魔物がうろつく町内にアラフォーおっさんただ独り

平尾正和/ほーち

第1話『誰もいなくなる』

 スマートフォンのアラームでいつもの時間に目覚めた敏樹としきは、いつもと同じ朝を迎えたと思っていた。
 しかし、ふと違和感を覚えてしまう。
 その違和感は目覚めから時間が経ち、意識がクリアになるにつれ強まっていった。
 そして敏樹は、飼い猫たちの様子を見るべくいつものようにケージを見た。


(猫がいない……?)


 敏樹は毎晩寝る前に、三匹の飼い猫をケージに入れるようにしている。
 その猫たちが見当たらない。
 ケージの扉はしっかりと閉まっており、抜け出した形跡はない。
 猫たちを入れていない場合はケージの扉を開放しているので、扉が閉まっているという事は、中に猫たちが居なくてはならないという事になる。


(はて、猫たちはどこへ行ったのか?)


 ただ単に猫たちが居ないだけ、という訳ではなさそうな気がする。
 なぜか敏樹は漠然とそう感じていた。


 ジャージを着て寝室を出、階段を降りる。
 敏樹は現在母親と二人暮しで、彼の生活スペースは二階、母親の生活スペースは一階となっている。
 年老いた母は朝が早く、この時間には起きてリビングで犬と共にテレビを見ているはずだ。


 一階に降りた敏樹は、いつもの様に洗口液で口をゆすぎ、トイレに入って朝一番の小便を済ませた。
 リビングから何の物音も聞こえない事に不安を覚えたが、だからこそいつもの行動パターンを踏襲することで、何事もなく日常が始まるのではないかという根拠の無い期待を抱く。
 しかしその期待はあっさり裏切られることになる。
 リビングには母親の姿も犬の姿もなく、テレビも室内灯もついていなかった。
 念のため母親の寝室を覗いたが、やはり無人だった。


(夢でも見ているのだろうか……?)


 そう心の中で呟いてみたものの、何故か敏樹は、これが夢ではないと感じていた。


 寝室からリビングへ戻った敏樹は、とりあえずテレビをつけた。
 朝のワイドショーでも何でもいいので、とにかく音が欲しい。
 

「お、テレビは映るのか」
 

 見慣れたコメンテーターの姿に、思わず安堵の言葉が漏れる。
 しかしそうなるとますます今の状況が不可解だ。
 

 世界はいつもどおり回っている。
 しかし自分の周りの者だけがいない。
 

(兄貴に電話でもしてみるか……)
 

 ジャージのポケットからスマートフォンを取り出し、兄に電話をかけてみる。
 敏樹の兄は結婚して隣町に家を建てている。
 母はともかく猫や犬までもがそちらに行っているとは思えないが、一応確認はしておきたい。
 

(ん?)
 

 電話アプリを起動後、連絡先から兄の番号を選択しても、反応がない。
 念のためスマートフォンを再起動させてみるが改善せず。
 現在自宅のWiFiに接続されているので、WiFiを無効にしてみたところ、通知領域にはしっかりと『4G』のマークが出た。
 つまり、キャリアの電波はちゃんと受けていることになる。
 そもそもWiFi接続中であっても音声通話は使えるはずなのだ。
 

 しかたがないので固定電話を使おうとするが、こちらも受話器からはなんの音も聞こえてこない。
 ボタンを押せばプッシュ音はするものの、その後は全くの無反応。
 配線構成を確認するも、問題はなさそうだ。
 試しに110番や119番を押してみたが、やはり無反応だった。
 

 ここにきて一つ気づいたことがある。
 敏樹の視界の隅、右上の方に、なにやら数字が表示されている。
 

100,000
 

(十万……?)
 

