生意気な義弟ができました。

鈴木ソラ

気になる先生ができました。〈番外編 最終話〉




「楠木くん!よかった、昨日いつの間に帰っちゃってたからみんな心配したんだよ?」

放課後、廊下を歩いていると、すれ違いざまに柴原が心配そうな顔でこちらに駆け寄ってきた。

「あぁ、悪い、少し体調が優れなくて。何も言わずに帰って迷惑かけたな」
「そっか、もう元気ならいいの。それで昨日生徒会でまとめた文化祭全体の報告書なんだけど、会計の項目だけ目を通してもらってもいい?楠木くんにOKもらえたら、あとは鴨野先生に渡すだけだから」

そう言って、分厚い冊子を鞄から取り出した。俺はそれを受け取る。

「分かった、目を通しておく。先生には俺から渡しておくよ」
「ありがとう、助かるわ。じゃあ、また明日ね。しばらく生徒会も落ち着くと思うし、体はゆっくり休めて」

柴原はそう一言残して、昇降口の方へ歩いていった。俺は手渡された冊子を開いて目を通してから、またあの、数学準備室へ向かった。








「鴨野先生、楠木です。入ってもいいですか」

扉をノックしてそう問うと、先生のどうぞという声が聞こえた。ガラリと扉を横に開けると、いつも通り、先生は机に座って仕事をしているようだった。

「文化祭全体の報告書、まとめ終えたらしいので、持ってきました」

俺がそう言って冊子を渡すと、先生はあぁありがとうと一言だけ言ってそれを受け取った。俺とは目も合わせずに、その冊子をぺらぺらと捲る。教室でもそうだった。授業中も全く目が合わなくて、困ったように逸らされることすら無くなってしまった。

そう思った瞬間、また何か俺の中で黒い感情が顔を出した気がした。

「またちゃんと目を通しておくよ」

見ていれば、早く俺とふたりきりのこの空気から抜け出したいという、至極やりづらそうな気持ちは伝わってきた。それなのに俺の方はなぜだかいつも通りで、どこか落ち着いていた。

「…先生、昨日のことは、謝ります」

昨日というワードを聞いて、先生の肩がビクリと硬直するのが分かった。目を合わせてすらないのに、先生の視線はだんだん俺から離れていくように、あからさまに目を泳がせた。

「無理矢理あんなことして、すみません。…反省は、してます」

椅子に座っている上に、俯きがちな先生の顔は見えなくて、今どんな表情をしているのか分からないことに、俺はひどくもどかしさを感じた。

「…それでもたぶん、後悔は、してません」

俺が呟くようにそう言うと、先生は予測していなかった言葉に思わず顔を上げ、こちらを見た。やっと見えた先生は、すごく不安げな顔をしていた。驚きと戸惑いも隠せていなくて、この人は本当に嘘がつけない人なんだろうと思ってしまった。

「く、楠木くん、怒るよ…俺…」

すぐに逸らされてしまった視線は、俺には向けられていないものの、本当にどこか憤りを含んでいるようだった。

「もう、怒ってるんじゃないんですか」
「そ、そりゃ、怒ってるよ、あんなことされて怒らない人なんて、いない。でも、楠木くんは大事な生徒だし…それに俺、また怪我させちゃったから…」

俺がなんのことかと首を傾げると、先生はこちらを見て、自分の口元を指さした。

「…舌、噛んじゃったでしょ。たぶん血も、出てたよね…ごめん」

被害者は先生の方だというのに、本当に申し訳なさそうな顔をして謝るので、俺は思わず笑ってしまった。

「はは、そんなこと気にしてたんですか。そんなの、今言われるまで忘れてましたよ」

俺が笑ったのが不満なのか、先生は何か言いたそうな顔でこちらを睨んできた。同時に、先生にとって俺が本当に大事な生徒の一人なんだということを実感してしまった。そう思ったら少し息苦しくて、自分の気持ちをまた、無理矢理思い知らされた気がした。

「とにかく、謝るのは俺の方なんで、先生は謝らないでください」
「…そ、そんなことない。…そもそも、校舎裏でのことだって、完全に俺が悪いんだし…」

そこまで忘れかけていた、事の発端であるあの校舎裏での出来事。またあの光景を思い出して、心臓がドクリと脈打った。

「…教師として、ほんとにダメな奴だって自分でも分かってる。…あの日のことだけじゃない、他にも、楠木くんに注意されることは何度かあったし。ほんとに、ごめん」

辛そうな顔をして謝る先生の姿は、なんだか見ていられなかった。俺の握りこぶしにはいつの間にか力が入っていて、これは恐らく、あの男への怒りか。

そもそも、校舎裏へ無理に連れ込んだのも、抵抗する先生を無視してキスしていたのも、全部あの男の勝手な行動だ。先生が流されやすいタイプだというのを利用して、振り回しているように見えた。

