T.T.S.

沖 鴉者

FileNo.1 Welcome to T.T.S.  Chapter3-8




「エリちゃん!すぐTLJを送って!急いで!!!!」


 屋敷の中を駆けながら、絵美はWITに叫ぶ。
 体中の傷みに、否応なしに声は震せていた。
 イレギュラーが相次いだ為か、紙園はすんなりと要請を受諾。


『早く!!!!早くして!!!!』


 儘ならない自身のパフォーマンスと背後から聞こえる断続的な衝突音が嫌な汗と焦燥感を生み、絵美の体感時間を引き延ばす。
 到着寸前の使用人部屋から蜂の羽音の様な音が響き出す。
 二つある襖の東側。
 その前に絵美が到着した時、音は止んだ。
 直ぐに襖を開け放つ。
 そこには、無機質極まりない空間が広がっていた。


 読者諸賢は、スーパーカミオカンデⅣをご存じだろうか?
 岐阜県飛騨市に実在するスーパーカミオカンデⅣは、50,000tの超純水を11,200本の光電子倍増管を張り巡らせたタンクに入れ、チェレンコフ効果による発光現象を観測する為に作られた国内有数の大型実験装置だ。


 襖を開けた先は、そのスーパーカミオカンデⅣの内部にソックリだった。
 規模こそ一畳程に縮小されているものの、ソフトボール大の半球が壁や部屋を埋め尽くし、それぞれ透明な樹脂板で覆われている。
 ただその樹脂の中に、スーパーカミオカンデⅣにはない物が二つ、埋め込んであった。


 一つは、環状の超小型ハドロン衝突型加速器。
 欧州原子核研究機構が所有する、LHC、大型ハドロン衝突型加速器を小型化した代物だ。


 そしてもう一つが、その環に触れる形で設置された、三角形の黒い板だった。
 これがTLJ-4300SH-吽、世界で初めて作られたタイムマシンの片割だ。
 タイムマシンと聞くと、読者諸賢の中には某ドクが作った生ごみで動く『DMC-12』や、成績不振眼鏡小学生男児の保護者たる実質狸型モデルのロボットが机の引き出しに隠し持つ物を想像される方がいるだろう。


 だがこのタイムマシンは、それらとはまるで異なる仕組みを持っている。
 TLJ-4300SHは、遠隔操作で空間そのものを切り取り、時間跳躍させるのだ。
 故にこのタイムマシンは、遠隔端末たる『阿』と時間跳躍用空間装置の『吽』の二機でセットとなる。
 その関係性は、言うなればリモコンとチャンネルの関係に近い。
 リモコンからの赤外線によってチャンネルが変わる様に、遠隔端末からの時間超越電波によって時間が変わるタイムマシン。
 それが、TLJ-4300SHだ。


 一畳程の限られた空間に、絵美はまず人事不省に陥った有島を押し込める。
 ボロボロの身体で中年男性を引き摺るのは随分と骨だったが、屋外の源を思うと文句は言っていられない。
 膝を抱く形で有島を押し込み、即座に絵美は踵を返す。
 続けて川村マリヤを運搬しなくてはならない。
 腐敗した畳に幾度も足を取られながら部屋を横断し、一息に襖を引き払う。
 だが、開け放った押入れに、川村マリヤの姿はなかった。


「嘘でしょ?何で……」


 内部を隈なく探してみるが、隠れる余地等全くない。
 本命を取り逃す、申し開き出来ないミスだ。


『どうしよう……』


 片っ端屋内を探すにしても、有島の身が保ちそうにない。
 だからと言って外に出るのも、帷子ギルバートの存在が恐ろしい。
 そもそも、マリヤが消えたか手掛かりが一切ない。
 八方は塞り、五里は霧中に包まれた。
 手も足も出たものではない。
 絵美は決断する。


「源!」


 力の限りWITに呼び掛けた、直後だった。
 派手な音を立てて、使用人部屋の襖が吹っ飛び、木材と曇りガラスが刺さった源の身体が転がって来る。
 水切りの石ころの様に二度大きくバウンドしたソレは、土壁に当たってようやく運動を止めた。
 屋敷の骨組みが、嫌な音を立てる。


