天才の天才による天才のための異世界

白兎

第三十話  暗闇の逃走



「嫌な、感じがする……」


「嫌な感じ?」


 唐突に呟くナトリアに、リリは首を傾ける。
 そろそろ、一度クリトンたちと落ち合う時間帯だ。
 二人は巡回ルートをすべてまわり、落ち合う場所――依頼主の屋敷に向かっていた。
 だが、二人が到着しても一向にクリトンたちはやってこない。もう約束の時間から一時間が経とうとしている。


「遅いねー二人とも何してるんだろ」


「……」


 ナトリアはさっきから曇った表情を変えない。先ほどの嫌な感じがまだ胸の中にあるようだ。
 だが、すぐにその表情は終わりを迎える。
 ナトリアは曇った表情から瞳孔を見開いた野生のような顔をして、屋敷の向こう――男が来る方を見つめる。
 リリは状況が分からないでいたが、ナトリアが自分の前に立ち構えている所を見て理解する。
 ナトリアが警戒しているのはわかる。だが、何を警戒しているかまではわからなかった。
 男は、何も持たず、一般市民と変わらない服装をしており、筋肉はあるが、二クスほど素晴らしい肉体ではなかった。明らかに警戒するような相手ではない。


「リリ、気を付けて。あいつから、血の匂いがする」


 殺気はゼロ、見た目も普通、クリトンたちと同様に依頼がなければ気にも止めない。だが、クリトンたちとは明らかに違う状況だった。彼はさっきクリトンたちに攻撃を加え、彼には血の匂いが染み込んでいた。もちろん、ナトリアだけが気付けるほどだが。


「ざんね~ん。やっぱり一日に三人以上は無理だったか~」


 暗闇の中、光の魔石で作られた街灯で顔がはっきりする。


「ラドン……」


 薄々感づいていたが、これではっきりとした。彼は写真と同じ顔をしていた。ピンク色の髪を短くまとめ、眉には傷が小さくある。


「三人……ってことはすでに二人」


 リリはラドンの言っていることをリリはすぐに察した。こんな夜更け、さらに連続殺人が行われているのに出歩く人はいない。それでも二人殺っているということは、


「リリ、二人を探して、こいつは、私が、相手をする」


「わかった」


 リリは二人の巡回ルートを辿って探しに行った。
 ナトリアはラドンと対峙する。お互い様子を伺って動かない。ナトリアに至っては自分から仕掛けられないのだ。
 ラドンから殺気も、狂気も、野生のオーラも一切感じない。相手がどう出るか一切見当がつかない。故に今まで対峙した相手より恐ろしく、ナトリアの経験と感覚がこれでもかというほど伝えていた。


 こいつはヤバイと――


「ほらほら~どうしたよ。かかってこないのかな~」


 ラドンは一切構えることまなく突っ立っている。命を懸けているのに、この状況を楽しんでいる。彼は高揚感だけで行動している。
 ナトリアは一切警戒を解かない。白月と赤陽を構え、相手がいつ動いても対応できるようにしていた。だが、彼が動いた時には何が起こったのか分からなかった。


「どうしちゃったのかな~フヒヒヒ」


 彼が指をナトリアに向けた途端、ナトリアは体制を崩した。ナトリアからは不思議な光景が映っていた。地面は大波のように揺れ、空間はまるで酔ったようにブレていた。


「フヒヒヒ……やっぱこういうやつの内臓ってきれいなんだろ~な~」


 彼はゆっくりナトリアに近づく。ナトリアは立っているだけで精一杯になり、ラドンに気が回らない。
 ラドンはナトリアに手が届くところまで近づき、ナトリアの頭に手を乗せようとする。しかし、ナトリアは触れられる前に横に飛んで回避した。うまく着地が出来ず、体制を崩して膝をついている。彼女がラドンの接触を避けたのは理性ではなく本能が危機を感じたからだ。


「っく、一体、何が……」


 ナトリアは頭を振りながら生まれたての小鹿のようになっている。
 それもまた、ラドンにとっては気持ちを高ぶらせる行動の一つだ。


「いいね~絶望に満ちた顔も好きだけど、こういう必死に抵抗する奴の腹を切り裂くのも好きだわ~」


「この、変質者……」


「フヒヒヒ……かもね。けど、俺はそれでもかまわない」


 ラドンの表情は一切変わらない。さっきから笑みを浮かべながら、ナトリアにふらふらとした足取りで近づく。いくつもの戦いを経験したナトリアの記憶にこれほど不気味に残ったのはいない。