まあそんなのは、第三者から見た客観的な感想に過ぎない。先生自身がどう思ってるのかは、また別の話だ。

「…楠木くん…?」

ずっと黙り込んだままの俺を心配そうに、先生はこちらを覗き込んだ。

「…あの男は、先生の恋人ですか」

俺が端的にそう問うと、あからさまに困ったような顔で目を泳がせた。分かりきってはいることなのだが、やはり、先生の口から直接聞きたい。

「………まぁ…そう、かな。…でも実は、義理の弟でもあって、ちょっと、複雑なんだけど…」

困ったような顔で先生は笑った。

「先生が、あの男に暴力を受けていて困ってるんだったら、力になりたいと思ったんですけど」
「ぼ、暴力…?…あっ、えっと、そういうんじゃなくて、ちょっと強引で身勝手なだけなんだよね」

先生は、少し焦ったように否定した。それでから、楠木くんは優しいねと微笑む。けれど先生がそう言うのは、分かっていたことだった。

「……すみません、違います」

俺が俯きがちにそう零すと、先生はよく分からないというように首を傾げた。

「そんなのたぶん綺麗事で。先生がほっとけなかったのは確かなんですけど、でもやっぱ、それだけじゃないです。先生の身体についたキスマとか噛み跡とか、きっと全部に苛立ってて、俺も同じことしたいとか、先生の見たことない顔をもっと見たいとか、考えてたんだと思います」

俺がそう言うと、先生はぽかんとした顔でこちらを見つめてから、俺の言葉の意味を理解したのか、また酷く困ったように目を逸らした。

「分かってると思いますけど、あえて言います。…俺は先生が好きです。キスしたいとか、そういう意味の好きです」

はっきりと俺の言葉を聞くと、先生は少し考えるようにしてから、ゆっくり口を開いて答えた。

「……楠木くん、は…大事な生徒だし、…その気持ちには、答えられない…」

すごく申し訳なさそうに言うので、俺は思わず笑ってしまった。

「そんなの、知ってますよ。だからこれから、覚悟しといてくださいって意味で言ったんですけど」
「か、覚悟……?」

慌てふためく先生を見て、少し楽しくなっている自分がいることに気づいた。

「じゃあ、俺そろそろ帰りますね」
「えっ、あ、うん!気をつけて、帰ってね」

戸惑いながらもそう返す先生は、いつもの鴨野先生だった。
















「秋人、おはよ」


朝、家を出るなり、凛太が後ろを追いかけて来た。

「なんだ、今日は早いな」

いつもは起きるのが遅い凛太が、今日は俺とほぼ同じ時間帯に家を出てきたようだった。凛太は、返事をするよりも先にあくびをして、俺の隣を歩いた。

「ちょっと用があって、珍しく早起きしたんだよ」
「凛太に用なんてあるのか、いつも暇そうにしてるのにな」
「失礼だなー、部活だよ部活。茶道部なのに朝練ってなんだよって感じ、どうせまたあの部長の気まぐれだけどな」

凛太なら面倒くさがりそうなものだが、外国人の父親に勧められて入った茶道部も、案外真面目に活動しているようだ。いつも聞くのは、茶菓子が美味かったとか、部長がうるさいとか、そんなくだらない話ばかりだが。

