生意気な義弟ができました。
マスターが恋人になりました。〈番外編 最終話〉
父は昔から仕事一筋で、頭の固い人だった。息子の僕に話すことといえば仕事の話くらいで、子供の僕からしたら、とてもいい父親とは言えなかった。
けれど、唯一父から褒められたことがあった。普段から人を褒めることのなかった父が自分のことを褒めてくれたというのは、子供心ながら十分衝撃的で、今でもすごく嬉しかったことを覚えている。父親にとっては、ただの気まぐれで何気なく出た褒め言葉だったのかもしれないが。
「瀬戸 章さんのご家族の方ですか?」
空っぽの病室の前で突っ立っていると、後ろから通りかかった看護師が話しかけてきた。
「…はい、そうです」
「瀬戸さんなら今、外出中ですよ。院内探せばどこかにいると思いますけど…」
「……いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
看護師に礼を言ってから、すぐにそこを後にして病院を出た。ただでさえ弱気な僕は、出鼻をくじかれたようで、久しぶりに父と再会する気も削がれてしまった。こんなことを知ったらまた、誠くんに叱られそうだ。
僕はまたその足のまま、もうひとつの目的の場所へ向かう。
「…母さん、ただいま」
静かな土地に綺麗に並べられた墓石の前に止まり、そう呟いた。
何年ぶりか、ここに来るのもだいぶ久しい。あまり手入れされてるとも言い難いその様子からは、今でも仕事一筋の父と、弟の日々の忙しさが滲み出ている。
…ずっと墓参りにも来ないで、…親不孝な息子でほんとにごめん、母さん。
僕が父さんのことをあまり好いていなかったのを知っていた母さんは、子供ながら父の冷たさに失望した僕をよく慰めてくれた。気難しい父の性格ともうまく付き合っていける、言わば家族の緩衝材的な役割を果たしていたのが母だった。僕が親の反対を押し切って家を出てから5年ほど経った頃だ、母が危篤だと連絡を受け取ったのは。
「……母さん、こんな息子だけど、今はちゃんと一人でやってるよ。…守りたい人も、いるんだよ。本当はここに、連れて来てあげたかったな…。それで、母さんにも見せたかったよ、僕の大切な人」
誠くんはいつでも、弱気な僕の背中を押してくれるんだよね。誠くんがいなければ、今だってここに居ないよ。
───────会いたいな、早く。
その夜誠くんは電話で、少し元気のなさそうな声をしていた。
実の姉に、自分がたった今同性の男と恋人関係にあるなんて、相当な覚悟がなければ打ち明けられないようなことなのに。誠くんはそれを交換条件に引き出して、僕を一度でも帰らせるために、これからのために、奮闘しているようだ。
いつも誠くんには、何かをもらってばかりだ。それなのに僕は、まだ何も返せていない。
昨日と同じ病室、その扉の前で僕はまた、昨日と同じように突っ立っていた。
…情けない話だ、今更父の顔を見るのが怖いなんて、覚悟を決めて来たはずなのに…。
「情けねえなほんと、いつぶりだよ、あんた」
病室の扉を開けることを躊躇っていた僕を、あんたと呼ぶその声はとても、懐かしいものだった。
………あぁ、自分にとっては、何もかもが懐かしい。そりゃそうだ、何年も、帰ってきていなかったんだから。
「………秋介、久しぶり、だな」
その顔を見れば、思い出さないようにしていた、閉じ込めていた子供の頃の記憶が一気に蘇ってくる。
…………何歳までだったかな、仲が良かったのは…。
「昨日こっち来てたんだろ?それなのに顔出さねえなんて、どんだけビビってんだよ。今だって、そこ開けて親父の顔見んのが怖いんだろ」
「………秋介…、」
「笑っちまうよ、あんたが血の繋がった兄貴だなんてな」
自嘲気味に鼻で笑うと、つかつかと僕の目の前の扉に手を掛けた。
「っ、待ってくれ、まだ………、…向こうで、少し話さないか」
扉を開こうとするその手を掴んで、僕はまるで懇願するかのようにそれを制止した。
「…はっ、ほんと変わってねえな」
