虐められていた僕はクラスごと転移した異世界で最強の能力を手に入れたので復讐することにした
7・恐怖
「シィィイ……」
「なんだ……」
竜崎の背後、樹木の陰から姿を現したそいつは、鋭い眼光で竜崎を睥睨していた。
そして竜崎はそいつに体を向けて、しっか
黄土色の体に赤い瞳、右目には深い傷跡があり、発達した手足と腹元の袋、その姿はまるで、
「カン……ガルーか?」
竜崎から冷や汗が頬を伝って地に落ちる。
水上や葉倉はその存在に吐き気を感じる。初めて会った魔界の魔族、魔境の魔族とはけた違いの圧力に、さすがの三人も恐怖という感情が植え付けられる。
「チッ、引き返すぞ」
舌打ちしながら、竜崎は踵を返し、引き続いて水上と葉倉も引き返す。
しかし――
「シャアァア!!」
「なっ――ぐおぁっ!!」
とっさに振り向いて顔を庇った両腕に衝撃、走る。
竜崎はそのまま引き返す水上と葉倉を追い抜いて、何本もの木々をその体全体でへし折りながら吹き飛んだ。背後から稲妻の如く追い抜いた竜崎に、二人の目は釘付けになる。そして、吹き飛ぶ体が最終的に大岩にぶつかり勢いを殺した。倒れる竜崎の右腕はへし折れ、左腕はも真っ青に変色している。頭を打ったのか、擦り傷から出た血が竜崎の金髪の根を少し赤色が染め上げる。
「ぐっ、あぁ、くそっ!」
竜崎はすぐに起き上がり、激痛が走る左手で感覚がなくなりそうな右腕を抑える。立ち上がるのもままならないのか、竜崎を受け止めた大岩に体重をかけて、血が滴る鋭い眼光でこの状況を作り出した相手を睨みつける。
真っ赤になりつつある視界の中で映った世界は、自分の実力に自信があった竜崎の心に感じたことのない感覚を植え付けた。
驚きのあまり走る速度が落ちている水上と葉倉。そのさらに奥、へし折られた何本もの木々を超えた先に映る存在。
黄土色の体毛に、傷跡のある釣った目に宿した深紅の瞳、発達した手足。さっきと違うのは両手にはボクシンググローブをはめていること。
シャドーボクシングをしながら、奴もまた竜崎を睥睨する。
「弾丸鼠か!」
竜崎はその存在を知っていた。その足は最高三十メートルの跳躍を可能にし、戦闘時に着けるグローブは鋼の如き硬度を誇り、一撃の威力がまるで弾丸のようなことからその名がつけられた。
「くっ、これのどこが弾丸だよ。大砲……いや、ミサイルの方が合ってんじゃねぇのか? まぁ銃なんてないこの世界からすれば弾丸でも十分な威力だけどな」
これが格下の、片手でも倒せる相手なら、銃の無いこの世界で弾丸鼠という発想になるのか疑問に思うとこだが、今の竜崎にそんな余裕は残念ながら無い。
そして、刹那の記憶の中で竜崎はいくつか驚愕したことがある。一つは、竜崎はマナを纏って防御力を上げる共通恵術【堅護】を使用したこと。竜崎の練度なら、無名の刀なら受け止め砕くことができる防御力を誇るが、それを上回りダメージを与えるどころか、両腕を使い物にしなくするだけでなく、数十メートル先まで吹き飛ばしたのだ。それは、魔界と魔境の魔族の差が予想をはるかに凌駕するものだったことを竜崎に伝えた。
もう一つは、吹き飛ばされる直後、両腕に今まで受けたことのない衝撃が走った時、掲げた両腕の隙間からわずかに見えた赤光、そしてじりじりと伝わるマナの感覚。
――魔界の魔族は魄籠を宿している?