「源!?源!?!?しっかりして!!!!起きて!!!!」


 慌てて源に駆け寄るも、触れる前に脇腹を撃ち抜かれた。
 再び走った身体を打ち抜かれる痛みに絶叫する。
 それを噛み殺し、立ち上がろうと膝を立てるが、適わない。
 忘れていた訳ではないが、彼女の体力はもう、限界だった。
 張り付く様な背中の痛みは一向に取れず。その場凌ぎの止血が決壊した肩と脇腹から血が溢れ、人外な力で罅の這入っていた腕が、救済の溜息サァイ・ウィズ・レリーフの射出反動で完全に折れていた。
 それでも、悪魔は足を緩めない。


「白兵戦で僕に勝てた試しなんてなかったのに、そんな事も忘れちゃったのかい?」


 手狭な使用人部屋に、堂々とギルバートが這入って来る。
 月明かりに照らされた直垂には塵も埃もなく、発する声には息切れを感じさせない。


『化物』


 頭の中に浮かんだ単語は、それだけだった。
 源の言葉が、頭を過る。


“アレは尋常じゃねぇ!異常でもねぇ!異端だ!可笑しんだよ存在自体が!人の理を完全に外れてる!人の皮を被った別の何かだ!”


 その言葉が、今になって絶望的に染み渡る。
 天と地程も遠い、実力の差。
 実際、大股で歩くギルバートは絵美に一瞥も寄越さなかった。
 目を向けるまでもないと言う判断が、絵美の心を砕いて行く。


『駄目だ……敵わない……』


 自然と、涙が溢れて来た。


『駄目だ。無理だ。どう足掻いたって勝てない』


 悔しさが込み上げて、嗚咽が漏れる。
 一体、自分は何が出来ると錯覚していたんだろうか?
 ロンドンで出会った頃の源に、追い付けたとでも?
 だとしたら、それはとんでもない勘違いだ。
 現実はこの体たらくだ。
 光の速さで進行して行く事態に、自分は一体何が出来た?


『……何も出来ない』


 泣く事しか出来ない現状が恨めしくて、嗚咽が漏れた。
 今日まで続けて来たあらゆる努力が無に帰して行く様で、歯痒くて遺憾で仕方がない。
 さめざめと零れて行く涙が、視界を霞ませる。
 声も出せずに命運が尽きて行くのを待つなんて、これ程悔しい事はない。にも拘らず、何かが出来るとは、到底思えない。
 彼女の手は、金の鎖を握れない。


「…………絵……美……」


 絞り出す様に、一人の男の声が聞こえる。
 首を傾け、縋る様に転じた視線の先に、血塗れの源の、力強い眼差しがあった。


「立…て……早、く………」


 弱々しく血を吐き、動きもしない膝を上げながら、それでも源は手を伸ばす。
 這って進もうとして、自らの血に滑る。
 憐れみすら感じさせるその光景を、ただただ泣きながら見るしかない。
 そんな自分が恨めしくて、自らの前に立つギルバートを睨む事さえ出来ない。
 だが、そんな絵美の耳に今一度源の声が響いた。


「そぉだ絵美、さっさと立て」


 それは、確かな自信に満ちた強靭な煌きを感じさせ、弱々しさ等微塵もない。かつてロンドンで聞いた様な余裕を持った声だった。
 同時に、眼前の死神の姿が消え、使用人部屋の入口が吹き飛んだ。


「行け!バディ!!!!!!」


 その声に、絵美の中にあった最後の疑問が解けた。


 Operation Code:G-3864-proto


 追加された作戦名。
 そして、紙園エリのあの言葉。


“ごめんなさい。でも、宜しくお願いしますね。”


 絵美の中に、仄かな希望が燈り、彼女の脚に、最後の力が籠もった。
 地を蹴る。
 新体操で慣らした彼女の身体は、恐ろしく柔らかい。
 限界まで腰を折った姿勢のまま、地面すれすれに脚を漕ぐ。


『行ける!!!!今なら、まだ!!!!!!』


 揺るがない確信が、一気に部屋を狭くした。
 地に伏す血塗れのパートナーに、迷わず手を伸ばす。
 そのまま止まる事なくTLJに身体を滑り込ませ、朱に染まる相棒の身体を抱き寄せた。
 空かさず閉ざされる襖の奥から、間延びした声がする。


「悪ぃ絵美、文句は全部終わったら聞いてやっから」


 涙を流しながら、絵美はWITに叫んだ。


「エリちゃん!跳ばして!!!!!!!!!!」

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