魔物がうろつく町内にアラフォーおっさんただ独り

平尾正和/ほーち

第2話『外に出て遭遇する』

 車に乗り込み、エンジンをかける。


(おっと、ガソリンがあんまりないな)


 車の燃料メーターは残り四分の一あたりを示していた。


(まあ兄貴の家との往復には充分すぎるし、あとで給油すればいいか)


 サンバイザーを下ろした所のカード入れに、近所のガソリンスタンドで使えるプリペイドカードが入っていること、そしてまだカード残高が充分に残っていることを念のため確認しておく。
 敏樹は普段運転の際には、免許証と電子マネー機能付きのクレジッカードが入ったカードケースぐらいしか持っておらず、もしもの時の現金として二千円ほどが入っているだけなので、プリペイドカードなしで給油はしたくないと思っている。
 買い物などの予定があり、現金を使うことが確実でないかぎり財布は持ち歩かない主義だ。


 車を発進させ、家の前の細い道を抜けて県道に達した時、新たな違和感を覚える。


(車が走ってない……?)


 敏樹の実家はそれなりの田舎だが、近くの県道は片側二車線でそこそこ道幅があり、近くの工業団地を行き来するトラックや、通勤の車が結構走っているのだ。
 昼過ぎの暇な時間帯は全く車が走っていないこともあるが、平日の通勤時間帯である今現在、一台も車が走っていないということはまずありえない。


 違和感を抱きつつも県道を進み、程なく国道が見えてきた。
 そして町を南西から北東に突っ切る国道にも、車の姿は見えなかった。


(さすがにこれはおかしい……)


 田舎で人口が少ないとはいえ、移動の主体が車であるこの町随一の幹線道路である国道。
 ここは深夜以外車が絶えることはなく、うんざりするほどの渋滞が毎朝発生しているのだ。
 にもかかわらず、一台の車も走っていない。


(兄貴の家に行く前に、ちょっと国道を走ってみるか)


 兄の家に向かうのであれば、このまま国道を越えて県道を進み、さらに数分走って踏切を越えてから合流する分岐を右に曲がらねばならないが、国道の様子が気になった敏樹は、そのまま交差する国道を右折し、北東へ車を走らせた。
 数分間国道を走るも、対向車すら見えない。
 そして町境あたりで異変が発生する。


(……止まった?)


 時速六〇キロメートルほどで走らせていた車が、なんの前触れもなくピタリと止まったのだ。
 慣性の法則を無視してピタリと。


 異変はそれだけではない。


(車が、あんなに……?)


 町境を越えたところから先には、いつものように渋滞が発生していたのだ。
 自分のいる車線の前にはノロノロと走る車が列をなしている。
 それだけではなく、後続の車が自分の車をすり抜けでもしたかのようにどんどん増えている。
 しかし、ルームミラーにもサイドミラーにも、自分より後ろを走る車は存在しない。


 そして対向車線。
 向こう側からこちらへ走ってきた車は、町境でフッと消えるのだった。


(とりあえず向こうに行ってみよう)


 そう思いアクセルを踏み込んでみたが、エンジン音が虚しく響くだけで、車は前に進まない。
 しかたなく敏樹は車を降り、町境まで歩いてみる。


(なんだこれ?)


 前に向かって歩いている感覚はあるのだが、全く前に勧めない。
 別に壁に当たっているだとか、その場で足踏みしているだとか、そういう感覚は一切ないのだが……。


「おおーい!! おおーい!!」


 今度は声を上げて大きく手を振ってみた。
 しかし、それに対する反応はない。
 反対車線へと歩き、対向車に向かって同じことをやってみたが、車は容赦なく前進し、目の前でフッと消えた。


「なんだよこれ……」


 思わず声が溢れてしまう。
 途方に暮れ、しゃがみこんだ敏樹の聴覚が、何か物音を感知した。


「ゲギャ……ギギ……」
「グゲッ!グゲッ!」


 それは聞いたことのない音だった。
 獣の鳴き声のようであり、人の話し声のようであり……。
 敏樹が声の方を見てみると、人影が見えた。
 人数は二人。


 しかし、その姿がはっきりと見えるに連れ、敏樹は胸の芯の辺りがどんどん冷めていくように感じた。


 その二人の身長は小学生ぐらいだろうか。
 しかし低い身長の割には筋肉質で、服装はボロ布を適当に巻いただけのようだった。
 それぞれがなにやら棒状のものを手に持っていたが、それが出来の悪い剣と棍棒であることが見て取れた。
 身長の割に頭が大きく、その顔は人というには醜過ぎた。


(つか、あんな緑色の肌の人間なんて居やしねぇだろっ!?)