その仮説が竜崎に思い浮かぶ。
恩恵者が持つ魄籠を弾丸鼠が持ってるとすれば、恵術が使える可能性も十分ありえる。そして、その考えが正しければ非常に危険な状況に陥っていることになる。
両方ともマナを有しているのなら、単純に考えて練度の差が物を言う。魔族に練度という概念があるかわ知らないが、それはこの際関係ない。要は竜崎の両腕がすべてを物語っているのだ。
戦えば確実に――死ぬ。
ただ、それは戦えばということ。幸い竜崎は飛ばされたおかげで魔境にかなり近づいている。水上と葉倉も瘴気で大分消耗していても、【迅脚】を使えるだけはある。優希に至っては、ほぼ魔境にいると思ってもいいくらい魔界の端にいる。逃げようと思えば逃げられる。
しかしそれは、竜崎の心に深い傷を刻むことになる。
負ける可能性があるという想像による撤退が、敗北を確実にした逃走になるのだ。今までどんな奴だろうと上に立っていた竜崎が、両腕を砕かれただけでなく、おめおめと逃げ帰るのだから。
久しく感じた屈辱感に竜崎は下唇を血が出るほどに強く噛む。
しかし、ここで一泡吹かせようと思うほど、竜崎は馬鹿ではない。
強者には二つのタイプがある。一つは、弱者だけを虐げ、自分は強者だと錯覚した偽りの強者。プライドが高く、自分の縄張りでは態度がでかくなるが、自分よりも上の奴には怯えて自分の下の奴を盾にする者。
もう一つは、強者の上に立つ真の強者。人の上に立つことに対しては天才的な強者。狡猾で、慎重で、引き際と攻め時を弁え、自信はあっても過信は作らない者。
竜崎は後者にあたる。その彼が取る行動は苦渋の決断だが――逃走だ。
しかし、逃走だけでは終わらない。この屈辱や痛みを糧に、彼は強くなるのだ。誰よりも強く、誰にも負けないほどに。
竜崎は引き返す。共通恵術に回復系のものは無い。回復は魔導士の専用恵術になるのだ。そして、今この場に魔導士の恩恵者はいない。回復道具も存在するが、必要ないと考え手元には無いのだ。
竜崎は自分の力を過信していた。この愚行をここまで示されると、認めざるを得ない。
今の竜崎は偽りの強者だと。
「見てろよ、俺は……お前を簡単に殺せるぐらい強くなるからな」
自分に言い聞かせるように呟きながら、竜崎はふらつきながらも足を進める。逃げる三人は【迅脚】で走力を上げて、疲れ果てた優希を追い越して魔境へと走った。
息を切らし、樹木に背を任せて座り込んでいた優希は通り過ぎて走っていく竜崎達に気付かない。それほどまでに優希は衰退していた。そして、休んでいるというのに瘴気によって体力が落ちる一方の優希の視界、今にも閉じてしまいそうになっている優希の視界の端っこに、黄土色の毛を纏う足が映り込む。
「はぁ……ぁ」
優希は今にも閉じてしまいそうな瞳に、支えるので手一杯になるほど重い頭を持ち上げて、その存在を映し出す。
最初は何が現れたのかよく分からなかった。何が起こったのかよく分からなかった。しかし、優希の記憶が、本能がまだ新鮮な感覚を生み出した。血が、心臓が、脳が、あらゆる器官が最大限の警笛を鳴らす
あの感覚。
――死を前にした圧倒的恐怖を
「ぁ……ぁあ……うぁあわああああ!!」
優希は走る。どこに余っていたか分からない体力を振り絞り、途切れそうな意識を繋ぎとめて、鉛のように足を持ち上げて走る、走る。
気付けば竜崎たちは魔境へと入っていた。魔界の魔族は基本的に魔境へは入ってこない。自分の縄張りが存在するのだろう。
そこまで行けば大丈夫……なのだが、優希は目の前の光景、腕を壊した竜崎を見て不安が募る。
今までは竜崎という強者がいたからこそ、心の奥底では安心感があった。しかし、今の竜崎からして、優希を追いかける敵はこの場で誰よりも強いということ。そして、竜崎たちは疲れて休んでいる優希をほったらかして逃げていったこと。
今も尚、【迅脚】で走り続ける竜崎達。今の優希には【迅脚】を使えるほどのマナは無い。むしろ、今の状態で走って逃げていることが不思議なくらいマナの消費は激しい。だが、弾丸鼠は思ったよりも足が遅い。カンガルーは時速七十キロのスピードが出せるらしいが、弾丸鼠はおそらく時速十五キロ程。少ないマナでも強化されている優希の全速力と同じくらいの速さだ。竜崎たちは倍近くの速さで、優希と弾丸鼠を置き去りにする。
