あなたの未来を許さない
第五夜:05【アクセレラータ】
第五夜:05【アクセレラータ】
素早く行動に移るフェオドラ。
右手には刃を出したカッターナイフ。左手に千枚通し。この二刀流の状態で、彼女は【アクセレラータ】を発動する。そして【スカー】へ向けて、大回りに移動を開始したのであった。
両手にそれぞれ持ったのは、高速行動中にはポケットに手を入れて武器の持ち替えることができないからだ。彼女は攻撃に移る最後のタイミングで、どちらを使用するか決めるつもりなのである。
相手に対応されそうであったなら、そのままカッターで四肢を狙ってダメージを蓄積させていけばいい。一撃で勝負を決められる状態なら、カッターを捨て両手で千枚通しを固定、全力で相手の急所へと突き立てるのだ。カッターはまだ予備があるから、一つなくしても問題はない。
頭の中で一つ一つ勝利への手順を再確認しつつ、フェオドラは【アクセレラータ】の力で疾走する。
【スカー】の背後に回りこむため、遊歩道から草むらに足を踏み入れた。アスファルトから草の上へ足場が変わり、彼女は足を滑らせぬよう、バランスを崩さぬよう、歩幅を広げ過ぎぬように注意しつつ駆けていく。
そしてその頃ようやく、【スカー】が彼女の接近に気付いたようだ。手に何か長細い棒を握って、身構えるのが見えた。
(だが遅い)
フェオドラは速度を上げて【スカー】の十五メートルほど横を高速で横切り、そして今度は速度を下げて弧を描くと、スカーの十メートルほど後方へ回る。
【スカー】がそれを追うように向きを変えるが、【アクセレラータ】の速度に比べれば遥かに遅い。まるで間に合わない。
(背中が、がら空き!)
【スカー】の背後に回り終えたところで足を踏ん張り、急停止、急転回を行う。右足に大きく荷重がかかるが、想定の範囲内だ。
(決める!)
フェオドラはカッターナイフを投げ捨て、両手で千枚通しをしっかりと固定。無防備な【スカー】の背面へ、全力疾走を開始した。
その距離約十五メートル。最大加速の五倍速で行えば、瞬く間に【スカー】の背中へ千枚通しを突き立てられる。視界外から急所への全力刺突。フェオドラの、【アクセレラータ】の必勝パターンだ。
相手の旋回はまったく間に合わない。その背中へ駆ける。距離を縮める。照準を定める。そしてフェオドラが勝利を確信した、その時。
ばくん!
という音とともに、彼女の視界が三十センチほど真下へ下がった。
何かを踏み、かつ踏み外したような違和感。足首に走る、みしりとした感触。同時に、腹部へ何かが高速で叩きつけられる。フェオドラの突進はその合わせ技で急停止し、強い衝撃を受けた胃からは内容液が逆流、「ごぷり」と口より漏れ出す。
(え……何?)
何事か確認すべく、視線が下へ向く。
(板……?)
彼女の腹部を強打した正体は、板であった。その動力は、フェオドラ自身。
仕組みは簡単だ。横長の穴を堀っておき、そこに板の端を被せるようにして上に置く。その辺の草を上にかぶせて、カモフラージュは完了。
穴の上にかかった板の端を踏めば、その重量と速度を利用してシーソーの要領で板が持ち上がり、反対側が罠にかかった者の腹部を叩く……そんな仕掛けである。
だが板は、彼女の腹を打っただけではなかった。
苦悶の声をあげつつ、後ずさりするように板から身を離すフェオドラ。その腹部からは、ずるりと尖ったものが血と粘液を伴い抜け出てくる。板が胴を一撃した箇所には、無数の長い釘が打ち付けられていたのだ。
「うぞ……」
ここへきて、混乱していたフェオドラの意識が現状を認識した。
立場は、一気に逆転したのだと。
「ひぎっ!」
すぐさま能力を発動させ、離脱を図るフェオドラ。【アクセレラータ】は彼女の運動速度を一気に跳ね上げ、そして同時に、内臓まで達していた傷への負担も、相応に引き上げる。
「はぁう!?」
発動した能力は十分な力を発揮することなく、激痛で阻害された。一気に離脱しようとしていた彼女は二歩ほど進んだだけで停止し、よろめく。
……そして、新たな悲鳴を上げた。
右足を襲う、鋭い痛み。見ると、これまた無数の長い釘。その内二本が、彼女の靴を突き破り上向きに飛び出ている。釘を打ち付けた板が、草むらに隠すよう地面に据えられていたのだ。フェオドラは、それを勢いよく踏み抜いたのである。
(だめ、だめ、だめ! ここで止まったら、ここで動かなかったら、殺される!)
