生意気な義弟ができました。
生意気な義弟ができました。7話
「うっわ、なにそれグロ」
「あー…犬に噛まれた?かな」
「犬?へー」
講義中、誠が俺の耳の噛み跡を見て小声でそう言ってきた。俺は本当のことを言うわけにもいかずテキトーに誤魔化す。
「なあ聞けよ、この間のマスターの新作、すげー美味かったんだよ」
「へえ、いつ出るの?」
「まだ決めてないらしいけど、とにかく美味くて。今までのもいい味出してたんだけど、今回のはほんとすげーぜ?俺驚いて飲み終わってからしばらく動けなかったもん」
「あーはいはい、楽しみにしてるよ」
誠が前にしたマスターの新作について熱く語り始めてしまったので、俺はテキトーにあしらって講義中の先生に視線を戻した。
「おいそこの茶髪、声がデカいぞ!話すならもっと小声でやれ!」
「あっ、すんません」
先生のツッコミどころもそこかよって感じなんだけど、怒られた誠はガタッと席を立って謝った。俺はそれを内心笑いつつ、ノートを写す。
マスターが淹れたコーヒーの話になると、こいつはいつも楽しそうに話す。
「で、どうなの?義弟とは上手くいってんの?」
講義を一通り終え、学食のトンカツ定食を食していれば、誠がふと思い出したように言った。
「え?あーまあ、それなりに」
上手くいっていると言っていいのかは正直わからない状況だけど、まあ、それなりにだ。
すると、誠が俺の後ろを見て声を上げた。
「あ、麻海さん」
俺が振り向こうとするのよりも先に、後ろから俺の肩にポンと両手を置いて顔を覗かせた。
「真澄くん誠くん、俺も一緒にいい?」
麻海さんはいつもの爽やかな笑顔で俺と誠を見た。その瞬間に、周りの女の子たちが少しザワつく。
まぁ、いつものことだ。
「もちろん、いいですよ」
俺が頷くと、麻海さんは隣に腰掛けた。
「今日も目立ちますねーさすがイケメンはちげーなぁ」
誠が羨ましいというように麻海さんを見る。だが確かにそうだ。塾ではまだしも、大学じゃいつも女子の視線が突き刺さる。
「麻海さん、大学じゃ会うの久しぶりですね」
「そうだね、見かけたからつい声掛けちゃった」
「見てくださいよ真澄の耳、グロくないですか」
俺はそう言われ思わず耳を手で隠した。けれど麻海さんがこちらをじっと見つめた。
「真澄くん、見せて?」
「…………犬に、噛まれたんです…」
俺が渋々耳を見せると、麻海さんはそれを見て俺の耳に触れた。
「っ、」
思わずビクリと体を跳ねさせると、麻海さんはため息をついた。
「犬に?気をつけなよ、すっごい痛そう」
「は、はい…」
「どっか抜けてるよなー真澄って」
「う、うるさいな」
すると、誠のスマホがピロリと鳴りメッセージの着信を報せた。
「お、悪い、このあとバイト入ったわ。俺行くな?」
どこか嬉しそうにそう言って、あっという間に昼飯を平らげた。
「バイト入ってそんな嬉しそうなやついるかよ」
「誠くん頑張って」
麻海さんと俺は誠を見送る。
「俺たちもこのあとバイト入ってるよね、それ食べたら一緒に行こう?」
「あ、はい」
塾の入口から出ると、外はザァーっと雨粒が地面を叩いていた。俺と麻海さんはそれを見て立ち尽くした。
「…傘…持ってないですよ」
「俺もだよ、授業始める前は降ってなかったのにね」
お互いに授業を終えていざ帰ろうというとき、予報はずれの雨が降りつけていた。
「俺の家近いですし、とりあえずそこまでお店の屋根とかつたって雨宿りしながら行きません?」
「そうしようか、止みそうにもないし」
俺たちは2人で塾を駆け出した。
「あー、結構濡れましたね…」
「あはは、だいぶね。最後とか全然雨宿りできる場所無かったしね」
俺の家に着いたので、とりあえず玄関を開けて中に入る。すると、丁度家にいた零央が階段から降りてきた。
「あ、零央!丁度良かった、タオル持ってきて欲しいんだけど」
「…あー、うん」
一瞬驚いたようにしてから、素直に脱衣所にタオルを取りに行ってくれた。
零央がタオルを2枚持って戻ってくると、麻海さんがぺこりと頭を下げた。
「あ、同じ学部の、麻海瞬太郎さん。一個上で先輩なんだ」
「どうも、君が噂の義弟くん?」
「…噂?」
零央が訝しげな目で俺を見てきた。
「あっいや、別になんでもないから!」
