生意気な義弟ができました。

鈴木ソラ

生意気な義弟ができました。〈年越し編 その3〉




「西くん、もう眠い?」

テーブルに頬杖をついてぼーっとしていると、向かいに座って麻海さんが顔を覗かせてきた。

「い、いや、そんなことないです!」

俺はぶんぶんと頭を横に振って、曲がっていた背筋を真っ直ぐに伸ばす。そうすると、麻海さんは眉を下げて笑った。

「無理しなくてもいいのに、眠いなら寝てもいいんだよ?」

優しくそう言ってくれる麻海さんは、相変わらずかっこよくて、俺は思わず目を逸らして俯いてしまう。普段見ないような浴衣姿で、胸元が少しはだけていて目のやり場に困ってしまう。

「…せっかくこんなに良い旅館連れてきてもらったのに、年越し寝ちゃうなんてもったいないです…」
「毎年起きたら年明けちゃってるもんね?」
「ま、麻海さんが起こしてくれないせいです…」

少し意地悪に言うので、俺はむっとして口を尖らせた。

「去年なんか、成人したからってお酒飲んだら、すぐに眠っちゃったからね」
「だ、だから今年はまだひとくちしか飲んでないじゃないですか…」

俺は目の前に置かれたお酒と、壁に掛けられた時計を交互に見つめた。年が明けるまであと10分程。

「…やっぱり今回の旅費、俺も払います…」
「え?いいって、誘ったのは俺だし」
「お、俺だって大学の合間にバイトしてますし!」

張り切ってそう言うと、麻海さんはくすくすと笑った。

「いいよ、俺はもう社会人で、まだ西くんは学生でしょ?これくらい当然だって。それにもう十分だよ、生活費だって折半してくれてるじゃん」

英語教師として高校で働く麻海さんと、今では二人でアパートを借りて暮らしている。もともとお互いに一人暮らしだったため、その案には両方とも賛成だった。おかげで、親戚からずっと世話になっていた生活費も、なんとか自分の力で賄うことができるようになった。まだまだ麻海さんには助けられてばかりだけど、いずれは必ず麻海さんにも恩返ししよう。

「それに俺は、西くんが夢に向かって頑張ってる姿見れるだけで、十分幸せだよ」

麻海さんは本当に満足そうな顔で笑う。

中学生の頃に大好きなおばあちゃんを病気で亡くした俺は、医療に関わる仕事がしたいと思い、今は医薬について大学で勉強している。それも含めて、俺は期待してくれている麻海さんに、もちろん、学費面で支えてくれている親戚の人にも、音を返さなければならない。

「…あ、ありがとうございます」

結局、俺に今回の旅費を出させてくれる気はないらしい。

麻海さんは何か喋るでもなく、どこか楽しそうに目の前の俺をじっと見つめて、しばらくしたら、俺の髪の毛に手を伸ばしてくる。俺はいつもそれを、じっと見つめられている恥ずかしさに耐えながら、何も言えずに黙って受け入れる。

麻海さんの指が一通り俺の髪を弄ぶと、次はその髪を俺の耳にかけて、晒された真っ赤な頬に手のひらで触れる。いつも通りの何気ない行動だ。けれどそれが、何か大切な宝物にでも触れるみたいに優しくて、どんなに恥ずかしくても、俺は拒否できないのだ。

こんなに優しく触れなくても、壊れたりしないのに。

大事にされればされるほど、少し胸が痛む。麻海さんから付き合ってくれと告白されたとき、同時に、以前真澄さんへ恋心を抱いていたことを聞かされた。もともと麻海さんに好きな人がいることは知っていたし、真澄さんと初めて会ったとき、その相手がこの人だと言われなくても分かった。真澄さんとのことがあったから、麻海さんは今、俺を傷つけないように大事にしてくれている。

「何考えてるの」

俺が何かぼーっとしているのに気づいたのか、麻海さんはそう尋ねてきた。

「………真澄さんの、こと…少し考えてました」

俺がぽつりとそう零すと、麻海さんの頬を撫でる指がぴたりと一瞬止まった。しかしまたすぐに、その大きな手のひらは俺の首元を撫でる。

「…真澄くん?」

麻海さんの方を見ると、相変わらずこちらをじっと見つめていたので、俺はやはりすぐに目を逸らしてしまった。

「…俺にこうして優しくしてくれるのって、真澄さんとのこと、気にしてるからじゃないですか。…そう考えたら、なんか、少し複雑で」

俺が俯くと、すかさず麻海さんの指に、顎をすくわれた。バチッと目の前の麻海さんと目が合って、顔がさらに熱くなる。

「俺、西くんに告白したときに言ったよ?だからって真澄くんのこと今でも引きずってるわけじゃないって。俺はちゃんと西くんが好きで、」

俺はそこまで言われて、慌てて麻海さんの口を塞いだ。

「わ、わかってます、それは何度も聞きました…!」

麻海さんは少し目を丸くしてから、口を塞ぐ俺の手首を掴んだ。

「…じゃあ、どうして?」

射抜くような眼差しに、俺の心臓はどくりと跳ねた。

「………じ、自信がないだけだと思います…。俺みたいなのが、麻海さんと…こ、コイビト……だなんて…」

俺が弱々しくそう言うと、しばらく麻海さんは何も言わなかった。けれどいきなり立ち上がったと思ったら、麻海さんは俺のそばに来てしゃがんだ。

「西くん、俺は、西くんに救われたんだよ」

真剣な顔をしてそう言うと、ゆっくりと俺の肩を後ろに押した。俺はそれに逆らえず、あっさりと畳に押し倒されてしまう。麻海さんが俺の顔の横に手をついて、俺の目の前は麻海さんで塞がれる。

「西くんだけが見つけてくれたんだよ。俺が必死に隠してた、臆病で、弱虫なところ」

そんな大したこと俺は何もしていない。そう否定しようと思ったが、麻海さんの真剣な表情に、何も言えなくなってしまった。すると麻海さんは、にこりと微笑んだ。

「ね?俺には西くんしか見えてない」

そんなふうに言われて俺の脳内は、もうショート寸前だ。こんな贅沢、いいのだろうか。

そして俺は麻海さんの背中越しに見える時計を見て、ハッとした。

「あっ、ま、麻海さん、年明けました!」

俺が向こうの時計を指差すと、麻海さんはそちらを振り返ってからまた、俺を見下ろした。

「今年もよろしくね、西くん」
「こ、こちらこそっ」

そう答えると、麻海さんは俺の浴衣の胸元に手をかけた。肩からゆっくりと浴衣がはずされ、肌が外の空気に晒される。

「ちょ、ちょっと麻海さん…っ」

俺は麻海さんの浴衣を引っ張って止めようとする。

「嫌?」
「っ……そ、そんな聞き方ズルいです…」

…この人絶対、俺が麻海さんに弱いの知っててやってる…。

「真っ赤な西くん見てたら、我慢できなくなっちゃった」

そんなことを言われ、俺の体温はさらにかあっと上がる。心臓はさっきからずっと、ドクドクとうるさく鳴りっぱなしだ。

「………せ、せめて……酒飲んだあとにしてもらえませんか…」
「シラフはキツい?」
「……し、心臓がもちません…」
「あはは、またそれ?」

まだ酔ってもないのに真っ赤な顔が恥ずかしくて、俺は顔を腕で覆って隠した。するとそれすらも許さず、麻海さんはその腕を簡単に引き剥がしてしまう。


「……ごめん、俺が待てない」


引き剥がされた腕の先で麻海さんは、余裕のなさそうな眼差しでこちらを見つめていた。




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