生意気な義弟ができました。

鈴木ソラ

気になる先生ができました。〈番外編3〉




「楠木くん、ジャージありがとう」


そう言って、廊下で先生は俺に綺麗に畳んだジャージを手渡した。言わずもがな、それは俺が先生に貸したものだ。俺はそれを受け取る。すると先生は何か言いたげに俯いてから、耳を貸して、というように近寄るように手招きした。俺は素直にそれに従って、少し体を屈める。

「…楠木くんが見た、アレのことなんだけど…その、誰にも言わないで欲しいっていうか…」

ひそひそと小声で気まずそうにそう言って、先生は俺から目を逸らした。俺はその話の内容に思わず笑ってしまいそうになる。

「言うわけないじゃないですか、口外するくらいだったらジャージなんて貸してません」

俺がそう言うと、先生は安堵の表情を浮かべて笑った。

「そ、そうだよね…楠木くん、すごく優しいし」

優しい、と言われて俺は初めて気づいた。

俺は一体なにをしているのだろうか。教師のプライベートにここまで干渉してしまって、これじゃ取り返しもつかないじゃないか。いや、そんなもの別に、今後一切口を挟まなければいい話だ。もう忠告もした。生徒である俺なんかが先生に言うことはもう無い。

「優しくなんてないです、先生ってお人好しですね」

今回の件は自分でも、ただ生意気なだけであると自覚している。先生は、よく言われる、と笑って言ってから、改めて礼を告げて廊下の向こうに去って行った。














「秋人クン、教えてよ俺に」


体育の授業中、グランドの日陰から野球の試合を眺めていれば隣で凛太がそう言って俺を見た。俺は目線だけそちらに向ける。

「何をだ」
「知らばくれちゃって、今お前が着てるジャージの件だよ秋人クン」

ふざけたように俺の名前を呼んで、凛太はニヤニヤと笑みを浮かべた。こいつは情報通なだけに、なにか気になることがあれば食いつくように追求する癖がある。

「なーんで真澄ちゃんにジャージ貸してたのさ」
「何度も言ってるだろ、別に深い意味はない」
「水道で水かぶって風邪ひきそうだった真澄ちゃんにジャージ貸したって、そんなん他の奴は丸め込めても俺はそう簡単にはいかねーぞ?ただ通りかかっただけとか、嘘くさすぎー」

凛太はそう言うと、しゃがみこんで足元の砂に絵を描き始める。

「なーんか引っかかるんだよなー、真澄ちゃんの恋人疑惑といい。まあただの俺の勘なんだけど」

本当に勘が鋭い奴で感心する。まあ言及されたところで答えるわけにもいかないがな。

俺は黙って、後ろのフェンスに寄りかかって校舎の方を見た。すると、無意識に手を突っ込んだジャージのポケットの中で、何かが指に触れた。取り出してみると、それは四角い紙のようだった。

鴨野かもの 零央れお

一流企業の社名とともに表記されたそれは、どうやら誰かの名刺らしい。しかしその名前に聞き覚えは無い。けれど名字からして、鴨野先生が関係しているのは確かだろう。返されたジャージから出てきたわけなのだからそれは明確だ。名刺が紛れ込んだのに気づかず、先生は俺にジャージを渡したのだろうか。いや、ポケットの中にそう偶然と紛れるものか。けれど先生が入れたとも考えにくい、だとすればこの名刺の人物があえて入れたと考えるべきか。

俺はただその名刺を見つめて考える。それをひっくり返して裏を見ると、何か書いてあるようだった。


"よろしくね、楠木くん"

達筆な字でそう短く書かれているが、どうやら先生が書いたのではなさそうだ。しかしこの人物に、よろしく言われる覚えもない。顔も年齢も何も知らないが、どういう訳かこの名刺はジャージのポケットにあえて入れられていたらしい。


「秋人、聞いてる?」

ハッと名刺から視線を外して顔を上げると、凛太が俺の顔を見て文句ありげにそう聞いてきた。

「…悪い、聞いてなかった」
「だーかーら、今日放課後生徒会あるのかって」
「あぁ、文化祭関係で処理してない仕事がまだいくつかある」

俺がそう答えると、凛太は立ち上がって伸びをした。

「んじゃ、俺も今日割と遅くまで部活なんだわ。たぶん秋人のが早く終わるし、そしたら校門前で待ってて」

アメリカ人の父の勧めで何となく茶道部に入部した凛太は、サボらず部活にも顔を出しているようだった。気分屋な凛太が珍しいとも思ったが、もともと体を動かすような活発なタイプではないので向いていたのかもしれない。普段は忙しくない文化部も、文化祭が近づくにつれて準備を進めているらしい。

「茶道部の部長に言っておけ、まだ茶道部だけ文化祭の企画書が提出されてないと」

俺が真面目にそう言えば、えー、と凛太は不満そうにする。














文化祭への準備が着々と進められ、最近は生徒会の仕事も忙しくなってきた。特に会計に務めているのもあって、予算関係の話もまとめるのも一苦労だ。やっと話し合いにも一区切りついて解散すると、外はもう暗くなっていた。凛太の言う通り、それでも文化部なんかはまだ文化祭の準備に取り組んでいるようだった。