「はぁはぁ……ここまでくれば……なんとか」
肩で息をする優希。先を行っていた三人も同じように息を切らしている。優希がいる場所でも魔境に入って数十メートルほどの場所。恐る恐る振り返ってみると、案の定弾丸鼠は魔界の端、魔境との境界線を超えないように佇んでいる――
「え……?」
弾丸鼠の両足を赤光が包み込む。マナの気配が見て取れて、その気配は徐々に存在感を高めていく。それと比例して、優希達の安心感は恐怖心と不安感に変わっていく。
そして――
「シャィイッ!!」
その名の如く弾丸のような速度で死は迫る。一瞬の加速、弾け飛ぶように前方に跳躍した弾丸鼠は、さっきまでの走りが嘘のように、瞬く間に優希に迫った。
脳の整理が追い付かない。魔境に侵入した魔界の魔族、先ほどまでは手を抜いていたのか、視界から消えたように錯覚する程の変化、魔界の魔族は得体が知れなかった。
「ぉぁあ!」
優希は走って逃げれるほど距離があった。おそらく一歩の跳躍が強化されたのだろう。早いのは一瞬だけで速度は徐々に落ち、着地するとピタリと足を止めると、再度赤光が両足を包む。
またあの超跳躍が繰り出される。追いつくのは時間の問題だろう。現状、弾丸鼠に一番近いのは優希だ。他三人は【迅脚】で弾丸鼠との距離を少しずつだが延ばす。
近づいてくる敵を背後に、優希は必死に三人の背中を追いかけていた。置いていかれる、追いつけない、追いつかれる、死ぬ、殺される。
「まっ、待ってぇ、ま……」
助けを呼ぼうにも、息がうまくできず、声が出ない。精神的体力的疲労、死の恐怖、いくつもの要素が重なって、優希の声は喉元で声色を失う。
魔境に出れば弾丸鼠は追ってこない……はずだ。魔境に入ってまでも追いかけるのを見た後で、それが確実という保証はないが、おそらくは敵が視界にまだ居るから追ってきているのだろう。つまり、弾丸鼠の視界から消えれば、それほどに距離を開ければ助かるが、距離を開けられ中れば、魔境を出ても助かる保証はない。逃げ切る以外に確実な方法は無いのだ。
しかし、四人でかかれば倒せないまでも、全員逃げ切れることは可能だ。わずかな可能性だが、ゼロではない。
竜崎達だけでなく、優希すらもその考えに辿り着いていた。
竜崎達は考える。後ろで死ぬ物狂いで逃げる優希を、どうやって足止めするか。その答えが先に出た。全員で助かるわずかな確率よりも、確実に助かるが一人が犠牲になる方法を選んだのだ。
引き返せば自分たちも危ない。かといって優希は諦める気配を見せない。優希と弾丸鼠との距離は一瞬だけ埋まるが、次の跳躍までの時間が優希との距離を再び伸ばす。このままこの状態が続けば魔境を出ても危ないかもしれない。木々が視界をくらませる魔境の中で逃げ切りたいのだ。魔境を出ても逃げ切れなければ確実に終わる。実のところ竜崎達も必死なのだ。竜崎は弾丸鼠にやられたダメージで、水上と葉倉は瘴気による体力の低下で、長時間の【迅脚】は使えないのだ。
僅かな可能性に縋りたい優希と、自分たちは確実に助かりたい竜崎達。矛盾する選択の中で、運命は片方の味方に付いた。
「うわぁっ!? ……な、何だこれ、解けない!?」
優希の足に突然絡みつく、数本のツル。複雑に絡まったツルは、優希ががむしゃらに引き千切ろうと試みるも、チェーンかと錯覚するくらい硬く、解こうとしても、迫りくる弾丸鼠が優希を焦らせ、冷静さを失わせる。そして、何とかしようとすればするほどツルは強く優希を縛る。
優希は来た方向をそのまま引き返したのだ。一度通った時はこんなツルなどなかった、それは周囲に散らばる竜崎が殺した魔族の死骸で道を間違えたことはあり得ない。
ツルが伸びる先は木々に隠れて確認できない。まるで、この世界が優希を殺すかのように、未知の場所からツルは伸びる。
「た、たすけっ――」
嘲笑うように木々の騒めきが優希を囲う。カラカラに乾いた喉を震わせて、助けの言葉を舌にのせて、外に吐き出す。
しかし、優希が必死に吐き出した助けの言葉を途中で黙らせたその光景は、あまりにも残酷で――
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