まだ小さな頃は仲が良かった。変わり始めたのは、中学生になったくらいからか。歳も近かったせいか、互いに反抗期が重なったこともあって、どんどん喋らなくなっていった。気の弱い僕とは正反対に、ハキハキとして自分をしっかりと主張できた弟は、弁護士として優秀な人材を育ってたかった父のお気に入りだった。
「……結婚、したのか」
ふと、左手の薬指に銀色の指輪がはめれていることに気がついた。
「…そうか、んなことも知らなかったんだな。最後に会ったの、母さんが死んだときだもんな、8年くらい前じゃねえか?」
「………仕事も、上手くいってるみたいだな」
スーツの襟に付けられた弁護士バッジをちらりと横目に見て、僕はまた視線を外した。
僕は逃げるように、弁護士になることも捨てて家を出たけれど、弟の秋介は違った。秋介は父の仕事に憧れも抱いていたし、誇りも感じていただろう。今では父の願い通りに弁護士として働いているようだ。
「上手くいってるって言っていいのかね、親父の今回の入院も、仕事絡みだよ」
「……仕事絡み…?」
「そう。依頼人弁護して見事勝訴。数日後、恨み買ったのか、原告側のヒステリック女に路上で刺されて救急搬送。笑っちゃうよな」
はは、と乾いた笑いをして、こちらを見た。何に対しても自信ありげで、いつでも勝った気でいるような、そんな弟の目が昔から苦手だった。まるで正反対な自分が嗤われているようで、嫌いだ。
「………父さんの、具合は…」
「なんてことない、ピンピンしてるぜ」
「…じゃあなんで呼んだんだ」
「こんなことでもない限り、来ないだろあんた?」
まったくその通りだった。初めから帰る気なんて、無かったのだ。
「………僕は…、」
「あんた、まだ"僕"かよ」
「…………染みついてる、だけだよ」
父も母も弁護士、それならその子供も弁護士。そんな弁護士家庭に産まれた僕は、振る舞いも言葉遣いも、小さな頃から父に口煩く言われた。それが今でも、染みついてしまっているのだ。
「ま、昔から真面目だったしな。親父に言われること一から百まで全部言う通りにして」
それは全部、あの父に好かれたいと、子供心に必死だっただけだ。
「俺なんてそんなん面倒でまったく聞かなかったけどな、あんたは違かったよ」
秋介は、そんなことしなくても、父に好かれていたから。そんなことしなくても、十分優秀な弁護士になれたから。
「なんであんたが親父の事務所継がないのか、俺には分かんなかったよ。いや、今でも分からねえ。親父が嫌いだから、あんたは弁護士になるって夢を捨てたのか?」
───────違う。
「……それは違う。僕は、弁護士になるよりやりたいことを、見つけてしまったんだよ」
そう答えると、秋介は僕から視線を外して、そうかと短く返事をした。
「…でも、帰ってきたくなかったんだろ」
「合わせる顔も無いからね」
「じゃあどうして、気が変わったんだ。頑なに、何年経っても帰らなかったあんたが」
それは、それはたぶん、間違いないけど。
「変えてくれる人に、出会えたんだ」
無性に会いたい、昨日からずっと、誠くんの顔が見たくてたまらないんだ。
「恵太さん!」
どこからか、随分聞き慣れた声が自分の名前を呼ぶ。一瞬、空耳かとも自分の耳を疑ったが、目の前に現れたその姿を見て、心臓がとくんと跳ねた。
「……誠くん…?なんで…」
ここに居るはずのない誠くんは、少し息を切らして、ロビーの隅へ駆け寄ってきた。
「恵太さんなんかすげービビってたから、ほんとはもっと早く来る予定だったんだけど、思ったより姉貴に手こずって」
「…十分、早いよ」
僕は思わず駆け寄ってくる誠くんの、少しぼさついた髪の毛を撫でる。そうすると、いつもの安心する笑顔で微笑んだ。
「病院の場所も聞いてたし、ちょっと姉貴に車とばしてもらいました」
「…ってことは、そっちは」
「問題なしっす、だからこっちの心配はしないで」
…すごいなほんと、何でも一人で解決しちゃって。僕が助けを求めてるときには駆けつけてくれるなんて、ほんとにヒーローみたいだよ。
「……えっと、君は?」
秋介が、誠くんを見て眉をひそめている。それに気づくと、誠くんは慌てたように頭を下げた。
「あ、すんません、こんにちは。俺、恵太さんの……恋人っす」