 それはファンタジー世界を舞台にしたゲームやアニメでよく目にする、定番の魔物のように見える。


(ゴブリン……!?)


 ゲーム画面で見ている分にはただの雑魚だった存在が、いざ実物(?)を目の前にしてみると、その醜悪な姿に何やら根源的な恐怖を覚えてしまう。


(もしかして、さっき叫んだので呼び寄せちまったか?)


 ようやく敏樹が事態を理解し始めた頃には、かなりの接近を許してしまっていた。
 二体のゴブリンは相変わらず意味不明な喚き声を上げつつ、なにやら合図を出し合いながらこちらに向かっていた。
 何度か手に持った剣や棍棒の先が自分の方を向いていたので、敏樹が標的になっているのは間違いないだろう。


「うわあああああああ!!!」


 恐怖で膝が崩れそうになったが、大声を出して奮起し、慌てて車へ向かう。
 ほんの数メートルが妙に長く感じた。
 焦っているせいか足はもつれ、何度も転びそうになりながら車のドアに手をかける。
 そしてゴブリンの方を見ると、今まさに一方のゴブリンが敏樹を標的として棍棒を振り上げていたところだった。


「わああああ!!」


 車の鍵は開いているか? さっき降りた時鍵をかけなかったか? 鍵はどこ? ポケット?
 混乱しつつも、ドアの取手に手をかけ思いっきり引く。


ゴトリ


 と鈍い音がして、運転席のドアが開いた。
 敏樹はそのまま車内に体を滑り込ませ、無我夢中でドアを閉めた。


「ひいいい……」


 車内に飛び込んだ敏樹は、うずくまったまま外を見れずにいた。
 あの、小柄とはいえ筋肉質な体から繰り出される攻撃に、一体この車がどれだけ耐えられるだろうか?
 一応鋼鉄製とはいえ、これは軽自動車だ。
 装甲は薄く、なにより車体の前にガラスが持つまい。


「ふぐぅ……ううう……」


 いつの間にか恐怖で涙と鼻水を垂れ流しながらうずくまっていた敏樹だったが、すぐに訪れるであろう車体への衝撃がいつまでたっても来ないことに疑問を持ち始める。


「……あれ?」


 勇気を振り絞って体を起こし、涙で霞む視界を外に向けてみたが、先程までいたはずのゴブリンンの姿が見えなくなっていた。


「どゆこと……?」


 ダッシュボードからティッシュを取り出し、とりあえず涙を拭いて鼻をかむ。
 その後、車内から周りを見回したが、ゴブリンの姿は影も形も見えなかった。


 何度か深呼吸をして少しだけ落ち着いた敏樹は、恐る恐る運転席のドアを開ける。
 そしてドアの隙間から顔を覗かせると……いた。
 こちらに背を向け、車から離れていく二体のゴブリンが。
 しかし、ドアを開ける音に気づいたのか、一体のゴブリンがこちらを向く。


「ゲギャ! ゲギャ!」


 そしてもう一体のゴブリンになにか合図を出すと、こちらに向かって走ってきた。
 もう一体のゴブリンも合図を受けてこちらを向き、走ってくる。


「わあああ!!」


 敏樹は慌ててドアを締めた。


「……あれ、いない?」


 すぐそこまで迫っていたゴブリンだったが、窓の外にはその姿がなかった。


「なんだ、こりゃ……」


 もう一度ドアを開けてみる。


「うわああああ!!」
「ゲギャギャアア!!」


 こちらを覗いているゴブリンと至近距離で目が合った。
 どうやら向こうも驚いたようで、急いでドアを閉めて事なきを得る。


 すぐに窓の外をみたが、すぐ近くにいるはずのゴブリンの姿は全く見えなかった。
 そして、外から車に対して危害を加えるようなこともないようだ。


(窓を開ければどうなる?)


 しかし、パワーウィンドウのスイッチは反応しなかった。


「とりあえず、車は……安全なのか?」


 何が起こっているのかは未だに理解できないが、少なくとも車内は安全であるらしいことがわかった。



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