「んで?なんか、進捗でもあった?」

凛太は、何らいつもと変わらない様子でそう尋ねた。それが先生との関係のことを聞いているというのは、聞かずとも分かった。

「伝えた、自分の気持ちを」
「……返事は?」
「もちろん、俺の気持ちには答えられないって言われた」
「……へぇ。……え?てか待って、ほんとに言ったのかよ?」

凛太が、訝しげな目でこちらを見た。

「なぜそこを疑う」
「いやだって、真面目なおまえのことだから、性別とか立場とか、もっと気にするもんだと思ってた」

凛太の言うことも尤もだ。普通なら、気にするべきなんだろう。

「もともと、どうにかしようなんて気も無い。そんな気あったって、無駄みたいだしな」
「やっぱ、真澄ちゃんって恋人いたの?」

俺がうなづくと、凛太はため息をついた。

「あぁー、やっぱ街で見たあの男か〜…そんな気したんだよな、なんかこう、ただならぬ雰囲気じゃなかったし!」

男だなんて一言も言っていないのに、凛太は勝手に納得したようだった。まぁ、恐らく間違っていないだろうから否定はしないが。

「なんかさ、真澄ちゃんって、ちょっと頼りないけど、めちゃくちゃ優しいセンセーじゃん?教え方も上手いし、生徒とも仲良いし、話しやすいし」
「なんだよ、急に」

唐突に先生のことを褒めだしたので俺が訝しげな目で見ると、凛太は早足で俺の少し先を行き、こちらを振り返った。

「だからさ、おまえの恋、間違ってねーよ」

昔から見てきた、人懐っこい笑顔をこちらに向けて、凛太はそんなことを言った。いつもいい加減な奴だけれど、たまには真面目なことも言うらしい。

「ちゃんと前見て歩かないとコケるぞ」

俺がそう指摘した途端に、まるで予期していたみたいに、凛太は何も無いところでつまづいた。凛太は本当に、昔から何も変わらない。

「あっ、やべ、部長めちゃくちゃ怒ってる!先行くな?あ、放課後、ちょっと遅くなるけどちゃんと待ってろよな!」

何件ものメッセージの受信を告げる通知音が、凛太の手元のスマホでうるさく鳴っている。そう言って嵐のように去って行った幼馴染に、俺は気をつけて行けよと一言だけ告げる。朝から元気に通学路を走っていく姿はまるで、そこら辺の小学生と変わらなかった。












放課後日も落ちて暗くなり始めた頃、言われた通りに校門前で凛太を待っていると、予期せぬ人物に、声をかけられた。

「楠木くん、こんばんは」

車を停めて、その傍に立つスーツ姿の男。

「…こんばんは、鴨野 零央さん」
「名前覚えてくれてんの、意外」

何か含みのあるような笑みで微笑まれて、俺はしばらく黙ってしまった。まったく、何を考えているのか読み取れない顔だ。

「そういえばさ、ちょこっと聞いたんだけど。楠木くん、おにーさんに手出したらしいじゃん?」

直球に躊躇いもなくそう聞いてくる、それも貼り付けたような笑顔をこちらに向けて。おにーさん、というのはもちろん、鴨野先生のことだろう。

「…否定は、できないですけど。もしかして怒ってますか」
「いーや別に?キスしかしてないって、聞いてるしね。まぁ、それ以上してたんなら、一発殴ってたと思うけどね?」

笑顔でそんなことを言う。しかし、きっと一発殴るくらいじゃその怒りは収まらないんだろうと、何となく察した。笑顔を貼り付けているようだが、その裏には、ものすごい憤りを感じる。

「先生のこと、相当好きなんですね」
「そりゃ、彼氏ですからね」

余裕を含んだそのセリフに、挑発だとは分かってはいながらも、着々と俺の中に黒い感情が浮き出るのを感じた。するとどこからか、パタパタと駆け足で近づいてくる足音が聞こえた。

「れ、零央!勝手に校門で待つなって何回言ったら…!」

少し怒った様子の鴨野先生は、俺とその男を見るなり、少し困ったように眉をひそめた。

「く、楠木くんごめん、なんかこいつ、要らないこと言わなかったっ?」
「要らないことってなにおにーさん」

不安そうにした先生は、その男を一瞬睨みつけてからまたこちらを見た。

「いえ、別に」
「…そっか、ならいいんだけど…。あっ、…職員室にスマホ忘れた…」

鞄の中を漁って、先生はガックリと落ち込むようにした。

「取ってきなよ、俺待ってるし」
「え、えぇ、でも…」

先生は俺とこの人を二人きりにしたくないのか、こちらをちらりと見て悩ましげにする。

「いいですよ、取ってきてください」

俺がそう言うと、素直に駆け足で職員室に戻って行った。俺はその後ろ姿をじっと見送った。

「……俺も、先生が好きです」

俺がそう零すと、男はさっきまでの笑顔を捨てて、少し不機嫌そうにした。そっちが素なのだろう。

「…あのさ楠木くん、それってつまり、俺への宣戦布告ってことでいいの?」
「そんなことしたところで、俺に勝ち目あるんですか」
「よく分かってんじゃん、もちろん無いよ」

即答するこの人は、相当先生との仲に自信があるらしい。

「どう捉えてもらっても構わないですけど、盗られたくなかったら、それ相応の努力はした方がいいと思います。もし少しでも先生を傷つけたんなら、そのときは遠慮はしません」

俺がじっと見つめて言うと、男はどこか勝気な笑みを浮かべた。

「…へぇ、生意気だねほんと。いいよ、奪えるもんなら奪ってみなよ、絶対やらないけど」

こんな餓鬼に負けるわけない、とでも言いたそうな表情だ。先生は、この人のどこが好きなのだろうかと、少し考えてしまった。


「ごめん、待たせた…!…って、なんか、喧嘩してない?よね?」

鴨野先生は戻ってくるなり、また不安げな顔になった。

「全然?俺楠木くん気に入っちゃった、ほんと優秀そうな生徒だね、おにーさん」
「えっ?あぁ、うん、楠木くんは優秀だよ、ほんと!」

独占欲丸出しのこの人に俺が、勝てる日が来るのだろうか。けど数パーセントでも勝率が存在するんなら、やはり、まだ諦められない。

「じゃあ、楠木くん、気をつけて帰ってね、また明日」

そう言って、いつものように先生は微笑んだ。


俺がこの人を諦められる日は、来るのだろうか。





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