観測者と失われた記憶たち(メモリーズ)
日常3
しまった。久遠が小首を傾げている。どう説明しようか。私だけ納得していても分かるわけないよね。うーん。こめかみに指を当てて考える。
「そう、例えば、いつも同じ電車に乗っていても、そこに昨日と同じ人がいるわけじゃないでしょ? 昨日とは違うのに、私たちは今日をいつもと同じだと思ってる」
久遠は黙ったまま興味深そうな顔をしている。ただ、そんなたいしたことじゃないんだけど……。
「同じ顔がいつもいるわけじゃないし、新しい人だって毎日出会う。もっと視野を広げれば、こうしている今も日本のどこかでは、世界中では、昨日と違うことが起きている。私たちがそれを普通と判断していることだって、本人からしてみれば特別なことかもしれない」
どうだろう、伝わるかな? 私はちょっと不安になったけれど、久遠は茶化すことなく、うんうんと穏やかに頷いてくれた。
「だから、みんなが特別だと。私たちがそれを知らないだけで」
さすが久遠、私のつたない説明でもちゃんと分かってくれたらしい。良かった。だけど、笑われたりしない? もし笑われたら、うん、へこむかも。子供っぽい、という自覚はあるから。
「まあ」
と思っていたが、久遠は両手を合わせて笑っていた。
「アリスさんは、とても高尚な考えをお持ちなのですね。尊敬いたしますわ」
「だからあ、止めてよそういうの。こそばゆい」
久遠は明るい声で褒めてくれた。嬉しいけど、でも、気を遣われただけかもしれない。この笑顔と声は作り物なんじゃないだろうか? 私は疑って久遠を見つめてみるが、
「…………」
めちゃくちゃニコニコしてる。
ううん、きっと違うよね。純粋できれいな瞳と声は嘘を言っているようには思えない。疑ったのが失礼なくらい。
なんだか、こうして話をしているだけなのに私が穢れている人間に思えてくる。うう。
「だめですか?」
「そりゃそうよ」
私は顔を正面に向け目を閉じる。よし、こうなったらこのきれいな子を少しいじめてやろうかしら。理由? 人間ちょっと汚れてるくらいの方がちょうどいいからよ。
「学業も容姿も、おまけに人柄まで優秀な折紙久遠さんから尊敬するなんて言葉、嫌味かと思っちゃうわ」
「あら、それこそ嫌味ですわ。もしかして、アリスさんは私のことがお嫌いですか?」
「さあ?」
「まあ!」
「うそようそ、ごめんごめん」
駄目だ私、やっぱり穢れてる。いや、ううん、そんなことない! きっと久遠が悪いのよ。この子ときたら純粋過ぎるから、ちょっとからかってみたくなるのは自然なことよ。……たぶん、きっと、……おそらく。
「止めてください。そういう御冗談は好きではありませんわ」
「すみません、反省します……」
うう、怒られた。私は頭を下げてしゅんとなるが、すると怒っているはずの久遠の口から、ぷっと息が漏れた。
「ふふ、冗談ですわ」
「え?」
聞こえてきた言葉に頭を上げる。私は数瞬だけ気を取られるが、すぐに気がついた。
「もぉ~う!」
その笑顔に拗ねた声を投げつける。なのに、久遠は口許に手を当て私のことを今も楽しそうに微笑んでいる。
「ごめんなさい、私もアリスさんのいじける顔が見たくなってしまったの。でも、これでおあいこですからね?」
そう言って、久遠は再び微笑んだ。
なんでだろう、まったく悪戯みたいな邪気を感じない。むしろ上品で。淑女の優雅さを教えられる。なんでだろう、年は同じはずなのに、彼女の方がお姉さんのように感じてしまう。
きっとこれが折紙久遠の特徴なんだと、私はそう思った。
久遠との会話が終わり、そこでふと、私は窓から外を見渡してみる。
純徳女学園の立つ場所は高い。おまけに三階ということもあり、ここからは街が一望できる。最近では人が少なくなってしまったという商店街や、全体的に灰色染みた街で一際目立つ、緑に囲まれた大きな公園。
学校の近くに視線を寄せれば、多くの車が列を作って走り、横断歩道では朝の忙しさを演出するように人々が行き交っている。
いつも通りの風景。けれど、昨日とは違う光景。これらの中にどれだけの違いがあっても、私たちは普通だと思って気づかない。
そんな、いろいろな物事が詰まった複雑な世界を、私は瞳で撫でる。そういうものとして受け止める。私はそう、見てるだけ。こうして窓から一枚隔てた場所で見ているように。
だからこそ思うのだ。
この世界は普通だけど、普通じゃない。見方を変えるだけでこの世界は平凡で退屈なものから、特別なものへと姿を変える。もし退屈な日常から抜け出したいのなら。
