子みたいになっちゃう!大事な存在を忘れて、誰かに依存して、なにもかもなかったみたい平気な顔して生きてるような人間に!でもキライなのに!イヤなのに!そんな風になりたくないのに!私は……
『じゃあどぉなりてぇんだ?』
『お前は一体どうなりたいんだ?』
わた……し?
『もぉ見っけたよぉなもんだろ?』
………………
『大切な存在を忘れず、誰にも依存せず、自分のしたことと向き合って生きていける人間になりてぇんじゃねぇのか?』
…………うん
『自分のことを大切にして、自分の足で立って、誰かに信じてもらえる人間になりてぇんじゃねぇのかよ』
…………うん、そう。そうだよ。
私はそんな風に生きるって決めて、それであの人に……
『じゃぁまずは目ぇ醒ませ』
ちょっと待って、アンタ……
『仕事だ。お前が心身共に無事じゃねぇとこっちの仕事に障っからやっただけだ。お前に興味はねぇから安心しろ』
そう言うと、アイツの存在がフツリと消えた。
あんな近くに感じていたのに、こんなにもあっさりと。
あ、でも。
『責任は取ってもらわなきゃね』
深く深く沈んでいく。
肉体を脱ぎ捨て、自我を強く意識して、感覚を手放す。
意識交換の名で一時期は若者間で流行した、究極の相互理解を刺衝する強烈な精神体験だ。
SNSが一定の役割を終え、人々はスタンドアローンの楽しみ方の深度を深め、この意識交換によって真の相互理解を得るに至った。
しかしながら、その交換調整の具合を間違えれば、統合失調症をきたす危険な行為でもある。
そしてまさに今源が行っている“心的外傷によりパニックに陥った人間”への意識交換こそ危険極まりない行為だった。
『イヤッ、私は違う!』
『イヤだよ!私はパパとは違う!』
『止めて!あんなのとは違う!』
耳障りな悲嘆の声が源の頭に直接流れ込んでくる。心苦しさに、またしても胃がキリキリと痛んだ。
幸美の意識に直結して、源の思考は幸美にリンクする。黙って歯を食い縛り、源は沈み込むことに集中した。
やがて源が輪郭を失い、幸美に代わっていく。
激しい苦痛に頭痛がして、吐き気も酷い。
やがて表層感情のもっとも苦しい部分に突入した。
《源、ノウナイの活性細胞区画の一部分離がカンリョウしたよ》
《そう、一応幸美の脳内麻薬経過を監視してこっちに回して》
《りょーかい》
紫姫音の声に背中を押されて、なおも幸美の苦渋に身を浸していく。
まもなく、ある光景が見えた。
幼い幸美が佇み、父親の外部記憶保管用特殊端末にアクセスしている。
それは源には見慣れた景色の断片だった。
当時の皇議員の職は、2102年に勃発した第一次核大戦を機に設立された国際軍事裁判所の高等陪審員だ。そんな彼が外部記憶装置に隔離するほど遠ざけ、それでいて忘れられない記憶。
戦争犯罪の犯行現場写真だった。
身体の部位が欠損しているものや奇妙な腫瘍に覆われたもの、果ては生物兵器まで、その種類は多種多様だ。
その中で、私はある画像をじっと見つめる。
幼い頃の紗琥耶の画像だった。傷だらけの裸体で壁に凭れた彼女は死んだ目を虚空に投げている。
その姿に、どこか親近感を感じる自分がいた。
『違う!私は違う!』
しかしながら、その画像は一瞬で消え、場面が切り替わった。
同時に、強い嫌悪の感情が頭を茹だらせ、吐き気をもよおす。視界は真っ暗闇で、なにも見えない。
違う。
固く目を閉ざしている。
視覚情報がない分、聴覚情報は豊富だった。
紛れもない、セックスの音だ。
男女二組の嬌声が交互に木霊していた。
僅かに、瞼が開く。
そこには、見知らぬ女に腰を振る皇栄太と、その秘書に腰を打ちつけられて啼く、母の姿があった。息を荒げ、喘ぎ声を上げるたび、彼らはゴボゴボと目と口から泥のような血を噴き出す。血まみれになってもなお腰を振り続ける2人が、ゆっくりとこちらに振り向いた。