 その数字は、敏樹が視線を動かしたり、顔の向きを変えたりしても常に表示されている。
 しかし、不思議と邪魔だとは思えなかったので、それについて考えるのは後回しにする。 
 

(ネットの方はどうなっているのか)
 

 テレビは映る。
 電話は駄目。
 となると、ネットの方はどうなっているのかが気になる。
 

 とりあえず離れの仕事場に入る。
 敏樹の家には、離れのプレハブ小屋がある。
 子供の頃、ある程度成長した自分たち兄弟のために今は亡き父親が建ててくれたものだ。
 その後母屋のほうが増築されて晴れて自分たち兄弟はまともな部屋を持つことが出来、そのプレハブ小屋は父親の趣味のスペースになっていた。
 都会へ出て就職、一応フリーランスとなり、働く場所を問わなくなった敏樹は家賃の高い都会から実家にUターンし、主のいなくなった離れのプレハブ小屋を片付けて仕事部屋にしていた。
 

 そこには業務用に使っているそれなりのスペックを誇るパソコン置いてある。
 敏樹はそのパソコン起動し、早速ウェブブラウザを立ち上げた。
 開始ページにしているポータルサイトには、問題なく最新のニュースが表示されている。
 リンクをたどれば詳細な記事内容も閲覧できるようだった。
 

 次にメールを確認する。
 敏樹はメーラーを使わず、ウェブメールを利用しているので、いつものようにログインを試行。
 そこまでは問題ないようで、いつも来る広告メールは問題なく受信され、メールの閲覧は出来るようだった。
 しかし、送信の類が出来ない。
 メールの新規作成ボタンや、返信、転送といった送信に関わるメニューが全てグレーアウトしている。
 ウェブメールなので送受信設定に誤りがある、などということはありえない。
 運営元サイトの障害情報やSNSのリアルタイム検索を行ってみたが、このメールサービスで何らかの障害が起こっているということはなさそうだ。
 

 次に大手掲示板サイトをみてみる。
 閲覧は問題なく、流れの早い掲示板であっても、リアルタイムで更新されているようだ。
 しかし書き込みはできない。
 投稿欄に文字が打てないのだ。
 テキストエディタを開けば文字入力は問題なく出来るし、そもそも先ほどウェブメールへログインする際のユーザー名やパスワード入力は出来たのだから、IMEやブラウザに問題があるわけではないはずだ。
 実際、同じサイト内でも検索欄には問題なく文字を打てることが確認できた。
 掲示板サイト専用ブラウザを開いてみても、やはり検索欄は問題ないが、投稿欄に文字は打てなかった。
 さらに、業務を行う際にログインが必要な業務システムは、ユーザー名やパスワードが打てず、ログインが出来なかった。
 

 ネットショップはどうか。
 幾つかのネットショップは同じようにログイン画面でつまずいたが、世界最大手のネットショップ『Tundraツンドラ』だけはログインが出来た。
 しかし、そこで異変に気づく。
 

(なんだ、この単位は……?)
 

 価格の頭に表示されるはずの『¥』が『P』になっている。
 とりあえず、なにか購入できるかどうかを試してみる。
 即時手に入るデータがいいだろうと思い、敏樹は以前から気になっていたアーティストの楽曲を一曲だけ購入してみた。
 

99,750
 

(ん?)
 

 注文確定を実行すると、視界右上の数字に変動があった。
 表示価格がP250となっていたから、その分が引かれたのだろうか?
 購入した楽曲は問題なく聴けるようだった。
 

(他の商品はどうだろうか?)
 

 今度はデータではなく、配達される商品を買ってみる。
 P1,000の本で、購入手続きを進めてみた。
 

98,750
 

 やはり数値に変動があった。
 どうやら右上に表示される数字は、所持金か何からしい。
 そしてTundraで買い物をすればそこから価格分が引かれる。
 単位の『P』というのはとりあえず『ポイント』と理解おけばいいだろうか。
 価値的には一ポイント=一円といったところか。
 

 しかし電話も通じない、メールの送信も出来ない、ネットの書き込みも出来ないでは埒が明かない。
 

(とりあえず兄貴のところにでも行ってみるか)
 

 敏樹は仕事場から母屋に戻り、上はジャージのまま下だけジーンズに履き替え、母親と兼用で使っている大下家に一台しかない軽自動車のキーと、運転免許証やクレジットカード、ちょっとした現金が入ったカードケースを手に取り、ガレージへ向かった。



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