俺は慌てて誤魔化した。
「こっちは義弟の零央です」
「どーも。おにーさんがすげーイケメン連れてくるからびっくりした」
零央はふざけたようにそんなことを言った。礼儀も何も無いやつだ。
「あ、麻海さん風邪ひいちゃいますよね。シャワーだけでも浴びてってください」
「いいの?」
「いいですよ、俺もそのあと入ります」
「ありがとう。じゃあシャワー借りるね」
雨に濡れた麻海さんは、これまた女子が放っとかなさそうな具合に輝いていた。水も滴るいい男ってやつだ。
麻海さんが脱衣所に入ったのを見て、俺は二階の自分の部屋へ向かった。
「……うー……へっくしゅっ!」
こりゃ風邪ひくかもなぁ……。
タンスの中を漁って麻海さんが着れそうな服を用意……しようと思ったんだけど……。
麻海さん背高いし、着れるかな…。
「…れーおー…」
俺は仕方なく零央の名前を呼んで助けを請う。そうすると、下の階から上がって来てくれた。
「なんかでかいサイズの服持ってない?麻海さんの着替え用意しようと思ったんだけど、合いそうなのなくて」
「ふっ、かっこわる」
「う、うるさいな…しょうがないだろ…」
零央は、ちょっと待って、と言って部屋へ服を取りに行ってくれた。何も言わずに貸してくれればいいのに、一言余計なのだ。
「これ、着れるよね」
「ああ助かる、さんきゅな」
俺はそれを持って脱衣所に向かった。お風呂では麻海さんがシャワーを浴びる音が聞こえた。
「麻海さーん、着替えここに置いときますね」
「あぁ、ありがとう」
浴室から響いて聞こえる麻海さんの声。俺の家にこうして麻海さんがいるのはなんだか新鮮な気分だ。
しばらくして、麻海さんがシャワーを浴び終わり脱衣所から出てきた。
「真澄くん、シャワーありがとう、あと服も」
「いえいえ、服は零央のです」
そう言うと、麻海さんはソファでくつろいでテレビを見てた零央に、ありがとう、と礼を言った。
「じゃあ、俺もちゃっちゃとシャワー浴びてきちゃいま、ぶぇっくしゅっ…!」
なんともだらしのないくしゃみだ。
「大丈夫?やっぱ真澄くん先にシャワー浴びちゃった方がよかったんじゃない?」
「へーきですへーきです、これくらいどうってことないですよ」
とか、言ってたんだけど。
「へっくしゅっ!…………ぁー……」
「ほーら、やっぱり風邪ひいてるよ真澄くん」
「あはは…みたいです…これは発熱ルートですね」
風邪をひくと必ず熱も出してしまうなんともひ弱な体質なのだ。
「それより麻海さん、明日何も無いなら泊まってったらどうです?………あ、でも俺体調悪いのか…」
あれからしばらく経ってもうすっかり日も落ちきったが、外は相変わらずの土砂降りだ。しかし自分から発案したはいいが、このまま麻海さんを家に泊めても俺の風邪菌を移すことになってしまわない気もしない。
俺がうんうんと唸って考えていると、麻海さんが隣でクスクス笑った。
「そうだね、お言葉に甘えて今日は泊まっていこうかな」
「いいんですか?俺、風邪移しちゃうかも…」
「平気だよ、俺滅多に体調崩さないしね」
たしかに、麻海さんが体調悪いの見たことないかもしれない。
「…にしても、麻海さんが俺の部屋にいるのって、なんだか落ち着かないですね」
俺は自分の部屋を一旦見回してから、また麻海さんに視線を戻した。なんとも不釣り合いな感じがして恥ずかしい。
「こうしてどっちかの家でお泊まりっていいうのも初めてだしね」
「そうですね、麻海さんとお泊まりなんてしたら女の子たちに恨まれそうです」
俺が笑いながらそう言うと、麻海さんは少し複雑そうな表情をした。俺は何かまずいことを言っただろうか、と心配になって麻海さんの顔を覗き込んだ。
「麻海さん?どうしました」
「…………ずるいね、真澄くんは」
「……え?」
すると、麻海さんはスっとこちらを向いて俺の手首を掴んだ。いつにも増して真剣な顔をしている。
「ほんとに鈍感、きっと気づかないの真澄くんだけだよ」
麻海さんはそう言ってこちらへ詰め寄ってくる。
「えっ、な、なんのことですか?」
いつもと様子が違くて、変だ。
「…ねぇ、キスしても、いいかな」
俺はまさかのセリフにしばらくフリーズした。
……………………今……なんて言った…………?キス……?麻海さんが、俺に?