私は頭まで布団に潜り、耳を塞いで身を縮めて寝たふりをするしかない。
拷問のような長い夜が延々と続いた。
内側から炙られ融けていくように胸が、噛み締めすぎた顎が、米神が、痛い。
自分の歯がきしむ音を聞きながら、私は耐えて耐えて耐えて……耐えることを止めた。
『私は違う!』
両親は青ざめていた。
小学3年生の私が並べた数々の証拠を前に、みっともなく震えていた。
みっともない。
情けない。
バカみたい。
みすぼらしい。
怒りで喉が痛くなる。
睨みつける瞼が震える。
拳の中で爪が肌に突き刺さる。
脈が耳元で聞こえる。
「すまなかった」
父は枯れた声で絞り出すように呟き、頭を下げた。
抗弁もせず、ただただ謝り続ける姿を見て、少しだけ父が哀れになる。私の脳裏に、あの女の子がよぎった。
「パパは……無理ないとは思うけど……」
『違う!そういう意味で言ったんじゃない!違う!
母は黙って家を出て行った。秘書の人も、パパの元を去った。だから、もう、どうでもいい。
でもパパはあんな仕事をしてるから!辛い気持ちに一杯なってるから!それが辛そうだったから同情しただけ!
『だから違う!私はそんなんじゃない!』
小学5年生。
初潮が来た。
私は、子供が産める身体になってしまった。
イヤだ
『イヤだイヤだ』
イヤだイヤだイヤだイヤだ!
『私もあんな風になるなんてイヤだ!』
『じゃあなんでパパを許したの?』
『それは……辛い仕事をやってるから!』
『どうしてママじゃ駄目だったの?なんで他の女の人を選んだの?』
『それはママのせいで!』
『だからあの女の人と再婚することを許したの?ママを引き留めもせずあっさりと捨てて、仕事を変えてもママを取り戻しもしなかったパパを許したの?』
『それは』
『それとも羨ましかったの?』
「違う!」
違う違う違う違う違う違う違う違う違う!
『じゃあなんでパパを許したの?』
それは……。
『ところで、貴女はどんな人とどんな人の子供なんだっけ?
イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ
あの写真の子みたいだ。ママにもパパにも自分自身にも、なにもかもに裏切られて、頼れなくて。でも、あの写真の子だって今はああだ。
ヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテ
『もういぃでしょ』
なにがいいの?全然よくないよ!きっと私もパパやママやあの写真の子みたいになっちゃう!大事な存在を忘れて、誰かに依存して、なにもかもなかったみたい平気な顔して生きてるような人間に!でもキライなのに!イヤなのに!そんな風になりたくないのに!私は……
『じゃあどぉなりてぇんだ?』
『お前は一体どうなりたいんだ?』
わた……し?
『もぉ見っけたよぉなもんだろ?』
………………
『大切な存在を忘れず、誰にも依存せず、自分のしたことと向き合って生きていける人間になりてぇんじゃねぇのか?』
…………うん
『自分のことを大切にして、自分の足で立って、誰かに信じてもらえる人間になりてぇんじゃねぇのかよ』
…………うん、そう。そうだよ。
私はそんな風に生きるって決めて、それであの人に……
『じゃぁまずは目ぇ醒ませ』
ちょっと待って、アンタ……
『仕事だ。お前が心身共に無事じゃねぇとこっちの仕事に障っからやっただけだ。お前に興味はねぇから安心しろ』
そう言うと、アイツの存在がフツリと消えた。
あんな近くに感じていたのに、こんなにもあっさりと。
あ、でも。
『責任は取ってもらわなきゃね』
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