観測者と失われた記憶たち(メモリーズ)

奏せいや

這い寄る混沌2

「黙れ」

 ホワイトの口が白うさぎの台詞を遮る。彼にしては感情的な声だった。

 怒りの念が端から漏れ、ナイフのように尖った制止をしかし白うさぎは嬉々として受け止めている。

 ホワイトの感情の高ぶりに興奮し、表情を歪める。

「ハッハハハ! アリスちゃんに正体を明かしたんだってホワイト? 母親を前にして我慢できなくなったのかい? ああ、それも分かるよ。なにせようやく見てくれたんだ、ずっと守ってきたあの人に。アリスちゃんにありがとうと言ってもらえた時は泣くほど嬉しかっただろう?」

 白うさぎは謳う。言葉ではホワイトを称えながらも嘲りを含めて。

「君は頑張った、白の王。ワンダーランドの住民から嫌われようと一途にアリスちゃんを守っていた。君は正しかったよ、褒められるべきだ。しかしアリスちゃんの成長とともに理性が発達すると、彼女を守るのは本能ではなく理性へと変わった。今やワンダーランドを支配しているのは理性の神である赤の女王だ。深層世界の王だった君は王位を剥奪されて追放された。誰に感謝されることもなく」

 かつてまだホワイトが白の王と呼ばれていた頃、それはまだアリスが幼かった頃だった。幼いアリスを守るため、ホワイトは常にアリスの傍で彼女を守った。

 痛覚という、防衛本能の一部をもちいて。

 熱い物に触れれば熱を与えて危険だと教えた。冷たい物に触れれば冷たさを与えて怪我を防いだ。そうしてホワイトはアリスのために、そのためだけに守っていたのだ。

「辛かっただろう、後悔しているかい?」

 けれど、周りの理解は得られなかった。

 赤の女王となる理性の神が支持を増やしていく一方で、ホワイトは嫌われていた。痛みを与える悪い王であると。

 その行いは、ただ守るため。助けるために。それだけだったはずなのに。

 けれどホワイトは全てを失った。地位も名誉もない。守ってきた当人の、ありがとうの一言さえ。それでも。

「後悔はない」

 ホワイトは、今でもアリスを守っている。己の行いに、不信も後悔も抱かずに。意志は変わらない。王であった時から何一つ。気高き志と共に。

「俺は防衛本能。あいつを守る、それだけだ」

 ホワイトは言い切った。揺れることのない決意を言葉に込めて。

「アリスをどうするつもりだ?」

「どうするかだって? 分かってるはずだ」

 ホワイトは白うさぎに鋭い視線を送るが白うさぎは笑ったまま。さらには両手を広げ、広い体育館に大声を響かせた。

「世界の革新! それが見たい!」

 白うさぎの瞳は輝いている。狂気でしかないその行為を語る口は無垢な少年のよう。純粋すぎる故に狂っている。

「世界を変えてお前になんの得がある?」

「得? そんなものは関係ない。僕はただ知りたいだけさ。それだけなんだ、単純だろう?」

「そんな理由で多くの犠牲を生むつもりか」

「ああ、構わない。むしろ」

 白うさぎの双眸が大きく見開かれる。欲望と興奮に彩られ、言葉に宿る熱情は常軌を逸している。まるで酒に浮かれた酔漢か欲情した暴漢のように、邪悪な雰囲気をまき散らす。

「それが見たい」

「なるほど。白うさぎ。そういえばお前の正体は、『好奇心』だったな。いや」

 アリスとメモリーを引き合わせ、世界の改変を行なおうとした白うさぎ。その動機も目的もただ見たいから。損得はなく、一見他者には理解できないその心理。好奇心。

 どこから生まれるのかも分からない不条理なそのあり方を、しかし、好奇心に宿った真名をホワイトは納得と確信を以て口にした。

 その名を無貌の王。その名を暗黒神。その名を闇に潜むもの。またの名を――

「這い寄る混沌、ニャルラトホテプ」

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