「……い、いや、麻海さん…俺、男…ですよ…」
「そうだね」
いや、そうだね、じゃなくて…!
「義弟くんとはしたんだよね?義弟くんはいいのに、俺はダメ?」
麻海さんほどのイケメンに、そんなふうに寂しそうな顔をされたら思わず胸が痛くなってしまう。
…………そうだ……つい最近、俺は義弟につけられたキスマを晒しながらバイトに行くという失態を犯したんだった…。
「困らせてるよね、ごめんね。でも、もう我慢ならないな」
こんな麻海さん、初めて見た。いつも通りまっすぐに見える眼差しには、微かに揺らぎが混じっているように感じる。感情的で、麻海さんが麻海さんじゃないみたいだ。
「これ以上、義弟くんの好きにはさせたくないよ」
俺はまだ、麻海さんの言うことの意味を上手くつかめずに、ぼんやりと麻海さんを見つめた。何も言葉が出てこない。
すると、突然ドアがガチャリと開けられた。俺と麻海さんは思わずドアの方へ視線を移す。
「なんです、俺の話?」
そこには、いつもの憎たらしい笑みを浮かべた零央が立っていた。
「…ちょうどよかった、零央くんにも言いたいことがあったんだ」
麻海さんは俺の手を掴んだまま、真剣な顔をして零央を見つめた。
「ちょ、ま、待ってください麻海さん……言ってることがよくわからな、」
「俺はわかるけど」
俺の言葉なんか無視するように、零央が言い張った。
「おにーさんのことが好きなんだよその人。見てればわかる、おにーさんのこと見る目がギラっギラ」
「……なら話が早いよ、察しのいい義弟くんで助かった」
……いや、待って、全然ついてけない。俺の話題なはずなのに、なんで俺が取り残されてるの。麻海さんが俺を好きって、なんで?納得できない、そんなの納得できるはずがない。
俺が何も言えないまま頭をフル回転させていると、麻海さんは傷跡の残った俺の耳に手をかけた。俺はその不意な行動に思わずビクリと目を瞑る。
「酔って真澄くん襲ったんでしょ?懲りずにこの傷、また何かしたんだ?」
「そんなとこまで知ってるんですか」
俺は言ってないぞ。いや、キスマの方はお前がつけるから悪い、そのせいで俺だって言いたくないこと言ったんだ。
「俺の想像に過ぎないけど、間違ってないみたいだね。真澄くんは君の玩具じゃないんだ」
「へえ、ずいぶん愛されてるんだな、おにーさんは」
「い、いや、待って、全然飲み込めないんだけど、この状況…」
俺は麻海さんと零央の顔を順番に見た。
「…なんで?なんでですか、麻海さん、冗談ですよね…」
「本気だよ。言ったら真澄くんが困ると思って、ずっと言わなかったけど」
衝撃的な事実だ。麻海さんが、いつも女子の視線を浴びるような麻海さんが、俺を好きだと。そんなこと、有り得るのか。
「…………だ……だと、しても…零央は関係無いですよ…」
俺は、真剣な麻海さんの視線から目を逸らして、なんとかフル回転させた頭で答えた。
「どうしてそう思う?」
「…零央は別に…麻海さんみたく、俺のことが好きなわけじゃないですし……ただ、遊んで面白がってる、だけですよ」
零央は、それを黙って聞いていた。
「…そうだと、いいけどね。……いや、よくはないな…遊ぶなんてもってのほかだ。真澄くんは優しいから許してくれるのかもしれないけど、それは俺が許せない」
いや、…決して許してないです俺。
……あぁ……唐突な修羅場に、頭が痛くなってきた…………。
そこで、零央が口を開いた。
「別に、おにーさんは俺のモンってわけじゃないんだし、あんたの好きにすればいいんじゃないの」
零央は冷たい口調で言った。
「…あぁ、はじめからそのつもりだよ」
そう言ってから、麻海さんは俺の方へ向き直った。さらに詰め寄ってくるので後ろへ後ずさろうと思えば、背中には虚しくベッドの側面があたる。