不思議の国への入り口は、すぐ近くにあるのかもしれない。
「そう、例えば、いつも同じ電車に乗っていても、そこに昨日と同じ人がいるわけじゃないでしょ? 昨日とは違うのに、私たちは今日をいつもと同じだと思ってる」
久遠は黙ったまま興味深そうな顔をしている。ただ、そんなたいしたことじゃないんだけど……。
「同じ顔がいつもいるわけじゃないし、新しい人だって毎日出会う。もっと視野を広げれば、こうしている今も日本のどこかでは、世界中では、昨日と違うことが起きている。私たちがそれを普通と判断していることだって、本人からしてみれば特別なことかもしれない」
どうだろう、伝わるかな? 私はちょっと不安になったけれど、久遠は茶化すことなく、うんうんと穏やかに頷いてくれた。
「だから、みんなが特別だと。私たちがそれを知らないだけで」
さすが久遠、私のつたない説明でもちゃんと分かってくれたらしい。良かった。だけど、笑われたりしない? もし笑われたら、うん、へこむかも。子供っぽい、という自覚はあるから。
「まあ」
と思っていたが、久遠は両手を合わせて笑っていた。
「アリスさんは、とても高尚な考えをお持ちなのですね。尊敬いたしますわ」
「だからあ、止めてよそういうの。こそばゆい」
久遠は明るい声で褒めてくれた。嬉しいけど、でも、気を遣われただけかもしれない。この笑顔と声は作り物なんじゃないだろうか? 私は疑って久遠を見つめてみるが、
「…………」
めちゃくちゃニコニコしてる。
ううん、きっと違うよね。純粋できれいな瞳と声は嘘を言っているようには思えない。疑ったのが失礼なくらい。
なんだか、こうして話をしているだけなのに私が穢れている人間に思えてくる。うう。
「だめですか?」
「そりゃそうよ」
私は顔を正面に向け目を閉じる。よし、こうなったらこのきれいな子を少しいじめてやろうかしら。理由? 人間ちょっと汚れてるくらいの方がちょうどいいからよ。
「学業も容姿も、おまけに人柄まで優秀な折紙久遠さんから尊敬するなんて言葉、嫌味かと思っちゃうわ」
「あら、それこそ嫌味ですわ。もしかして、アリスさんは私のことがお嫌いですか?」
「さあ?」
「まあ!」
「うそようそ、ごめんごめん」
駄目だ私、やっぱり穢れてる。いや、ううん、そんなことない! きっと久遠が悪いのよ。この子ときたら純粋過ぎるから、ちょっとからかってみたくなるのは自然なことよ。……たぶん、きっと、……おそらく。
「止めてください。そういう御冗談は好きではありませんわ」
「すみません、反省します……」
うう、怒られた。私は頭を下げてしゅんとなるが、すると怒っているはずの久遠の口から、ぷっと息が漏れた。
「ふふ、冗談ですわ」
「え?」
聞こえてきた言葉に頭を上げる。私は数瞬だけ気を取られるが、すぐに気がついた。
「もぉ~う!」
その笑顔に拗ねた声を投げつける。なのに、久遠は口許に手を当て私のことを今も楽しそうに微笑んでいる。
「ごめんなさい、私もアリスさんのいじける顔が見たくなってしまったの。でも、これでおあいこですからね?」
そう言って、久遠は再び微笑んだ。
なんでだろう、まったく悪戯みたいな邪気を感じない。むしろ上品で。淑女の優雅さを教えられる。なんでだろう、年は同じはずなのに、彼女の方がお姉さんのように感じてしまう。
きっとこれが折紙久遠の特徴なんだと、私はそう思った。
久遠との会話が終わり、そこでふと、私は窓から外を見渡してみる。
純徳女学園の立つ場所は高い。おまけに三階ということもあり、ここからは街が一望できる。最近では人が少なくなってしまったという商店街や、全体的に灰色染みた街で一際目立つ、緑に囲まれた大きな公園。
学校の近くに視線を寄せれば、多くの車が列を作って走り、横断歩道では朝の忙しさを演出するように人々が行き交っている。
いつも通りの風景。けれど、昨日とは違う光景。これらの中にどれだけの違いがあっても、私たちは普通だと思って気づかない。
そんな、いろいろな物事が詰まった複雑な世界を、私は瞳で撫でる。そういうものとして受け止める。私はそう、見てるだけ。こうして窓から一枚隔てた場所で見ているように。
だからこそ思うのだ。
この世界は普通だけど、普通じゃない。見方を変えるだけでこの世界は平凡で退屈なものから、特別なものへと姿を変える。もし退屈な日常から抜け出したいのなら。
不思議の国への入り口は、すぐ近くにあるのかもしれない。
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