そう言って、誠くんは堂々と僕の右手を絡めとって、弟に見せつけた。それを見て秋介は、目を丸くする。
「…へえ、まじだったのかよ、あんたが男好きってのは…。驚いた、てっきり親父諦めさすための嘘だと思ってた」
「嘘じゃないよ、誠くんはノーマルだけどね」
「あなたが、恵太さんの、弟さんっすか」
誠くんは興味ありげに、秋介をじっと見つめた。
「一応、弟の秋介」
「"一応"って、恵太さん、ちゃんと血の繋がった弟さんでしょ。ってか思ってたよりも似てる。なんかこう、恵太さんがグレた感じ。兄弟揃って男前っすね」
誠くんは笑った。いつ見てもつられて一緒に笑いたくなるような笑顔だ。
「…えっと、誠くん…?は、何しに来たの、ここに」
秋介が少し戸惑ったように、誠くんに問いかけた。
「あ、そうだ、俺は…えっと、なんだっけかな。…あぁ、"ありがとうございます"って…伝えに来たんです」
誠くんの口から出たおもわぬ言葉に、僕も秋介もキョトンとしてしまう。それでも誠くんは、言葉を続けた。
「俺、ざっとしか、話聞いてないんですけど、それでもなんか、ありがたいなって思いました。恵太さんはきっと、お父さんの望み通り弁護士にならなかったことに、すごく責任感じてて。それでも、秋介さんが代わりに弁護士になってくれたことで、ちょっとは恵太さんの重荷も軽くなってるんじゃないかなって、勝手に、思ってたりして」
すんません部外者が、と恥ずかしそうに笑う。胸の底から、熱いものがぐるぐると回るみたいに、なんだかすごく、溢れ出てきそうな気持ちだ。
すると、秋介は何か可笑しいのか、くすくすと笑いだした。
「はは、馬鹿だな君。ポジティブすぎるにも程があるんじゃないのか?ひとつ、訂正させてくれよ」
そう言って本当に可笑しそうに笑う弟の目は、僕や誠くんを見下すような、そんな色は少しもなかった。
「俺はこの人の"代わり"でもなんでもない、もちろん親父の望みだからでもない。俺は俺の意思で、弁護士に就いてんだよ。そこすんげえ大事だから」
ほんとに面白いな君、とまた笑い始める秋介と、あまりにも笑われて今更恥ずかしそうにする誠くんが、僕の視界に映る。
誠くんは、僕の考えもしなかったことばかり、してみせる。いつも予想外で、それに助けられるんだ。
秋介は笑い疲れると、ぽんと僕の左方に手のひらを乗せた。
「それ、親父に聞かせてやれよ」
「……秋介…」
「そろそろ仲戻してもらわないと、親父の老後は誰が面倒見るんだっての」
こんなに笑う奴だっただろうか、秋介という男は。如何に自分が家族のことを、過去を塞いできたのか、今になって痛いくらいに実感する。
「…そうだな、いい加減、機嫌直してもらわないと、だよね」
初めて病室に入ると、ベッドで新聞を読む父親と、目が合った。
「……なんだ、久しぶりに顔を出したと思ったら、金にでも困ったか」
昔と変わらない険しい表情で、こちらの様子を伺う。思わず逃げてしまいたくなるが、誠くんが、僕の右手を掴んで隣に立った。
「こんにちは、俺、春日 誠っていいます。高校教師やってます。恵太さんの、恋人です」
さっきと同じように、堂々とそう言ってのけ、ぺこりと頭を下げる。その動作にも発言にも、どこにも迷いがない様は見てて気持ちがいい。
「……一体、何しにきたんだ」
より一層眉間にしわを寄せると、訝しげにこちらを見つめてきた。
「………あなたが、病院に運ばれたと連絡を受けて」
「…秋介、要らんことをするな」
「おいおい、事務所のことだって今は俺任せな癖に、そちらこそ要らん意地張らないでもらいたいね。それに、家庭に仕事、それに加えて親の世話って、そんなの俺一人にやらせる気か?」
「世話なんて必要無いと言っている、病院もすぐに出て仕事にも戻ると伝えたはずだ」
機嫌の悪そうな父に対して秋介は、今だけの話じゃないだろ、と愚痴を零すように溜息を吐いて小声で言った。
どうやら父親の頑固は、昔から変わっていないようだ。
「…僕は、そろそろ、あなたに認めてもらわなきゃいけない。そのために、話に来た」
「……話?勝手に家を出たおまえと、話すことなど何もない」