昇降口を出ると、すぐに後ろから俺を呼び止める声が聞こえた。

「楠木くん!忘れ物」

そう言って俺にまとめられた書類を手渡したのは、生徒会役員の一人だった。

「あぁ、悪い。柴原しばはらはまだ帰らないのか」

俺がそう聞くと、彼女は長い黒髪を流してうなづいた。

「もう、楠木くんが副会長になんか推薦するからこうなったのよ?私は楠木くんが相応しいと思ったのに」

少し不満そうにしながらも、柔らかく笑って柴原はそう言う。柴原は仕事も丁寧で、何よりリーダーシップをとれる優秀な奴だ。だから俺以外からも会長の補佐に推薦されていた。

「俺は会計で十分だ。帰り遅くなるなら気をつけて帰れ」
「わかってるよ。楠木くんのそういうちょっと過保護な所、女の子がキャーキャー言うだけあるよね」

過保護とは自覚していないが、幼馴染が日々俺を頼ってくる癖があるので無意識にそうなってしまっているのかもしれない。

「じゃあ、またね楠木くん」

そう言って手を振ると、すぐに踵を返して校舎の中に戻って行った。それでからスマホを見れば、凛太からもう少しかかるとの連絡が数分前に来ていた。家が真隣ということもあってか、凛太とは当然のように登下校を共にしている。祖父と二人暮しの俺にとって、凛太の両親が家族絡みで付き合ってくれるのはありがたいことだ。

そんなことを思って校門で立ち止まれば、校門の前には一台の車が止められていた。その傍には、スーツ姿の男が一人立っている。誰か生徒でも迎えに来たのだろうか。

珍しいことについジロジロと見てしまうと、ふいにその人物と目が合った。身長は俺と同じくらいで、歳もそこまで離れていない。きっと20代前半であるだろうと推測できる若々しい顔立ちだ。月並みな表現ではあるが、女子が放っておかなさそうな、いわゆるイケメンと言われる類の人だ。

「こんばんは」

そうニコリと微笑まれ、とりあえず俺はぺこりと会釈する。

「楠木くん、でしょ?」
「……え、なんで知ってるんですか」

見知らぬ人物に名前を呼ばれ、一気に不信感が増す。するとその人は少し笑って答えた。

「さっきあっちで名前呼ばれてたから、君が楠木くんかって、声かけちゃった」

そうは言われても、俺は未だにその人の意図が掴めなくて首を傾げる。

「一応自己紹介のつもりでアレ渡したんだけど。まぁ、よろしくね、楠木くん」

何か含みのあるような笑みをこちらに向けるその人の正体を、俺はようやく掴んだ。

───名刺の男だ。

昼間、先生に返されたジャージに入れられていた名刺の裏に、今この人が言ったことと全くおなじセリフが書かれていた。なんて浅はかな発想だろうが、きっとそうで間違いない。

「……よろしく言われる覚えはないんですけど」

俺が不信感を抱いたままそう言えば、その人はどこか勝気な表情でこちらを見つめた。

「まぁ、そうなんだけどね、俺なりの牽制っていうか───」

その人物がそこまで言うと、背後から慌ただしく駆けてくる足音がした。俺は思わず後ろを振り返る。


「れ、零央……!なんでおま、…………って、えっ…?楠木くん?」

振り返ればそこには、困惑した様子の鴨野先生がこちらに駆け寄って来る様子があった。慌てて校舎を出てきたのか、少し息切れしているようだった。

「先生の、知り合いの方ですよね」
「……えっ、うん…まあ、そうなんだけど…」

先生は困ったようにうなづくと、俺の背後にいるその人に訝しげな視線を送った。するとその人は俺の前に出て、先生に寄って行った。

「ちょっと話してただけだって、おにーさん迎えに来てあげたんだから早く帰ろ」
「え、あ、うん…」

戸惑ったようにうなづいてから、先生は俺に目をやる。

「楠木くん、もう遅いから気をつけて帰るんだよ」

そう言われ、俺は素直にうなづく。突然現れたその人は、先生を助手席に乗るように促してから自分も運転席の方に向かう。ドアを開けて車に乗る直前、その人は俺に向けて少し舌を出して笑った。ように見えた。スーツ姿の大人なくせに、まるで子供がするような顔だった。

車が発進してあっという間にいなくなれば、俺は何が起きたのか分からないままただ呆然と立ち尽くした。

"おにーさん"と先生を呼んでいた様子から、かなり親しい間柄であるのは確かなようだった。それでもやはり、俺があの人に名前を覚えられるような心当たりはないのだが。"俺なりの牽制"と、確か言っていた。その意味もまだよく分からない。


考えても分からないことばかりで、ただ胸が黒いモヤに覆われていくような感覚を覚える。普段難なく過ごしてきた俺にとって、こういうときどうして解決すればいいのか分からない。




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