「真澄くん、キスしていい…?」
「えっ…ま、ちょ、零央!助けて!」
俺は麻海さんの肩越しに覗く零央の顔を見て助けを求めた。けれど、零央は何も言わずに扉を閉めた。最後に、たしかに扉の隙間から零央の憎たらしい笑みが見えた。
…………な……なんて奴だ……。
零央の態度に呆気にとられていると、麻海さんの指が俺の頬を触った。一瞬で意識が麻海さんへ持っていかれる。
「こっち見て、真澄くん」
目の前に麻海さんの綺麗に整った顔があって、思わず恥ずかしくなる。
「俺ね、ずっと真澄くんに触りたいって思ってたんだ。でも、俺は臆病者だから、今まで自分の気持ちなんて言えなかったよ」
麻海さんは真剣な口調で話す。
容姿端麗聖人君子、そんな麻海さんにも出来ないことがあっただなんて、俺は呑気にもそんなことに衝撃を受けている。当たり前なことだけど、麻海さんも俺と同じ普通の人間なのだ。
すると、俺の手に自分の手を這わせて、そのまま頬へ持っていった。
「こんなに真澄くんを困らせてるのに、今こうして我慢せず真澄くんに触っていられるのが、どうしようもなく幸せだよ」
本当に嬉しそうな顔で、俺の手のひらに頬を擦り寄せた。その瞬間、俺の胸がチクリと痛む。
「さっきの義弟くんの顔、見た?まるでお気に入りの玩具を奪い取られたみたいな顔してた」
「…え、し、してないですよそんな顔…」
「してたよ。俺、それ見てちょっと優越感?……あはは、性格悪いね、俺。…幻滅した、かな」
麻海さんは少し寂しそうな顔をした。
「……幻滅なんて、しないです……ただ、戸惑ってるっていうか…」
「…真澄くんは…零央くんが好き?」
「えっ!そ、それはないです!さっきも言いましたけど、あいつだってただ面白がってるだけで…」
俺が全力で否定すると、麻海さんは、ふふっと笑った。
「…このキスマーク、早く消えてくれないかな…俺で上書きしたい」
弱音を吐くみたいにそんなことを言う麻海さんは、男の俺でもドキッとするぐらいの色気を纏っていた。
「…もう、遠慮するのはやめる」
そう言って、麻海さんはゆっくりと顔を近づける。
「えっ、…ん、ぅ」
あっという間に、俺の唇は麻海さんによって奪われた。相手が麻海さんなだけに、零央のときのようには抵抗しづらくて、俺は麻海さんの服を掴んで必死に耐える。
零央のときみたく、唇を割って麻海さんの舌が侵入してくる。けど、今度は相手は零央じゃない、麻海さんなのだ。
俺の意識がキスに持っていかれると、不意をつくようにしてTシャツの中に麻海さんの手が入ってきて、俺の腰やお腹のあたりをなぞる。
「ぁっ、麻海さ、やめ……っ」
それをされると、ゾクゾクと背筋に慣れない感覚が走って落ち着かない。
「キス、好きなんだね?腰触られるのも、弱いみたい」
まるで零央と同じようなことを言って、笑った。
「…だめ、ですって…こんなの……っ」
俺は麻海さんとこんなことしたくないはずだ。でも、このままだと何も抵抗できずに麻海さんを受け入れてしまう。そんなの、絶対だめだ。
「俺が女の子ならよかったの?そうしたら、真澄くんも俺のことを好きになってくれたかな」
「そ、そういう問題じゃないです…!」
いや、確かに俺たちが男だっていう、性別の問題も無いわけじゃない。けど、今の論点はきっとそこじゃない。
「お、俺は、麻海さんの気持ちには、応えられないです…だから…」
「わかってるよ、そんなの、俺が一番わかってる。それでもいいよ、真澄くんがこっち向いてくれるまで、俺は待ってる」
…………そんなの、そんなの……なんの保証も無いじゃないか…。
「もう遠慮はしないって言ったでしょ?だから、真澄くんも遠慮しなければいい。嫌ならはっきりそう言って、俺を蹴り倒してでも逃げて」
そ、そんな無茶な…。