その通りだ、自分でもその通りだと思う。…けど、それじゃ駄目だって分かっているんだったら、何かしないと。
口答えなんてしたこともなかった。幼い頃から父親に好かれるので必死で、大人しく言われたことばかりをしていた。父に直接怒られたことだって、数えられるほどしかない。それは僕が、この人の前で良い顔ばかりしていたから。
頭の中でぐるぐると、ただ父親への反抗の仕方を探っていた。そんな中ですぐに、右手の温かい温度が、体全体に伝染するように触れた。誠くんの手のひらが、僕の手のひらをぎゅっと強く握ったのだ。
「……僕は、あなたにわがままを言ったことなんて、一度もない。…でもそれは間違ってた。ただ、あなたに自分の意思を話すことから、逃げていただけだった。あなたは僕のそういう自己主張の弱いところが、気に食わなかった」
昔からそうだ。僕に口煩く言うのも、僕がこの人の最も嫌いとするような人間だったからだ。
すると父親は、真っ白いベッドの上で少し溜息を吐いた。
「……おまえは、昔から口数が少なかったな。あの時もそうだ。大学で経営学を学びたいと急に言い出したが…まぁ、一度反対されただけで、何も言わなくなったおまえを見て、その程度かと俺は思った」
…僕は最初から諦めていたんだ…父親に認めてもらうことを。どこかで勝手に認められるわけがないと思い込んで。
「親の言われた通りに法学部に進学して、卒業したと思えば何も言わずに家を出て、自分の息子がまさかこんなにどうしようもない人間だったとは、思わなかった。もっとわがままを言わせて育てるべきだったと、後悔もした」
"後悔"
それが、出来損ないな自分が親に謝らなければならないと感じさせる、一番の言葉だった。
覚悟はしていたものの、その言葉は胸のなかにずどんと重しを付けられたみたいに、足が下に引っ張られて沈んでいくかのような感覚に陥った。
そんな僕の右腕を、ぐいっと自分に寄せるように引っ張る。
「ほんとですよ、お父さん。恵太さんってほんとわがまま言わないんですよ?俺がどんなことしても大抵のことは笑って流してくれるし、デートだって夜ご飯だって、いつも俺の好みに合わせてくれるんすよ。このままじゃ俺、恵太さんに甘やかされっぱなしで困ります」
明るくそう言って、誠くんは笑った。
「ね?恵太さん」
ぎゅっと僕の腕を抱くと、こちらを横目に見上げた。その笑顔に、思わず今すぐキスしてしまいたい衝動に駆られる。
「…僕は誠くんが喜んでくれたら嬉しいよ」
「ほら、こんなこと言っちゃえるんです。たまにちょっと弱気だけど、とってもいい人です」
誠くんのその言葉に、後ろで聞いていた秋介がくすくすと笑い始めた。その後すぐに、父は大きく溜息を吐いてこちらを見る。
「…そんなことを話に来たのか、おまえたちは…」
「…いや…、」
僕がちらりと見ると、誠くんはすみませんというような顔でこちらを見上げた。そんな予想外な行動も、誠くんなら何でもかんでも許してあげたくなってしまうのは、悪い癖なのかもしれない。いやきっともう、これは一生治らないのだろうけど。
「だから、つまり俺が言いたかったのは」
誠くんが思いついたように再び声をあげる。
「"適材適所"ってやつです」
僕はそのたった一言に、まるで足元が軽くなるような気さえした。
「……適材適所、だと…?」
「そうです、それ。弁護士になりたかった秋介さんは弁護士に、コーヒー作りたかった恵太さんは珈琲店のマスターに。それってある意味、"適材適所"だと思いません?やりたい人がやりたいことやった方が、俺はいいと思うんすけどね。お父さんだって、やりたくないのに無理やり弁護士にならせるより、ちゃんと誇りを持って弁護士になってもらえた方が、嬉しくないすか?」
誰も予想してなかった言葉に、僕も弟も、父までもがしばらく黙ってしまった。
「………あれ、俺なんか、変なこと言いました?すんません、部外者が…」
「ううん、すごいよ。ありがとう誠くん」
そんなこと、僕には言えないよ。
「…話したことなかったけど、僕が、コーヒーを作るようになった理由」
「……理由?」
父は僕の声に耳を傾けた。