それでも気力を振り絞り、再度【アクセレラータ】を発動する。足を貫いた釘板ごと踏みしめる覚悟を決め、背を向けて駆け出した。
……その足が、何かにとられる。
前のめりに転倒する彼女の左肩と右腕、そして左膝に、新たな釘板が刺さった。悶えながら体をよじり、足元を見たフェオドラ。その目に映る、半円の何か。
(く、草!?)
地面から生える草を数本まとめ、その上部を結んだだけの輪だ。幼児が手慰みに作ったような、粗末なもの。しかし彼女の足はこれにかかり、引き倒されたのであった。
極めて原始的なトラップだが、掛かればこのように効果は大きい。特に、彼女の場合においては。
「何、何なのこいつ!?」
そう叫びながら、【スカー】へ顔を向ける。そしてフェオドラは視界を動かす最中、周囲に同様の罠が多数仕掛けられていることに気が付いたのだ。
数々の釘板、草の輪、植えこみ同士を結んだワイヤーによる転倒トラップ。地面から刃を生やすように突き刺された包丁やナイフ、ドライバー。先程腹を打ったような板の罠。そういったものが無数に、まるで敷き詰めるかのように設置されていた。
【スカー】を中心とした半径数メートルに及ぶ草むらには、びっしりとそれらが張り巡らされていたのである。
誘い込まれたことを理解して、彼女は戦慄した。
それでも彼女は再び【アクセレラータ】の力で逃げ出そうと、懸命に試みる。が、臓腑を抉られた痛みがそれを許さない。恐怖が精神の集中を妨げ、能力の発動もおぼつかない。足がもつれ、また転倒するフェオドラ。
「あっ、あっ、あっ、やだ、やだ、やだ、やだ」
脳裏に、ブルイキンの言葉が蘇る。
『人間は苦痛に弱い。傷を負えば動きは鈍る』
ああ。ああ。
ブルイキン。その通りでした。
【オッドアイビーム】も【デスサイス】も【パペットマスター】も。
皆、傷を負うと途端に動きが悪くなりました。
そして、私も。
散々あなたに「総括」されましたが、痛みにはちっとも慣れませんでした。
やはり、人間は苦痛に耐えられるようには作られていないのです。
「でも、だめ、逃げないと、また、「総括」される」
苦悶の息を吐きながら、それでも必死に這いずるフェオドラ。だが地面を掻こうと振り下ろしたその右手も、新たな釘の餌食となった。悲鳴を上げ、体を捻り悶える。
ずっ。
ずっ。
ずっ。
フェオドラの耳に入る、地面を擦り進む足音。すぐにその視界に、自分を見下ろす【スカー】の姿が入った。
手には、ハンマーが握られている。釘を打つためのものではない。杭を叩くような、大きなハンマーだ。
顔を見上げる。黒く、まだらに塗りつぶされた【スカー】の顔を。眼鏡越しに爛々と光る目が、フェオドラの瞳を見据えていた。そしてゆっくりと狙いをつけながら、ハンマーが振りかぶられる。
「あっ」
フェオドラは、自分がこれから彼女に殺されるのだと理解した。
震える唇と舌で、絞るように声を出す。
「やめて、【スカー】。お願い、やめて」
ああ。ああ。ああ。
ブルイキン。ブルイキン。ブルイキン。
怖いです。恐ろしいです。私はまだ、死にたくありません。
あのハンマーが、あのハンマーが、きっと、きっと私の頭を、頭を。
ああ。ああ。でも、でもブルイキン。
貴方に「総括」されるよりは、痛くはなさそうです。
素早く行動に移るフェオドラ。
右手には刃を出したカッターナイフ。左手に千枚通し。この二刀流の状態で、彼女は【アクセレラータ】を発動する。そして【スカー】へ向けて、大回りに移動を開始したのであった。
両手にそれぞれ持ったのは、高速行動中にはポケットに手を入れて武器の持ち替えることができないからだ。彼女は攻撃に移る最後のタイミングで、どちらを使用するか決めるつもりなのである。