「いったん、逃げないと……」


 ナトリアは逃げることを考えた。だが、全力で逃げるわけにはいかない。もし逃げ切った場合、ラドンの対象がリリたちに変わるかもしれないからだ。負傷している二人に戦闘経験などないリリでは彼は相手にできない。この状況でラドンを食い止められるのはナトリアしかいないのだ。もちろん、別の目的もあるのだが。


 ナトリアは走るわけではなく、壁に手をつきながら、ゆっくりと距離を取る。今の状態で走って逃げることは難しいができないわけではない。着地などを考えなければ、普段の感覚で飛び、方向なども無視すれば走ることもできる。だが、この逃げ方がラドンの気を最も引き付けると踏んだ。彼の感性なら一番絶望的な状況で必死に逃げているように装った方が食いつきが良いだろうと。
 ナトリアの考えは的中した。ラドンは面白そうにナトリアの後を追う。攻撃を加えるわけではなく、ただ逃げているナトリアの姿に、まるで玩具を見つめる子供のような目を向ける。
 ナトリアは捕まらず逃げ切らずの状態で時間を稼いだ。






 ********************






「二人とも大丈夫!?」


 クリトンとセノを見つけたリリは鞄の中を探りながら駆け寄る。リリは水の魔石を取り出し、クリトンとセノの傷を塞ぐ。何とか一命をとりとめたものの、セノは意識を失っており、クリトンは意識はあるが戦える状態ではない。


「一体……何が……」


「ラドンにやられたのよ」


「ラドン……そうか……あいつが、ラドンか……」


 この時、リリには疑問が浮かんだ。
 時間は夜だが、あたりは街灯でそれほど暗くない。つまり、あいつ――人を認識しているなら、ラドンかどうかなどはっきりわかるはず。なのに、クリトンの言い方では気付かずにやられたみたいだ。
 これはラドンの能力が関わっているのではと思った。だが、今は二人が最優先だ。


「とりあえず、立てる?」


「あ、あぁ」


 クリトンはゆっくりと腰を上げる。セノはリリがおんぶして運ぶ。十センチ大きいセノを軽々持ち上げるリリにクリトンは少し驚く。


「なんか、情けないな。あんたらより年上なのに」


「そんなこと今は良いから!」


 リリはそのまま歩き出した。ナトリアがいないということは、ラドンと対峙しているのだろうと、クリトンはすぐに察した。
 だが、クリトンはナトリアのことが気に掛かって仕方がない。
 リリはそういう環境にいなかったため、そのままナトリアに任せたのだろう。しかし、攻撃したのが通りかかった奴ならこれほど恐ろしいものはない。ナトリアの腕はゴブリン退治で鮮明に覚えている。それでも、ナトリアが勝っているという絶対的な信頼が沸かない。
 クリトンは考えるほどに複雑な感情になっていた。仲間を信頼できないほどの不安とそれでも任せるしかない情けなさが、彼の心をかき混ぜていた。


「っくそ! 情けねぇ」


 クリトンは塞いだお腹の傷を押さえながらそう呟いた。












 ――ベルウスの森


 和也がこの森に来てから一週間が経った頃、和也は変わらずルビーの元にお世話になっていた。


「また……これか」


 和也は目の前のものにため息をつく。ルビーの食事はいつも同じだ。他の生物がいないこの森では、主食は葉っぱや枝といったものだ。もちろん、ベルウスの森の葉や枝は和也の知っているようなものではなくとても新鮮で美味しかった。だが、一日三食を一週間も続ければさすがに飽きる。和也の体はたんぱく質を欲していた。


「なんか、もっと濃い味の食いもんはないの?」


「居候の分際で食事に文句をつけないでください」


 ルビーの正論に和也はぐうの音も出ない。和也は枝を削って作った箸でさらに持っている葉を掴み、ドラゴンの肉の味を記憶から掘り起こして、葉を口に入れる。
 和也は普段料理を作ってくれていたナトリアやリリに心から感謝するようになっていた。それと同時に早く迎えに来てと空いたお腹を押さえながら祈る生活を送っていた――





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