「…昔からあまり褒められることがなかった僕が、唯一あなたに褒められたのが、コーヒーだった。ただ母さんに教えてもらっていれただけのコーヒーだったけど、仕事の合間に持って行ったら、あなたは珍しく、"美味い"って言ったんだよ。ただの気まぐれな言葉で覚えてないかもしれないけど、僕はそれがきっかけで、コーヒーに興味を持ったんだ」
そう、それが嬉しくて僕は。
「……そんな、理由だったのか」
それは知らなかった、と父が小さく呟いて窓の外を眺めた。
「…今度、仕事に暇ができたら、僕の店に来てほしい」
「恵太さんのコーヒー、めちゃくちゃ美味いっす」
父は僕と誠くんを交互に見て、口を開いた。
「……ああ、そのうちな」
そう言われると、僕の右隣で誠くんが小さく、ガッツポーズをした。まるで僕の何倍も、喜んでいるようだ。
「お父さん、ちゃんと来てくださいね?そのときは一緒に、恵太さんのコーヒー飲みましょう。もちろん秋介さんも」
「はは、俺もか」
「まったく…君は変わった奴だな」
父は今日何度目かの溜息を吐くと、僕をじっと見つめた。
「……見ないうちに大人になったな。もう、今更恵太のやることに口を出すつもりは無いが、…中途半端には終わらすんじゃない、分かったか」
だいぶ歳をとって昔に比べると弱々しいけども、僕の知っている父の威厳は変わらずそのままなようだった。
「…中途半端には、やるつもりはないよ」
仕事も、誠くんのことも、半端には終わらせない。
「っはぁー、緊張したー…」
病院を出て外の空気を吸うなり、誠くんは大きく伸びをする。
「え?そんなふうには見えなかったけどな」
「いやいや、恋人の家族に会うなんてさ、緊張するに決まってるじゃないすか」
「でもすっごく、堂々としてたよ」
もう既に病院の外は日が落ち始め、空は綺麗なオレンジ色に染っている。
「恵太さんだって、ちゃんと話せてたよ」
「それは、誠くんがいてくれたから」
そう言うと、誠くんはまたへらりと笑ってみせた。
「ほんとに、ありがとう。全部誠くんのおかげだ」
これまで何度、誠くんに助けられたか。
「秋介さん、奥さんと子供がいるらしいね。てことは恵太さんも、俺と同じ叔父さんなんだ」
「うん、そうみたいだね」
「あと、最近護身術習ってんだって。お父さんみたいに何かと恨み買いやすい仕事だからって」
「へえ、いつの間にそんな話したの」
さっきちょっと話した、と楽しそうに誠くんは話す。すぐに馴染んでしまって、きっと、弟も父も、すぐに誠くんを好きになるだろうということが分かる。
「妬けるな、秋介のこと男前とか言うし」
「え?あはは、確かに恵太さんに似てカッコよかったっすけど、俺は恵太さんのが、好き」
「……うん。早く、家に帰りたいね、誠くん」
すると突然、誠くんは少し先の方を見て何か思い出したように声を上げた。そのまま駆け足でそこに停めてあった車に駆け寄る。
「姉貴、わりぃ、俺帰りは恵太さんの車乗ってくわ」
車から顔を覗かせたのは、どうやら誠くんのお姉さんの、愛美さんだった。
「あ、恵太さん、帰りそっち乗ってってもいいよね?」
「うん、もちろん」
愛美さんは目が合うと、律儀に車の外に出てきてぺこりと頭を下げてくれた。僕もそれに合わせて一度頭を下げる。
「こんにちは、瀬戸さん。誠が、なんか迷惑掛けませんでした?」
「いいえ、まったく」
「姉貴、恵太さんと顔合わすとそればっか言うよな…。もう俺立派な大人なんだけど…」
誠くんが不満げにするも、愛美さんはそれを無視して腕時計に視線を下げた。
「じゃあ瀬戸さん、誠をお願いします。誠、私これから近くにいる友達とお茶してから帰ることになったから。絢菜のお迎えよろしく」
「えっ、俺?」
「あたりまえでしょ、そんくらいしなさいっての」
「娘さん?僕も会ってみたいな」
そう言うと、じゃあ一緒に行こ、と嬉しそうに誠くんは笑った。
「じゃあ恵太さん、帰ろっか」
「うん、帰ろう」
そんな何気ないやり取りが、一緒に住んでる訳でもないのに、すごく安心して温かくなる。
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