相手に対応されそうであったなら、そのままカッターで四肢を狙ってダメージを蓄積させていけばいい。一撃で勝負を決められる状態なら、カッターを捨て両手で千枚通しを固定、全力で相手の急所へと突き立てるのだ。カッターはまだ予備があるから、一つなくしても問題はない。
頭の中で一つ一つ勝利への手順を再確認しつつ、フェオドラは【アクセレラータ】の力で疾走する。
【スカー】の背後に回りこむため、遊歩道から草むらに足を踏み入れた。アスファルトから草の上へ足場が変わり、彼女は足を滑らせぬよう、バランスを崩さぬよう、歩幅を広げ過ぎぬように注意しつつ駆けていく。
そしてその頃ようやく、【スカー】が彼女の接近に気付いたようだ。手に何か長細い棒を握って、身構えるのが見えた。
(だが遅い)
フェオドラは速度を上げて【スカー】の十五メートルほど横を高速で横切り、そして今度は速度を下げて弧を描くと、スカーの十メートルほど後方へ回る。
【スカー】がそれを追うように向きを変えるが、【アクセレラータ】の速度に比べれば遥かに遅い。まるで間に合わない。
(背中が、がら空き!)
【スカー】の背後に回り終えたところで足を踏ん張り、急停止、急転回を行う。右足に大きく荷重がかかるが、想定の範囲内だ。
(決める!)
フェオドラはカッターナイフを投げ捨て、両手で千枚通しをしっかりと固定。無防備な【スカー】の背面へ、全力疾走を開始した。
その距離約十五メートル。最大加速の五倍速で行えば、瞬く間に【スカー】の背中へ千枚通しを突き立てられる。視界外から急所への全力刺突。フェオドラの、【アクセレラータ】の必勝パターンだ。
相手の旋回はまったく間に合わない。その背中へ駆ける。距離を縮める。照準を定める。そしてフェオドラが勝利を確信した、その時。
ばくん!
という音とともに、彼女の視界が三十センチほど真下へ下がった。
何かを踏み、かつ踏み外したような違和感。足首に走る、みしりとした感触。同時に、腹部へ何かが高速で叩きつけられる。フェオドラの突進はその合わせ技で急停止し、強い衝撃を受けた胃からは内容液が逆流、「ごぷり」と口より漏れ出す。
(え……何?)
何事か確認すべく、視線が下へ向く。
(板……?)
彼女の腹部を強打した正体は、板であった。その動力は、フェオドラ自身。
仕組みは簡単だ。横長の穴を堀っておき、そこに板の端を被せるようにして上に置く。その辺の草を上にかぶせて、カモフラージュは完了。
穴の上にかかった板の端を踏めば、その重量と速度を利用してシーソーの要領で板が持ち上がり、反対側が罠にかかった者の腹部を叩く……そんな仕掛けである。
だが板は、彼女の腹を打っただけではなかった。
苦悶の声をあげつつ、後ずさりするように板から身を離すフェオドラ。その腹部からは、ずるりと尖ったものが血と粘液を伴い抜け出てくる。板が胴を一撃した箇所には、無数の長い釘が打ち付けられていたのだ。
「うぞ……」
ここへきて、混乱していたフェオドラの意識が現状を認識した。
立場は、一気に逆転したのだと。
「ひぎっ!」
すぐさま能力を発動させ、離脱を図るフェオドラ。【アクセレラータ】は彼女の運動速度を一気に跳ね上げ、そして同時に、内臓まで達していた傷への負担も、相応に引き上げる。
「はぁう!?」
発動した能力は十分な力を発揮することなく、激痛で阻害された。一気に離脱しようとしていた彼女は二歩ほど進んだだけで停止し、よろめく。
……そして、新たな悲鳴を上げた。
右足を襲う、鋭い痛み。見ると、これまた無数の長い釘。その内二本が、彼女の靴を突き破り上向きに飛び出ている。釘を打ち付けた板が、草むらに隠すよう地面に据えられていたのだ。フェオドラは、それを勢いよく踏み抜いたのである。
(だめ、だめ、だめ! ここで止まったら、ここで動かなかったら、殺される!)