麻海さんは再び唇を重ねてきた。
「ふ……ぁ、」
麻海さんを蹴り倒すなんて、そんなのできるはずがない。
「…真澄くんの口の中、すごい熱いね」
「ぁ…、ね、熱……風邪引いて…」
キスのせいでふわふわした思考の中で、俺は麻海さんを見つめた。麻海さんの視線が熱い。
「あぁもう、なんでそんな物欲しそうな顔するの」
そう言って、麻海さんは顔をしかめて俺の服をガバッと捲りあげた。胸あたりに顔を埋めると、悪戯な顔をして舌を出した。
「ま、麻海さ、俺、男だから、そんなとこ舐めても…」
「真澄くん感度良いから、きっとすぐ気持ち良くなるよ」
「ちょ、麻海さん…っ」
俺の言うことなんか無視して、麻海さんは舐めたり、時には甘噛みするみたいに刺激した。それをやられる度に、俺の身体にはヒリヒリとした感覚が襲った。
「っ…は、ぁ……か、噛まないで、くださ…っ」
「気持ちよさそうだったから、つい」
そんなこと言いつつ、麻海さんはまた歯を立てた。
「ひ、ぁっ…」
思わず出てしまった声が恥ずかしくて、俺は慌てて口を抑えた。熱のせいか、やけに頭もぼーっとする。
「…かわいい、もっと聞かせてよ」
麻海さんは俺の手を退かして、食むようにキスを繰り返した。
体に力も入らなくて、だんだんと麻海さんの声が遠くなっていく。俺はそのまま、意識を手放した。
目を覚ますと、自分の部屋の天井が一番に飛び込んだ。
…………あれ……俺……。
まだ微かに残る頭痛が襲う中、ゆっくりと起き上がると、窓の外は明るくて土砂降りだったはずの空は晴れていた。ベッドの下へ視線やると、床には誰かが寝ていた。
「……えっ、ま、麻海さん!?」
俺が声をかけると、麻海さんはパチリと目を覚ました。
「………あぁ…真澄くん、起きたんだね。おはよう、体調はどう?」
「い、いや、なんでそんなとこで寝て…あ、あれ?そういえば俺、なんで寝てるんだろ…」
記憶が混乱して戸惑っていると、麻海さんは屈託のない表情で笑った。
「昨日は、真澄くん倒れちゃったみたい。熱あるのに無理させた俺のせいだね、キスだけでやめるつもりだったのに、ごめんね」
「えっ……あっ、いや、えっと」
昨日のことを思い出して、もともと微熱のせいで高い体温がさらに上がるのがわかる。
「途中で返事しなくなるからびっくりしちゃった。…安心して、あれ以上のことは何もしてないよ」
麻海さんはいつもの爽やかな笑顔で笑ってそう言った。
「まぁ、できなかったっていうのがホントのとこかな…にしても、ほんとに無防備だね真澄くんは。そんなんだから義弟くんにも俺にも、いいようにされちゃうんだよ?」
「す、すみません…」
何故か説教を食らっている。
「あぁでも、そのキスマは上書きしといたよ」
「えっ、」
悪戯な笑みで笑う麻海さんは、どこか楽しそうだ。
……キスマ…………またしばらくは消えないな…………あとで洗面所行こう……。
「真澄くんは鈍感だから、こうでもしないと一生俺の気持ちに気づかないね」
「ど、鈍感って…そんな、気づくわけないじゃないですか…」
「そうかな。義弟くんも気づいてたし、たぶん誠くんも知ってるんじゃないかな?」
「え、ま、誠も!?」
…………それじゃあ、ほんとに俺だけ気づかないみたいじゃないか……。
あんなことがあったのに、麻海さんはいつもと同じように接してくれるから、俺も気づけばいつも通りに話してる。
「返事は焦らなくてもいいから。…ただ、身の危険には十分気をつけてね」
麻海さんは、含みのある笑顔でそう言った。
…もしかして、俺の身体は常に麻海さんに付け狙われているのでは……??
確信した雨上がりだった。
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