それでも気力を振り絞り、再度【アクセレラータ】を発動する。足を貫いた釘板ごと踏みしめる覚悟を決め、背を向けて駆け出した。
……その足が、何かにとられる。
前のめりに転倒する彼女の左肩と右腕、そして左膝に、新たな釘板が刺さった。悶えながら体をよじり、足元を見たフェオドラ。その目に映る、半円の何か。
(く、草!?)
地面から生える草を数本まとめ、その上部を結んだだけの輪だ。幼児が手慰みに作ったような、粗末なもの。しかし彼女の足はこれにかかり、引き倒されたのであった。
極めて原始的なトラップだが、掛かればこのように効果は大きい。特に、彼女の場合においては。
「何、何なのこいつ!?」
そう叫びながら、【スカー】へ顔を向ける。そしてフェオドラは視界を動かす最中、周囲に同様の罠が多数仕掛けられていることに気が付いたのだ。
数々の釘板、草の輪、植えこみ同士を結んだワイヤーによる転倒トラップ。地面から刃を生やすように突き刺された包丁やナイフ、ドライバー。先程腹を打ったような板の罠。そういったものが無数に、まるで敷き詰めるかのように設置されていた。
【スカー】を中心とした半径数メートルに及ぶ草むらには、びっしりとそれらが張り巡らされていたのである。
誘い込まれたことを理解して、彼女は戦慄した。
それでも彼女は再び【アクセレラータ】の力で逃げ出そうと、懸命に試みる。が、臓腑を抉られた痛みがそれを許さない。恐怖が精神の集中を妨げ、能力の発動もおぼつかない。足がもつれ、また転倒するフェオドラ。
「あっ、あっ、あっ、やだ、やだ、やだ、やだ」
脳裏に、ブルイキンの言葉が蘇る。
『人間は苦痛に弱い。傷を負えば動きは鈍る』
ああ。ああ。
ブルイキン。その通りでした。
【オッドアイビーム】も【デスサイス】も【パペットマスター】も。
皆、傷を負うと途端に動きが悪くなりました。
そして、私も。
散々あなたに「総括」されましたが、痛みにはちっとも慣れませんでした。
やはり、人間は苦痛に耐えられるようには作られていないのです。
「でも、だめ、逃げないと、また、「総括」される」
苦悶の息を吐きながら、それでも必死に這いずるフェオドラ。だが地面を掻こうと振り下ろしたその右手も、新たな釘の餌食となった。悲鳴を上げ、体を捻り悶える。
ずっ。
ずっ。
ずっ。
フェオドラの耳に入る、地面を擦り進む足音。すぐにその視界に、自分を見下ろす【スカー】の姿が入った。
手には、ハンマーが握られている。釘を打つためのものではない。杭を叩くような、大きなハンマーだ。
顔を見上げる。黒く、まだらに塗りつぶされた【スカー】の顔を。眼鏡越しに爛々と光る目が、フェオドラの瞳を見据えていた。そしてゆっくりと狙いをつけながら、ハンマーが振りかぶられる。
「あっ」
フェオドラは、自分がこれから彼女に殺されるのだと理解した。
震える唇と舌で、絞るように声を出す。
「やめて、【スカー】。お願い、やめて」
ああ。ああ。ああ。
ブルイキン。ブルイキン。ブルイキン。
怖いです。恐ろしいです。私はまだ、死にたくありません。
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